第三十七話 仮面
《暁の牙》が王国軍へ所属してから、最初の数か月は、目まぐるしく過ぎていった。
傭兵だった頃とは、180度違う生活。
以前は、仕事を選ぶことができた。
報酬。
危険度。
依頼主の信頼性。
条件を見極めた上で、自分たちが受ける仕事を決める。
もちろん、条件に合わない場合は断ることも多かった。
でも、今は違う。
王国から与えられた任務を遂行する。
治安維持。
魔物討伐。
国境警備。
騎士団との合同訓練。
以前なら、傭兵として報酬を受け取っていた仕事も、今は、この国を守るための任務になった。
「次の任務は東部の街道警備だ」
ある日の軍議で、ドレイスが地図を広げる。
「最近、商隊を狙う魔物が増えているらしい」
「また魔物かよ」
ガルドが大きく息を吐いた。
「戦争が終わったと思ったら、今度はこっちか」
「平和になったからこそ、守らなければならない場所が増えたんですよ」
ナージャが笑う。
「傭兵なら、嫌なら断れたけどね」
「言うな」
ガルドが苦笑した。
そんなやり取りを聞きながら、私は地図へ視線を落とす。
自由は減った。それは確かだ。
だが、背負うものは増えた。
この国で暮らす人たちの生活が、その任務の先にある。
街道を守れば、商人が安心して荷馬車を走らせる。
魔物を討てば、村人が夜に怯えず眠れる。
治安を維持すれば、子どもたちが外で遊べる。
小さな積み重ねが、この国の平和に繋がっている。
(……守りたい。)
戦うことそのものではなく、その先にいる人たちの暮らしを。
人々はそれを、『大義』と呼ぶのかもしれない。
そんな高尚なものでは無いが、何となく剣を握る理由が、変わってきた気がした。
でも、変わらないものもある。
任務から戻れば、食堂では誰かが騒いでいる。
訓練場では、勝敗を巡って言い争う声が響く。
夜になれば、酒を片手にくだらない話で笑う。
所属する場所が変わっても、《暁の牙》は、《暁の牙》のままだった。
以前と変わらず騒ぐ仲間たちを見ていると、何故か安心感を覚えるようになった。
◇◇◇
王国軍へ所属し、仲間たちと日々任務を遂行している中、私は仮面を外すことが少なくなった。
最初は、王城や公の場だけだった。
素顔を知られないため、それだけのつもりだった。
けれど、ある日のこと。
王城での任務を終え、兵舎へ戻った私は、仮面を外そうとして手を止めた。
鏡には、仮面が半分外れた王妃譲りの顔が写っている。
(……似ている)
廊下には、何人もの騎士がいる。
もしここで王族に似たこの顔を見られれば、誰かが疑問を持つかもしれない。
顔を隠すのは、実は王族だからなのではないか……と。
私の素性は分からないだろう。
でも、隠し子や傍系の末裔など、ありもしない噂で私を追い詰めるかもしれない。
そして、もし私の顔を見て、王妃に、王女に似ていると言い出す者が現れたら。
公爵家の嫡男として生きていることも。
死んだことになっている第一王女であることも。
すべてが崩れる。
私は静かに仮面を顔へ戻した。
それから少しずつ、仮面を外さなくなった。
訓練場でも。
任務中でも。
王城でも。
仲間たちの前でさえ。
「クリス」
ある夜。
ガルドが私を見る。
「最近、ずっとそれ付けてるな」
「ああ」
「外した方が楽じゃねぇのか?」
「問題ない」
私は短く答えた。
ガルドは少しだけ私を見る。
けれど、理由を問い詰めることはなかった。
「そうか」
ただ、それだけだった。
ナージャも。
ドレイスも。
レオンも。
理由を問い詰めることはなかった。
それが、ありがたかった。
私が選んだ距離を。
皆が、そのまま受け入れてくれている。
それだけで十分だった。
◇◇◇
そんな日々が続くうちに。
私には一つの呼び名がついていた。
――仮面の騎士。
最初にそう呼んだのが誰だったのかは分からない。
あの日戦場でついた呼び名が、王城でも呼ばれ始めたり
任務中に仲間を救った。
魔物の群れを単独で切り抜けた。
敵の動きを読み、味方の被害を抑えた。
そんな話が少しずつ広がるにつれて。
その名も一緒に広まっていった。
「仮面の騎士がいるらしい」
「素顔を誰にも見せないんだってな」
「しかも、あの《暁の牙》の所属らしいぞ」
「戦場じゃ、かなり強いらしい」
「一度でいいから手合わせしてみたいな」
噂は、王国軍の中だけでなく、少しずつ王都へも流れていった。
私は、そのことを気にしてはいなかった。
名前などどうでもよかった。
私が守りたいのは、仲間と、この国で生きる人たちだから。
ただ、自分の素顔を知られないことだけは、今まで以上に気を付けるようになった。
◇◇◇
ある日の訓練場。
数人の若い騎士たちが、私の前に並んでいた。
「お願いします!」
一人が木剣を構える。
「来い」
騎士が踏み込んできた。
鋭い一撃。
私は真正面から受け止めない。
剣の軌道を僅かに逸らし、その勢いを利用する。
そのまま相手の懐へ入り、足を払った。
騎士の身体が地面へ転がる。
「……参りました」
「次」
別の騎士が前へ出る。
結果は変わらない。
数分後。
全員が地面へ座り込んでいた。
「強すぎるだろ……」
「どうやったら、あんな動きができるんだ?」
私は木剣を下ろす。
「相手を見ることだ」
「力で勝とうとするな」
「相手が次に何をするか考えろ」
騎士たちは真剣な表情で頷く。
以前なら私は、こんなふうに誰かへ教えることなど考えなかった。
けれど王国軍に所属してから、少しずつ自分が持っているものを他人へ伝える機会が増えた。
それも、傭兵だった頃にはなかったことだった。
自分一人で戦うのではなく、誰かを育てる。
誰かと力を合わせる。
それもまた、守るということなのかもしれない。
私は少しずつ変わることができている、そんな気がした。
◇◇◇
その日の夕方。
王城から戻る途中。
私は廊下の窓から外を眺めた。
遠くに王都の街並みが見える。
人々が行き交い、店には明かりが灯り始めていた。
平和だった。
少なくとも、今は。
私はその景色を眺めながら、ふと一人の少女の姿を見つけた。
王城の中庭。
侍女たちに囲まれながら歩いている。
まだ幼い。
けれど、その姿にはどこか見覚えがあった。
王女。
私の妹。
私はすぐに視線を逸らした。
まだ、直接話したことはない。
それでいい。
そう思っていた。
今はまだ、私から近づく必要はない。
王女と公爵家の嫡男。
それだけなら、何も問題は起こらない。
私が第一王女だと知られなければ。
この距離を保っていれば。
妹を危険に巻き込むこともない。
そう考えていた。
◇◇◇
その日の夜。
王女のいる部屋では。
一人の少女が侍女へ尋ねていた。
「ねえ」
「はい、王女殿下」
「最近、仮面をつけた騎士様のお話をよく聞くの」
「仮面の騎士様ですか?」
「ええ」
王女は窓の外を見る。
「どんな方なの?」
侍女は少し考えてから答えた。
「とても強くて、礼儀正しい方だと聞いております」
「それに」
「困っている人を見れば、必ず助ける方だとも」
「まあ……」
王女の瞳が輝いた。
「一度、お話ししてみたいです」
その言葉を、私はまだ知らない。
ただ、私が知らないところで。
私へ向けられる小さな興味が。
静かに生まれ始めていた。




