第三十六話 新たな道
そして迎えた期日の日。
朝靄の残る王都を、一台の馬車が王城へ向かっていた。
荷台には、《暁の牙》の団員たちが並んで座っている。
いつもなら、誰かが冗談を飛ばし、笑い声が絶えない道中だった。
けれど今日は違った。
今日の返答一つで、自分たちの未来が変わる。
その重みを、全員が理解していた。
「……緊張してる?」
ナージャが柔らかく笑う。
ガルドは頭を掻きながら苦笑した。
「まあな。戦場じゃ、何百人相手でも平気なのによ」
その言葉に、団員たちから小さな笑いが漏れる。
「団長でも緊張するんですね」
ドレイスが眼鏡を押し上げる。
「相手が陛下じゃ仕方ねぇだろ」
ガルドは照れ臭そうに笑った。
その様子を見て、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
隣では、レオンが腕を組みながら窓の外を眺めている。
「どうせ答えは決まってる」
「あとは伝えるだけだ」
「……そうだな」
ガルドが力強く頷く。
私はその会話を聞きながら、静かに仮面へ触れた。
王城。
かつて私が生まれた場所。
そして、私が死んだことになっている場所。
以前なら、この場所へ近づくだけで胸の奥が締め付けられていた。
何かに怯え、何かを知られることを恐れ、仮面の奥へ自分自身を閉じ込めていた。
今は違う。
この仮面は、逃げるためのものではない。
仲間と共に生きるために、私自身が選んだものだ。
そして私は、もう一人ではない。
静かに拳を握る。
(大丈夫)
そう自分に言い聞かせた。
◇◇◇
やがて、馬車は王城へ到着した。
巨大な門を抜け、長い廊下を進む。
重厚な扉が開かれ、その先に謁見の間が姿を現した。
玉座には国王が座り、その左右には宰相や騎士団長たちが並んでいる。
「《暁の牙》、参上いたしました」
ガルドが跪く。
団員たちも、それに倣った。
王は静かに頷く。
「よく来た」
「三日、考えた答えを聞かせてもらおう」
謁見の間に静寂が落ちた。
ガルドは一歩前へ出る。
「陛下」
「《暁の牙》一同で、話し合いました」
一度だけ、後ろを見る。
仲間たちの視線が交わる。
誰一人、迷ってはいない。
ガルドは再び王を見据えた。
「我ら《暁の牙》は、王国への所属をお受けいたします」
その瞬間、王の表情が穏やかに緩んだ。
「そうか」
「歓迎しよう」
王は玉座から立ち上がる。
「戦の報告は、すべて目を通した」
「崩れた前線を幾度も立て直し、敵の動きを見抜き、多くの兵を救った」
「その功績は、王国にとって大きなものだ」
騎士たちの間から、小さなどよめきが起こる。
以前まで傭兵というだけで彼らを見下していた者たちも、今ではその功績を否定することはできなかった。
王は静かに告げる。
「本日より、《暁の牙》を王国直属の独立騎士団とする」
その言葉に、団員たちの間から息を呑む音が漏れた。
傭兵団だった自分たちが、国に正式に認められる。
その事実が、少しずつ胸へ染み込んでいく。
王は従者から一本の剣を受け取った。
「団長ガルド」
「前へ」
「はい」
ガルドが進み出て、跪く。
王はその肩へ剣を添えた。
「そなたへ騎士爵を授ける」
「以後、王国騎士として国に尽くせ」
「……謹んで、お受けいたします」
その声は、わずかに震えていた。
幼い頃から憧れ続けた爵位。
平民という理由だけで、まともに取り合ってもらえなかった日々。
門前払いされたこと。
身分の違いだけで、力すら見ようとされなかったこと。
いつか、誰にも否定されない立場を手に入れたい。
そう願った。
その夢が、今ようやく叶った。
ただ、胸の奥に浮かんだのは喜びだけではなかった。
(クリス……)
ガルドは視線だけを、ほんの一瞬動かす。
そこには、仮面を被った仲間が立っている。
本当なら、この国で最も守られるべきだった少女。
生まれた瞬間から王家に存在を隠され、公爵家へ渡され、男として生きることを強いられた。
必要がなくなれば、命まで狙われた。
そんな少女を捨てた国に、今、自分は忠誠を誓おうとしている。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
それでも、自分はここにいる。
クリスと、《暁の牙》の仲間たちと、この国で生きていくことを選んだ。
なら、ただ与えられた爵位を喜んで終わるわけにはいかない。
「陛下」
ガルドはゆっくりと顔を上げた。
「ひとつだけ、心に留めていただきたいことがあります」
謁見の間の空気が変わる。
宰相が眉をひそめ、騎士たちも息を呑んだ。
王は静かに頷く。
「申してみよ」
ガルドは真っ直ぐ王を見る。
「私は平民として生まれました」
「身分がないというだけで、正しく見てもらえなかったこともあります」
「ですが、戦場で命を懸ける者に、身分など関係ありません」
「貴族も」
「平民も」
「傭兵も」
「同じように血を流します」
静寂が広がる。
「だからこそ、願います」
「この国のために剣を振るった者が、役目を終えた後も、必要な存在として扱われる国であってほしい」
「身分ではなく、何をしたかで人を見てほしい」
ガルドは、そこで言葉を止めた。
それ以上、何も言わなかった。
静まり返った謁見の間。
その言葉の本当の意味を理解できる者は、ほとんどいない。
ただ、仮面の奥で、私は目を見開いていた。
(ガルド……)
約束は守っている。
私の正体は、一言も口にしていない。
それでも。
確かに、この言葉は私のためだった。
王は、しばらくガルドを見つめていた。
やがて、ゆっくりと頷く。
「……重い言葉だ」
「王とは、多くの民の人生を預かる者」
「そなたの言葉、決して忘れぬ」
「ありがたき幸せ」
ガルドは深く頭を下げた。
それ以上、何も言わなかった。
それで十分だった。
◇◇◇
王城を後にする。
外へ出ると、朝の光が城壁を照らしていた。
「騎士団かぁ……」
ナージャが空を見上げる。
「なんだか、まだ実感がないわね」
「俺もだ」
ガルドが苦笑する。
「でもよ」
腰に差した剣を見る。
「悪くねぇな」
「団長、嬉しそうですね」
ドレイスが微笑む。
「当たり前だろ」
「夢だったんだからな」
その言葉に、皆が笑った。
「じゃあ、今日は祝いだな!」
レオンが声を上げる。
「また飲むの?」
「当然だろ!」
「昨日も飲んでたじゃない」
「昨日と今日じゃ意味が違う!」
いつものやり取り。
いつもの笑い声。
私は少し後ろを歩きながら、その光景を眺めていた。
前を歩くガルドの背中を見る。
夢を叶えた男。
それでも、自分の夢だけを見ていたわけではない。
仲間との約束を忘れず、その未来まで背負おうとしている。
胸の奥が温かくなった。
(……ありがとう)
声には出さない。
ただ、心の中で呟いた。
この日、《暁の牙》は傭兵団ではなく、王国を支える騎士団となった。
そして私たちは、それぞれ新しい道へ歩き始める。
まだ、この先に何が待っているのかは分からない。
王城に戻ったことで、私の過去が私を追い詰めるかもしれない。
でも、私にはみんながいる。
もう、何が起こっても大丈夫だと、そう思っていた。




