第二十三話 沈黙の出会い
敵将が倒れ瞬間、戦場の流れが変わった。
「敵将が崩れたぞ!」
「今だ! 押し返せ!」
王国軍の兵士たちが声を上げる。
それまで押されていた戦線が、少しずつ前へ進み始める。
敵軍の動きが乱れる。
指揮を失った兵士たちは、次々と後退していく。
勝利。
その二文字が、戦場に広がっていく。
けれど、私は剣を下ろせなかった。
目の前には、倒れた仲間たちがいた。
昨日まで一緒に笑って、一緒に食事をし、明るく私の名前を呼んでくれた人たち。
その声は、もう聞こえない。
「……。」
胸の奥が痛む。
勝った。
確かに勝ったはずなのに、守れなかったものが大きすぎた。
「クリス。」
レオンの声に振り返る。
「大丈夫か?」
「……ああ。」
答えた。
けれど、レオンは小さく首を振る。
「嘘だな。」
「……。」
「お前は、また全部自分のせいにしてる。」
否定できなかった。
私の判断がみんなを殺した。
私が敵の策を読み違えた。
もし、もっと早く気付いていれば、仲間を死なせずに済んだかもしれないのに。
「戦場では、全部を守ることなんてできない。」
レオンが言う。
「分かっている。」
分かっている。
そんなこと。
でも。
「……それでも。」
私は拳を握る。
「死なせたくなんてなかった。」
私は、生まれてからずっと、必要とされない存在だった。
だから、やっと手に入れた《暁の牙》という居場所だけは、絶対に失いたくなかった。
守りたかった。
この場所を、この人達を、失いたくなかった。
「帰ろう。」
レオンが言った。
「みんなのところへ。」
私は頷き、無言で歩きだした。
後悔に、押し潰されそうになりながら。
◇◇◇
数時間後、私は戦場の一角の撤退する敵軍を追っていた。
敗残兵といえど再度集まられては困る。
盗賊の時も逃げた敵を追い、容赦はしなかった。
私の守りたいものを守るためにと、決めたことだった。
そしてさらに追撃を行おうとした私を、1人の男が呼び止めた。
「そこのあなた!」
戦場の音に紛れ、呼び止める声は霧散する。
離れていく私に慌てたように、その男は私の腕を掴んだ。
(急に何っ!?)
周囲の味方が止めなかったということは、男は王国の人間なのだろう。
振り返り、私を呼び止めた男を見た。
まだ歳若い青年だった。
白銀の鎧を纏い、隅々まで整えられた装備。
胸元に刻まれた大きな紋章。
その紋章を見た瞬間、息が止まる。
(……公爵家。)
忘れるはずがない。
あの屋敷の紋章。
私が初めて居場所を与えられ、失った場所。
「……。」
向こうの騎士も、私を見ていた。
私の腕を、思わず掴んだようだった。
仮面越しなのに、相手の瞳が揺れ、動揺しているのがわかる。
驚きと戸惑い。
そして、僅かな悲しみに苛まれた目だった。
(……誰だ?)
公爵にしては年若い。
一介の騎士にしては装備や紋章が立派すぎる。
「失礼、……仮面の騎士殿。」
青年は静かに呼んだ。
声を聞いた瞬間、分かった。
(……まさか、)
彼だ。
かつて公爵家で、私は彼の兄だった。
本来産まれるべくして誕生した、正当な嫡男。
「……大きくなったな。」
思わず口に出そうになった。
けれど、開きかけたその口を無言で閉じる。
公爵家嫡男、彼の兄であったクリスは死んだ。
ここにいるのはただの傭兵、仮面の騎士だ。
代わりに私は、冷たく問う。
「戦場では急に腕を掴むのは危険だ。一体何の用か?」
「あなたは!」
青年が私の声を遮るように言う。
「……あなたは、不思議な方ですね。」
「何がだ。」
「戦い方が。」
彼は続ける。
「昔、見たことがある気がします。」
心臓が跳ねた。
けれど、青年はそれ以上言わない。
「……気のせいです。」
そう言った。
嘘だ。
彼は気付いている。
でも、言わない。
「なぜだ。」
私は問いかけた。
「なぜ、何も言わない。」
青年は少し目を伏せる。
「……言えば。」
小さな声。
「あなたから、今のあなたを奪うことになるからです。」
胸が締め付けられる。
「私は知っています。」
「あなたが、あの家でどう扱われていたか。」
青年の手が僅かに震える。
「父上も母上も。」
「あなたを兄として迎えたはずなのに。」
「いつからか、あなたをいないもののように扱った。」
私は黙る。
「私は見ていました。」
「幼かった私は、何もできなかった。」
「あなたに声をかけることすら。」
青年は苦しそうに笑う。
「本当は、兄上と呼びたかった。」
その言葉に、胸の奥に沈んでいた何かが揺れた。
彼は、幼い彼は、あの冷たい食卓で、いつも私を見ていた。
それが、私を慕うがゆえだなんて。
あの家で、そんな風に思ってくれる人間がいたなんて。
「……もう、昔のことだ。」
私は言う。
青年は頷いた。
「はい。だから、」
剣を握る。
「私は、今のあなたを守ります。」
「あなたが望むなら、私は何も言いません。」
私は生きていてはいけない存在。
本来なら、ここで剣を交えるべきだった。
私は殺されるべきだった。
でも、彼の沈黙は、私への裏切りではなく、守るための選択だった。
「……ありがとう。」
小さく呟く。
青年は聞こえなかったふりをした。
そして、二人は背を向ける。
互いの秘密を抱えたまま。
戦場で再会した兄弟は。
言葉ではなく、沈黙で互いを守った。




