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捨てられた第一王女ですが、聖剣を手に伝説の傭兵へ成り上がります!【乙女ゲーム前日譚・滅びゆく国を捨てて自分の人生を生き抜く異世界転生】  作者: 穂波 奏
第一章 前日譚

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第三十話 敗北からの変化④ ー姉弟ー

 軍医の手が止まった。


 それだけで、私は何を意味しているのか理解してしまった。


「……違う」


 声が震える。


「まだだ」


 自分に言い聞かせるように、私は軍医を見つめた。


「まだ何かあるはずだろう」


「薬は?」


「別の治療法はないのか?」


「もっとできることがあるはずだ!」


 軍医は拳を握り締めた。


 その表情には、救えないことへの悔しさが滲んでいる。


 それでも、ゆっくりと首を横に振った。


「……申し訳ありません」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。


「……嘘だ」


 かすれた声が漏れる。


「そんなわけがない」


 私は首を振った。


「こんな……」


 続きの言葉が出てこない。


 私は強くなった。


 剣を握り、戦場に立てるようになった。


 敵の動きを読み、仲間を守るための戦術を考え、自分自身も前線で戦えるようになった。


 以前の私なら何もできなかったことでも、今ならできる。


 そう思っていた。


 力さえあれば、大切なものを守れる。


 もう二度と、何もできないまま誰かを失うことはない。


 そう信じていた。


 なのに……、目の前にいる弟一人、救えない。


「彼と、2人きりにしてくれ」


 軍医は黙って出ていく。


 すると、弱々しい声がした。


「……兄さん」


 私はすぐに顔を上げた。


「ルカ」


 呼びかけると、ルカがわずかに目を開いた。


「はじめて……、呼んでくれましたね」


 嬉しそうに、小さく微笑む。


 そんなルカを、私は止める。


「もう喋るな」


 握っていた手に力を込める。


「傷に障る。今は休め」


「でも……」


「いいから」


 必死に言葉を止めようとする。


 けれど、ルカは小さく笑った。


「無理ですよ……、自分のことですから」


「そんなこと……」


 否定しようとして、言葉が詰まった。


 分かっている。


 私も、軍医も、そして、おそらくルカ自身も。


 残された時間が少ないことを理解していた。


「兄さん」


 また、その呼び方が聞こえた。


 これまで何度も聞いてきたはずなのに、今は一言一言が怖かった。


「……どうして」


 私は俯いた。


「どうして、もっと早く言えなかったんだろう」


 家族だと。


 大切な弟だと。


 そう伝えることができなかった。


 ルカはしばらく私を見つめていた。


「……怒ってますか?」


「何に?」


「僕が……勝手に兄さんって呼んだこと」


「そんなこと……」


 私は首を振る。


「そんなことで怒るわけないだろう」


 ルカは安心したように目を細めた。


「よかった」


 そして、少しだけ息を整えてから続けた。


「ずっと、聞きたかったんです」


「兄さんって」


「一度でいいから、そう呼んでみたかった」


 その言葉に、胸が痛んだ。


 ルカが望んでいたのは、特別なものではなかった。


 ただ、家族として私を呼びたい。


 それだけだった。


 なのに、私はずっと、それを避けていた。


 自分の正体を知られてはいけない。


 近づきすぎてはいけない。


 大切に思えば、失ったときに耐えられなくなる。


 そんな理由を並べて、言い訳を作って、私は自分から距離を取ることを正当化していた。


 それはきっと、私が弱かったから。


 わがままだったからに、他ならなかった。


 けれど、もう隠している意味はない。


 このまま何も伝えずに、弟を失うことだけは耐えられなかった。


「……ルカ」


 私は息を吸った。


 喉が震える。


 それでも、言わなければならない。


「聞いてくれ」


「私は……」


 長い間、誰にも明かせなかった秘密。


 それを、今ここで口にする。


「私は、お前の兄じゃない」


 ルカの瞳がわずかに揺れた。


 私は続ける。


「私は……お前の姉なんだ」


 言葉にした瞬間、これまで隠してきた時間の長さを思い知らされた。


 ルカは驚いた顔をしていた。


 けれど、すぐに小さく笑った。


「……やっと話してくれましたね」


「え?」


 私は思わず聞き返した。


「知っていたのか?」


 ルカはゆっくりと首を横に振る。


「確信はありませんでした」


「ただ……」


 一度、苦しそうに息を吸う。


「あなたを見ていると、どうしても兄さんと思えなかったんです。」


「でも、僕にとっては、兄さんであろうと、姉さんであろうと、大事な家族に変わりはなかったから。」


 いつから知っていたのか、なぜ黙っていたのか、聞きたいことは色々あった。


 かろうじて、絞り出した一言。


「……なぜ?」


 ルカは少し困ったように笑う。


「分かりません」


「でも、ずっとそう感じていました」


 私は何も言えなかった。


 ルカは、私が姉であること、隠し事があることを正確に知っていたわけではない。


 それでも、私を家族として見ていた。


 慕っていた。


 愛していた。


 その事実が、今になって胸に突き刺さる。


「……私は、お前を遠ざけていた」


 声が震えた。


「家族だと思うことが怖かったんだ」


「大切だと認めてしまったら、失ったときに耐えられないと思った」


「だから……」


 涙が滲む。


「ずっと逃げていた」


 ルカは黙って私を見ていた。


 責めることもなく。


 怒ることもなく。


 ただ、私の言葉を聞いている。


 やがて、ルカが口を開いた。


「でも」


「兄さんは、ずっと僕を守ってくれていました」


「戦場でも」


「普段の生活でも」


「僕は知っています」


「違う……」


 私は首を振った。


「私は守れなかった」


 目の前に横たわるルカを見る。


「今だって……」


 言葉が途切れる。


「私は、お前を守れない」


「お前を、大切な人を、失ってしまう」


 その瞬間、涙が頬を伝った。


 自分でも驚くほど、簡単に涙が溢れてくる。


「ごめん……」


 私は俯いた。


「ごめんなさい、ルカ」


「もっと早く言えばよかった」


「もっと普通に話せばよかった」


「もっと一緒にいればよかった」


 ルカはしばらく黙っていた。


 そして、弱々しく手を伸ばした。


 私はすぐにその手を取る。


「謝らないでください、兄さん」


 その呼び方に、私は顔を上げた。


 けれど、ルカは少しだけ考えるように私を見つめている。


 そして。


「……姉さん」


 その一言に、私は息を呑んだ。


 今まで何度も「兄さん」と呼ばれてきた。


 けれど、今聞いた呼び方は、それまでとはまったく違っていた。


「……うん」


 私は涙を拭わずに頷いた。


「私は、お前の姉だ」


 ルカは安心したように笑った。


「はい……姉さん」


 その呼び方を聞いた瞬間、胸の奥にあった何かが崩れた。


 私はもう、自分を偽る必要がない。


 ルカの姉として。


 家族として。


 この時間を過ごせる。


 それだけでよかった。


「姉さん」


「うん」


「僕は幸せでした」


「姉さんがいてくれて」


 私はその手を握り返す。


 「ルカ、私の過去を知りたがってたな」


 ルカが怖くないように、私はポツポツと話し始めた。


 王家で生まれたこと、公爵家に引き取られたこと。


 馴染めなくて、家を飛び出したこと。


 そこで、《暁の牙》という傭兵団に出会い、傭兵として働くようになったこと。


 取り留めのないことを、ただただ、話していた。


 その間にも、ルカの呼吸は次第に浅くなっていた。


 それでも、彼は穏やかな表情をしている。


「姉さん」


「うん」


「怖くないです」


「……嘘だ」


 私は首を振る。


「怖いに決まっている」


「まだやりたいことがあるだろう」


「公爵家を継ぐんじゃなかったのか?」


「立派な公爵になるんだろう?」


「……ありますよ」


 ルカは小さく笑った。


「たくさんありました」


「父上の後を継いで、立派な公爵になりたかった」


「それから……」


 そこで言葉が止まる。


「姉さんと、もっと話してみたかった」


 私は唇を噛んだ。


 その願いは、あまりにも簡単なものだった。


 もっと話す。


 一緒に食事をする。


 くだらないことで笑う。


 そんな時間を、私は自分から遠ざけていた。


「なら、これからだ」


 私は言った。


「まだ遅くない」


「ルカ、生きろ」


「私を置いていくな」


 声が震える。


「お願いだから……」


 自分でも分かっていた。


 今の私は、戦場で指揮を執る騎士ではない。


 敵を前にしても怯まない戦士でもない。


 ただ、弟を失いたくない一人の姉だった。


 ルカはそんな私を見て、少し困ったように笑った。


「姉さん」


「何だ?」


「あなたは、自分のことを大切にしなさすぎです」


 その言葉に、私は黙り込んだ。


 以前、レオンにも同じことを言われた。


 誰かを守るためなら、自分の命さえ惜しまない。


 それが私の悪いところだと。


 まさかルカまで同じことを思っていたとは、考えていなかった。


「もっと……」


 ルカは苦しそうに息を吸う。


「自分のためにも生きてください」


「僕のためじゃなくて」


「姉さん自身のために」


「……無理だ」


 私は首を振った。


「そんなこと、今の私には……」


「できますよ」


 ルカは迷わず言った。


「姉さんなら」


 その声は弱い。


 それでも、その言葉には迷いがなかった。


「だって」


「僕が憧れた人だから」


 私は息を呑んだ。


 そんなふうに見られていたなんて知らなかった。


 私は、自分には守る資格がないと思っていた。


 何もかも中途半端で。


 誰かを大切にすることさえ怖がって。


 それでもルカは、そんな私を見ていた。


 私が何者なのかではなく。


 どんな立場にいるのかでもなく。


 ただ、私自身を。


「……姉さん」


「うん」


 今度は迷わず返事をする。


 もう否定する必要はない。


 私は彼の兄ではない。


 けれど、彼の姉だ。


 そして、誰よりも大切な家族だ。


「これからも……」


 ルカはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「たくさんの人を守ってください」


 私は唇を噛んだ。


「私には……できない」


「また、守れなかった」


「ルカだって……」


 言葉が続かない。


 ルカは小さく首を振った。


「姉さんは、もう十分たくさんの人を救っています」


「違う」


「違いません」


「僕は知っています」


 その言葉を否定できなかった。


「だから……」


 ルカの指が、私の手を弱々しく握る。


「僕の分まで、生きてください」


「……ルカ」


「生きて」


「そして、自分のことも大切にしてください」


 私は涙を拭うことさえできなかった。


「約束……できるか?」


「はい」


「じゃあ、私も約束する」


「何を?」


「お前のことを忘れない」


 ルカが笑った。


「それなら、安心です」


「……姉さん」


「うん」


「ありがとう」


 私はその手を握り続けた。


「私こそ……ありがとう」


 何度でも伝えたかった。


 ありがとう。


 家族になってくれて。


 私を姉として受け入れてくれて。


 もっと早く、そう言えればよかった。


 もっと早く、素直になればよかった。


 けれど、もう時間は残されていなかった。


「姉さん」


「何だ?」


「やっと……」


 ルカの声が小さくなる。


「姉さんって呼べました」


「……ああ」


 私は涙を流しながら笑った。


「何度でも呼べ」


「これからも、ずっと……」


 言葉が続かなかった。


 ルカの瞳がゆっくりと閉じていく。


「家族で……」


 小さな声が落ちる。


「よかった……」


 その言葉を最後に、ルカの指から力が抜けた。


「……ルカ?」


 返事はない。


 私は手を握ったまま、動けなかった。


「ルカ」


 もう一度呼ぶ。


「起きろ」


 返事はない。


「まだ話していないことがあるだろう」


 肩を揺する。


「もっと一緒にいたかったんじゃないのか?」


 声が震える。


「これから、公爵になるんだろう?」


 それでも、ルカは目を開けなかった。


「……嫌だ」


 私は俯いた。


「嫌だ……」


 何度呼んでも返事はない。


 握った手から、もう温もりが失われていく。


「また……」


 声が掠れる。


「また私は、守れなかった……」


 その瞬間、張り詰めていたものが崩れた。


「嫌だぁぁぁっ!」


 自分でも抑えられない叫びが、戦場へ響き渡る。


 これまで、どれだけ苦しくても涙を見せなかった。


 弟の前でも。


 仲間の前でも。


 私は強くいようとしてきた。


 けれど、もう無理だった。


 ルカの手を握ったまま、涙が止まらない。


 私の叫びを聞き、外にいたガルド達が天幕へと入ってきた。


 中に倒れたルカと、私の様子を見て、ガルドは少し離れた場所で帽子を外し、黙祷する。


 レオンは拳を握り締め、何も言わずに俯いている。


 ドレイスもまた、視線を落とした。


 誰も私に声を掛けなかった。


 今は、それでよかった。


 慰めの言葉を聞いてしまえば、何かが壊れてしまいそうだった。


 私はただ、ルカの手を握り続けた。


 この日、私は弟を失った。


 同時に、これまで自分を支えていたものの一つも失った。


 未来を知っている。


 この世界で何が起こるのか、私は知っている。


 だからこそ、誰かが死ぬ前に救えると思っていた。


 自分が強くなれば。


 ゲームの知識を使えば。


 正しい選択をすれば。


 大切な人を守れると思っていた。


 けれど、現実は違った。


 敵は私の知識の外で動き、私の選択を利用し、守りたい相手を奪っていった。


 未来を知っているだけでは、誰かを救うことはできない。


 その事実を、私は初めて思い知らされた。


 それでも、ルカの最後の言葉だけは残っていた。


 自分のためにも生きてほしい。


 僕の分まで生きてほしい。


 私は涙を拭った。


 すぐに立ち上がることなどできなかった。


 それでも、いつか立たなければならない。


 ルカが最後に望んだように。


 これからも、生きるために。


 誰かを守るためだけではなく。


 自分自身の人生を捨てないために。


 私は握っていた弟の手を、ゆっくりと胸元へ引き寄せた。


「……約束する」


 返事はない。


 それでも私は、もう一度だけルカの名前を呼んだ。


「ありがとう、ルカ」


 そして私は、弟の亡骸の前で涙を流しながら、初めて自分自身のために生きるという約束をした。

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