大地から生まれたひとびと
相馬から届いたメッセージには、皆に聞いてまとめたという買い物の希望が並んでいた。
乃愛は沙奈と一緒に、長い文章を上から順に目で追っていく。
「……いっぱいあるね」
「あれだけの人数だから予想はしてたけど、遠慮がないねぇ」
沙奈は苦笑しつつも、画面をスクロールしながら内容を確認する。
日用品は布類や石鹸、調理器具、小物入れに鞄。
衣類については特に細かく、上下の服から下着、インナー、上着、靴まで、それぞれ希望するサイズが添えられていた。多少大きくても構わないので、裁縫道具も欲しいらしい。君島が簡単な仕立て直しならできるという。
そして、食べ物。
こちらは見事なまでに、新鮮なものばかりだった。
野菜、果物、肉、魚。調味料、柔らかいパンに、あれば乳製品も。
「……保存食、飽きたんだろうね」
「フォルガーさんたちに分けてもらったものしかないから、まあそうなるよね」
気持ちはよく分かる。
問題は、それを二十人近い人数分、大量に買い込むことだった。
〈収納〉は容量が大きく、中では時間も止まるので、乃愛たちにとっては何日分でも問題ない。
けれど、それを知らない魔族側から見れば、仲間への土産が含まれているにしても、二人しかいないのに大量の生鮮食品を買い込むのはいかにも不自然だ。
「……明日、魔道具の店にも寄って、収納系のものを見てからにしようか。どんな機能だと普通なのか、確認してからの方が良さそう」
「そうだね」
収納能力そのものは、どうやらこの世界でも珍しいものではない。
ただ、中の時間まで完全に止まることが普通なのかは、まだ分かっていなかった。
便利だからと不用意に明かしたあとで、実は異常な能力だったと気づいても遅い。
そこは、もう少し情報を集めてから考えることにした。
続いて、相馬たちの現状を読む。
最初の訪問先としていた村に着いたあと、そこで商人とその一行を制圧し、現在は隣国へ向けて馬車で移動中。関所まで五日ほどかかるという。
成り行きで一人拾って同行者が増えたが、今のところ全員無事なので心配無用、とのこと。
「……え? どういうこと?」
買い物リストの長文に比べて、現状報告が簡潔すぎた。過程をかなり端折られている気がする。
「なんで賊落ちみたいな感じになってんの」
「村を襲った……?」
「さすがに、そこで何かあったんだとは思うけど……というか、人なんか拾ってこれからどうすんのよ……」
沙奈の目が遠くなり、呆れたように呟く。
横で一緒になって画面を見つめていた乃愛は、ふと顔を上げた。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「食べ物って……もしかして、いま必要?」
「ん?」
「だって、あと五日かかるんだよね」
沙奈も画面を見直す。
「うーん……最初の話では、無事な村へ立ち寄って補給しながら目指すってことだったから、そんなに切羽詰まってるとは思ってなかったな」
しかし、これだけ足りないものがあるということは、村での補給がうまくいかなかったのかもしれない。
もし十分に食料を確保できていないのなら、残り五日を手持ちだけで賄うのは厳しいだろう。
「私が持っていけば、すぐに渡せるけど」
沙奈の〈瞬間転移〉なら、一度訪れた場所へ戻ることができる。
今いる場所は分からなくても、相馬から〈念話〉を送ってもらえば、その痕跡を辿って転移することは可能だ。
全部を今すぐ揃える必要はない。
今ある範囲だけでも用意して、一度届けておいた方がいいのかもしれない。
「聞いてみよっか。今すぐ欲しいなら、用意できるものだけ持っていくって」
「うん」
沙奈は短く返信を打ち、そのまま送信した。
「どうするかは、返事が来てから考えよ」
そう言って、ソファへ背を預ける。
「話は、直接聞いた方が早いかもしれないね」
今夜のうちにできることは、もうない。
買い物も。
相馬たちのことも。
魔族についての疑問も。
続きは明日だ。
◆
翌朝。
昨日とは違い、二人が最初に向かったのは市場ではなかった。
「ここが図書館……」
「みたいだね」
案内された先で、乃愛は建物を見上げた。
街の中心部から少し離れた場所に建つ、三階建ての大きな石造りの建物。
正面には幅の広い階段があり、その上に何本もの太い柱が並んでいる。
昨日見て回った商店とは明らかに雰囲気が違い、乃愛には博物館か何かのようにも見えた。
入口の上には、見慣れない文字で『中央図書館』と刻まれている。
「文字が読めるのが、なんか変な感じ……」
「言語が違うのは分かるのに、日本語で理解できるの、かなり都合が良いよね」
「ジンバウムさん、ちょっとびっくりしてたね」
今日は、昨日案内してくれていたエレナは不在で、代わりにジンバウムが同行していた。
護衛のアクシキンと共に、少し離れたところから付かず離れずで二人についてきている。
図書館へ行きたいと伝えた際、文字を読めると分かると、ジンバウムは少なからず目を丸くしていた。
会話が通じることと、文字まで読めることは、向こうにとって同じではないらしい。
二人は階段を上り、開かれた扉から中へ入った。
館内は、外から想像していた以上に広かった。
高い天井。
壁際まで続く本棚。
中央にはいくつもの長机が並べられ、朝早い時間にもかかわらず、すでに本を広げている者がちらほらいる。
紙と本特有の匂いは、元の世界の図書館とあまり変わらない。
妙なところに馴染み深さを感じて、乃愛は少しだけ肩の力を抜いた。
「さすがに多いねぇ」
「……うん」
受付で分野ごとの場所を聞き、二人は館内の奥へ進む。
歴史。
地理。
文化。
生活。
棚ごとに分野が分けられていて、並んだ背表紙には当然のように知らない題名ばかりが並んでいる。
二人は、通る先々で気になった本へ手を伸ばしていったが――。
「……読めたところで、この世界の基本的な知識がないから、内容はほとんど分からないね」
沙奈が開いていた本を、そっと棚へ戻す。
文章そのものは読める。
だが、当たり前のように出てくる地名も、人物名も、制度も知らない。
一つ理解するために、また知らない言葉がいくつも増えていく。
「いきなり専門書から読むのは、やめた方がいいのかも」
「……うん」
どうしたものかと辺りを見回していた乃愛は、他と比べてずいぶん低い棚を見つけた。
並んでいるのは、色鮮やかな表紙の薄い本ばかりだ。
一冊手に取ってみる。
大きな絵に、大きな文字。
どうやら児童向けの本らしい。
「絵本?」
「……わかりやすいかなと思って」
「なるほど。案外こういう方が、その国の常識を知るにはいいかもね」
沙奈は興味深そうに、乃愛が手にしている本を覗き込んだ。
表紙には、大きな木の下に立つ人々と、その背後から彼らを見守る巨大な人影のようなものが描かれている。
「『大地から生まれたひとびと』」
沙奈が題名を読み上げた。
「神話かな」
「読んでみよ」
二人は近くの机へ移動した。
最初の頁には、広い大地と、その上に立つ一人の人物が描かれていた。
『ずっとずっと昔。
まだ今の人々が、今の姿になるよりも昔。
大地をつかさどる神は、自らの眷属としてひとつの民を生み出しました』
沙奈の読む声が、静かな館内に小さく響く。
『彼らは強く、賢く、長い時を生きました。
病にも強く、優れた身体と魔力を持ち、大地の上に大きな国を築きました。
その民を、人々はハイヒューマンと呼びました』
「……ハイヒューマン?」
乃愛が思わず聞き返す。
「うん。そう書いてある」
沙奈も頁へ顔を近づけた。
二人が知っている「ヒューマン」とよく似た名前だった。
次の頁には、数多くの建物と、その間を行き交う人々が描かれている。
空を飛ぶ乗り物らしきもの。
光を放つ柱。
天へ届きそうなほど大きな塔。
絵本らしく簡略化されているが、どこか見覚えがある。
「……これ」
「遺跡っぽいね」
地下で見てきた古代文明。
そこで見たものと同じとは限らない。
それでも、どうしても連想してしまう。
二人は顔を見合わせた。
さらに頁を捲る。
『けれど、いつまでも神と人が共に歩んだわけではありませんでした』
絵の色合いが変わった。
それまで明るい色ばかりだった頁に、暗い影が混じり始める。
『大地の神は、人々を愛しました。
人々も神からの恵みに感謝しながら、豊かな生活を送っていました。
そしてあるとき、大地の神は、一人の人と恋に落ちました』
次の頁には、人々を見守っていた巨大な神の姿はない。
代わりに、一人の女性と男が手を取り合っている。
『大地の神は現世へ降り、人となって男と結婚しました。
二人が幸せに暮らしていた頃、その男は王様になりました。
王様は国と人々のために、一生懸命働きました』
沙奈がゆっくりと頁をめくる。
今度の絵では、王冠を被った男が城を離れ、その背を女性が見送っていた。
『あるとき、人々の争いを止めるために、王様はしばらく城を留守にしました。
けれど、王様を恨む者たちは、その隙に城を襲いました』
次の頁を開いた瞬間、乃愛の目が止まった。
絵本なので生々しくは描かれていない。
それでも、倒れた女性の周囲だけが赤く塗られている。
『王様が戻ったとき、神であった妃は血の海に沈んでいました。
王様を恨んだ者たちが、妃を殺してしまったのです。
妃は、子を身籠もっていました』
「……ひどい話」
乃愛が小さく呟く。
子供向けの本にしては、随分と重い。
沙奈も先ほどまでより真剣な顔で、続きを読んだ。
『妻と子を一度に亡くした王様は、深く深く悲しみました。
そして、深く深く怒りました。
やがて、その悲しみと怒りは、王様自身さえも変えてしまいました』
頁をめくる。
そこに描かれていた女性の姿は、先ほどまでとは違っていた。
明るい大地ではなく、黒く沈んだ場所に立っている。
『人として命を落とした妃は、もう大地の神として人々の前に姿を現すことはありませんでした。
その魂は幽世へと消え、人々は大地の神の加護を失いました』
「……神様でも、死んだら戻れないんだ」
「少なくとも、この話ではそうみたい」
もちろん、これは神話だ。
どこまでが事実で、どこからが後世の創作なのかは分からない。
それでも二人は、自然と声を落として先を追った。
『王様は、国を滅ぼしました。
けれど、それでも王様の怒りは止まりませんでした。
豊かだった大地は荒れ果て、多くのものが失われました。
そしてついに、王は人の身を捨てて神へと至りました』
頁いっぱいに、黒い雲が描かれている。
その中心に立つ男の周囲を、幾筋もの雷が走っていた。
『怒りと雷を従える神。
人々は、その王を雷神と呼びました』
「……雷神」
沙奈が、その言葉だけをもう一度口にした。
昨日までなら、ただ聞き流していたかもしれない。
けれど今は違う。
乃愛も無意識に身を乗り出していた。
さらに頁をめくる。
『そうして——ひとつだった民もまた、ひとつではなくなりました』
次の見開きに描かれていたのは、二つに分かれていく人々だった。
片方は、乃愛たちにも見慣れた姿。
もう片方も、一見しただけではほとんど違いがない。
けれど、よく見ると瞳の色が異なり、その周囲には黒い靄のようなものが描き足されていた。
『神の力から離れ、新たな時を歩み始めた者たちは、ヒューマンとなりました』
一方を指している。
『そして、雷神に従い、新たな時を歩み始めた者たちは——』
乃愛は無意識に息を止めた。
『魔人と呼ばれるようになりました』
「…………」
沙奈の読む声が止まった。
二人で、同じ絵を見つめる。
「魔人って……」
「元々、ヒューマンと同じ種族だった?」
「……みたい」
想像していなかった。
乃愛はもう一度、頁の最初へ視線を戻した。
ハイヒューマン。
大地の神の眷属。
ヒューマンと魔人。
今まで別々の種族だと思っていたものが、遠い昔には一つだった。
しかも、それだけではない。
昨日ようやく存在を意識した雷神が、今度は魔人の成り立ちそのものに関わる存在として現れた。
「じゃあ、東さんが魔人になったのって……」
乃愛が小さく呟く。
ヒューマンと魔人は、まったく別の種族ではなかった。
元を辿れば、どちらも同じハイヒューマンから分かれたものらしい。
だとすれば――東の種族が魔人へ変わったことにも、何か関係があるのだろうか。
沙奈はすぐには答えなかった。
「まだ分かんない。これ、神話だし」
「……うん」
「でも、調べる方向は少し見えてきたかも」
絵本を閉じることなく、沙奈はそのまま次の頁へ指をかける。
「魔族がヒューマンと何が違うのか。それから——」
沙奈の指先が止まった。
「大地の神の眷属だったハイヒューマンが、どうして二つに分かれて、魔人——魔族の方は雷神を信仰するようになったのか」
「……あ」
昨日の話が、思わぬところで繋がった。
雷神。
大地の神。
古代のハイヒューマン。
そして、魔人。
まだ何一つ、答えにはなっていない。
むしろ、知ったことで新しい疑問が増えたくらいだ。
それでも。
知らなかったことばかりだった魔族の輪郭が、ほんの少しだけ見え始めた気がした。




