第三十五話 答え
翌日の夜。
《暁の牙》の食堂には、団員全員が集まっていた。
昨日のような緊張した空気ではない。
だが、茶化す者もおらず、この場にはそれぞれが向き合ったことが分かる空気が流れていた。
ガルドは全員の顔を見回した。
「じゃあ、聞かせてくれ」
最初に口を開いたのは、ナージャだった。
「私は賛成よ」
迷いのない声だった。
「ガルドがここまでやってきたことは、私たちが一番よく知ってるもの」
「騎士爵をもらったことだって、私は嬉しいわ」
何人かの団員が頷く。
「それに、これから先も戦いが続くなら、国軍と協力できる立場を持っていた方がいい」
「今までみたいに依頼を受けて、その場だけ戦うよりも、できることは増えるでしょうね」
ナージャがそう言うと、ドレイスも続いた。
「私も賛成です」
ドレイスは腕を組み、考えを整理するように話す。
「今回の戦争で分かったことがあります」
「私たちの力だけでは、どうしても届かない場所がある」
「王国軍と正式に協力できるようになれば、情報も物資も今までとは比較にならないほど増えるでしょう」
「それなら、戦場で救える命も増える可能性があります」
ガルドが頷いた。
「なるほどな」
「それに」
ドレイスが少しだけ口元を緩める。
「団長が爵位をもらえるという話を、私たちが喜ばない理由もありません」
「……そこまで言うか?」
ガルドが苦笑する。
「隠していたつもりだったんだがな」
「隠せていませんでしたよ」
「そうかよ」
食堂に笑いが広がった。
戦争が終わってから、まだそれほど時間は経っていない。
失った仲間もいる。
傷を抱えた者もいる。
それでも、こうして笑える時間が戻ってきたことが嬉しかった。
やがて、全員の視線が一人へ向く。
レオンだった。
「俺も賛成」
いつもの勢いだけで決めたわけではない。
レオンは少し考えるように視線を落としてから、ガルドを見る。
「昨日からずっと考えてた」
「俺は《暁の牙》が好きだ」
ガルドが黙って聞いている。
「この場所も好きだし、ここにいる皆も好きだ」
「だから、王国騎士団に入ったら、今までの《暁の牙》がなくなるのかなって考えた」
レオンは食堂を見回す。
「でも、違うよな」
「《暁の牙》って、建物とか名前のことじゃない」
ガルドを見る。
「誰と一緒にいるかだろ」
その言葉に、ガルドの表情が少し緩んだ。
「団長が行くなら、俺も行く」
「それだけだ」
その言葉をきっかけに、他の団員たちからも声が上がった。
「俺も賛成だ」
「私も」
「ここまで一緒にやってきたんだ。今さら別れる理由もないだろ」
「団長についていくさ」
一人ずつ言葉が続く。
反対する者はいなかった。
ガルドは全員の顔を見渡し、最後に私を見た。
私は、何も答えることができなかった。
でも、ひとつだけ決めていたことがある。
私は、ここに居たい。
私はガルドの目を見て、しっかりと頷いた。
ガルドはゆっくりと息を吐いた。
「……そうか」
短い言葉だった。
それでも、その声にはわずかな震えがあった。
「ありがとな」
顔を上げる。
「じゃあ、明日、陛下に返事をする」
「《暁の牙》は、王国騎士団として王国に仕える」
次の瞬間、食堂から歓声が上がった。
「決まりだな!」
「酒を出せ!」
「今日は飲むぞ!」
「団長の騎士爵祝いも兼ねようぜ!」
「お前ら、まだ話は終わってねぇぞ!」
ガルドが怒鳴る。
だが、その顔には笑みが浮かんでいた。
料理が運ばれ、酒が並ぶ。
戦場では聞けなかった笑い声が、食堂いっぱいに広がっていく。
いつもの《暁の牙》だった。
私は、その輪の外にいた。
皆が笑い、皆が楽しそうに話しているのを聞きながら、それでも心の中には別の問題が残っていた。
(……本当に、これでいいのだろうか)
王国騎士団。
王城。
そして、王家。
そこには私が隠している過去がある。
私は死んだことになっている第一王女。
王国の中枢に近づけば近づくほど、正体を知られる危険は増えていく。
もし知られれば、私だけでは済まない。
《暁の牙》の皆まで巻き込む可能性がある。
なら、私は皆と一緒に居ては行けないのではないか、そう考える自分がいた。
以前なら、そのまま黙ってみんなの元を離れていたかもしれない。
けれど、それではルカを喪う前の私と何も変わらない。
一人で抱え込んだ結果、私は最後まで弟に真実を伝えられなかった。
自分だけで決め続けた結果、大切な人と過ごせる時間を自分から減らしてしまった。
同じことを、仲間に対して繰り返したくない。
(……話そう)
すべてを一度に明かす必要はない。
それでも、少なくともガルドには伝えたい。
私が何者なのか。
なぜ王家を避けているのか。
王国騎士団へ入ることで、どんな危険があるのか。
その判断を、私一人でするのではなく。
まずは、仲間に委ねるために。
◇◇◇
夜が更けた頃。
私は一人で団長室へ向かった。
扉の前で立ち止まり、三度叩く。
「……入れ」
ガルドの声が返ってきた。
「失礼する」
扉を開ける。
机に向かっていたガルドが顔を上げた。
「クリスか」
「ああ」
「まだ起きてたのか」
「団長もだろ」
「まあな」
ガルドは机の上の書類を端へ寄せた。
「どうした?」
「……話がある」
私の表情を見たガルドは、すぐに真剣な顔になった。
「座れ」
向かいの椅子を指す。
私は腰を下ろした。
それでも、なかなか言葉が出てこない。
何年も隠してきたことだ。
口にしてしまえば、もう後戻りはできない。
怖かった。
この場所を失うことが。
仲間を失うことが。
それでも、逃げたくなかった。
「……皆には、まだ言わないでほしい」
ガルドは頷いた。
「分かった」
「私のことを、これから話す」
「ただ、皆にはまだ黙っていてほしい」
「分かった」
理由を問い詰めることもなく、ガルドは私の言葉を待った。
私は一度、目を閉じる。
「私は、公爵家の嫡男として育てられた」
ガルドの眉がわずかに動く。
「だが、それが私の本当の身分ではない」
ゆっくりと顔を上げる。
「本当の私は――」
声が震えた。
「王家の第一王女だ」
ガルドの目が見開かれた。
すぐには言葉が返ってこない。
当然だ。
そんな話を突然聞かされて、平然としていられる方がおかしい。
しばらくして、ガルドが口を開いた。
「……そういうことだったのか」
「驚かないのか?」
「驚いてるに決まってるだろ」
ガルドは苦笑する。
「ただ、妙なところは前からあった」
「王城へ行く時のお前の顔」
「身分を隠していること」
「戦場で見せる動き」
「普通の貴族として育った奴には見えなかった」
「だから、何か事情があるとは思ってた」
私は息を吐いた。
「……気付いていたのか」
「確信はなかった」
「それに、お前が話したくないなら、俺から聞くことでもねぇ」
ガルドは真っ直ぐ私を見る。
「仲間だからな」
その言葉に、胸が詰まった。
私は、ゆっくりと口を動かす。
「女として生まれた私は、王家にとって都合の悪い存在でしかなく、生まれてすぐ公爵家へ渡された」
「王位継承権を残すための存在として」
「本来の後継者が生まれるまで、私は男として生きるよう命じられた」
拳を握る。
「その後、公爵家にも、王家にも正式な後継者が生まれた」
「私を始末するため、毒を盛られたことも、暗殺者を差し向けられたこともあった」
ガルドの表情が険しくなる。
「待て、今の王家は姫だよな?」
「なぜ彼女は認められたのか、私にも分からない」
「私には無い、何かがあったのかもしれない」
「そんな時、ガルドに、《暁の牙》に出会った」
「私は、生き延びるために、《暁の牙》に行くことにした」
酷く、打算的な選択。
でもあの頃の私には、頼れるものは何も無かった。
「最後には、私は死んだことにして、公爵家を出奔した。」
私は自分の手を見る。
「今の王家にとっても、公爵家にとっても、私は死んだ人間だ」
しばらく、ガルドは何も言わなかった。
やがて、低い声が返ってくる。
「……辛かったな」
たった一言だった。
それだけなのに、今まで張り詰めていたものが崩れそうになった。
否定でもなく、同情を押し付ける言葉でもない。
ただ、私が経験してきたことを、そのまま受け止めてくれた。
「私は……」
声が震える。
「皆の未来を壊したくない」
「だから、王国騎士団へ入るなら、私は離れた方がいいと思っている」
ガルドの表情が変わった。
「……クリス、また一人で決めるつもりか」
「私は、皆を守るために――」
「違う」
ガルドが遮った。
「それは、前のお前と同じだ」
私は黙った。
「全部自分で背負って、自分だけ傷つけばいいと思ってる」
「それで仲間を守ったつもりになる」
言葉が胸に刺さる。
弟を失ったあの日、私は誓ったのに。
それなのに、また同じことをしようとしていた。
「昨日、俺は言ったよな」
「《暁の牙》は俺一人のものじゃねぇ」
「お前の秘密だって同じだ」
「お前一人だけで決めることじゃねぇ」
ガルドは立ち上がらない。
ただ、真正面から私を見る。
「皆で考える」
「皆で決める」
「危険があるなら、その危険も含めて選ぶ」
「それが仲間だろ」
私は唇を噛んだ。
「……でも、誰かを失うのが怖い」
初めて、その言葉を口にした。
「ルカを守れなかった」
「もう、同じことになってほしくない」
ガルドは少しだけ目を伏せた。
「だからこそ、一人で消えるな」
「お前が勝手にいなくなった方が、俺たちは後悔する」
私は顔を上げる。
「……団長」
「お前が王女だろうが、貴族だろうが、ただの傭兵だろうが関係ねぇ」
「俺たちが一緒に戦ってきた時間まで変わるわけじゃない」
その言葉に、視界が滲んだ。
「……皆を巻き込むかもしれない」
「その時は皆で考える」
「危険かもしれない」
「それも皆で判断する」
「私が原因で、皆が傷つくかもしれない」
「だったら、傷つかない方法を皆で探せばいい」
ガルドは笑った。
「一人で全部背負うより、そっちの方が《暁の牙》らしいだろ」
涙が一滴、膝の上へ落ちた。
私は急いで拭う。
それでも、次の涙まで止めることはできなかった。
「……分かった」
声は震えていた。
それでも、今度は逃げなかった。
「皆と一緒に考える」
「ああ」
ガルドが頷く。
「それでいい」
私はゆっくり息を吐いた。
秘密を話したからといって、過去が消えるわけではない。
王家との因縁も。
公爵家との関係も。
ルカを失った悲しみも。
何一つ変わらない。
それでも、今までとは一つだけ違う。
私は、自分の未来を一人で決めようとしていない。
明日、《暁の牙》は王国騎士団として新しい道へ進む。
その先に何が待っているのかは、まだ分からない。
私の正体が知られる日が来るかもしれない。
新たな敵が現れるかもしれない。
また誰かを守れない日が来るかもしれない。
それでも、今度は一人ではない。
私は椅子から立ち上がった。
「ありがとう、団長」
「礼なんかいらねぇよ」
ガルドが笑う。
「仲間なんだからな」
その言葉を聞きながら、私は団長室を出た。
廊下の先には、仲間たちが眠る部屋がある。
明日から、私たちの立場は変わる。
傭兵ではなく、王国騎士として戦うことになる。
私の過去も、いつか向き合わなければならない。
それでも今は、歩いていける気がした。




