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捨てられた第一王女ですが、聖剣を手に伝説の傭兵へ成り上がります!【乙女ゲーム前日譚・滅びゆく国を捨てて自分の人生を生き抜く異世界転生】  作者: 穂波 奏
第一章 前日譚

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第十五話 帰る場所

 夜の王都は静かだった。


 昼間なら人の声で溢れている大通りも、今はほとんど人影がない。


 石畳を照らしているのは、街灯と月明かりだけ。


 小さな足音が、静かな街へ響いていた。


 私は一人で歩く。


 一度も振り返らずに。


 追手が来る気配も、呼び止める声も、心配する声も、何も無かった。


 あの屋敷で、私を引き止める理由など無いのだから、当たり前なのかもしれない。。


(……本当に終わったんだ。)


 五年間、私はあの家で生きてきた。


 思い返してみても、楽しかった記憶はほとんど浮かばない。


 毒の味。


 身体を襲う痛み。


 朝から晩まで続く訓練。


 向けられる冷たい視線。


 自分が何者なのかを忘れないようにと押しつけられた立場。


 公爵家の嫡男。


 それが私だった。


 けれど、その肩書きの中に、私自身の居場所はなかった。


 必要だから生かされ、役に立つから残される。


 それだけだった。


 でもそれも、これまでだ。


 私は、公爵家を捨てた。


 王女という身分も、公爵家の嫡男という立場も、今夜、全部置いてきた。


 これから先、私は自分で生きる。


 そのために向かう場所は、一つしかなかった。


 ――《暁の牙》。


 足を進めながら、胸の奥に小さな不安が生まれる。


(……本当に、置いてもらえるかな。)


 私はまだ五歳だ。


 剣は使えるし、少しは頭も回る。


 でも大人と比べれば、身体はあまりにも小さい。


 食事だって一人前には食べられない。


 何より、私は何も話していない。


 どうして家を出たのか、どんな家で育ったのか、何を抱えているのか。


 何一つ話していない。


 それでも、あの場所へ行きたかった。


『また明日』と、言ってくれた人たちのところへ。


 ◇◇◇


 しばらくして、見慣れた建物が見えてきた。


 《暁の牙》の拠点。


 昼間とは違い、建物の窓からは暖かな明かりが漏れている。


 その光を見た瞬間、ソワソワとして落ち着かなくなる。


 私は扉の前へ立ち、小さく息を吸った。


 そして、意を決して扉を開ける。


「……。」


 中にいた団員たちが、一斉にこちらを見た。


 酒を飲んでいた者、食事をしていた者、談笑していた者。


 その全員の動きが止まった。


「……クリス?」


 最初に声を上げたのはナージャだった。


 その声を聞いて、ガルドも振り返る。


「……お前。」


 ゆっくりとこちらへ歩いてくる。


「どうした、その頭。」


 私は自分の髪へ触れた。


 肩にかかる程度まで短くなった髪。


「切った。」


「見りゃ分かる。」


 ガルドの目が細くなる。


「何があった。」


 短い問いだった。


 でも、責めるような声ではなかった。


 私は少し迷ったが、隠す必要も無い。


「家を出た。」


 その一言で、酒場の空気が変わった。


 誰も口を挟まない。


 誰も理由を問い詰めない。


 ただ、私を見ている。


「もう、帰る場所はない。」


 そう言った瞬間、小さな足音が響いた。


「クリス!」


 レオンだった。


 パタパタと一直線にこちらへ駆けてくる。


「よかった!」


 そのまま私の服を掴んだ。


「もう来ないのかと思った!」


 服を掴む小さな手が、少し震えている。


 私は目を見開いた。


(……待っていてくれたのか。)


 たった一日しか離れていない。


 それなのに、自分がいなくなることを、こんなにも心配してくれる人がいる。


「……約束しただろう。」


「うん!」


 レオンは何度も頷いた。


「また明日って言った!」


「ああ。」


「だから、来てくれると思ってた!」


 私は少しだけ笑った。


「……そうか。」


 胸の奥が温かかった。


 ◇◇◇


「団長。」


 ドレイスが静かに口を開いた。


「事情を確認する必要は?」


「今はいい。」


 ガルドは即答した。


「聞いたところで、こいつが話したくねぇなら意味がねぇ。」


 そして私を見る。


「クリス。」


「……何だ。」


「お前は、ここへ来た。」


「ああ。」


「それでいい。」


 あまりにも簡単な言葉に、思わず驚いた表情でガルドを見てしまう。


「事情がある奴なんて、この世にいくらでもいる。」


「俺たちだって、全員が綺麗な過去を持ってるわけじゃねぇ。」


 ガルドは肩をすくめた。


「話したくなったら話せばいい。」


「話したくねぇなら、それでもいい。」


「ただ一つだけ聞く。」


 ガルドの目が、真っ直ぐ私を捉える。


「ここにいたいか?」


 私は答えに迷わなかった。


「……いたい。」


 小さな声だが、自分でも驚くほど、はっきりと言えた。


「なら、決まりだ。」


 ガルドは笑った。


「今日から、お前は《暁の牙》の仲間だ。」


「……。」


 一瞬、言葉が出てこなかった。


「本当に?」


「何度も言わせるな。」


 ガルドは豪快に笑う。


「来たい奴を追い返すほど、俺たちは暇じゃねぇ。」


「歓迎するよ、クリス。」


 ナージャが優しく笑う。


「今日からここがあなたの居場所ね。」


「これで毎日勝負できる!」


 レオンが嬉しそうに叫ぶ。


「俺は別に勝負しなくてもいいけどな。」


「えー!」


 団員たちから笑い声が上がる。


 ドレイスも小さく頷いた。


「団長が決めたのであれば、私に異論はありません。」


「よろしくお願いします、クリス。」


「……よろしく。」


 私は一人ずつ顔を見る。


 ガルド。


 ドレイス。


 ナージャ。


 レオン。


 そして。


 ここにいる皆。


 誰も私の身分を知らない。


 私が王女であることも、公爵家を追われたことも。


 何も知らない。


 それでも、ここにいていいと言ってくれた。


 それだけで、今は十分だった。


 ◇◇◇


「そうと決まったら。」


 ガルドが手を叩いた。


「まずは飯だ。」


「……飯?」


「ああ。」


 ガルドが奥へ声を飛ばす。


「まだ残ってるだろ?」


「もちろん!」


 団員の一人が鍋を持ってくる。


 蓋を開けると湯気が立ち上った。


「シチューだ。」


 昨日も食べた。


 なのに、今日のそれは昨日とは違って見えた。


「食え。」


 ガルドが椅子を引く。


「腹減ってんだろ。」


「……少し。」


「少しかよ。」


 笑い声が起きる。


「じゃあ、いっぱい食え。」


 私は椅子へ座った。


 目の前に置かれた皿から、湯気が立ち上っている。


 匙を手に取る。


 一口。


 温かい。


 身体の奥へ、ゆっくりと染み込んでいく。


「……。」


 もう一口。


 気付けば、視界が少し滲んでいた。


「おい。」


 ガルドが困ったような顔をする。


「どうした?」


「……何でもない。」


「何でもない奴は、そんな顔しねぇぞ。」


 私は袖で目元を拭った。


「……美味しい。」


「そうか。」


 ガルドはそれ以上何も言わなかった。


 ただ、自分の酒を飲みながら、少しだけ笑っていた。


 ナージャがそっとパンを私の皿へ置く。


「これも食べて。」


「ありがとう。」


 レオンは隣で楽しそうに話している。


「明日はもっと強くなるから!」


「そうか。」


「今度こそ勝つ!」


「ああ。」


 ドレイスは少し離れた場所で、いつものように静かに食事をしている。


 団員たちはくだらない話で笑っている。


 誰かが笑い、誰かが怒り、誰かが食べ物を取り合う。


 そんな光景を眺めながら、私はこの場に安心感を覚えていた。


 王宮では、自分の存在を隠さなければならなかった。


 公爵家では、役割を果たさなければならなかった。


 ここでは、私はただの、クリスだった。


 強くなれば褒めてもらえるし、負ければ悔しがるし、腹が減れば飯を食べる。


 きっとここでは当たり前のことなのだろう。


 でもそれが、今までの私にはなかったものだった。


 血が繋がっているから家族なのではない。


 同じ家に住んでいるから、帰る場所なのでもない。


 自分がここにいていいと思える。


 帰ってきてもいいと思える。


 そんな場所が、私にとっての居場所なのかもしれない。


 私は匙を握り直す。


 そして、もう一口、シチューを食べた。


 夜は深くなっていく。


 今までの夜は、常に何かを恐れていた。


 でも、ここで迎えた初めての夜は、不思議と怖くなかった。


 私はもう、一人ではなかったから。

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