第四十二話 重なる姿
王国軍へ所属してから、季節が一つ巡った。
春の終わりに王都へ迎えられた《暁の牙》は、夏を越え、秋を迎えていた。
最初の頃は、王国軍独自の規律や仕組みに慣れるだけでも精一杯だった。
傭兵として自由に動いていた私たちにとって、軍の命令系統や報告の手順は、それまでとはまるで違うものだったからだ。
それでも、日々の訓練と任務を重ねるうちに、少しずつそれが当たり前になっていった。
訓練場にも、以前とは違う空気が流れている。
「クリス!」
木剣のぶつかる音とともに、レオンが正面から踏み込んできた。
昔なら、その一撃を受け止めるだけで、彼の身体は大きく弾かれていた。
今は違う。
私は木剣を傾け、迫ってきた一撃を受け流した。
レオンは勢いを殺さないまま身体を回転させ、反対側から二撃目を繰り出す。
私は一歩下がった。
木剣が頬のすぐ横を通り過ぎる。
そのまま踏み込み、レオンの懐へ入ろうとした。
けれど、レオンも私の動きを読んでいた。
身体を捻りながら木剣を差し込み、私の一撃を受け止める。
乾いた音が訓練場に響いた。
「おお!」
「今の見たか!?」
周囲から声が上がる。
私たちは同時に距離を取った。
レオンが木剣を構えたまま、嬉しそうに笑う。
「今の、結構よかっただろ?」
「ああ。以前より、ずっと良くなった」
「……それだけ?」
「褒めている」
「分かりにくいんだよな、お前の褒め方」
レオンが苦笑する。
私は木剣を下ろしながら、改めて彼を見る。
昔なら、こんなやり取りをすることもなかった。
けれど、今のレオンは違う。
自分で考え、自分で動き、私の攻撃を読んでくる。
剣を握る手にも、敵を前にした時の目にも、以前にはなかった強さが宿っていた。
「もう一本!」
レオンが木剣を構え直す。
「いいぞ」
私も再び構えた。
成長していく姿を見るのは、素直に嬉しかった。
それが、かつて私の背中を追いかけていた少年なら、なおさらだった。
◇◇◇
訓練だけではない。
王国軍に所属してから、《暁の牙》へ与えられる任務も増えていた。
魔物討伐。
街道の警備。
盗賊の取り締まり。
国境付近の巡回。
大きな戦争が起きているわけではない。
それでも、王国の領土を守るために必要な仕事は多かった。
ある日の任務でも、私たちは街道を進んでいた。
「前方に魔物!」
先頭を走っていたナージャが叫ぶ。
「数は?」
「五体!」
「ドレイス!」
「確認した。右の三体は俺たちで抑える。左の二体を頼む」
「了解!」
ガルドの声が響くと、全員が一斉に動いた。
私は左へ回り、こちらへ向かってくる魔物へ剣を抜いた。
一体目が爪を振り下ろす。
身体をずらしてかわし、そのまま首元を斬り裂く。
続いて二体目が飛びかかってきた。
私が迎え撃とうとした瞬間、その横からレオンが飛び込んできた。
一閃。
魔物が地面へ転がる。
「クリス!」
「ああ!」
それだけで十分だった。
レオンが残った魔物を引きつけ、私は死角へ回る。
互いの動きが自然に噛み合い、最後の一体が倒れた。
「終わったな」
レオンが剣を振り、血を払う。
「ああ」
私は頷いた。
以前なら、私がレオンの動きを見ながら指示を出していた。
今では違う。
レオンは自分で判断し、自分で動いている。
私は、その判断を迷わず信頼できるようになっていた。
そのことが、何より嬉しかった。
それだけではない。
以前予感したことが、実戦の中でも少しずつ形になっているのを感じた。
レオンの剣筋やその戦い方、踏み込みの速さも、敵との距離の詰め方も、攻撃の繋ぎ方も、私が知っている「魔剣の騎士」の姿と重なっていた。
(今の攻撃……スチルで見たことある。)
急に、前世の絵と重なることも増えて来た。
最初は疑いだったけれど、今では確信している。
レオンこそが、ゲームの物語で語られていた魔剣の騎士なのだ。
この先、レオンがどこまで強くなるのか。
そして、その力がこの世界で何を意味するのか。
私は全てを知っているわけではない。
だからこそ、私は未来を守るために動かなくては行けないのだ。
この国を滅ぼす何かが起こるのは確かだから。
◇◇◇
任務を終えた帰り道、夕暮れの街道を私たちは並んで歩いていた。
「なあ、クリス」
「何だ?」
「今日、俺が助けたの分かったか?」
「分かっている」
「ちゃんと礼を言えよ」
「……ありがとう」
「素直だな」
レオンが満足そうに笑う。
私は呆れながら、その横顔を見た。
本当に大きくなった。
背丈は、とうに私を追い越している。
肩幅も広くなり、剣を振る姿から少年らしさは少しずつ消えていた。
それでも、笑った時だけは昔と変わらない。
「……何だ?」
「いや」
私は首を振る。
「成長したと思っただけだ」
「そりゃ成長するさ」
レオンは前を向いた。
「俺だって、いつまでも守られてるだけじゃ嫌だからな」
「守られていたことを覚えているのか?」
「当たり前だろ」
レオンは笑う。
「昔は、クリスの背中ばっかり見てたからな」
その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなった。
「今は?」
私が尋ねると、レオンは少し考えるように前を向いた。
「今は――」
やがて、こちらを見る。
「隣を見るようになった」
私は何も返せなかった。
ただ、その言葉が嫌ではなかった。
むしろ、自然なことのように思えた。
ずっと私の背中を追いかけていた少年が、今では私の隣に立とうとしている。
それは、レオンが自分の足で歩き始めた証なのだろう。
◇◇◇
その夜、兵舎へ戻ると、食堂はいつものように騒がしかった。
「クリス、飯だぞ!」
ガルドが大声で呼ぶ。
「今行く」
「レオン、お前また食いすぎだろ!」
「今日は動いたからいいだろ!」
「毎回それ言ってない?」
ナージャが呆れたように言い、向かいではドレイスが何事もなかったように食事を続けている。
そんな光景を眺めながら、私はふと思った。
王国軍へ所属してから、生活は大きく変わった。
任務も増えた。
立場も変わった。
それでも、ここにいる仲間たちは変わらない。
ガルドがいて。
ナージャがいて。
ドレイスがいて。
そして、レオンがいる。
王国軍という新しい場所に来ても、私が私でいられるのは、この仲間たちがいるからなのだと思う。
ここは、私自身が選んだ場所だ。
誰かに与えられた居場所ではない。
だからこそ、大切にしたいと思っていた。
◇◇◇
それから、さらに季節が巡った。
冬を越え、再び春が近づく頃には、王国軍での生活もすっかり馴染んでいた。
ある日、私たちは王都から少し離れた街道の警備任務に出ていた。
危険性の低い、小さな任務だった。
少なくとも、その時の私たちはそう考えていた。
街道を進んでいた時だった。
突然、レオンの声が響く。
「クリス!」
私は反射的に振り返った。
死角から、一体の魔物が迫っている。
剣を構えようとした、その瞬間だった。
レオンが私の前へ飛び込んだ。
迫る爪を木剣で受け流し、そのまま懐へ入り込む。
一閃。
魔物が崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
「ああ」
「……ならいい」
レオンは息を整えながら剣を収めた。
その表情が、少しだけ険しくなる。
「お前さ」
「何だ?」
「自分のことになると、本当に無頓着だよな」
「……そうか?」
「ああ。俺たちがいるんだから、もっと頼れよ」
「私は頼っているつもりだ」
「全然見えない」
レオンは呆れたように笑い、そのまま先へ歩いていく。
私は、その背中を見つめた。
いつの間にか、立場が変わっていた。
昔は、私がレオンを守っていた。
今は、レオンも私を守ろうとしている。
それを頼もしいと思う一方で、少しだけ不安にもなる。
私は、自分が傷つくことをあまり気にしていない。
だからこそ、レオンの言葉が妙に胸へ残った。
(……私も、もっと精進しなければ)
レオンだけが成長しているわけではない。
私自身もまた、変わっていかなければならない。
それを実感したのは、この時が初めてだった。
◇◇◇
帰路につきながら、私は前を歩くレオンの背中を見つめていた。
ゲームの中で、彼は魔剣の騎士になる。
私は、その未来を知っている。
けれど、今のレオンはゲームの登場人物としてそこにいるわけではない。
笑い、怒り、仲間を心配し。
時には、自分の身を顧みず誰かを守ろうとする。
私の知っている物語だけでは説明できない一人の人間として、ここにいる。
だからこそ、これから先、レオンがどんな道を歩くのかを見届けたいと思う。
魔剣の騎士になる未来も、この世界で築いていく人間関係も。
そのすべてが、ゲームに決められたものなのか。
それとも、レオン自身が選び取っていくものなのか。
今の私には、まだ分からない。
ただ一つ確かなのは、昔、私の後ろを追いかけていた少年が、今では私の隣に立とうとしているということだった。
「クリス、何してるんだ?」
前を歩いていたレオンが振り返る。
「何でもない」
「そうか?」
「ああ。行こう」
私は歩き出す。
レオンが待つ場所へ向かって。
その隣へ並ぶために。
王国軍へ所属してから一年近く。
私たちは、少しずつ変わっていた。
それは、きっと悪いことではないのだ。




