第三十三話 王が求めた者たち
長く続いた戦争は、ようやく終わった。
正確には、終わらせるしかなかった。
両国とも、これ以上戦い続ける余力は残されていなかった。
敵国では、父王を退けた若き王が停戦を選んだ。
「これ以上、民を苦しませるわけにはいかない」
その言葉と共に、長く続いた戦場から、少しずつ剣の音が消えていった。
王国もまた、その申し出を受け入れる。
正式な和平ではない。
何一つ解決したわけではない。
ただ、これ以上、血を流さないための約束。
それが――停戦だった。
人々は、それを平和と呼んだ。
けれど、誰も知らない。
この戦争の裏側で、新たな争いの種が、すでに蒔かれていたことを。
◇◇◇
戦争が終わってから、王都では一つの噂が広がっていた。
「国境で王国軍を救った傭兵団がいるらしい」
「《暁の牙》だろ?」
「ああ。赤毛のガルド率いる傭兵団だ」
「俺は見たぞ。仮面の騎士を」
「敵の精鋭部隊を一人で止めたって話だ」
「本当か?」
「戦場にいた奴が言ってた。あれは騎士の動きだったって」
「でも、顔を隠しているんだろ?」
「ああ。誰も素顔を知らない」
「何か理由があるのかね」
「傷を隠しているって噂もある」
「呪いを受けているって話も聞いたぞ」
酒場。
市場。
兵士たちの休憩所。
商人たちの集まり。
最初は、戦場を知る者たちだけの話だった。
しかし、数日、数週間。
時間が経つほど、その名は王都中へ広がっていった。
――《暁の牙》と《仮面の騎士》。
私は、その噂を直接聞いたわけではない。
けれど、街を歩けば分かる。
向けられる視線。
小さな囁き。
「もしかして……」
「仮面の騎士じゃないか?」
そんな声を聞くたびに、手が無意識に仮面へと伸びていた。
この仮面は、私を守るためのもの。
過去から切り離すためのもの。
仲間を守るためのもの。
けれど同時に、私と世界の間に壁を作るものでもあった。
(英雄……)
その言葉が、どうしても自分のことには思えない。
私はただ、自分のエゴを貫いただけ。
目の前にいる仲間を守りたかっただけだ。
何度も、何度も英雄と呼ばれる度に、守れなかった人たちの顔がよぎる。
私に憧れる騎士たち、信じてくれた仲間たち、そして、私を慕ってくれたルカ。
あの日、私は目の前にいた彼を救えなかった。
本当の英雄であれば、彼らを救えたのかもしれないのに。
だから、英雄と呼ばれるたびに、胸の奥が痛んだ。
人々が見ているのは、私自身ではない。
仮面を被った騎士なのだ。
◇◇◇
王城。
謁見の間。
「……以上が、国境戦における報告となります」
騎士団長代理が頭を下げる。
王座に座る国王は、しばらく沈黙していた。
手元の報告書。
そこには、信じ難い内容が並んでいる。
崩壊寸前だった部隊の立て直し。
敵軍の策を見抜いた判断。
負傷兵の救助。
そして、一人の仮面を被った傭兵。
「この者は何者だ」
国王が問う。
「分かっておりません」
「これほどの力を持ちながらか」
「本人が素性を語ることを拒んでおります」
「名は」
「クリス、と」
その瞬間。
国王の指が止まった。
「……クリス」
どこで聞いたのか、なぜかその名が胸に引っ掛かった。
「素性は」
「不明です」
「顔も見せない」
「はい」
国王は報告書へ視線を戻す。
今回の戦争で、王国は思い知らされた。
肩書きだけの騎士では、国を守れない。
必要なのは、実際に戦場へ立ち、仲間を信じ、命を懸けて戦う者だった。
「……会ってみたい」
国王は静かに告げる。
「その者たちを王城へ呼べ」
「《暁の牙》を」
◇◇◇
数日後。
《暁の牙》の拠点。
「王城からの召喚状?」
ナージャが目を丸くする。
「本物?」
「紋章を見ろ」
ガルドが苦笑する。
「偽物を作れる相手じゃねぇ」
団員たちがざわめく。
「俺たちが王城に?」
「傭兵が?」
「場違いじゃないか?」
いつもなら騒がしい拠点が、その時だけは静かだった。
王城。
それは誰にとっても特別な場所だった。
その様子を見て、私は少し笑う。
いつもの《暁の牙》なら。
「王城の飯は美味いのか?」
「酒はあるのか?」
そんな話をしているはずなのに、今日は誰もが緊張していた。
「クリス」
レオンが声を掛ける。
「大丈夫か?」
「ああ」
いつものように答える。
けれど、レオンは小さく笑った。
「また嘘」
「……」
「分かるよ」
彼は続ける。
「昔からそうだった」
「自分が傷つけば済むなら、それでいいって顔をする」
胸が痛んだ。
否定できない。
私はずっとそうだった。
必要とされないなら。
せめて誰かの役に立ちたかった。
迷惑をかけない人間でいたかった。
でも今は少し違う。
ルカを失って。
私はようやく気付いた。
一人で全てを背負うことが、誰かを守ることではない。
「でも」
レオンは言う。
「今は違うだろ」
周囲を見る。
ガルド。
ナージャ。
仲間たち。
「もう一人じゃない」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「……そうだな」
◇◇◇
王城。
巨大な門。
白い城壁。
何年経っても変わらない景色。
胸の奥が締め付けられる。
(帰ってきた)
そう思った。
だが、ここは私の故郷ではない。
私が王女として過ごした時間など、一日もなかった。
生まれてすぐ公爵家へ渡され、与えられたのは愛情ではなく、嫡男という役割だけだった。
そして最後には、その役割すら必要とされなくなった。
(……なのに)
今、私は再び、この場所へ入っていく。
昔とは違う。
隣には仲間がいる。
私は一人ではない。
仮面を被ったまま、私は王城へ足を踏み入れた。
◇◇◇
謁見の間。
国王の前へ進む。
「よく来た」
国王は《暁の牙》を見渡した。
「そなたたちの働きにより、我が国は救われた」
その言葉に、胸の奥が僅かに痛む。
(救われた……?)
私は救えなかった人たちを想い、仮面の下で顔を顰める。
それでも、隣にいるガルドたちは生きている。
この人たちを守れたことまで、否定してはいけないのだ。
国王はガルドへ視線を向ける。
「赤毛のガルド」
「そなたへ騎士爵を授ける」
広間が静まり返る。
かつて剣一本で生きてきた傭兵が、国から正式に認められる瞬間だった。
「……俺が?」
ガルドが呟く。
国王は頷いた。
「戦場で示した功績への報いだ」
ガルドはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頭を下げる。
「ありがたき幸せにございます」
その背中を見つめる。
胸の奥が温かくなった。
(よかった)
本当によかった。
この人が、ようやく報われた。
傭兵として生き、仲間を守るために何度も命を懸けて。
それでも自分のことなど後回しにしてきた人。
その人が、正式に国から認められた。
それが、自分のことのように嬉しかった。
国王は、続けて口を開く。
「そして」
一拍。
間が空く。
「もう一つ、頼みがある」
広間の空気が変わる。
国王は《暁の牙》を真っ直ぐ見据えた。
「そなたたちには――」
「王国騎士団として、我が国に力を貸してもらいたい」
その瞬間。
誰も。
言葉を発することができなかった。
傭兵として生きてきた自分たちが。
国に仕える騎士になる。
それは、《暁の牙》の未来そのものを変える言葉だった。




