魔国の常識
絵本を閉じたあとも、乃愛はしばらく表紙から目を離せなかった。
描かれていたのは、あくまで子供向けの神話だ。
どこまでが史実で、どこからが後世に付け加えられた物語なのかは分からない。太古に存在したというハイヒューマンが、本当に大地の神の眷属だったのか。それとも、優れた力を持つ古代人を神話になぞらえて表現しただけなのか。
けれど、ヒューマンと魔人が同じ種族から分かれたという話は、東の体に起きた変化を考えるうえで無視できないものだった。
対して、東以外のクラスメイト全員はネオヒューマンという種族だった。こちらについても、まだよく分かっていない。実際に同じ種族を見かけたことはなく、スキルや本から得た知識にも、その名は一度として出てきていなかった。
「他の本にも、同じようなことが書かれてないかな」
「探してみよっか。絵本だけじゃ、どこまで信じていいか分かんないし」
沙奈が席を立ち、二人は手分けして本棚を巡った。
神話や伝承を扱う棚には、雷神や大地の神を題材にした本がほかにも何冊か並んでいる。
しかし、内容には少しずつ違いがあった。
大地の神が人の王と結ばれるところまでは共通しているものの、その後は、王が怒りによって雷神へ変じたとするものもあれば、もともと雷神だった王が人の姿を借りていたとするものもある。
ヒューマンと魔人の分岐についても、神々の争いで民が二つに引き裂かれたとする本がある一方、住む土地の違いによって姿が変わったとだけ記すものもあった。
「大筋は似てるけど、細かいところはばらばらだねぇ」
「……昔の、話だから?」
「古代ってなると、さすがに歴史が一続きってわけにもいかなくなるよね。国や時代によって、都合よく変えられてる可能性もありそう」
沙奈は数冊の本を重ね、頁の間に指を挟んだまま見比べている。
乃愛も隣から覗き込んだが、現在のヒューマンと魔人がどのように成立したのか、詳しい過程を説明しているものはなかった。
共通しているのは、かつて一つだった民が二つに分かれたということ。
そして、魔人の祖先は雷神とともに北へ渡ったとされていることだけだった。
「魔人の身体について書かれた本も探してみる?」
「うん。東さんに、起きたことの……手掛かりが、あるかも」
神話の本を元の場所へ戻し、今度は種族や身体に関する棚へ移る。
そこには魔人の身体構造や病気、食生活についてまとめられた本が並んでいた。専門的なものが多く、絵本ほど簡単には読み進められない。
乃愛は目次を頼りに、それらしい項目を探していく。
魔人は、ほかの種族より体内に魔素を蓄えやすい。
暗所でも物を見ることができ、身体能力にも優れる反面、土地や食物から得られる魔素の影響を受けやすい。体内の均衡が崩れると、意識が朦朧としたり、感覚異常などを引き起こすことがあるという。
魔素をほとんど含まない食事を長期間続けた場合は、突然意識を失って倒れ、全身が硬くなった後に激しく痙攣したりと命にも関わるらしい。
「なんか、どこかで聞いたような症状……」
「……そういえば、東さん、てんかん持ちって言ってたね。それに似てる」
「元々の体質と関係あったり……?」
「……」
乃愛の言葉に、沙奈は考え込む。沙奈には、東から聞かされていることがあった。元の世界にいた頃から、彼女は定期的に血液を摂取する必要があったという。
しかし、今読んでいる本には、そのような記述は見当たらない。その代わり、乃愛たちと違う点で言えば、魔素の摂取が必要という事実は無関係だとは思えなかった。
「ヒューマンが魔人へ変化した事例、みたいなのは載ってない?」
「今のところは……ない、かな」
二人でもう何冊か調べてみたものの、後天的な種族の変化について触れた記述は見つからなかった。
病気や怪我による一時的な身体変化はあるが、それは東のそれとは明らかに違う。
また、異なる種族間に生まれた子供については扱いが特殊らしく、この本にも詳しい記述はなかった。
「さすがに、答えそのものは置いてないかぁ」
沙奈が椅子の背にもたれ、凝り固まった肩を回す。
乃愛は開いた本を片手に、これまでに分かったことをスマートフォンのメモへ簡単にまとめていった。
画面を閉じようとしたところで、上部に新しい通知が現れる。
「あ……相馬さんから、返信」
「ちょうどいいところに来たね。なんて?」
乃愛がメッセージを開くと、昨夜送った問いへの返答が届いていた。
商人一行の馬車には、自分たちで消費する予定だった食糧に加え、賊へ卸すための商品も相当量積まれていたらしい。
村人へ分け与えたものを除いても、関所までの道中を凌ぐ程度は残る見込みだという。
そのため、急いで大量の物資を用意する必要はなくなった。
ただし、最後に一文だけ、切実そうな要望が付け加えられていた。
「『果物だけは欲しい。せめてドライフルーツ。ビタミン不足が深刻』……だって」
「……なるほど。やっぱり行く先で補給はできそうにないんだ」
自分たちも不足しているのに村人にわざわざ分けた理由を想像して、沙奈は苦笑した。
商人が積んでいた食糧は、穀物や芋、干し肉が中心だったらしい。
道中に森があれば果物を採取できなくはないだろうが、立ち寄って探し回るような余裕もないのかもしれない。
「昨日買った果物、少し送る?」
「……もう、食べちゃった分もあるけど」
「二人じゃ食べきれないくらい買ったから、多少は残ってるよ。でも、十九人で分けたら一瞬だね」
相馬たちだけで十八人。拾ったという人も含めれば、十九人になる。
数日分を賄うつもりなら、昨日買った量では到底足りない。
「帰りに追加で買っていこっか。生の果物が怪しまれそうなら、乾燥させたものを多めに」
「うん。……生のも、少しは欲しいと思う」
「だよね。今日明日で食べる分って言えば大丈夫でしょ」
沙奈が悪戯っぽく笑う。
「乃愛が大のフルーツ好きってことにしよう」
「ええ? ……まぁ好き、だけど」
十数人分を購入して、果たして好きだけで誤魔化せるのかはともかく。
今度は乃愛から皆へ、保存食が確保できたことへの安堵と、果物を探してみるという返事を送った。
すぐに既読がついたものの、それ以上の返信は来ない。向こうもまだ出発したばかりで、何かと忙しいのだろう。
スマートフォンをしまい、調べ物を続ける。
魔族の食糧事情については、身体の本よりも生活文化を扱った本の方が詳しかった。
現在の魔国は、世界の最南端に位置する大きな島にある。
一年を通して気候は穏やかで、農耕に適した豊かな土地も多い。冬に当たる時期には気温が大きく下がるのではなく雨季を迎え、雨や曇りの日が増えるという。
市場に豊富な食材が並んでいたのも、その温暖な気候のおかげなのだろう。
しかし、魔族が古くからこの島で暮らしていたわけではない。
その祖先は、かつて世界の最北端にある島で暮らしていた。土地は痩せ、冬は長く厳しい。作物を育てられる期間も短かったため、食糧の保存や、少量の食物から効率よく栄養を得るための技術が早くから発達したという。
なかでも重要なものとして、何度も名前が挙がっている食品があった。
「……セラ」
乃愛が呟くと、沙奈も頁を覗き込んだ。
「使用人さんたちが話してたやつだね」
魔人は、通常の食物から栄養とともに魔素を取り込んでいる。
セラは、さまざまな素材から魔素と栄養を抽出し、魔人の身体へ吸収されやすい形に加工した食品らしい。ごく少量でも通常の食事に相当するものを補えるため、魔族の生活には欠かせないものとして広く普及していた。
「でも、市場では見かけなかった」
「……確かに、なかったね」
資料によれば、成長途中の子どもはセラに含まれる魔素や栄養をうまく吸収できない。そのため、他の種族と同じように通常の食事を摂る必要がある。
一方で、成人した魔人はセラだけでも身体に必要なものの大半を補える。普通の料理をまったく食べないわけではないものの、その目的は栄養の摂取より、味や香りを楽しむことにあるらしい。
「食事が嗜好品みたいになってるんだ」
「……宴会とか、お客さんが来た時には、食べるのかな」
「料理そのものが、もてなしの意味を持ってるのかもね」
晩餐会で豪華な料理が用意されていたことにも、それなら納得できる。……駐屯地で新鮮な肉が出されたのも、そうなのかもしれない。
さらに読み進めると、セラには品質に応じた等級があることも分かった。
日常的に使われる並級から始まり、上級、特級と品質が上がるほど、含まれる魔素の純度と吸収効率も高くなる。味や口当たりにも大きな違いがあり、上等なセラは祝宴や贈答にも使われる高級品だという。
「栄養補助食品っていうより、ご馳走でもあるんだねぇ」
「……特級は、すごく高そう」
「作り方も違うのかな」
乃愛は製法について書かれた箇所を探した。
しかし、一般的なセラが食材や魔硝石など、魔素を含む素材から作られるという簡単な説明しか見つからない。
上級以上のセラについては、特別な素材と高度な技術を要すると記されているだけで、具体的な原料も製法も載っていなかった。
「ここから先は企業秘密、って感じかな」
「……専門書なら、ある?」
「どうだろう。料理のレシピ本とかならともかく、魔素の抽出技術まで関係するなら、一般には公開されてないのかも」
東の身体に必要な血液をセラに置き換えると、かなり近い性質を持っていそうだ。それが気になった乃愛は、さらに深掘りしようと、他の書棚を見て回り、とある背表紙の本を一冊抜き取ろうと手を伸ばした。
「おっと、失礼」
「あ……す、すすいませんっ」
乃愛が手に取るより先に、通りすがりの利用客が、乃愛より一足先にその本を抜き取っていった。
思わぬ他人との接触でドギマギしながらも、心を落ち着け改めて他の本を探し始める。
ところが、別の本へ手を伸ばせば、その直前に誰かが横から抜き取っていく。次の一冊に目を向ければ、また別の利用客が現れた。
どこからともなく人が現れては、乃愛より先に目当ての本を持って行ってしまう。
それが幾度も続き、さすがにそんな立て続けに偶然が起こるものかと違和感を持ち始めたころ。
歩き回った末に、いつの間にかかなり奥まで入りこんでいたが、その先は古そうな分厚い本がたくさん並んでいた。なんとなく惹かれて進もうとすれば、足元で何かがぶつかって軽い音がした。視線を下げれば、そこには立て看板があった。
『△ただいま整頓中。しばらくお待ちください』
「…………」
周囲の本に気を取られて足元が疎かにはなっていたが、ついさっきまでこんなものが置いてあっただろうか。
釈然としない気持ちでいると、沙奈が近づいてきた。
「いたいた。いつの間にかいなくなってて、ちょっと見失って焦った」
「あ、ごめん……」
夢中、というより、途中からはむきになって本選びに集中していたため、沙奈と逸れていたことに気づいていなかった。
「何か気になるものでもあった?」
「……ううん。なかった、みたい」
どこか他人事みたいに言う乃愛に沙奈は首を傾げたが、思い出したように手に持っていた本を数冊掲げた。
「あのね、ジンバウムさんに頼んでみたら、滞在期間中だけなら本を貸し出してくれるって」
「え、いいんだ」
「うん。あとは帰ってからと返しに来るときにまた調べてみるとして、今日はそろそろ出よう」
「……うん」
図書館を出ると、陽はすでに頭上を越えていた。
少し歩いた先の通りには昼時の賑わいが残っており、食事を出す店から香辛料の匂いが漂ってくる。
二人は近くの店で軽く腹を満たしたあと、市場へ戻る前に魔道具店へ立ち寄ることにした。
昨日市場で見かけた店とは別に、他にもいくつか専門店があるらしい。その中でも、有名で大きな店舗があると先ほど昼食中にジンバウムに教えてもらったので、そこへ足を運んでみることになった。
旅に役立つものがほかにもないか確認しておきたいというのは、半分ほど建前だった。
本当に知りたいのは、自分たちが当たり前のように使っている〈収納〉や〈鑑定〉が、この世界の基準からどれほど外れているのか。
それから、魔道具にも使われているという魔硝石について。
昨日見つけた黒い欠片との関係も、気になっていた。




