第二十五話 敵もまた学ぶ 前編
敗北は、一つの軍を変える。
前線から退いた敵軍本陣。
重苦しい空気が天幕を包んでいた。
机の上には、無数の駒が置かれた戦場の地図。
その前に立つのは、新たに全軍を任された総指揮官だった。
「敗因は何だ。」
低い声が響く。
参謀の一人が一歩前へ出る。
「敗因は一つではありません。」
そう前置きし、地図へ視線を落とした。
「まず、《暁の牙》です。」
「赤髪の男――ガルド率いる傭兵団。」
「彼らは士気が高く、突破力にも優れていました。あの者たちが戦線を押し上げたことで、我が軍は前衛を崩されました。」
総指揮官は静かに頷く。
「将を討ったのは。」
「仮面の騎士と黒髪の男です。」
「……ただの傭兵か。」
「いいえ。」
参謀は首を横に振った。
「あの仮面の騎士は、ただ剣が強いだけではありません。」
地図の上を指が滑る。
「ここ。」
敵将が討たれた地点。
「そして、ここ。」
突破口となった戦線。
「仮面の騎士が現れた場所から、我々の陣形は崩れています。」
「偶然ではないのか。」
「違います。」
参謀は断言した。
「我々は敵軍師ドレイスを警戒していました。」
「ですが。」
「戦場で実際にその策を成立させたのは、仮面の騎士です。」
総指揮官は腕を組む。
「つまり。」
「策士を討てば軍は崩れる、と?」
参謀は静かに笑った。
「違います。」
そう言って、一つの駒を指で弾いた。
「策士は盤上で戦います。」
「ですが。」
「盤を動かすのは駒です。」
そして、地図の一点を叩く。
「仮面の騎士。」
「あれはドレイスの剣であり、目でもある。」
「策を最も正確に実行できる者です。」
天幕が静まり返る。
「ならば。」
参謀は続けた。
「策士を討つ必要はありません。」
「その剣を折ればいい。」
総指揮官が目を細める。
「殺すのではないのか。」
「無理でしょう。」
「あれほどの剣士を短時間で討ち取るのは困難です。」
「ならば。」
「戦場から遠ざける。」
参謀の目が鋭く光る。
「仮面の騎士がいなければ、ドレイスは盤面を思うように動かせません。」
「黒髪の男とも分断する。」
「《暁の牙》とも切り離す。」
「その間に、本隊を叩きます。」
総指揮官はしばらく地図を見つめる。
やがて、ゆっくりと頷いた。
「面白い。」
「その策、採用しよう。」
◇◇◇
翌朝。
王国軍の陣地では、出陣前の作戦会議が開かれていた。
机いっぱいに広げられた地図を囲み、ドレイスが静かに口を開く。
「敵は昨日と同じ戦い方はしてこない。」
その一言で、場の空気が引き締まる。
「こちらの勝ちは、敵に情報を与えたということでもある。」
「昨日の戦いで、敵も我々を見ている。」
ガルドが腕を組んだ。
「つまり、俺たちも狙われるってことか。」
「ああ。」
ドレイスは頷く。
「特に《暁の牙》は警戒されるだろう。」
「敵にも優秀な参謀がいる。」
「昨日の敗北だけで終わる相手ではない。」
クリスは地図へ目を落とす。
戦争は、一度勝って終わるものではない。
勝てば、相手も学ぶ。
だから、同じ勝ち方は二度と通用しない。
「敵が退けば、必ず理由がある。」
「敵が弱く見えても、飛び付くな。」
「違和感があれば、一度立ち止まれ。」
全員が静かに頷いた。
角笛が鳴る。
第二戦の始まりだった。
◇◇◇
乾いた風が砂を巻き上げる。
王国軍と敵軍が、ゆっくりと距離を縮めていく。
クリスは仮面越しに敵陣を見つめた。
「……。」
何かがおかしい。
中央の兵が薄い。
左右と比べ、不自然なほど守りが弱い。
ドレイスも同じ違和感を覚えたらしい。
「中央が薄い……。」
小さく呟く。
眉間に皺が寄る。
「露骨すぎる。」
ガルドが口を開く。
「罠か?」
「その可能性は高い。」
ドレイスは即答した。
だが、次の瞬間には難しい表情を浮かべる。
「……いや。」
「もし本当に中央が薄いのなら、この機を逃す方が危険だ。」
敵が何を狙っているかは分からない。
ただ、目の前に突破口がある以上、見逃すこともできない。
ドレイスは決断する。
「中央突破!」
「一気に押し切る!」
王国軍が鬨の声を上げた。
クリスもレオンと肩を並べて駆け出す。
「行くぞ!」
「ああ!」
二人の剣が敵陣を切り裂く。
前衛が崩れる。
押せる。
そう思った。
その時だった。
「左右の敵軍が動きました!」
伝令の声が響く。
ドレイスが振り返る。
「何?」
次の瞬間。
左右に控えていた敵兵が、一斉に中央へ向きを変えた。
「包囲だ!」
誰かが叫ぶ。
敵は中央を弱く見せていただけだった。
突破を誘い。
王国軍を深く引き込み。
逃げ道を塞ぐ。
そのためだけに。
「全軍後退!」
ドレイスが叫ぶ。
しかし、もう遅かった。
退路には新たな敵兵が現れ、次々と道を塞いでいく。
その混乱の中。
クリスは目の前の敵を斬り伏せながら前へ出ていた。
「クリス!」
レオンの声が響く。
振り返ろうとした、その瞬間。
空へ無数の火矢が放たれた。
乾いた音を立てて地面へ突き刺さる。
直後。
白い煙が一気に立ち上った。
「煙幕か!」
視界が奪われる。
「レオン!」
「クリス!」
互いの声だけが聞こえる。
姿は見えない。
さらに、左右の森から伏兵が雪崩れ込んできた。
「いたぞ!」
「仮面の騎士だ!」
「討ち取るな!」
「囲め!」
「戦場へ戻すな!」
怒号が戦場を揺らす。
クリスは剣を構えながら、僅かに眉をひそめた。
(……違う。)
敵の狙いは、自分の命ではない。
自分を。
レオンから。
《暁の牙》から。
王国軍本隊から。
切り離すこと。
煙の向こうから、無数の足音が迫る。
遠く離れた丘の上では。
一人の参謀が、その光景を静かに見つめていた。
「掛かった。」
口元に小さな笑みが浮かぶ。
「これで盤上から、一枚消える。」
敵は――学んできた。




