第十一話 もうひとつの家
午後の日差しが、王都の街並みを照らしていた。
午前の授業を終えた私は、昨日と同じ道を歩いていた。
大通りを抜け、人の多い市場を通り過ぎる。
そして、昨日教えてもらった細い路地へと入った。
(もう少し。)
角を曲がったその先に、少し古びた大きな建物が見えた。
《暁の牙》。
昨日初めて訪れ、たった一日しか過ごしていない。
それなのに、その建物を見つけた瞬間、胸に温かな感覚が広がった。
(……いた。)
昨日受け入れてくれた面々、案内してくれたガルド、慕ってくれたレオンが、笑顔で受け入れてくれた。
みんなの顔を想像するだけで、歩く速度がさらに速くなった。
息を切らして全力で走った。
扉の前に着くと、改めて息を整え、中へと進む。
「ガルド、いるか。」
声を掛けた瞬間、中にいた団員たちが一斉にこちらを振り向いた。
「おっ!」
「クリスじゃねぇか!」
「昨日の坊主だ!」
「本当に来たのか!」
次々と声が飛んでくる。
昨日会ったばかりなのに、みんな当たり前のように私を迎えてくれた。
「よく来たな!」
「今日は訓練するんだろ?」
「飯もあるぞ!」
「……。」
また胸の奥に、温かい感覚が広がる。
公爵家では決して感じない気持ちが、ここでは何度も広がる。
(……よかった。)
昨日のことだけではなかった。
今日も、また受け入れてくれた。
「よう、来たな。」
奥から、大きく芯のある声が響いた。
振り向くと、ガルドが歩いてくる。
相変わらず大きく、燃えるような赤い髪と髭を携え、顔には、昨日と変わらない豪快な笑顔を浮かべていた。
「来ると思ってたぜ。」
「……分かっていたのか?」
「ああ。」
ガルドは笑った。
「昨日のお前の顔を見りゃ分かる。」
「帰りたくねぇって顔してたからな。」
「……。」
図星だった。
思わず視線を逸らす。
「図星か?」
「違う。」
「ははっ!」
ガルドは楽しそうに笑い、それ以上は何も聞かず、私の肩を軽く叩いた。
「まあ、来たならいい。」
「今日はどうする?」
「昨日言っただろ。」
「訓練だ。」
「ああ。」
私は頷いた。
「よろしく頼む。」
「おう。」
ガルドは満足そうに笑った。
「じゃあ、裏庭へ行くぞ。」
◇◇◇
裏庭へ出ると、昨日と同じように木剣を振る音が響いていた。
団員たちが二人一組になり、互いに打ち込み合っている。
その中に、小さな姿があった。
「クリス!」
レオンだ。
私に気付いた瞬間、木剣を持ったまま駆けてくる。
「今日も来た!」
「ああ。」
「じゃあ勝負!」
昨日と同じ言葉なのに、その顔は、昨日よりずっと嬉しそうだった。
「いいぞ。」
近くに置かれていた木剣を一本受け取る。
レオンも構えた。
「今日は勝つからな!」
「期待している。」
「本当!?」
「ああ。」
その一言だけで、レオンの顔がぱっと明るくなる。
「よし!」
「始め!」
ガルドの声が響くと同時に、レオンが地面を蹴った。
「えいっ!」
昨日より速い。
身体の使い方も、少しだけ良くなっている。
(昨日のあと、練習したのか。)
斜めから木剣が振り下ろされる。
私は一歩横へ動いた。
木剣が空を切る。
そのままレオンの懐へ入る。
けれど。
「まだ!」
レオンはすぐに身体を回した。
木剣が横薙ぎに迫る。
私はそれを受け流し、そのまま足元へ軽く木剣を当てた。
「わっ!」
レオンが尻もちをつく。
「一本。」
「また負けた!」
悔しそうに顔を歪めたが、すぐに立ち上がった。
「もう一回!」
「いいぞ。」
「次は絶対勝つ!」
また構える。
私は思わず口元を緩めた。
◇◇◇
何度目かの勝負が終わった頃。
レオンは地面に座り込み、肩で息をしていた。
「はぁ……はぁ……。」
「少し休め。」
「でも……。」
「焦っても強くならない。」
「……分かった。」
素直に木剣を置く。
その様子を少し離れた場所から見ていたガルドが笑った。
「昨日よりだいぶ馴染んでんな。」
隣に立っていたドレイスが静かに答える。
「そうですね。」
「昨日は周囲を警戒していました。」
「今日は違います。」
ドレイスの視線が私へ向く。
「自分から輪の中へ入っている。」
「だろ?」
ガルドは嬉しそうに笑った。
「子どもはこうでなくちゃな。」
ドレイスは少しだけ目を細める。
「……団長。」
「あん?」
「昨日の判断は正しかったようですね。」
「何がだ?」
「彼を連れて帰ったことです。」
ガルドは一瞬だけ黙り、小さく笑った。
「だろ?少なくとも、昨日よりはいい顔してやがる。」
◇◇◇
それからも訓練は続いた。
私は他の団員たちの訓練も見せてもらった。
剣の振り方。
足の運び。
相手との距離。
私が今まで教えられてきたものとは、少し違う。
貴族の子どもとして習ってきた剣術は、形を重視していた。
美しい姿勢で、鋭い剣先を持ち、淀みのない足運びが重要視されていた。
きっと、それはどれも大切なものだ。
でも《暁の牙》の剣は違う。
泥だらけになっても構わない。
相手の隙を見つければ、そこを狙う。
転べば立ち上がる。
綺麗に勝つ必要などない。
ーー生き残るための剣。
それは、私が知りたかった剣だった。
だからなのか、ここにいることが、妙に心地よく感じた。
空がオレンジ色に染まり、日が傾く頃。
訓練が終わり、レオンはすっかり疲れきっていた。
「今日は何回負けた?」
ガルドが笑いながら聞く。
「……数えてない!」
「全部負けたからな。」
「団長!」
レオンが頬を膨らませる。
周囲から笑い声が上がる。
私も思わず笑ってしまった。
「クリス!」
レオンがこちらを見る。
「次は絶対勝つからな!」
「ああ。」
「約束だぞ!」
「約束する。」
レオンは満足そうに頷いた。
◇◇◇
しばらくして、私は庭の端でひとごこち着く。
するとガルドが現れ、隣へ腰を下ろした。
「今日はどうだった?」
「楽しかった。」
考えるより先に言葉が出る。
ガルドは少し驚いた顔をした。
「そうか。」
「ああ。」
少し間を置いて。
「家はどうだった?」
家について聞かれるとは思っておらず、私は一瞬だけ黙った。
「……いつも通りだ。」
「そうか。」
ガルドは、それ以上聞かなかった。
昨日もそうだった。
聞きたいことがあるはずなのに、無理に詳しく聞こうとはしない。
それが不思議だった。
「なあ、クリス。」
「ああ。」
「ここには、来たい時に来ればいい。」
「……いいのか?」
「もちろんだ。」
ガルドは当然のように答えた。
「訓練したけりゃ訓練すればいい。」
「飯が食いたきゃ飯を食えばいい。」
「ただ遊びに来ても構わねぇ。」
「行きたいさ。」
私は答える。
本当は毎日でも行きたい。
「でも、毎日は難しい。」
私は少し項垂れる。
「授業もある。」
「武芸の訓練もある。」
現実は、ままならない。
「そうか。」
ガルドは笑う。
「なら、来られる日に来い。」
それだけでいい、と。
「……。」
「お前の席くらい、いつでも空けておいてやる。」
その言葉に、胸の奥が、少しだけ熱くなった。
席。
その言葉を、胸の奥で反芻する。
生まれてこの方、自分が望んだ場所にいることはできなかった。
王家でも公爵家でも、私が生まれた時から勝手に決められていた場所だった。
でも、ここは違う。
自分で来ることができる。
自分の意思で、ここにいたいと思える。
そして、来てもいいと言ってもらえた。
「……ありがとう。」
小さく呟く。
「ん?」
「何でもない。」
「そうか。」
ガルドは深く追及せず、夕焼けに染まる街を眺めた。
私も隣に座ったまま、空を見る。
赤く染まった空。
その色は、ガルドの髪によく似ていた。
ふと、昨日よりも、この場所が近く感じる。
まだ出会って二日目。
ガルドのことも。
ドレイスのことも。
ナージャのことも。
レオンのことも。
何も知らない。
それでも。
(……また明日も来たい。)
そう思った。
それだけで十分だった。
夕暮れの中で、『明日』の価値を、噛み締めた。
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