第三十二話 成長
数日後。
私は再び戦場に立っていた。
草原を風が吹き抜け、遠くに敵の偵察部隊が見える。
今回の戦いは大規模なものではない。
敵の動きを探り、必要なら小規模な交戦を行う。
あくまで、偵察がメインの任務だった。
それでも、戦場である以上、油断すれば命を落とす。
私は馬上から周囲を見渡した。
味方の配置。
敵の人数。
地形。
風向き。
視界を遮る林。
以前なら、真っ先に考えていたのは、まず自分がどうするかだった。
どこから敵陣へ入り、どこを崩すか。
自分が先頭に立てば、仲間への攻撃を減らせる。
自分が危険を引き受ければいい、そう思っていた。
「クリス」
ガルドが声をかける。
「前と同じように、お前が先行するか?」
私はすぐには答えなかった。
敵を見ながら、もう一度周囲を確認する。
前に出るだけなら簡単だ。
だが、それでは前と何も変わらない。
一人で背負い、危険を引き受ける。
果たしてそれが、本当に仲間を守ることなのだろうか。
ルカを喪ってから、何度も考えた。
私がもっと強ければ、ルカは死なずに済んだのだろうか。
私がもっと早く気づいていれば……と。
何度考えても、何度振り返っても、きっとあの時の私は敵の策に気づけないだろう。
あの時の私の場所から、ルカのもとへ間に合わないだろう。
少しずつ、一人でできることの限界を知った。
誰かを守りたいのなら、自分だけが強くなるのでは足りない。
仲間を信じ、その力を借りることも必要なのだ。
「……いいえ」
クリスは首を振った。
ガルドが眉を上げる。
「今回は、全員で動きます」
私はは馬から降り、地面に簡単な図を描いた。
「敵は右翼に弓兵を配置しています。正面から進めば、こちらの被害が大きくなる」
指先で林を示す。
「ここを使います」
「敵から見えにくい位置です。レオン、左から回ってください」
「俺?」
レオンが目を丸くする。
「敵の注意をこちらへ向けたあと、側面から攻撃してほしい」
「分かった」
レオンはすぐに頷いた。
クリスは次にナージャを見る。
「ナージャは後方をお願いします。負傷者が出たら、すぐに下げられる位置に」
「了解」
最後にガルドを見る。
「ガルドは正面をお願いします。敵の視線を引きつけてもらえますか?」
「任せろ」
ガルドは短く答えた。
そして、口元をわずかに上げる。
「……ようやく、俺たちを使う気になったか」
クリスは少しだけ苦笑した。
「今までは、自分で何とかできると思っていました」
「でも、違った」
視線を仲間へ向ける。
「だから、皆の力を借ります」
ガルドは満足そうに頷いた。
「それでいい」
レオンも笑う。
「最初からそうすればよかったんだよ」
「……そうだな」
私は剣を抜き正面を見据えた。
今度は、一人では戦わない。
◇◇◇
戦いが始まった。
敵の右翼が動く。
予想通り、弓兵が前へ出てきた。
「来るぞ!」
ガルドの声と同時に、敵の矢が飛んでくる。
兵士たちが盾を構えた。
私も身を低くして矢を避ける。
敵が距離を詰めてくる。
以前の私なら、この瞬間に先頭へ飛び出していただろう。
敵の中へ切り込み、陣形を崩すせば、自分が敵を引き受ければ、仲間が動きやすくなると思っていた。
だが、今は違う。
私はは敵の動きを見た。
敵兵が剣を構える。
一人。
二人。
三人。
距離が縮まる。
そして、敵の先頭が踏み込んだ瞬間。
「今!」
クリスが叫んだ。
「おらぁっ!」
左側の林からレオンが飛び出した。
「なっ!?」
「左だと!」
敵兵が振り返る。
その一瞬で隊列が崩れた。
レオンはその隙を逃さない。
敵の側面へ入り込み、次々と敵兵の動きを止めていく。
「今よ!」
ナージャの声が響く。
矢が敵の後方へ飛んだ。
敵の指揮を取っていた兵士が慌てて振り返る。
その瞬間。
「押し込むぞ!」
ガルドが吠えた。
《暁の牙》が一斉に前へ出る。
クリスもその後に続いた。
だが、以前とは違う。
無闇に敵陣の奥へ踏み込まない。
味方の位置を確認しながら、一歩ずつ前へ進む。
「右!」
クリスが叫ぶ。
「敵が回り込もうとしてる!」
「見えた!」
レオンが応じる。
敵兵がレオンへ向かう。
私も援護へ入ろうとしたが、その前にレオンが敵の攻撃を受け流した。
「大丈夫だ!」
「分かった!」
仲間が自分で対応できるなら、任せる。
危険が大きくなれば助けに入る。
それぞれが、自分の役割を果たす。
「ナージャ、後方!」
「問題ないわ!」
「ガルド、正面をお願いします!」
「任せろ!」
戦場に声が飛び交う。
誰か一人がすべてを背負う必要はない。
それぞれが互いを支えればいい。
やがて敵の動きが鈍り始めた。
隊列が崩れ、後方へ下がっていく。
「敵が退くぞ!」
レオンが叫ぶ。
そのまま追おうとするが、私は手を上げた。
「待って!」
レオンが止まる。
「追撃はしない」
「でも、まだいけるぞ?」
「深追いになる」
敵の撤退方向を確認する。
「この人数で追えば、地形の向こうにいる別部隊と挟まれる可能性があります」
ガルドも頷いた。
「俺もそう思う」
「ここで止めるぞ」
敵軍はそのまま距離を取っていった。
誰も追わない。
やがて、敵の姿が草原の向こうへ消えていく。
◇◇◇
「全員いるか!」
ガルドが声を張る。
「レオン!」
「いる!」
「ナージャ!」
「こっちも無事!」
「負傷者は?」
「軽傷が二人!」
ナージャから返事が来る。
「それ以外は?」
「問題ない」
その報告を聞いた瞬間、肩から力が抜けた。
「……よかった」
思わず、声が漏れた。
戦果を考えれば、大きな勝利ではない。
敵を全滅させたわけでもない。
それでも。
全員が生きている。
それだけで、今の私には十分だった。
ルカの顔が脳裏に浮かぶ。
あの日、自分は守れなかった。
どれだけ後悔しても、その事実は変わらない。
だからこそ。
今日、誰も失わなかったことが、何よりも嬉しかった。
それは、ルカの死を忘れたということではない。
むしろ、忘れられないからこそ分かった。
一人で戦うだけでは、大切な人を守れない。
仲間と力を合わせることもまた、守るということなのだ。
◇◇◇
帰路。
レオンが隣を歩いていた。
「今日は珍しかったな」
「何が?」
「クリスが、ちゃんと俺たちを頼った」
クリスは苦笑した。
「……そうだな」
「前のお前だったら、最初に突っ込んでたぞ」
「否定できない」
「だろ?」
レオンは笑う。
「でも、今日の方がいい」
「そう思うか?」
「ああ」
レオンは前を向いたまま答えた。
「一人で全部やろうとするより、俺たちにも任せてくれた方がいい」
少し間を置いてから、続ける。
「仲間なんだからさ」
私は黙って歩いた。
その言葉が、妙に嬉しかった。
以前の自分なら、誰かに頼ることを弱さだと思っていたかもしれない。
自分が強くなればいい。
自分が傷つけばいい。
自分が無理をすれば、他の誰かを守れる。
そう考えていた。
けれど、ルカを失って初めて、その考え方そのものが間違っていたのだと気づいた。
守るために必要なのは、自分を犠牲にすることではない。
生きている仲間と力を合わせ、誰も失わない方法を探すことだ。
「……ありがとう、レオン」
「何が?」
「いや」
小さく笑った。
「なんでもない」
レオンは不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。
◇◇◇
王都へ戻る道の途中、ふと空を見上げた。
青い空がどこまでも広がっている。
(ルカ)
心の中で名前を呼ぶ。
(私は、まだお前の死を受け入れられていない)
悲しみは残っている。
後悔も消えていない。
もっと早く話せばよかった。
もっと一緒に過ごせばよかった。
もっと家族として接してやればよかった。
考えれば考えるほど、後悔は増えていく。
それでも。
今日、誰も失わなかった。
自分一人ではなく、仲間と戦った。
そして、全員で帰ることができた。
それだけは確かな事実だった。
剣の柄に手を置く。
もう、自分を罰するために剣を握るつもりはない。
失ったものを忘れるためでもない。
ルカの死をなかったことにするためでもない。
ただ、残された者として生きるために。
そして、もう二度と同じ後悔を繰り返さないために。
「……見ていてくれ」
小さく呟く。
「私は、もう一人では戦わない」
風が草原を抜けていく。
私は仲間たちの背中を見る。
ガルドが先を歩いている。
ナージャが負傷者の様子を確認している。
レオンは何かくだらない話をしながら歩いていた。
いつもの《暁の牙》の姿だった。
その光景を見ながら、私は歩き続ける。
悲しみは消えない。
弟を失った事実も変わらない。
それでも、今日という一日を生きることはできる。
明日も、その次の日も。
いつか、また大切な誰かを守るために。
私は仲間とともに帰路を進んだ。




