第三十四話 譲れないもの
王の言葉が、謁見の間に響いた。
「そなたたちには、王国騎士団として我が国に力を貸してもらいたい」
その申し出に、《暁の牙》の誰も、すぐには答えなかった。
傭兵として生きてきた私たちにとって、国に仕えるという選択は簡単に決められるものではない。
これまで、私たちは依頼を受けて戦ってきた。
報酬を受け取り、仕事が終われば次の場所へ向かう。
国に雇われることはあっても、王国そのものに忠誠を誓う騎士とは立場が違う。
だからこそ、国王自らから騎士団への加入を求められたことに、誰もが驚いていた。
隣を見る。
ナージャは目を丸くし、ドレイスは腕を組んだまま考え込んでいる。
レオンも珍しく黙っていた。
私も、無意識に仮面へ触れる。
(……王国騎士団)
王城に身を置くことになれば、今まで以上に多くの人間と関わることになる。
それは同時に、私の正体が知られる可能性も高くなるということだった。
私は死んだことになっている第一王女。
公爵家の嫡男として育てられ、今はクリスという名で生きている。
もし、その事実が知られれば、私だけの問題では済まない。
《暁の牙》の皆まで巻き込むことになる。
以前の私なら、ここで自分だけが離れる方法を考えていただろう。
皆を危険に巻き込まないためには、それが一番だと思ったはずだ。
けれど、ルカを失ってから、私は少しずつ考え方を変え始めていた。
一人で抱え込んだからといって、誰かを守れるわけではない。
自分だけで決めてしまえば、残された仲間から選択する機会まで奪ってしまう。
そのことを、私は身をもって知った。
「陛下」
ガルドが一歩前へ出た。
「お声を掛けていただいたこと、ありがたく思います」
ガルドは深く頭を下げる。
だが、すぐに答えを口にすることはなかった。
「ですが、返答には少し時間をいただけないでしょうか」
謁見の間に、小さなどよめきが起こった。
「国王陛下からの申し出だぞ」
「傭兵が何を考えている」
そんな声も聞こえる。
私は思わずそちらへ目を向けた。
言い返したい気持ちはあった。
ガルドがどれだけ仲間のために戦ってきたのか。
どれだけ多くの命を救ってきたのか。
戦場で共に過ごしてきた私たちが一番よく知っている。
しかし、国王は周囲の声を制するように手を上げた。
「構わぬ」
国王の視線がガルドへ向く。
「そなたが仲間の意思を無視して決める男ではないことは、戦場での報告を聞けば分かる」
ガルドが顔を上げた。
「彼らは傭兵だ」
国王は続ける。
「だが、戦場で見せた働きは、我が国の騎士たちにも劣らなかった」
「それどころか、仲間同士で互いの命を預け合い、最後まで誰一人置き去りにしなかった」
国王は一人ずつ《暁の牙》を見渡す。
「私は、その姿を評価している」
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて、少しだけ笑う。
「《暁の牙》は、俺一人の団じゃありません」
そして、仲間へ振り返った。
ナージャ。
ドレイス。
レオン。
そして私。
「俺が勝手に決めることじゃねぇ」
その言葉を聞いた瞬間、胸に残っていた緊張が少しだけ解けた。
ガルドは、最初から自分一人で答えを出すつもりはなかったのだ。
「三日の猶予を与える」
国王が告げる。
「その間に皆で話し合い、答えを聞かせてもらおう」
「ありがとうございます」
ガルドが頭を下げた。
こうして、私たちは王城を後にした。
◇◇◇
帰り道。
夕暮れの街を歩きながら、私は前を歩くガルドの背中を見ていた。
いつもなら、どんな危険な依頼でも豪快に笑って引き受ける男だ。
だが今日は、少しだけ考え込んでいるように見えた。
「団長」
レオンが声を掛ける。
「どうする?」
「まだ決めてねぇよ」
ガルドは苦笑した。
「三日あるんだ。焦る必要はない」
「そっか」
レオンは、それ以上聞かなかった。
拠点へ戻ると、留守番をしていた団員たちが一斉に集まってきた。
「おかえり!」
「王城はどうだった?」
「国王って本当に偉そうだったか?」
「飯は食ったのか?」
「お前ら、質問が多すぎる」
ガルドが笑いながら手を上げる。
その様子を見て、私も思わず笑った。
戦争が終わったばかりなのに、こうしていつもの声が戻ってくる。
それだけのことが、今は嬉しかった。
「まず、話がある」
ガルドが食堂へ全員を集める。
やがて全員が席につくと、ガルドは王城で告げられたことを説明した。
「俺には騎士爵を授けるそうだ」
「やっぱり!」
「団長なら当然だ!」
「すげぇじゃねぇか!」
一斉に歓声が上がった。
ガルドは照れくさそうに頭を掻く。
「それと、陛下からもう一つ話があった」
食堂が少しずつ落ち着いていく。
「俺たち《暁の牙》を、王国騎士団として迎えたいそうだ」
今度は、誰もすぐに口を開かなかった。
それほど大きな話だった。
傭兵として生きてきた私たちが、国に仕える。
これまでのように依頼を選び、自分たちの判断で動く生活とは大きく変わる。
「俺は、その場では返事をしなかった」
ガルドが皆を見る。
「三日後に答えを出す」
「だから、それまでに全員の意見を聞きたい」
私は黙って仲間たちを見た。
誰もすぐに答えを出さない。
当然だ。
これは仕事を一つ引き受けるかどうかという話ではない。
私たちがこれから、どんな生き方をするのかという話なのだから。
◇◇◇
その夜。
皆が部屋へ戻った後、私は中庭へ出た。
訓練場も食堂も、昼間とは違って人の気配が少ない。
ここで過ごした日々が、次々と思い浮かぶ。
初めて《暁の牙》へ来た時。
ガルドに剣を認めてもらった時。
レオンと訓練した時。
ナージャやドレイスとくだらない話をした夜。
そして、戦場で何度も背中を預け合った。
この場所は、私にとって初めて自分から選んだ居場所だった。
「眠れねぇのか」
背後から声がした。
振り返ると、ガルドが立っている。
「団長こそ」
「俺は考え事だ」
ガルドは隣へ腰を下ろした。
「皆、悩んでるだろうな」
「はい」
「当然だ。国に仕えるってのは、簡単な話じゃねぇ」
私はしばらく黙っていた。
それから、以前なら口にできなかったことを尋ねる。
「団長」
「ん?」
「もし……私が、皆には言えない事情を抱えていたとしても」
ガルドは口を挟まず、こちらを見る。
「それでも、私を仲間だと思ってくれますか」
言葉にした瞬間、心臓が大きく鳴った。
自分の秘密を知られたら、すべてを失う。
ずっと、そう思っていた。
ガルドは迷うことなく答えた。
「当たり前だろ」
「お前が何者だろうが、俺たちが一緒に戦ってきた事実は変わらねぇ」
私は顔を上げる。
「……ありがとうございます」
「ただな」
ガルドは苦笑した。
「話したくないことまで無理に話せとは言わねぇ」
「だが、いつか自分から話したいと思える日が来たら、その時は聞かせてくれ」
「……はい」
その言葉だけで十分だった。
私はまだ、自分の正体を皆に明かす覚悟を持てていない。
でも、すべてを一人で抱え込まなくてもいいと、思えるようになった。
ルカを失ったことで、私は大切なものを守ることの難しさを知った。
同時に、誰かと共に生きることの意味も少しずつ理解し始めている。
三日後に、《暁の牙》は、自分たちの未来を決める。
王国騎士団として生きるのか、これまで通り傭兵として生きるのか。
私自身も、まだ答えは出ていない。
今度は、一人で決めるつもりはなかった。
仲間と話し、仲間と悩み、そして仲間と選ぶ。
それが今の私にできることだった。
私は夜空を見上げ、ルカが最後に残した言葉を思い出す。
『僕の分まで、生きてください』
まだ、その言葉を素直に受け入れられたわけではない。
悲しみも後悔も消えてはいない。
それでも、私は生きなくてはならないのだ。
隣にいる仲間たちと共に。




