第十八話 重み
《暁の牙》に加入してから、数年が経った。
木剣を握っていた手には剣だこができ、毎日の訓練で身体つきも変わっていく。
最初は簡単な訓練ばかりだったが、大人になるにつれ、少しずつ任される仕事も増えていった。
護衛。
魔物討伐。
時には盗賊討伐。
最初の頃、ガルドは私たちに危険な依頼を回さなかった。
まだ私たちは子供だったからだ。
それでも、月日が流れるにつれて、私たちは少しずつ戦場へ近づいていった。
剣を握ることにも、危険な場所へ向かうことにも。
いつしか、慣れ始めていた。
◇◇◇
その日の依頼は、山道を荒らす盗賊団の討伐だった。
相手は十数人。
こちらも同じくらいの人数だ。
だけど、誰も負けるとは思っていなかった。
今まで何度も訓練を重ねた。
実戦も経験していた。
何も変なことはない、いつも通り終わる。
そう思っていた。
「クリス!」
背後からレオンの声が飛ぶ。
その声に振り向いた瞬間、一人の男が、背後から剣を振り下ろしていた。
その姿を見つけると、考えるより先に、身体が勝手に動いた。
半歩、横へ。
刃が鼻先を掠める。
そのまま受け流す。
踏み込む。
剣を突き出す。
何千回、何万回と繰り返してきた動きだった。
だから、何も考えていなかった。
ただ、身体が動いた。
いつもと同じ動きなのに、初めての感触が、腕へと伝わる。
人の身体を切る鈍い感触。
「……え?」
男の身体が止まった。
目を見開いている。
次の瞬間、ゆっくりと膝から崩れ落ちた。
私は動けなかった。
剣を握ったまま、ただ、その場に立ち尽くしていた。
足元へ落ちた男の身体。
動かない。
もう、動かない。
(……死んだ。)
頭では分かっている。
戦うということは、こういうことだ。
今までだって、命を狙われてきた。
暗殺者に襲われたこともある。
毒を盛られたことだって、一度や二度ではない。
私はずっと、生きるために剣を握ってきた。
私を守るために。
敵を撃退するために。
幼い私の力では、人を殺めることはできなかった。
でも、今は違う。
私の剣が、一人の命を奪った。
「クリス!」
肩を強く掴まれる。
「まだ終わってない!」
レオンだった。
その声ではっと我に返る。
周囲では、まだ戦いが続いている。
「……ああ。」
私は剣を握り直した。
足を動かす。
敵を見る。
今は迷っている場合ではない。
戦いを終わらせなければならなかった。
◇◇◇
戦いは、《暁の牙》の勝利で終わった。
誰一人欠けることなく、拠点へ戻る。
いつものように、団員たちは酒を飲み、今日も無事だったと笑い合っていた。
「今日は楽勝だったな!」
「最後のあいつ、俺が仕留めたんだぜ。」
「嘘つけ!」
笑い声が響く。
私は、その輪の中へ入れなかった。
食事を出されても、箸が進まない。
「クリス、食わねぇのか?」
「……あとで食べる。」
そう答えて、私は早々に部屋へ戻った。
寝台へ横になり、目を閉じる。
でも、眠れなかった。
目を閉じるたびに、あの男の顔が浮かぶ。
剣を突き出した瞬間、目の前の身体から力が抜けていく感覚。
地面へ崩れ落ちる姿。
(私が……殺した。)
何度考えても、その事実は変わらなかった。
◇◇◇
結局、眠れないまま夜が更けた。
私は部屋を出て、外へ向かった。
夜風に当たれば、少しは頭が冷えるかもしれない。
空には無数の星が輝いていた。
「眠れねぇのか。」
後ろから声がした。
振り返る。
レオンだった。
「ああ。」
レオンは何も言わず、私の隣へ腰を下ろした。
しばらく二人で空を見上げる。
「レオン。」
「ん?」
「……怖くないのか。」
「何が?」
「人を殺すことが。」
レオンは少しだけ黙り、やがて小さく息を吐く。
「怖いよ。」
意外な答えだった。
「俺だって、できれば誰も死んでほしくない。」
レオンは自分の手を見つめた。
「人を殺すのも怖いし、殺されるのも怖い。」
それから、少しだけ拳を握った。
「でも。」
「守りたい人がいるなら、逃げちゃ駄目だと思う」
私は黙ってレオンを見る。
「父さんも母さんも、ある日急に殺された。」
レオンの声が少しだけ震えた。
「目の前で両親が死んだのに、俺には、何もできなかった。」
幼い頃の記憶を思い出しているのだろう。
手が、声が、震えていた。
「もっと強かったらって、何回も思った。」
「だから。」
レオンは顔を上げる。
「今度は守れるくらい強くなりたい。」
その言葉には、迷いがなかった。
「俺だって、殺したいわけじゃない。ただ殺しを楽しむなんて、両親を殺したヤツらと一緒だ。」
「俺は、俺の大切な人を守るために、剣を振るう。」
静かな声なのに、胸の奥へまっすぐ届いた。
「……強いな。」
思わず呟く。
「俺が?」
レオンが目を丸くする。
「ああ。」
「えへへ。」
照れくさそうに笑った。
「クリスだって強いだろ。」
「私は……。」
言葉が止まる。
剣の腕なら、きっと私は、同年代の誰にも負けない。
でも。
(私は、まだ知らなかった。)
自分の剣で誰かの命を奪うということが。
それが、どういう重さを持つのか。
生きるために剣を握ること。
誰かを殺すために剣を振るうこと。
同じではなかった。
「優しいってことは、弱いってことじゃないよ。」
レオンが言った。
「クリスは優しいから、怖いんだと思う。」
「だから……。」
少し考えてから、レオンは笑った。
「無理に怖くなくならなくてもいいんじゃない?」
その言葉に。
胸の奥で張り詰めていたものが、少しだけ緩んだ。
「……そうか。」
「ああ。」
レオンはいつものように笑う。
「俺も怖いから。」
その言葉が、不思議と嬉しかった。
◇◇◇
その夜、私は結局、すぐには眠れなかった。
胸に残っている、初めて奪った命の重さ。
きっと、この重さが消えることはない。
それでいいのだと思う。
忘れてしまえば、私はきっと、簡単に人を斬れるようになる。
だから、私は忘れない。
怖かったことも。
苦しかったことも。
全部、覚えておこう。
そして、これからも剣を握る。
ただ生き残るためだけではなく。
守りたいものを、守るために。
いつか、私にも、そう言える日が来るのだろうか。
夜空を見上げる。
星は何も答えない。
それでも、私は初めて、自分の剣が何のためにあるのかを考えていた。




