赤い瞳
◆
その日の買い物を終えて客室へ戻ると、沙奈は借りてきた本を机の上に広げた。
「まだ読み切れてなかったやつとかを、色々借りてみたの」
図書館から借りてきたもののうち、魔人の身体や生態について書かれた本だ。
乃愛も向かいのソファへ腰掛ける。
図書館では、絵本から思わぬ神話へ辿り着き、結局そちらに時間のほとんどを取られてしまった。
元々、魔国へ来た大きな目的の一つは東の身体について調べることだった。
特に急いで対策を考えたいのは、血液の摂取と、聖剣に対する異常なまでの恐怖だ。
聖剣については、逸話などがありそうだったため、神話関連の本も注意深く見ていたが、それらしい話は出てこなかった。地下遺跡では魔人ザロフが何か知っていそうだったが、聖剣自体は人族の国にあったものなので、魔族側では一般の書物に載るような情報はほとんどないのかもしれない。
「まず、身体的特徴からでいい?」
「うん」
沙奈は目次を確認し、該当する頁を開いた。
最初に書かれていたのは、平均的な体格についてだった。
「男女ともに、ヒューマンより平均身長が高い」
「……まあ、それは、その通りだね」
魔国へ来てから何人もの魔族を見てきたが、確かに背の高い者が多かった。
乃愛自身が小柄なこともあって、余計にそう感じる。
ただし、それ以外の骨格や身体構造について、大きな違いがあるとは書かれていない。
耳が長いわけでもなければ、角や翼が生えているわけでもない。
肌の色も一様ではなく、白い者もいれば褐色の者もいる。髪も同様に様々だった。
「褐色肌と金髪の割合が、ヒューマンより高い。……確かに多いかも?基地で見かけた人たちやジンバウムさんもそうだし」
「……うん」
だからといって、それだけで魔人だと見分けられるほどではない。
金髪も褐色の肌も、ヒューマンに存在しない特徴ではなかった。
沙奈はそのまま文章を追っていく。
やがて、ある一文で視線が止まった。
「……瞳」
「え?」
「魔人の瞳は、赤色なんだって」
乃愛は身を乗り出した。
「全員?」
「うん。濃淡には個人差があるけど、基本的には、赤」
そこだけは、明確にヒューマンと異なる特徴として記されていた。
今日読んだ絵本に描かれていた魔人も赤い瞳をしていたが、乃愛はそのとき、単なる絵の表現だと思って深く考えていなかった。
「……だから、黒い眼鏡?」
ぽつりと呟く。
沙奈も同じことを考えたらしい。
「あー……目の色を隠してるとか?」
「……かも」
元の世界では、赤い瞳はかなり珍しかったはずだ。しかし、この世界ではどういう扱いなのかはわからない。
魔国を訪れる前から、何度となく目にしてきた黒い眼鏡。
人族の国にあった駐屯地の兵士。
迎賓館にいる警備兵や使用人。
市場の店員。
街を歩く人々。
全員ではないものの、かなりの割合の者が身につけていた。
最初は日差しを避けるためか、あるいは魔人特有の弱視や光への過敏さでもあるのかと考えた。
だが、本を読み進めても、そのような記述は見当たらない。
「視力や光に弱いとかは……書いてないね。むしろ身体能力や魔力は全体的にヒューマンより高め、と」
「……うん」
それなら、眼鏡を必要とする身体的な理由は見当たらない。
瞳の色を隠すため。
そう考えれば、一応は筋が通る。
「でもさ」
沙奈が頬杖をついた。
「眼鏡してない人もいたよね」
「……いた」
「赤くなかった人も」
「うん……エレナさんとか」
乃愛も覚えている。
館でも街でも、黒い眼鏡をかけていない大人を何人か見かけていた。
その全員を注意深く観察したわけではないが、少なくとも、瞳が赤くない者を見た覚えはある。
「本が間違ってる?」
「どうだろ。魔族についての本で、一番分かりやすい特徴を間違えるかな」
沙奈が首を捻る。
「眼鏡以外にも隠す方法があるのかな」
「魔術や魔道具……とか?」
「そうなると、もうなんでもありだからなぁ」
だが、確かめる方法がない。
じっと相手の瞳を覗き込むわけにもいかないし、眼鏡を外してくれと頼むのはもっと不自然だ。何より、ジンバウムは拒否していた。
「それと……」
乃愛は、もう一つ気になっていたことを口にした。
「子供」
「こども?」
「今まで見かけた子たちは、黒い眼鏡……してなかったと思う」
沙奈が少し黙った。
記憶を辿っているらしい。
「……そういえば、見てないかも」
「……うん」
駐屯地で給仕してくれた少年。
街ですれ違った子供たち。
市場で親に連れられていた幼い子。
乃愛の記憶にある限り、黒い眼鏡をかけた子供はいなかった。赤い瞳をしていた記憶もない。
「じゃあ、眼鏡で瞳の色を隠してるっていうのも、決めつけられないね」
「そうだね」
「まあ、眼鏡については保留かな。今のところ、無理に調べるようなことでもないし」
沙奈の言葉に、乃愛も頷く。
結局、黒い眼鏡の理由は分からないままだ。今は保留にしておくしかない。
「それより、東さんだね」
「……うん」
乃愛は本へ視線を戻した。
東の外見には、異世界へ来る前と比べてほとんど変化がない。
少なくとも、乃愛たちが見て分かる範囲では。
鑑定上の種族は変わった。
血液を摂取しないと腹が満たされない。
聖剣の放つ光が怖い。
並べてしまえば、自分たちとの違いはたったこれだけだ。
身体能力が高いなどの特徴は、ネオヒューマンとなっている乃愛たちにも共通しているため、必ずしも魔人特有のものではないはずだ。
見た目だけで言えば、ヒューマンともほとんど変わらない。
「……魔人自体が、見た目はヒューマンとほとんど変わらないなら」
「東さんの見た目が変わってないのも、おかしくはないか」
「うん」
むしろ当然なのかもしれない。
角が生えるわけでも、耳が伸びるわけでも、肌の色が変わるわけでもない。
決定的な違いが瞳の色だけなら、東の種族が魔人へ変化していても、見た目だけでは気づきにくい。
「でも、目が赤くなったわけでもないし」
「……うん。茶系だった気がする」
「夜目が利いたり、視力が良くなったのは、私たちも同じだし」
「そうだね……」
乃愛は沙奈から本を受け取って、頁をめくる。
身体能力。
魔力。
成長。
食事。
魔素の摂取。
知りたかったことはいくつも載っている。
けれど、東の状態にそのまま当てはめられるものは少なかった。
何しろ東は、生まれながらの魔人ではない。異世界へ召喚されたことで、突然、魔人へ種族が変化している。
その時点で、普通の事例を探す方が難しい。
「……結局、また分からないことが増えた」
「調べ物ってそんなもんじゃない?」
沙奈が笑う。
「一個分かると、二個くらい疑問が増えるんだよ」
「はぁ……そうなのかな」
「でもまあ、東さんがいきなり角生えたり肌真っ青になったりする心配はなさそうだし」
「それは……そうだけど」
「本人には朗報でしょ。ただ……」
「ただ?」
「ん、いや、なんでもない」
少し考え込むような仕草をした沙奈に首を傾げたが、軽く笑って誤魔化されてしまった。何か引っかかることでもあったのだろうか。
だが少なくとも、魔人だからという理由だけで、今以上に身体が突然変化するような警戒をする必要はなさそうだった。
瞳のことだけは、ひとまず頭の片隅に留めておくことにした。
乃愛はそのまま、次の項目へと頁をめくった。
◆
夕食を終え、館内が静まり始めた頃。
「準備いい?」
「うん」
乃愛は〈収納〉の中身をもう一度確認した。
鑑定と同じような見え方で、目の前に一覧が乃愛にだけ見えるように投影されている。
今日買い集めた食料や日用品。
クラスメイトたちから頼まれていた品々のうち、すでに揃ったもの。
服や靴など、まだ受け取れていないものは後日になるが、それ以外だけでもかなりの量になっている。
「じゃ、行きますか」
沙奈が乃愛の手を取った。
周囲の気配を確認する。
客室には二人の幻影を残してある。
乃愛の結界にも異常はない。
「……おねがいします」
「はーい」
景色が一瞬で切り替わった。
次の瞬間には、見慣れない夜の風景が広がっていた。
魔国の整然とした街並みとは、あまりにも違う。
古びた家屋。
荒れた地面。
そこに広がっていたのは――人の気配がまったくない、静かすぎる村だった。
「……ここ?」
「うん。相馬さんがいる位置に飛んだから、間違いないはず」
「あ……志津さん? 美濃さん?」
声に振り返る。
東が、驚いた顔でこちらを見ていた。
その声を聞きつけて、少し離れた場所から何人かがわらわらと集まってくる。
「お、本当に来た」
「転移って便利だなー」
「買い物どうだった?」
「こんな遅くにごめんねぇ」
「肉、早く食いたい」
「ちょっと待って、一気に喋らないで」
沙奈が片手を上げる。
その奥から相馬も歩いてきた。
「二人とも、お疲れ。元気そうで良かった。……悪いね、色々頼んじゃって」
「いいよいいよ。こっちも必要なもの買うついでだったし」
購入量を比べると自分たちの買い物の方がついでだったように思わなくもないが、沙奈は笑って軽く流した。
一方、乃愛は、それほど日が空いたわけでもないのに、早くも人見知りを発揮して沙奈の後ろで身をすくめていた。
きょどきょどしながら辺りを見回すが、明かりが全く見えず、なんだか妙な場所に見える。
「ここに住んでる人たちは……?」
「あー……私たちが来た時には、すでに誰もいなかったんだよね」
「……そういえば、魔族の国に行く前、この国で見かけた村に立ち寄ったんだけど、そこももぬけの殻だったな。この国の人たちはどこに消えたの?」
相馬の返答に、沙奈はその時の光景を思い出しながら、疑問を口にする。
「ここの一つ前の村には住人がいたから、そこの人たちに聞いたんだけど、どうやらみんなこの国を捨てて他所の国に逃げてるらしいよ」
それを聞いて、乃愛と沙奈は揃って目を瞬いた。
「え、みんなって……村ごと?」
「うん。……見ての通り」
そう言って相馬は遠い目を周囲に向ける。そこには、月明かりに照らされた家々が、侘しくひっそりと立ち並んでいた。
「……それで? 前の村で……商人を襲ったって聞いたけど」
気を取り直した沙奈が、経緯を省略して送られてきたメッセージの件を尋ねる。
「色々あってね」
相馬が苦笑した。
「その色々、詳しく聞きたいところだけど」
沙奈がそう言いながら、近くにあった空き箱へ腰掛ける。
「その前に、頼まれてたもの渡しちゃうね」
乃愛も〈収納〉を開いた。
食料。
布。
調理器具。
細かな日用品。
次々と取り出していくたびに、周囲から声が上がる。
「おおー!」
「果物ある?」
「あるけど、ちょっとだけだからね」
「肉は?」
「それもある」
「僕が頼んだやつは?」
「えっと、どれ?」
「あ、これこれ!」
「……全部広げて見てもらったほうが早いか」
あっという間に騒がしくなり、沙奈は早々に自分で配るのを諦めた。
荷物を分け終えた頃には、乃愛も何を誰に渡したのか分からなくなっていた。
「はぁ……つかれた……」
「ねぇ、このおもちゃみたいなの、何?」
乃愛が一息ついていると、横で椎名が目を輝かせていて、ある一点を見つめていた。
「あっ……それはその、お、お風呂、だよ」
「これが?バスルームのミニチュアってこと?」
手に収まるサイズのそれを、椎名は不思議そうに様々な角度から見回す。最低限の必需品ばかりが並ぶなかで、一際場違いなものに見えていた。
乃愛は口を開こうとして噤んだ。下手に説明するより、見てもらったほうが早い。
店員から聞いていた使用方法を思い出しながら、魔道具を手に取って操作する。
「わっ」
椎名は思わず仰け反った。
乃愛も目を丸くして固まってしまう。
乃愛の手にあった小さな塊が、突如ぐんっと大きくなり、目の前に個室が現れた。
「な、なに、これ……」
椎名は後退りしながら訝しげにそれを見つめる。
傍目からは、ドアが一つ付いているだけの縦長の大きな黒い塊にしか見えず、とても怪しい外観だった。
「……たぶん、」
説明だけは聞いていたものの、乃愛もいま初めて目の当たりにしたので、恐る恐る引き戸の取手に手を掛けた。
中を覗き見ると、灯りがつき、想像していたよりもゆったりめの空間が広がっていて、乃愛はにっこりする。
「うん、おふろ」
嬉しくなって振り返れば、ガヤガヤとみんなが集まってきていた。
「お風呂に入れると聞いて」
「まじ? え、こんなところで?」
「何日ぶりだろー」
「あたし! いま入りたい!」
椎名が皆を押し除けて、はいはいと手を挙げながら一番乗りを主張する。
「えっと……実はもう一つあって」
言いながら、乃愛は残りを起動して横に並べて置いた。
「こっちは、男子組にと思って……」
「おおー! 俺らのも別にあんの! 助かるよ、志津さん」
「ほんとありがとー! 美濃さんに続いて志津さんも神だわ……めちゃくちゃ嬉しいっ」
男子では上総が思いのほか喜んでいて、女子は椎名を筆頭にほぼ全員が感極まっている。
その皆の喜びようを見て、思わず乃愛は頬を綻ばせる。やはり、どこであっても人並みの生活を送ることは、何よりも大切なことだ。風呂は命の洗濯とは誰が言ったのだったか。たとえ魔術によって清潔さを保てていても、精神的な疲労までは取れない。風呂に浸かることは、人の営みの中でもかなり大事な部類であると思う。
一通り使い方の説明をして、収拾のつかないじゃんけんが始まった頃合いで乃愛はその場から離脱し、沙奈と合流しようと辺りを見回す。
沙奈は相馬と顔を突き合わせて、少し離れたところで何事か話し込んでいた。
「それで」
沙奈が改めて切り出した。
「メッセージでも読んだけど、結局何があったの?」
沙奈の視線は、少し離れたところにいる新田の腕の中へ向けられている。まさか同行者がこんなに小さな子だとは思わず、困惑を隠せないでいた。
「どこから話そうかな……」
相馬は少しだけ考えてから、ゆっくりと話し始めた。
それは彼らがこの村へ辿り着く、数時間前のことだった。




