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ゆれる、春  作者: なを
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7/9

結衣

結衣には、恋愛感情というものがよくわからなかった。

中学のとき、クラスの女の子たちが好きな男子の話で盛り上がっているのを、結衣はいつも少し離れたところから聞いていた。嫌いじゃなかった。でも参加できなかった。自分の中に、その話題に対応する引き出しが、最初からないみたいだった。

最初はそれが怖かった。

でも高校で、同じような子と出会って、名前があるとわかった。

アセクシャル、という言葉。

怖くなくなった。むしろ——すっきりした。

自分は欠けているんじゃない。ただ、違う形をしているだけだ。


その代わりと言うわけじゃないけれど——結衣には、人の気持ちがよく見えた。

恋愛感情がわからないから、余計なノイズがないのかもしれない。自分がドキドキしないぶん、他人のドキドキが、静かにはっきり見えた。

だから、全員のことは——ずっと前から、知っていた。


さくらのことは、六月の終わりに気づいた。

カフェで二人で話していたとき、さくらが涼太の名前を出した。その瞬間の、さくらの目。痛そうな、でも痛みの理由をわかっていない目。

結衣はそれを見て、ああ、と思った。

涼太のことが好きなのかもしれない、とさくらは思っている。でも本当は違う。涼太を失いたくない気持ちと、別の誰かへの気持ちが、さくらの中でまだ混ざっている。

別の誰か——結衣自身のことだと、そのときすでに、うっすら思っていた。

でも言わなかった。

さくらが自分で気づかないうちは、言う必要がない。


蓮のことは、花火の夜に確認した。

朔を見る目を、さくらと二人で見た。ああやっぱり、と思った。

蓮は明るくてよく笑うから、わかりにくい。でも笑い声のトーンが、涼太の前だけ少し違う。少しだけ、本気の音がする。

蓮は気づいていない。

たぶんしばらく気づかない。


朔のことは、最初から見えていた。

花火の夜より前から。

蓮の話をするときの朔の声が、他の話題のときと違う。無口な朔が、蓮の話だけは、ちゃんと言葉を持っている。

朔は人の気持ちに敏感なくせに、自分の気持ちだけ後回しにする。そういう人は結衣の周りに何人かいた。いつも他人を先に考えて、自分を最後にする。

朔は蓮が幸せならいい、と思っている。

でもそれは、朔が幸せじゃなくていい、ということじゃない。

結衣はそれが少し、心配だった。


涼太のことは——これが一番早かった。

初めて会ったとき、涼太が蓮を紹介した瞬間に、もうわかった。

声の温度が違った。

涼太はさくらを紹介するとき、「幼なじみ」と言った。朔を紹介するとき、「蓮の友達」と言った。

でも蓮を紹介するとき——涼太は何も言わなかった。

ただ「蓮」と言って、少し笑った。

説明がいらないくらい、大事な人には、説明をしないものだ。

結衣にはそれがわかった。


七月の終わり、結衣は一人でお茶を飲んでいた。

窓の外は夕暮れで、空が橙と紫に染まっていた。

スマホに、さくらからLINEが来た。

「ねえ結衣、今夜電話していい?」

結衣は少し考えた。

さくらが電話したいというときは、何か言いたいことが溜まっているときだ。

*「いいよ」*と打って、お茶を一口飲んだ。

さくらは気づいてきた。自分の気持ちの輪郭に。

結衣はそれがわかった。

嬉しいような、少しこそばゆいような——これは何の感情だろう、と結衣は思った。

恋愛じゃない。でも確かに、温かい。

さくらのことが、大切だ。

それはずっと知っていた。

でも今夜は、その大切さがいつもより、少しだけ鮮やかだった。


結衣は窓の外を見た。

空の橙が、少しずつ紺に変わっていく。

五人全員が、それぞれの答えに向かって、少しずつ動いている。

結衣にはそれが見えた。

自分だけが止まっているわけじゃない。

自分は自分の形で、ちゃんと動いている。

満ちているから。

それだけで、十分だった。


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