第二十七話 敗北からの変化① ー策ー
第二戦が終わった。
王国軍は敗北したわけではない。
敵軍の進撃を食い止め、国境の戦線を維持することには成功していた。
それでも、誰も勝利を喜ぶことはできなかった。
戦場には、多くの兵士が残された。
負傷者は運び込まれ、戦える兵士の数も確実に減っている。
そして何より、王国軍の誰もが同じ事実を突きつけられていた。
――敵は、こちらの戦い方を学んでいる。
第一戦では、王国軍の動きが敵の想定を上回った。
しかし第二戦では、こちらの策そのものが逆に利用された。
敵は王国軍の戦力だけではなく、指揮官たちの考え方まで分析し始めている。
その事実が、戦場から戻った兵士たちの間に重く残っていた。
◇◇◇
軍議の天幕には、第二戦の戦況を記した地図が広げられ、中央には王国軍と敵軍の配置を示す駒が並んでいる。
ドレイスは、その前に立ったまま動かなかった。
普段なら、戦いが終わった直後から次の手を考えている。
敵の兵力。
補給経路。
地形。
兵士たちの疲労。
集められる情報を整理し、次に敵がどこへ動くのかを予測する。
それがドレイスだった。
しかし今は、地図の前でじっと考え込んでいる。
「……私の策が、利用されました」
静かな声だった。
その言葉に、天幕の中にいた者たちが顔を上げる。
ドレイスが、自分の策について敗北を認める。
それは珍しいことだった。
「第一戦の結果から、敵軍の動きを予測しました」
ドレイスは地図の上に置かれた駒を動かした。
「敵が前回と同じ手を使うとは考えませんでした。こちらが警戒することも含めて、別の動きをすると判断した」
駒が一つ進む。
「ですが、敵はそこまで読んでいた」
さらに別の駒を動かす。
「私が敵の行動を予測する。そのこと自体を、敵の指揮官は予測していたのでしょう」
私は黙って地図を見つめていた。
確かに、第二戦の敵は第一戦とは明らかに違っていた。
彼らは、たった一つの目的のために動いていた。
戦場に集まる、あらゆる階級、あらゆる練度の人間に分かるほど単純明快で、効果的な命令。
敵の参謀は、私たちの動きを予測した上で、目的を絞った。
「相手は……私の動きを、私の弱みを予測していました。」
ドレイスは、ゆっくりと息を吐いた。
私は気づく。
「敵の参謀は、ドレイスと同じ種類の人間なのかもしれません。」
そう言うと、ドレイスがこちらを見る。
「同じ種類?」
「敵の指揮官は、相手の行動だけではなく、その判断の理由まで考えているんだと思います。」
私は地図へ視線を落とした。
「あなたと同じように」
ドレイスは少しだけ目を細める。
「……私と同じ、か」
「だからこそ、あなたの策を理解できた」
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてドレイスは地図へ視線を戻し、わずかに笑う。
「なるほど」
悔しそうな様子はなかった。
むしろ、その目には興味が浮かんでいる。
「敵にも、私と同じように戦場を見る者がいるということですね」
「はい」
「ならば、次はこちらが相手の思考を読む番です」
ドレイスは地図上の駒を見つめた。
「同じ手で、二度も後れを取るつもりはありません」
その言葉を聞きながら、私は一つのことを考えていた。
敵は、確実に強くなっている。
第一戦で得た情報を使い、第二戦ではこちらの戦術へ対応してきた。
ならば次は、敵も、さらに変わってくる。
◇◇◇
第二戦を境に、戦場での私たちの扱いも少しずつ変わっていった。
特に変化したのは、《暁の牙》を見る周囲の目だった。
これまでは、王国軍に協力する腕の立つ傭兵団。
それが、今では戦場を左右する戦力として認識され始めている。
ガルドの突破力。
ドレイスの指揮能力。
そして、仮面の騎士の機動力。
敵軍は私の動きにも注意を向けるようになっていた。
私が前線へ現れれば、敵の部隊が動く。
私が別の戦線へ向かえば、そこへ兵力を回される。
私一人を止めるための配置まで用意されるようになった。
「仮面の騎士を警戒しろ」
そんな命令が敵陣で出ているらしい。
それに気づいた時、私は複雑な気持ちになった。
敵から脅威として認められるだけなら、悪いことではない。
だが、私への警戒が強くなればなるほど、《暁の牙》の仲間まで危険になる。
私が目立つことで、仲間が狙われる可能性も高くなる。
だから私は、以前より慎重に戦うようになった。
無理に敵陣へ踏み込まない。
自分一人で戦況を変えようとしない。
必要なら仲間へ任せる。
第二戦で敵が学んだように、私たちもまた戦い方を変えなければならない。
◇◇◇
その夜。
私は陣地の外に立ち、暗闇に沈んだ戦場を眺めていた。
昼間まで兵士たちが駆け回っていた場所には、もう人影がほとんどない。
遠くで見張りをする兵士の姿が、焚き火の明かりに照らされている。
(……おかしい)
私は、ずっとその違和感を抱えていた。
私は前世で、この世界のことを知っていた。
乙女ゲームの舞台となる世界。
そのことだけは、確かだ。
だからこそ、この世界で起こる出来事には、どこか決められた流れがあるのだと思っていた。
けれど、目の前にある現実は、私が知っているゲームの情報だけでは説明できない。
知らない敵将がいる。
知らない戦術がある。
ゲームで語られなかった戦争が、今まさに現実として続いている。
私は自分の手を見つめた。
この手で、何人もの敵を斬った。
この手で、仲間を守った。
そして、この手で守れなかった命もある。
(ゲームなら……)
そう考えかけて、私はすぐに否定した。
ここで死んだ兵士は、ゲームの中の数字ではない。
家族がいて、帰りを待つ人がいて、それぞれの人生があった。
私の隣で戦う仲間たちも同じだ。
ガルドも。
ナージャも。
ドレイスも。
レオンも。
誰一人として、私にとっての「登場人物」ではない。
この世界で生きている人間だ。
だから、もう「ゲームではこうなる」と考えて動くことはできない。
私が知っている未来が、正しいとは限らない。
私の知らない出来事が、すでにいくつも起きている。
ならば。
(私は、この世界で生きる)
未来を知っているからではない。
決められた結末へ進むためでもない。
今、私の目の前にいる人たちを守るために戦う。
それだけで、十分だ。
◇◇◇
同じ頃。
敵国の王城では、王の側に一人の人物が立っていた。
深くフードを被っているため、顔は見えない。
男なのか女なのかさえ、周囲には分からない。
ただ、その人物が少し前から王の相談役として姿を見せるようになったことだけは知られていた。
「陛下」
低くも高くもない、不思議な声が響く。
「次の戦いでは、これまでとは違う手を使う必要があります」
王は険しい顔で地図を見つめていた。
「分かっている」
その声には疲れが滲んでいる。
「二度の戦いで、あの国の軍を崩しきれなかった。特に、あの仮面の騎士だ」
「はい」
「あの者が現れるたび、こちらの計画が狂う」
王が苦々しく言う。
「ならば、そこを利用しましょう」
相談役は地図へ指を伸ばした。
「強い者ほど、守ろうとするものがあります」
王が顔を上げる。
「守ろうとするもの?」
「その者が何を大切にしているのか。それを見れば、行動を予測できます」
王はしばらく黙っていた。
やがて、地図へ視線を戻す。
「……次は、仮面の騎士を中心に考えるということか」
「いいえ」
相談役は静かに答えた。
「仮面の騎士だけを見る必要はありません」
その声に、わずかな笑みが混じった。
「彼が動かざるを得ない状況を作ればよいのです」
その言葉の意味を、王はまだ理解しきれていなかった。
相談役の人物が何者なのかも。
何を目的としているのかも。
まだ誰も知らない。
ただ、その人物が王の判断へ少しずつ影響を与え始めていることだけは確かだった。
◇◇◇
戦争は終わらなかった。
一度の戦いで決着がつくこともなく、両軍は国境を挟んで消耗を続けていた。
戦場へ送られる兵士は増え、その一方で戻ってこられない者も増えていく。
王国軍の中でも、経験豊富な騎士たちが少しずつ減っていった。
その影響は、《暁の牙》にも及んだ。
これまで前線で自由に動いていた私たちは、王国軍の本隊と行動を共にする機会が増えていった。
軍事会議へ呼ばれることも珍しくなくなった。
ガルドは現場の状況を伝え、ドレイスは戦況を分析する。
私は前線で見た敵の動きを報告する。
最初は傭兵団にすぎなかった私たちが、王国軍の作戦を決める場にいる。
それは大きな変化だった。
そして、その変化によって、私は再び弟と顔を合わせることになった。
公爵家の嫡男。
私の弟。
以前、彼は私に言った。
『本当は……兄さんって呼んでみたかった』
あの言葉を、私は今でも忘れられない。
私は、彼に本当のことを伝えられない。
彼が「兄」と呼んでいた相手は、実際には姉だった。
けれど、私は男として、傭兵として生きることを選んだ。
だから今さら、姉だと名乗ることもできない。
弟に悪意があるわけではない。
むしろ、私が彼に負い目を感じているのかもしれない。
何も知らない彼が私を慕ってくれたことが苦しく、距離を取るしか無かった。
それでも、戦場ではそんなことは関係ない。
私たちは同じ王国軍の一員として戦うことになる。
顔を合わせる機会も増えていく。
それが何を意味するのか、この時の私はまだ知らなかった。
ただ一つ分かっていたのは。
戦争が長引くほど、守らなければならないものが増えていくということだった。
仲間も。
兵士たちも。
そして、私がずっと距離を置いてきた弟も。
私は剣を握り直す。
次の戦いでも、私の大切な人たちを守るために戦う。
そう決めていた。




