級友の放浪: 強奪
◆◇
村の入口に、三台の幌馬車が姿を現した。
先頭の御者台には、上等な外套をまとった男が座っている。
その男は静まり返った村を見回し、不審そうに眉をひそめた。
「おい。迎えも出さずに、何をしている!」
物陰から出たのは、君島と東の二人だけだった。
「遅くなってすみませーん!」
君島が、何事もなかったかのような明るい声を上げながら馬車へ近づいていく。
その半歩後ろを、東がついていく。
残った者たちは家屋や塀の陰に身を潜めたまま、二人の様子を窺っていた。
相馬も、崩れかけた壁の隙間から先頭の馬車を見る。
予定どおり。
まず君島が相手を引きつける。
東の〈催眠〉は、相手と目を合わせなければ効果を発揮できない。
いきなり顔も知らない者が正面へ出て一人ずつ目を覗き込めるほど、相手も油断はしていないだろう。
そのための君島だった。
「何だ、お前たちは」
先頭の御者台に座った男が、訝しげに二人を見下ろした。
他の七人とは明らかに質の違う服装。
おそらく、あの男が商人。
「いやー、すみません。ちょっと色々ありまして」
君島が困ったように笑う。
「今日は僕たち二人で、あなた方を迎えるように言われて、お待ちしておりました」
「何かあったのか? マーロフたちはどうした?」
「皆総出で狩りへ出払っていまして……まだ戻っていないんです」
「は? 全員でか?」
「そのようでして……戻るのが間に合わなかった場合は、この場にいる者が対応するようにと言いつかっています」
もちろん嘘だ。
だが、君島の口調に淀みはない。
〈話術〉。
相手を操ったり、嘘を真実だと思い込ませたりするほどの力ではない。
ただ、その場で会話を取り繕う。
少しくらい不自然な言葉でも、不思議と聞き流してしまう。
今のような状況では、それだけでも充分だった。
「お前たちは、この村の者ではないな」
「そうですね。少し前にここへ来たばかりなんで」
「……商品か?」
「旅人だったんですが……まあ、今はそんな感じです」
曖昧な返答にもかかわらず、商人はすぐには疑いを強めなかった。
君島が自然に会話を繋いでいる横で、東が静かに顔を上げる。
商人と視線が合った。
――今だ。
東の瞳が、僅かに光を帯びた。
だが。
「……?」
商人は、眉を顰めただけだった。
催眠状態になると目が虚ろになるが、正気を保っているように見える。
意識を失うどころか、眠そうな様子すら見せない。
東の表情がほんの僅かに強張った。
(効いてない?)
離れたところから見守っている相馬も、東の様子に違和感を覚え、眉根を寄せる。
東がもう一度、男の目を見る。
数秒。
それでも何も起こらない。
「……何だ?」
商人が東へ視線を向けたまま、不快そうに言った。
「さっきから私の顔を見ているが」
「あ、ご、ごめんなさい」
東が慌てて目を逸らす。
君島がすぐに間へ入った。
「あー、すみません。この子、人と話すのがちょっと苦手で」
「……そうなのか?」
「仕事はしますので、気にしないでください。それより、長旅でお疲れでは? 滞在の用意はできていますので、こちらへどうぞ」
君島が卑屈そうな笑みを浮かべて、母屋を指す。
商人はまだ怪訝そうではあったが、それ以上は追及しなかった。
東は君島の影に半歩隠れるように位置を変える。
今度は商人ではなく、その隣に座っていた御者へ視線を向けた。
目が合う。
男が一度瞬きをした。
「……ん?」
次の瞬間。
目の焦点が合わなくなり、ぼうっとし始めた。
商人は君島に言われるがまま御者台から降りようとするが、隣にいる御者は座ったまま、全く動かない。
「どうした? とりあえず降りるぞ」
肩を軽く押すが、反応はない。
「おい」
「大丈夫ですか?」
東が心配そうな表情を作って馬車へ一歩近づき、御者に何事か小さく声をかける。
「……問題ない」
御者はそう言って、御者席から降りた。
東はそのまま世話をしているように見せつつ、二台目へ視線を向ける。
御者と護衛が、前方の様子を気にしてこちらを見ていた。
同じ要領で次々と目を合わせていく。
商人と会話を続ける君島の後ろで、馬車に乗っていた者たちが一人、また一人と静かになっていった。
「それで、この村の者たちはどこにいる」
商人が苛立ったように問いかけた。
「それがですねぇ」
君島がわずかに首を傾げる。
「僕らもよく分かってなくて」
「分からない?」
「はい。来た時にはこんな感じで」
君島が村を見回した。
商人も釣られて視線を動かす。
「誰もいなくて。それで、こうやって人手に借り出されてるんです」
「……」
「ここって、前からこうなんですか?」
「そんなわけがあるか」
商人は吐き捨てるように答えた。
「今日ここへ来ることは、奴らも知っているはずだ。なのに、なぜ仲間を誰も残していない?」
作り笑顔を浮かべていた君島の口角が、僅かに引き攣る。
――まずい。
東の催眠が効かなかったことに加えて、君島の〈話術〉でも、商人の警戒を完全には逸らせていない。
「それは僕らにはなんとも……良い獲物がいると張り切って出かけて行かれましたよ」
「……なるほど」
「ええ」
商人を母屋へ案内する足を進めながら、君島は目の端で東を見る。
まだ一人、残っている。
東が護衛の一人へ視線を送る。
目が合った。
男の身体が揺れる。
一瞬、目が据わり始め――。
「……っ」
男が、突然自分の頬を強く叩いた。
東の目が見開かれる。
「なんだ、今の……」
護衛の男は頭を振り、周囲を見回した。
「急に……頭が……」
東はすぐにもう一度男の目を見る。
「……!」
男の身体が再び揺れた。
しかし、その目は鋭く、正気を保ったままだ。
歯を食いしばり、踏ん張る。
「お前……」
男が東を見る。
「今、何かしたな?」
東の表情が固まった。
「何かしただろ!」
大声が周囲に響いた。
同時に男が腰の剣へ手を伸ばす。
「おい!」
商人も振り返る。
そこでようやく、異変に気づいた。
「……何だ、これは」
御者に、護衛。
先ほどまで普通にしていた者たちのほとんどが、東にその場で待つよう指示されたまま、虚空を見つめて身動きひとつしていなかった。
「お前ら!」
商人が勢いよく立ち上がった。
君島が咄嗟に一歩下がる。
「あー……」
ここまでくると、もう誤魔化せる状況ではない。
〈話術〉があっても、目の前の光景そのものを消せるわけではなかった。
「何をした!」
「東!」
君島が叫ぶ。
東がすぐに商人を見る。
再び視線が交わる。
〈催眠〉。
だが。
――弾かれた。
今度ははっきりとわかった。
目には見えない何かが、一瞬だけ商人の身体を覆った。
薄い膜のようなものが揺らぎ、すぐに消える。
「……っ!」
東が息を呑んだ。
「また効かない……!」
「何?」
商人は何が起きたのか分からない様子だったが、胸元で淡く光った装飾品には気づいたらしい。
服の内側。
そこから覗いたのは、小さな銀色の装飾品だった。
石のようなものが嵌め込まれている。
それが何なのかまでは分からない。
だが。
東の力を防いでいる。
それだけは明らかだった。
「魔道具……?」
東が呟く。
「貴様ら……!」
商人の顔から先ほどまでの余裕が消え、額に青筋が立つ。
外套の内側へ手を入れた。
「君島、下がって!」
東が叫ぶ。
次の瞬間。
商人が何かを投げた。
「っ!」
君島が咄嗟に腕で顔を庇う。
乾いた音。
小さな金属片のようなものが、君島の腕へぶつかった。
「君島!」
「大丈夫!」
君島は腕を押さえながら後退した。
痺れるような違和感はある。
だが。
「……マジ?」
商人の攻撃を受けて服の袖口は裂けていたが、そこから覗く肌には、傷一つついていなかった。
これも召喚後に変化したと思われる身体強化のおかげか。
それとも、相手の攻撃自体がそこまで強くなかったのか。
考える暇はない。
「敵だ! 正気に戻れ!」
抵抗した護衛が叫び、仲間の顔を殴打していく。
近くにいた二人が催眠状態から無理やり覚醒させられ、武器へ手を伸ばす。
「……これ以上は無理か」
君島が〈念話〉で叫んだ。
(相馬!)
「——全員出て!」
その声を待っていたように。
家屋の陰。
崩れた塀。
路地。
村のあちこちから、隠れていたクラスメイトたちが一斉に飛び出した。
「なっ……!?」
商人たちが息を呑む。
次々と姿を現す少年少女たちに、護衛たちの顔色が変わっていく。
完全な無人に見えていた村。
そこから突然、十人を超える人間が現れたのだ。
「囲め!」
河内の声に合わせ、それぞれが馬車を取り囲む。
「武器を落とせ! 抵抗しなけりゃ何もしない!」
「ふざけるな!」
護衛の一人が剣を構えた。
鏑木がその正面へ出る。
「まあ、そうなるよな」
軽く拳を握り、腰を落とす。
「河内」
「何だ?」
「後で覚えてろよ」
「何で?」
商人側でまだ動ける者は四人。
そのうち一人は、東の催眠に抵抗した護衛。
もう二人も剣を抜いている。
そして。
商人本人。
「東、あいつは」
「商人は何かで防がれてる。先に護衛をお願い」
「分かった!」
河内が頷き、護衛たちの方へ向き直る。
東は視線を切り替える。
抵抗できていた護衛の男は、何かに気づいた。
「目を見るな!」
突然叫ぶ。
「こいつ、目で何かしてるぞ!」
「あ」
東が間の抜けた声を漏らした。
残った男たちが一斉に視線を逸らす。
「……さすがに、ばれた」
東はそそくさと後方へ下がる。
代わりに前へ出た者たちが武器を持つ男たちと向かい合う。
一触即発。
相馬は素早く周囲を確認する。
催眠状態の四人。
動ける護衛が三人と、商人が一人。
馬車は三台。
こちらは十八人。
人数だけなら圧倒的だ。
だが、相手が何を持っているのか分からない。
特に、あの商人。
東の催眠を弾いた。
そのうえ、飛び道具まで隠し持っている。
「みんな、油断しないで!」
相馬が声を張る。
「殺さない! 馬も傷つけない! でも、やられる前にやって!」
「無茶言うなっ」
「しょうがないでしょ!」
「来るぞ!」
河内の声と同時に。
護衛の一人が、地面を蹴った。
真正面にいた河内へ剣を振り下ろす。
「うおっ」
河内は横へ身を逸らして躱し、そのまま男の懐へ潜り込んだ。
手首を掴む。
「離せ!」
「そっちが先に離せって!」
振り解こうとする男と揉み合う。
そこへ、横からひやっと冷気が漂った。
「河内、退いて!」
千田の声。
河内が咄嗟に手を離すと、男の両脚へ細氷が纏う。
「なっ——」
足を取られ、そのまま地面へ倒れる。
「今だ!」
近くにいた鏑木と海上が飛びかかり、男の腕を押さえつけた。
一方、別の護衛は剣を振り回しながら馬車へ後退していた。
「来るな!」
「一応聞くけど、投降して?」
「黙れ!」
「だよねぇ」
こちらは大人数で囲み、相手は訳も分からないまま襲われている。
少なくとも商人たちから見れば、完全にこちらが盗賊だった。
危害を加えるつもりはないと示すように両手を上げていた多賀谷も、諦めたように溜息を吐いた。
「……気乗りしないけど、仕方ないか」
腰に下げていた剣を渋々抜く。
「——〈弱体〉」
スキルを発動して、剣を振り上げた。
その瞬間、男の身体から急に力が抜けて、剣を落としそうになる。
その隙をついて、多賀谷は男の剣を弾き飛ばし、柄で鳩尾を打った。
「ぐっ!」
男は片膝をつき、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「……はやっ」
すかさず縄を手に駆け寄ってきた埴生が、多賀谷の手際に顔を引きつらせながら、男を縛り上げていく。
残る一人も悪態を吐きながら抵抗していたが、有原が棍棒で制圧し、すでに縄で縛り上げていた。
「い、痛! やめろ! なぜこんなことをする!」
「なんでだろうねえ……」
そのことをよくよく考えたくもない有原は遠い目をして、喚く男を無視することにした。
少し離れたところから様子を見ていた相馬は、息を吐く。
あとは――。
振り返る。
商人だけが、まだ立っていた。
「貴様ら……こんなことをして、ただで済むと思うなよ」
顔を怒りで赤くし、外套の中へ片手を入れている。
「大人しく従ってくれたら、怪我はさせません」
相馬が前へ出る。
「ちょっと協力して欲しいことが」
「ふざけるな!」
再び手が振られた。
「相馬!」
武石が横から相馬を引っ張る。
何かが頬のすぐ横を通り抜け、背後の木壁へ突き刺さった。
細い金属製の針だった。
「……わかった! 話はもう無理ね」
頬を掠めたような感触がして、相馬は恐る恐る手を当てる。だが、傷はなかった。
それでも肝を冷やした相馬は、顔を青ざめさせて叫ぶ。
「〈設定〉」
そばにいた武石がゆらりと動き、そのまま商人へ踏み込む。
有無を言わさず、拳を振り抜いた。
だが。
「っ!?」
商人へ届く寸前。
透明な壁のようなものが一瞬だけ浮かび上がった。
「……っ!」
鈍い音とともに、武石の拳が弾かれる。
「……何だ今の」
武石が右手を振りながら距離を取った。
商人本人にも驚いた様子はない。
むしろ、ようやく勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「下賤な者が。私に触れられると思ったか」
先ほど見えた銀色の装飾品。
中央にはめ込まれた石が、今は淡く光っている。
東が呟く。
「私の催眠を防いだ時も、あれが光った」
「結界?」
「たぶん」
商人は再び外套へ手を入れた。
「皆、離れて!」
今度は全員が警戒する。
正面から攻撃しても届かない。
東の催眠も効かない。
なら。
「……〈設定〉」
相馬がさらにスキルを発動した。
上総が地面に手をつき、等身大のゴーレムを生み出す。
ゴーレムが商人へ突進し、大きな腕を振り下ろした。
「……ぐっ!」
透明な膜が現れ、拳を受け止める。
鈍い音。
ゴーレムの腕が弾かれた。
だが、その直後。
胸元の石から光が一瞬だけ消えた。
武石が再び商人へ踏み込む。
同時に、商人の手元から、金属針が放たれた。
武石の目は正確にそれを捉え、身を捻ってそれを避けると、そのまま胸元へ手を伸ばした。
「やめろ!」
銀色の装飾品を繋ぐ鎖を掴む。
今度は、結界が発動しない。
鎖が大きく軋み――。
ぷつん。
切れた。
「くそっ!」
装飾品が地面へ転がり、光が消える。
「……!」
「今度こそ!」
東が商人の目を見た。
視線が合う。
「貴様——」
言葉が途切れた。
男の目から、急速に力が失われていく。
「……」
「座って」
「……分かった」
商人はその場へ大人しく腰を下ろした。
しばし。
誰も動かなかった。
「……終わった?」
「たぶん」
「縄!」
相馬の声で、ようやく皆が動き出した。
催眠にかかっている者も含め、八人全員の手を縛る。
武器を回収。
隠し持っているものがないかも確認する。
商人の銀色の装飾品は、念のため収納バッジへすぐに仕舞った。
「馬車は?」
「三台とも大丈夫」
「馬も怪我してない」
「荷物もたぶんそのまま」
次々と報告が飛んでくる。
相馬はようやく肩の力を抜いた。
「……成功、ってことでいいのかな」
「こりゃ、完全に強奪だな」
鏑木が答える。
「言い方……でも、まあ、そうね」
改めて見る。
三台の幌馬車。
縛られた八人。
散乱した武器。
そして、それを取り囲む高校生たち。
「でも、馬車は手に入った」
「そうだけどさぁ……」
相馬は深く息を吐いた。
何はともあれ。
これで、ようやく徒歩だけの移動から解放される。
何日も意識を失ったままの子供を、この先も抱えて歩き続けるわけにはいかない。
「荷物を確認して、使えそうなら三台とも借りるよ」
「借りる?」
河内が聞き返す。
「……用が済めば返すんだから」
「ええ? せっかくだし貰っておけばいいじゃねえか」
相馬は頭を抱えながら、改めて馬車を見上げた。
まさか異世界へ来て、自分たちが馬車強盗をすることになるとは。
数日前の自分に言っても、絶対に信じなかっただろう。
それでも。
移動手段は、手に入った。




