第三十八話 既視感
王国軍に所属してから、半年近くが過ぎようとしていた。
最初の頃は慣れない規則や任務に戸惑うこともあったが、今ではそれも日常の一部になっている。
《暁の牙》も、王国直属の独立騎士団として軍の中に馴染み始めていた。
その日も、私たちは王都近郊での魔物討伐を終え、拠点へ戻る道を歩いていた。
前方ではガルドとドレイスが、次の任務について話している。
ナージャは少し離れたところで他の団員たちと話していた。
そして、私の隣には、レオンがいる。
「疲れたな」
レオンが大きく伸びをした。
「お前は魔物を三体も相手にしていただろう」
「だから疲れたんだよ」
「それなら、もう少し周りを見て戦え」
「見てたって」
「最後の一体には背後を取られていただろう」
「あれは……ちょっと油断しただけだ」
レオンが笑う。
昔から変わらない笑顔だった。
けれど、ふと気付く。
以前とは、明らかに違っていた。
背丈は私に追いつきつつある。
身体つきも以前よりしっかりしてきた。
剣を振るう姿にも、少年らしい危うさはほとんど残っていない。
「強くなったな」
何気なく口にすると、レオンは嬉しそうに笑った。
「当然だろ」
「いつまでもクリスに守られてるつもりはないからな」
「私は別に、お前を守っていたつもりは――」
「してただろ」
「……」
言い返せなかった。
「昔は俺が転んだだけでも、すぐ助けに来ただろ」
「子どもの頃の話だ」
「今だって、俺が怪我したら助けるだろ?」
「それは仲間だからだ」
「じゃあ、俺も同じだ」
レオンは迷いなく言った。
「クリスが危なかったら、俺が助ける」
その言葉を聞いて、私は思わずレオンを見る。
以前なら、こんな言葉を聞けば心配の方が先に立っただろう。
自分が守らなければならない。
レオンを危険な場所へ行かせてはいけない。
そんなふうに考えていた。
けれど今は、少し違う。
「頼もしくなったな」
「だろ?」
レオンは得意そうに笑った。
その横顔を見た瞬間だった。
私は、妙な違和感を覚えた。
(……あれ?)
今のレオンではない。
もっと先の時間にいる彼を、私は知っているような気がした。
黒い髪。
鋭い目。
腰に下げた剣。
今よりもずっと大きくなった身体。
そして、誰かを守るように立っている姿。
ほんの一瞬だけ。
頭の中に見知らぬ光景が浮かんだ。
「……クリス?」
レオンの声で我に返る。
「どうした?」
「いや……」
私は首を振った。
「少し考え事をしていただけだ」
「またかよ」
レオンが呆れたように笑う。
「歩きながらぼんやりするなよ」
「悪かった」
「本当に気を付けろよ」
そう言って、レオンは先を歩いていく。
私はその背中を見つめた。
なぜだろう。
ただ成長しただけの仲間なのに。
私は彼を見ていると、知らない未来を思い出しそうになる。
その感覚が、妙に引っ掛かった。
◇◇◇
その夜。
部屋へ戻った私は、机の前に座っていた。
目の前には、読みかけの資料がある。
けれど、内容が頭に入ってこない。
昼間に見たレオンの姿が、何度も浮かんでいた。
私はペンを置いた。
(どうして、あんなものを思い出したんだ?)
そもそも、私は、あの姿をどこで見たのだろう。
目を閉じる。
すると、昼間と同じように、一瞬だけ別の光景が浮かんだ。
見慣れない部屋。
机の上に置かれた機械。
色鮮やかな画面。
そこに映っているのは、見知らぬ青年だった。
黒い髪。
鋭い瞳。
手には剣。
そして、その青年を囲むように複数の人物が描かれている。
(……何だ、これ)
私は目を開いた。
息が乱れている。
今の光景には、見覚えがあった。
いや、正確には、見覚えがあるような気がした。
けれど、それがどこで見たものなのかが思い出せない。
私は額に手を当てた。
すると、頭の中にいくつかの言葉が浮かんだ。
乙女ゲーム。
攻略対象。
騎士。
王女。
聖剣。
魔剣。
どれも、この世界で聞いたことがある言葉ではない。
それなのに、自分の中では、妙に馴染んでいた。
「……乙女ゲーム」
口にした瞬間。
記憶が一気に揺れた。
前世。
私は、この世界とは違う場所で生きていた。
そのこと自体は知っている。
けれど前世の記憶は、ずっと役に立たないものだった。
自分が何をしていたのか。
どんな場所で暮らしていたのか。
どうして死んだのか。
ほとんど覚えていない。
そして、戦があることも、弟が死ぬことも、何一つゲームでは語られていなかった。
だからこそ、今まで気にしていなかった。
この世界は、私にとってもう「ゲームの世界」では無くなっていた。
私自身が生きている場所だった。
それなのに、今になって、前世の記憶が蘇り始めている。
(この世界は……私が知っていた世界なのか?)
もしそうなら、レオンには何か役割があるのではないか。
そう考えた瞬間、また別の光景が浮かんだ。
黒髪の青年。
剣を握っている。
その隣には、一人の少女が立っている。
少女の顔は見えない。
ただ、その姿を見た瞬間。
私は無意識に呟いていた。
「……王女?」
光景が消える。
私はしばらく動けなかった。
今の少女が誰なのか。
確信はない。
けれど、私には一人だけ思い当たる人物がいた。
王女。
私の妹だ。
私は椅子から立ち上がり、窓辺へ歩いた。
王都の明かりが、夜の街を照らしている。
この世界が前世で知っていた物語と同じなら。
レオンは、ただの仲間ではない。
王女もまた、この先の物語に関わる存在なのかもしれない。
断片的な記憶しか残っていない以上、無理に答えを出そうとしても意味はない。
「……まだ、何も分からない」
私は窓の外を見ながら呟いた。
なら、今は目の前にあるものを守るしかない。
ガルド。
ドレイス。
ナージャ。
レオン。
そして、この国で生きている人たち。
未来が決められているのだとしても。
私はもう、何も知らなかった頃の自分ではない。
ここで出会った人たちとの時間は、本物だ。
だから、もし未来が私の知る物語と違っていたとしても、私は、自分の目で見て、自分の意志で選ぶ。
星のきらめく夜空を見つめながら、戦う覚悟を決めた。
◇◇◇
数日後。
王城での任務を終えた私は、廊下を歩いていた。
人の気配を感じて前を見る。
侍女たちに囲まれ、一人の少女がこちらへ向かって歩いてくる。
王女だった。
私はすぐに廊下の端へ寄った。
王女もこちらに気付いたらしい。
すれ違う直前、侍女へ向けた小さな声が聞こえた。
「……あの方が?」
「はい。おそらく、噂の仮面の騎士様です」
私は聞こえなかったふりをした。
王女の前で足を止め、一礼する。
「失礼いたします」
それだけ告げて、通り過ぎる。
その瞬間、背中に視線を感じた。
振り返ってはいけない。
私はそのまま歩き続けた。
すると。
「……仮面の騎士様」
小さな声が背後から聞こえた。
思わず足が止まりそうになる。
けれど、私は振り返らなかった。
今はまだ、王女に近付くべきではない。
私が王家の血筋に連なる者だと知れたら危険だ。
それに、先ほど蘇った記憶が正しいのなら、王女とレオンには何か繋がりがあるのかもしれない。
確かめる必要はある。
ただし、焦るつもりはなかった。
まずは、この世界で何が起きているのかを見る。
レオンが何者なのか。
王女にどんな未来が待っているのか。
そして、自分が前世で何を知っていたのか。
一つずつ確かめていけばいい。
私は振り返らないまま、廊下を進んだ。
その背後では、王女がまだ私の姿を目で追っていた。
「仮面の騎士様……」
王女にとっては、ただの噂の騎士だった。
まだ名前すら知らない。
どんな人物なのかも分からない。
それでも、初めて間近で見た仮面の騎士は、王女の中に小さな興味を残した。
この興味が、これまで交わることのなかった三人の道を交えるきっかけとなってしまうことは、今は誰も知らなかった。




