第十三話 剣を振るう理由
季節は、ゆっくりと移ろい始めていた。
王都を吹き抜ける風にも、少しずつ涼しさが混じっている。
それでも、私の日常は、変わらなかった。
朝になると公爵家で武芸の訓練が始まる。
木剣を握り、何度も打ち込まれ、倒されれば立ち上がり、立ち上がれば、また打ち込まれる。
何度も何度も。
容赦などなかった。
その後は机に向かい、歴史や帝王学、礼儀作法を学ぶ。
五歳の身体には重すぎる一日。
以前なら、それだけで疲れ果てていた。
でも今は、午後になると、私は屋敷を抜け出す。
向かう先は決まっている。
――《暁の牙》。
そこへ行けば。
レオンがいる。
ガルドがいる。
ナージャがいる。
ドレイスがいる。
そして、私を待ってくれる人たちがいる。
だから、どれだけ身体が重くても。
私は足を止めなかった。
◇◇◇
「クリス!」
《暁の牙》へ着くと、今日もレオンが駆けてくる。
手には木剣。
「勝負だ!」
「今日もか。」
「今日も!」
即答だった。
私は苦笑しながら木剣を受け取る。
裏庭へ出ると、いつものように団員たちが集まってくる。
「今日はレオンが勝つんじゃねぇか?」
「昨日より動きがいいぞ。」
「いや、まだ無理だろ。」
「聞こえてるよ!」
レオンが頬を膨らませる。
「絶対勝つから!」
「なら、見せてみろ。」
ガルドが笑いながら木剣を構える。
「始め!」
合図と同時に、レオンが踏み込んだ。
以前より速い。
ただ真っ直ぐ向かってくるだけではない。
一度右へ身体を振り。
こちらの視線を誘ってから、左へ踏み込む。
木剣が斜め下から迫る。
私は一歩だけ後ろへ下がった。
木剣が鼻先を掠める。
レオンはそのまま身体を回し、二撃目。
――カンッ!
今度は受け流す。
木剣同士がぶつかり、レオンの腕がわずかに浮いた。
その隙に私は踏み込む。
手首。
肩。
足。
どこを狙うか、一瞬で決める。
木剣の腹でレオンの木剣を弾いた。
――カンッ!
「わっ!」
レオンの手から木剣が離れる。
地面へ落ちた。
「一本。」
「あぁー!」
レオンが頭を抱える。
「また負けた!」
「惜しかった。」
「本当?」
「ああ。」
私は落ちた木剣を拾って、レオンへ渡した。
「最初よりずっと強くなってる。」
レオンの顔が一瞬で明るくなる。
「じゃあ、もっと頑張る!」
「期待してる。」
「うん!」
レオンは嬉しそうに笑い、再び木剣を構えた。
その姿を見ていると、私まで嬉しくなる。
誰かが成長していく姿を見るなんて経験は、今までなかった。
◇◇◇
訓練を終えると。
「クリス。」
ガルドが手招きした。
「ちょっと来い。」
「?」
連れて行かれたのは、裏庭の隅だった。
そこには、木で作られた人形が並べられている。
一体。
二体。
三体。
数えていく。
「……十一体?」
「ああ。」
ガルドは一本の木剣を肩へ担いだ。
「今日はこいつらを相手にしてもらう。」
「私が?」
「そうだ。」
私は木人を見る。
人間の形をした木の塊。
当然、動くことはない。
「どうやって戦う?」
「それは自分で考えろ。」
ガルドは笑った。
「戦場で敵が、親切に一人ずつ並んでくれると思うか?」
「……思わない。」
「だろ?」
ガルドは木人を指差す。
「一人倒したら終わりじゃねぇ。」
「横から来る奴と、後ろから来る奴もいる。」
ガルドは真後ろを振り向き剣先を向ける。
「逃げようとした先に、別の敵がいることだってある。」
私は初めて街へ出た日のことを思い出した。
あの時、声をかけてきた男は最初は一人だった。
私は避け、倒すことができた。
でも、周囲には仲間がいた。
前を塞がれ、左右を囲まれ、後ろにも回られた。
あの時ガルドが来なければ、私は逃げ切れなかったかもしれない。
「……分かった。」
木人の中央へ入り、周囲を見渡す。
前。
後ろ。
右。
左。
逃げ道はない。
「始め!」
ガルドが叫ぶ。
同時に、団員たちが木人を押し始めた。
ギギギッ。
木の軋む音。
一体目が迫る。
その後ろから二体目。
右から三体目。
さらに左から四体目。
(同時に来る。)
正面の一体を受け止める。
だが真正面から押し返そうとはしない。
木剣を斜めに当てる。
相手の進む方向を少しだけ逸らす。
木人が横へ流れた。
その直後。
後ろから来ていた二体目とぶつかる。
――ドンッ。
二体の動きが止まった。
(今。)
私は横へ抜けるが、抜けたそばから右から三体目の腕が迫る。
(受ければ押し込まれる。どうする。)
私は腰を落とした。
木の腕が頭上を通り過ぎる。
そのまま足元へ木剣を振る。
――ゴンッ。
木人の支柱が揺れる。
倒れない。
なら、もう一度。
今度は反対側。
――ゴンッ!
木人が傾いた。
そのまま倒れる。
だが倒れた木人の向こうから、別の一体が迫っていた。
(まだいる。)
私は倒れた木人を背にしない。
むしろその身体を利用する。
横へ回り込み、倒れた木人を間に挟む。
迫ってきた木人の腕が、倒れた木人にぶつかった。
――ガンッ!
進路が止まった隙に抜ける。
(使える。)
敵そのものを障害物にする。
正面から倒す必要はない。
動きを止めればいい。
五体目。
六体目。
次々と木人が迫ってくる。
私は走る。
絶対に止まらない。
一カ所に留まればすぐ囲まれてしまう。
だから攻撃をしたあとはすぐ避け、位置を変え、また攻撃をする。
木人の腕を弾き、別の木人へぶつける。
足元を崩し、倒れた木人を盾にする。
数を減らすのではなく。
自分が囲まれないようにする。
七体目が迫った。
私は正面から受けず、身体を横へ滑らせた。
木人が通り過ぎた背後へと回り込む。
そして支柱へ思いっきり叩き込む。
――バキッ。
木が軋み、木人が倒れた。
残り四体。
だがかなり息があがっていた。
五歳の身体では、長くは続かない。
(急がないと。)
八体目。
九体目。
二体が左右から迫ってくる。
同時に相手をするのは危険だ。
私は一歩前へ出た。
左の木人へ木剣を当て、倒すのではなく向きを変え、右の木人へぶつける。
――ドンッ!
二体がぶつかった。
その瞬間。
私は二体の間を抜ける。
残り二体。
正面と後方。
(挟まれる。)
私は後ろを振り返った。
距離が近い。
逃げ道はない。
(なら。)
正面へ向かう。
木剣を振り下ろす。
――カンッ!
木人の腕を弾く。
そのまま身体を横へ滑らせる。
正面の木人が動き、後方の木人と衝突する。
――ゴンッ!
二体が揺れる。
私はその隙に踏み込み、木剣を二体の支柱へ叩き込んだ。
――バキッ!
二体が同時に倒れる。
静寂。
私はその場に立ったまま、荒く息を吐く。
額からは汗が流れ落ちた。
周囲を見る。
十一体、すべて倒れていた。
「……終わった。」
ガルドは腕を組んだまま、しばらく何も言わなかった。
「よし。」
やがて短く頷いた。
「お前は、木人を十一体倒したんじゃねぇ。」
「……?」
「自分が囲まれない場所を、ずっと探してた。」
ガルドは倒れた木人を見る。
「一体を倒すことより、二体をぶつけた。」
「敵を敵にぶつけて、数を減らした。」
「それで、自分が動ける場所を作った。」
そして。
「それでいい。」
私は木剣を見る。
「強さってのは、力だけじゃねぇ。」
「生き残るために、何をするかだ。」
その言葉に、少しだけ胸を張った。
けれど。
「ただな。」
ガルドの声が低くなる。
「今のお前には、一つ足りねぇ。」
「……何が?」
「守るってことだ。」
私は黙った。
「今の戦いなら、お前一人だけ考えればいい。」
「自分が囲まれなければ、自分が逃げられれば、自分が傷つかなければ、それでいい。」
「きっとそれなら、お前だけは生き残ることはできるだろう。」
ガルドは私を見る。
「だが、後ろに誰かいたらどうする?」
「そいつが怪我をして動けなかったら?」
「敵を避けるために、お前が逃げれば、その相手はどうなる?」
答えられない。
私は今まで、自分が生き残ることしか考えてこなかった。
当然だ。
誰かが私を守ってくれることなどなかった。
だから、誰かを守る方法なんて、考えたこともない。
「……分からない。」
正直に答える。
ガルドは笑った。
「なら、これから覚えりゃいい。」
大きな手が、私の頭に乗る。
「剣は敵を斬るためだけにあるんじゃねぇ。」
「誰かを守るためにも使う。」
その言葉が、胸に焼き付く。
「……守る。」
「ああ。」
ガルドは頷く。
「いつか、お前にも守りてぇ奴ができる。」
「その時になってから考えればいい。」
私は何も言わなかった。
でも、その言葉を忘れないように。
心の中で何度も繰り返した。
――剣は、誰かを守るためにもある。
◇◇◇
夕方。
《暁の牙》の食堂には、いつものように賑やかな声が響いていた。
「クリス、そのパン取ってくれ!」
「ああ。」
「ありがとう!」
「おいレオン!」
ガルドの声が響く。
「それ四つ目だろ!」
「まだ三つ!」
「一個食ったら、すぐ次に手を出しただろうが!」
「だって美味しいんだもん!」
周囲から笑い声が上がる。
レオンは頬を膨らませる。
「クリスも食べる?」
「もらう。」
「じゃあ半分あげる!」
「……全部食べていいぞ。」
「本当!?」
嬉しそうにパンを抱える。
私はその様子を見て、小さく笑った。
食卓には、今日も何もない。
毒も。
疑いも。
誰かを陥れようとする視線もない。
ただ、食べて、笑って、今日あったことを話す。
そんな時間が流れている。
私は静かに周囲を見渡した。
ここへ来るようになって、しばらく経った。
最初は、ただの避難場所だった。
屋敷に帰りたくないから。
少しでも安心できる場所へ行きたかったから。
でも今は違う。
ここへ来たいと思う。
みんなに会いたいと思う。
レオンと剣を振りたい。
ナージャの焼き菓子を食べたい。
ドレイスの難しい話を聞きたい。
ガルドの訓練を受けたい。
そんな小さな楽しみが、一つずつ増えていた。
「クリス。」
ガルドが呼ぶ。
「ぼーっとしてどうした?」
「……何でもない。」
私は笑った。
「ただ。」
少しだけ考えてから。
「今日は楽しかったと思っていただけだ。」
「そうか。」
ガルドは嬉しそうに笑った。
「そりゃ良かった。」
夕食が終わる。
私は椅子から立ち上がった。
「また明日。」
レオンが手を振る。
「ああ。」
私は頷く。
「また明日。」
外へ出る。
夕暮れの王都を歩く。
公爵邸へ戻れば。
また厳しい訓練が待っている。
毒の痛みもある。
誰も私を待ってはいない。
それでも以前とは少しだけ違った。
明日になれば、またここへ来られる。
また、みんなに会える。
そして、今日教えられたことを、少しずつ覚えていけばいい。
自分が生き残るためだけではなく、いつか誰かを守るために。
私は小さな手で木剣を握り直した。
まだ五歳の身体。
力もない。
体力もない。
できることは少ない。
それでも、一歩ずつなら、進める。
そう思えた。
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