幕間 戦争の裏側
クリスが戦場へ戻り、《暁の牙》が王国軍と共に戦うようになってから、しばらくの時間が過ぎた。
戦況は、少しずつ変わり始めていた。
敵軍の強さは相変わらずだった。
指揮官たちは一つの判断を誤れば、部隊ごと大きな被害を受けることになる。
それでも、第一戦や第二戦の頃とは明らかに違っていた。
敵の動きを、王国軍も警戒するようになったからだ。
どこを狙ってくるのか。
どの地点で兵を引くのか。
なぜ、その場所にだけ兵力を集中させるのか。
戦闘が終わるたびに報告を集め、過去の戦場と照らし合わせる。
その積み重ねによって、敵軍の行動には一定の傾向があることが分かってきた。
そして、その分析を続けるうちに、誰もが一つの疑問を抱くようになった。
敵は、本当に勝つつもりなのか。
◇◇◇
ある日の軍議。
王国軍の指揮官たちが集まる中、ドレイスは広げられた地図を見つめていた。
私も、その隣で戦場の記録に目を通している。
「……やはり、おかしい」
ドレイスが呟いた。
「何がですか?」
私が尋ねると、ドレイスは地図の上に置かれた駒を動かした。
「敵の進軍経路だ」
駒は国境から王国へ入り、そのままいくつかの戦場を通っている。
「王都を狙うなら、ここまで来る必要はない」
言いながら、別の地点を指す。
「この補給路を断てば、我々王国軍の動きは大きく制限できる」
さらに指を移す。
「この要塞を落とせば、敵軍は国境側からの進軍も容易になるはずだ」
私も訝しみながら続ける。
「ですが、敵はどちらも完全に潰している訳ではありません」
「何度か攻撃しているのに、決定的な攻勢には出ていないようですね」
「そうだ」
ドレイスは頷いた。
「勝てる場面でも、追撃を途中で切り上げることがある。逆に、こちらが撤退すると分かっている状況でも、必要以上に追ってこない」
思わず眉を寄せる。
「まるで、戦争を終わらせないために戦っているようですね」
「俺も同じことを考えている」
ドレイスは地図から顔を上げた。
「敵の目的が領土の獲得なら、もっと分かりやすい動きをするはずだ」
「なら、何が目的なんでしょう」
「そこまでは分からない」
ドレイスは首を横に振る。
「だが、少なくとも勝利だけを目的にしているようには見えない」
軍議の席にいた者たちが、それぞれ地図へ目を向ける。
戦争を続けるが、勝利を急がない。
王国を追い詰めるが、滅ぼそうとはしない。
その矛盾が、誰にも説明できなかった。
クリスは地図を見つめたまま考える。
ゲームの中では、こんな戦い方をする敵はいなかった。
そもそも、今の戦争自体がゲームには存在しない。
だからこそ、以前より強く感じる。
この世界には、自分の知らない意思がある。
何者かが、戦争の裏で別の目的を持って動いている。
その可能性を、捨てきれなかった。
◇◇◇
一方、敵国でも戦争の影響は確実に広がっていた。
長期化した戦争によって兵士たちは疲弊し、物資の不足も深刻になっている。
戦場へ送られる兵士が増えるほど、国内で働く人間は減っていく。
税は重くなり、市場に並ぶ食料も少なくなった。
街では、不満を口にする者も増えていた。
「いつまで戦争を続けるんだ」
「もう息子を戦場へ送りたくない」
「このままでは国そのものが持たない」
そんな声が、王都のあちこちで聞かれるようになっていた。
それでも、王は戦争を止めようとしなかった。
「あと少しだ」
「ここまで犠牲を払ったのだ。今さら退くわけにはいかん」
王はそう言い続けていた。
その隣には、いつからか一人の相談役がいる。
深いフードを被り、顔を隠した人物だった。
その者が王の側に現れてから、王の判断は少しずつ変わっていった。
戦争を続けるべきだと主張する。
和平の話が出れば、まだ勝てると王を説得する。
兵士や民の疲弊を訴える者が現れても、王の前ではそれを「勝利するために必要な犠牲」と言い換えてしまう。
その状況を、王子は危険視していた。
「父上」
王子は何度も進言した。
「これ以上の戦争は、国そのものを壊します」
「兵士だけではありません。民も限界です」
「今ならまだ、敵国と交渉できます」
しかし、王は聞き入れない。
「弱気になるな」
「ですが――」
「この話は終わりだ」
王子は拳を握った。
父王が変わったことには、以前から気づいていた。
以前なら耳を傾けていた自分の言葉を、今では全て跳ね除けるようになった。
(あの相談役が来てからだ……。あの者は一体何を望んでいる?)
王子は何度も考えた。
領土か、権力か、それとも別の何かか。
答えは出なかった。
だからこそ、王子は決断した。
このままでは、本当に国が滅びる。
◇◇◇
その夜。
王城の一部が近衛騎士たちによって制圧された。
王子が事前に味方につけていた者たちだった。
大きな抵抗は起きなかった。
すでに多くの者が、戦争を続けることに疑問を抱いていたからだ。
王子は父王の前へ進み出た。
「……父上」
王は驚いた表情で息子を見る。
「これは何の真似だ」
「申し訳ありません」
王子は剣を抜かなかった。
ただ、まっすぐ父王を見つめる。
「これ以上、国を壊させるわけにはいきません」
「何を言っている」
「私は父上から王位を譲っていただきます」
「反逆するというのか!」
「そう呼ばれても構いません」
王子は一歩も引かなかった。
「ですが、私はこの国を残したい」
それだけだった。
その夜、王は王位を退くことになった。
そして翌日。
王子は新たな王として即位することを宣言した。
最初に下した命令は一つだった。
「父上の側にいた相談役を探せ」
「必ず捕らえよ」
近衛騎士たちはすぐに相談役の部屋へ向かった。
だが部屋の中に、その姿はなかった。
窓が開いている。
机には途中まで書かれた書類が残されていた。
それ以外には、何もない。
騎士の一人が部屋を調べる。
隠し扉もない。
地下へ続く道もない。
ただ、開いた窓から風が入り込んでいるだけだった。
まるで、その人物は最初からここに存在していなかったかのようだった。
◇◇◇
新たな王は、すぐに王国へ使者を送った。
「これ以上、戦争を続けることはできない」
「我が国は停戦を望む」
王国から届いた返答は、予想外に早く片付いた。
停戦に応じる。
それどころか、正式な和平交渉にも応じるという。
両国とも、長い戦争に傷つき、疲弊していた。
こうして、長く続いた戦争は、ようやく終わりを迎えた。
勝者がすべてを奪ったわけではない。
敗者が完全に屈服したわけでもない。
両国とも、これ以上戦い続ける力を失っていた。
だからこそ、剣を置くことを選んだ。
◇◇◇
戦争が終わったという知らせは、王都にも広がった。
兵士たちは故郷へ戻っていく。
商人たちは閉ざされていた街道を再び使い始める。
市場には少しずつ商品が戻り、街にも以前の活気が戻り始めていた。
誰もが、ようやく平穏を取り戻せると思っていた。
けれど、戦場にいた者たちは知っている。
失われた命は戻らない。
戦争によって残された傷も、すぐには消えない。
(戦争は……、終わったのに……。)
ルカはもう、戻らない。
王都へ戻る道を歩きながら、私は前を見ていた。
ルカの最後の言葉は今も忘れられない。
『僕の分まで、生きてください』
歩きながら、そっと拳を握った。
(……分かっている)
まだ、割り切るなんて、忘れることなんてできない。
私が救えなかった弟、仲間たちの存在。
でも、私は足を止めなかった。
今を生きる仲間たちを守るために。
そして、ルカが望んだように、生きていくために。
◇◇◇
その頃。
王都から遠く離れた場所に、一人の女がいた。
かつて敵国王の側に立っていた相談役。
女は小さな部屋の中で、窓の外を眺めていた。
「戦争は終わったわね」
残念そうな様子はない。
むしろ、その口元には薄い笑みが浮かんでいた。
「予定より少し早かったけれど……問題ないわ」
女は机の上に広げた地図へ目を向ける。
そこには両国の国境だけではなく、王国内のいくつもの地域が記されていた。
その中で、女の指が一つの場所で止まる。
公爵領。
「戦争に勝つことが目的だったと思っているのでしょうね」
女は小さく笑う。
「でも、違う」
戦争を続ければ、兵士は疲弊する。
民は生活を失う。
税への不満が膨らみ、貴族への不信が広がる。
そして、人は余裕を失う。
大切なものを失った者ほど、心に隙が生まれる。
「人は、追い詰めれば勝手に疑い始める」
「誰かを責める理由を探すようになる」
女の指が、公爵領をゆっくりとなぞった。
「そして、この国にはちょうどいい場所がある」
公爵家。
戦争で跡継ぎを失った家。
最愛の息子を失った公爵。
心を病み、日常を失った公爵夫人。
そして、戦争で疲弊した領民たち。
すでに、いくつもの条件が揃っている。
「もう、十分ね」
女は地図から手を離した。
「戦争で国を壊す必要なんてない」
「国を壊すのに必要なのは、敵軍じゃないもの」
女は窓の外を見る。
「次は、内側から壊せばいい」
戦争が終わった。
人々は、これで平穏が戻ると思っている。
だからこそ、誰も気づかない。
戦場で剣を交えるよりも恐ろしい戦いが、すでに始まっていることに。
そして、その最初の標的は――。
公爵領だった。




