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捨てられた第一王女ですが、聖剣を手に伝説の傭兵へ成り上がります!【乙女ゲーム前日譚・滅びゆく国を捨てて自分の人生を生き抜く異世界転生】  作者: 穂波 奏
第一章 前日譚

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第十話 公爵邸にて

 日が傾き始めた頃、私は《暁の牙》の建物の前に立っていた。


 少し前まで賑やかだった庭も、今は夕暮れの色に染まり始めている。


「今日はありがとうございました。」


 私は皆へ向かって頭を下げた。


 五歳の子どもがするには、少し堅苦しい挨拶かもしれない。


 でも、ここでは、ちゃんと礼を言いたかった。


 食事を用意してくれたこと。


 薬師へ連れて行ってくれたこと。


 訓練に混ぜてくれたこと。


 そして何より、私を追い返さなかったこと。


「そんなに畏まるな。」


 ガルドが腕を組み、豪快に笑った。


「明日も来るんだろ?」


「……いいのか?」


 思わず聞き返す。


 ガルドは不思議そうに眉を上げた。


「何を言ってる。」


「一度ここへ来たくらいで、追い返したりしねぇよ。」


「また来たけりゃ来ればいい。」


「……。」


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


「また明日な、クリス!」


 レオンが大きく手を振っている。


「ああ。」


 私も小さく手を振り返した。


「また明日。」


 その言葉が、不思議なくらい嬉しかった。


 また明日。


 そんな約束をしたのは、いつ以来だろう。


 ◇◇◇


 公爵邸へ戻る道を歩く。


 街を出て、門をくぐる。


 その瞬間、空気が変わった。


「遅いです、クリス様。」


 待っていた侍女が、開口一番そう言った。


「本日はどちらへ行かれていたのですか?」


「奥様がお待ちです。」


「お召し物も汚れておりますよ。」


 次々に言葉が飛んでくる。


 淡々と、義務感のみの言葉だった。


 怪我はないのか。


 何かあったのか。


 そんな言葉は一つもない。


「……分かりました。」


 私はそれだけ答えた。


 ここでは、これが普通なのだ。


 そう思えば、何も感じない。


 ……そう思っていた。


 けれど、さっきまで聞いていた声が、頭の中に蘇る。


『飯、食ってねぇのか?』


『怪我はねぇか?』


『また明日な、クリス!』


 たった数時間前のことなのに。


 どうしてこんなにも違うのだろう。


「部屋へ戻ります。」


 そう告げて歩き出す。


 背後から、小さなため息が聞こえた。


 私は振り返らなかった。


 ◇◇◇


 部屋へ戻ると、侍女が私の服を見て眉をひそめた。


「泥まで付いていますね。」


「着替えましょう。」


 言われるまま着替える。


 今日一日で、ずいぶん汚れてしまった。


 でもその汚れは、今日ガルドのそばで過ごした証。


 剣を振った。


 地面に転がった。


 レオンと木剣を握った。


 団員たちと笑った。


 その証だった。


 綺麗な服よりも、今日の汚れの方が、ずっと大切に思えた。


「……終わりました。」


「では、夕食のお時間です。」


 感情のない声。


 私は小さく頷いた。


 ◇◇◇


 夕食の席には、いつものように公爵夫妻がいた。


 そして弟も。


 長い食卓。


 整然と並べられた料理。


 食器の触れ合う音だけが、静かな部屋に響いている。


 私は自分の前に置かれた食器を見る。


 他の者たちとは違う。


 私だけが陶器だった。


 もう何年も変わらない。


 理由も知っている。


 銀は毒に反応する。


 だから、私の食事には使われない。


 誰も説明しない。


 誰も隠そうともしない。


 私は何も言わず、料理へ手を伸ばした。


 一口。


 二口。


 味におかしなところはない。


 けれど、しばらくすると、胃の奥にじわりと熱が広がった。


(……入っている。)


 慣れている、と思ってた。


 幼い頃から、何度も経験してきたことだ。


 それなのに、今日はいつもと違った。


 頭の中に、昼間の食卓が浮かんだ。


『遠慮すんな!』


『肉あるぞ!』


『いっぱい食え!』


 騒がしくて。


 うるさくて。


 けれど、温かかった


 同じ食卓を囲んで。


 くだらない話をして。


 笑って。


 誰かが誰かの皿へ料理を勝手に乗せて。


 そんな時間が、ほんの少し前まで、確かにあった。


(……また行きたい。)


 その考えが浮かんだ瞬間。


 私は少しだけ驚いた。


 帰りたいと思ったことはあっても、もう一度行きたいと思ったことなど、今までなかったからだ。


 ふと視線を感じた。


 弟がこちらを見ていた。


 けれど。


「ルカ。食事中ですよ。」


 母親に声を掛けられると、弟はすぐに視線を皿へ戻した。


 それだけだった。


 私は何も言わなかった。


 そして、静かに食事を終えた。


 ◇◇◇


 自室へ戻る。


 扉を閉めた瞬間。


「……はぁ。」


 ようやく息が抜けた。


 私は服の内側から小さな瓶を取り出した。


 薬師から買った解毒薬。


 二本のうち、まだ一本が残っている。


 今夜は身体の熱が強い。


 瓶の蓋を開ける。


 苦い液体を一気に飲み干した。


「……苦い。」


 思わず顔をしかめる。


 けれど、しばらくすると、胃の奥にあった嫌な熱が少しずつ薄れていった。


(効いている。)


 完全に消えるわけではない。


 それでも、何もしないよりはずっといい。


 残りは一本。


 薬は、これで終わりだ。


 また必要になる。


 そのためには金がいる。


(……働かないと。)


 ガルドがくれたものは、使えなかった。


 自分の力で何とかしたかった。


 服屋でベルトを売った金だけでは、長くは持たない。


 いつまでも誰かに頼るつもりはなかった。


 自分の命くらい、自分で守れるようになりたい。


 ベッドへ横になる。


 身体は疲れているのに、今日の疲れは、いつものものとは違った。


 剣を振った。


 走った。


 転んだ。


 笑った。


 久しぶりに、ただ疲れるだけではない一日だった。


 目を閉じる。


 すると、レオンの顔が浮かんだ。


『また明日な、クリス!』


(……明日。)


 その言葉を心の中で繰り返す。


 明日になれば、また会える。


 そう思うと、不思議と安心できた。


 ◇◇◇


 翌朝。


「起きろ。」


 容赦のない声で目が覚めた。


「時間だ。」


「……分かった。」


 身体を起こす。


 眠気は残っている。


 それでも、いつものように支度をする。


 朝の訓練。


 剣を握り。


 木剣を振る。


 何度も打ち込まれ。


 何度も地面へ転がされる。


「立て。」


「……はい。」


 立ち上がる。


「もう一度。」


「はい。」


 それを繰り返す。


 五歳の身体には、決して楽な訓練ではない。


 腕は重い。


 足も痛い。


 それでも。


 昨日、木剣を握った感覚が残っていた。


 ガルドの言葉。


 団員たちの視線。


 そして、自分より遥かに大きな相手から木剣を奪った瞬間。


(もっと強くなりたい。)


 昨日までとは、少しだけ違う気持ちだった。


 以前は、生き残るために強くなろうとしていた。


 けれど今は、もう一つ理由ができた。


 ――また、あそこへ行きたい。


 そのためにも、自分の足で立てるようになりたい。


 訓練が終われば、今度は机へ向かう。


 歴史。


 帝王学。


 礼儀作法。


 政治。


 覚えなければならないことは山ほどある。


 教師の説明を聞きながら、窓の外を見る。


 昼を過ぎ。


 さらに時間が経つ。


 ようやく授業が終わった。


 身体は重い。


 頭も疲れている。


 普通なら、そのまま部屋へ戻って休みたい。


 けど、私は立ち上がった。


(……行こう。)


 足が自然と動く。


 昨日と同じ道を。


 昨日と同じ街へ。


 あの大きな建物へ。


 まだ、昨日会ったばかりだ。


 それなのに。


(また、みんなに会いたい。約束したから。)


 そう思った。


 王家でも。


 公爵家でも。


 これまで私の居場所は、誰かによって決められていた。


 でも《暁の牙》だけは違った。


 来てもいいと言われた。


 また明日と言ってもらえた。


 だから、今日も自分の意思で、そこへ向かう。


 それだけのことが、今の私には、少し嬉しかった。

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