級友の放浪: 賊の根城・寒村②
◆◇
村の入口にある見張り台へ、人影が戻ってきていた。
先ほど賊女が村へ入ったときにはいなかった男だった。用を足しにでも行っていたのか、衣服の前を直しながら欠伸をしている。
河内たちは建物の陰に身を潜め、その様子を窺った。
(見張りが戻ってる)
相馬の〈念話〉を通じて、東の声が直接耳に届く。
(もう一人、起きてる奴も移動してる。さっきまで家の中にいたけど、今は外に出たみたい)
〈マップ〉上では、起きている二人が敵を示す赤い印で表示されている。
一人は見張り台。もう一人は、河内たちが目指していた大きな家屋のすぐ前だった。
わざわざ外へ出てきた理由は、間もなく分かった。
男は片手に酒瓶を提げたまま、ふらつく足取りで見張り台へ向かっている。暗がりの中を歩きながら、聞くに堪えないほど調子の外れた歌を口ずさみ始めた。
「まだ起きてんのかよ」
見張りの男が呆れた声を上げた。
「酒が残ってんだ。寝る方がもったいねえだろ」
「はぁ、じゃあ見張り代わってくれよ。……うわ、やっぱこっち来んな、臭え」
「まあまあ、いいじゃねえか。そんなことより、お前も一緒にどうだ?どうせなんも来やしねえんだからよ」
酒飲みの男が、瓶を見張り台へ差し出した。
村を支配し、夜間に外へ出る者もいない。魔族の侵攻でこの国には殆ど人が残っていない。危険があるとすれば、たまに見かける野生の動物くらいだった。
完全に油断しきっている。
(あの二人を先に押さえる)
河内がそう言うと、周囲にいる仲間は神妙な面持ちで頷いた。
だが、口で言うほど簡単ではない。
皆、暴力どころか、抜き足差し足忍び足なんて経験がこれまでにあるはずもない。つい先日まで平和な世界で高校生をしていたのだ。
河内と鏑木が見張り台へ回り込み、武石たちは反対側から酒飲みの男を囲む。
暗がりに紛れて少しずつ距離を詰めていく。
その途中、千田の足が道端に転がっていた桶へ触れた。
倒れかけた桶を咄嗟に掴んだものの、木の縁が小石を噛み、乾いた音が鳴る。
見張りの男が顔を上げた。
「誰だ?」
河内たちは動きを止める。
酒飲みの男も瓶から口を離し、音がした方へ目を凝らした。
「おい。そこにいるのか?」
見張りの男が、腰に下げている剣へ手を伸ばす。
これ以上隠れていても、見つかるのは時間の問題だった。
(行くぞ)
河内は地面を蹴った。
「——なっ」
見張りの男が剣を抜くより早く、河内が見張り台へ飛び乗る。口を塞ごうと腕を伸ばしたが、男は身を捻ってそれをかわした。
「襲撃——」
叫び声が上がる寸前、鏑木が収納バッジから光り輝く聖剣を取り出した。その輝きを間近でまともに見た男は一瞬目が眩み、その隙をついて剣の腹で男の脇腹を打った。
「ぐっ……!」
息を詰まらせて前屈みになったところを、河内が背後から羽交い締めにする。
「声を出すな」
耳元で低く告げると、男はなおも暴れた。河内の腕へ爪を立て、踵で足を踏みつけようとする。
「この、離しやがれ!」
声を抑えるつもりはないらしい。
男の手が腰の短剣へ届く。
その手首を鏑木が掴み、捻り上げた。
短剣が地面へ落ちる。
「大人しくしろって言ってんだよ!」
聖剣の柄頭が男の腹へ入った。
今度こそ全身から力が抜け、男が崩れ落ちる。河内はその体を受け止め、地面へ押さえ込んだ。
一方、酒を飲んでいた男は仲間を助けようとはしなかった。
「曲者だ! 起きろ!」
家屋へ向かって叫びながら、持っていた酒瓶を近くにいた千田へ投げつける。
千田は咄嗟に頭を庇った。
酒瓶は腕へ当たって砕け、辺りへ酒と陶片を撒き散らした。
「きゃっ……!」
「千田!」
武石が男との間へ割り込む。
男は腰から鉈のような刃物を引き抜くと、武石へ向かって振り下ろした。
刃が届くより先に、海上が横合いから男へ体当たりする。
二人はもつれ合って地面へ倒れ込んだ。
「くそっ、どけ!」
男は海上を殴りつけ、無理やり押し退けようとする。酒に酔っていても、男の力はかなり強かった。海上だけでは押さえきれない。
起き上がりかけた男の横腹へ、武石が蹴りを入れた。
体勢を崩したところへ君島も加わり、三人がかりで地面へ押さえつける。
男はなおも大声を上げようとした。
武石がその口へ、落ちていた布を押し込む。
「んぐっ……!」
暴れる男の両腕を背中へ回し、君島がその辺にあった縄で縛り上げた。
(怪我は?)
相馬の切迫した声が響く。
(俺らは大丈夫。千田が瓶をぶつけられた)
(何ともないのがなんか悲しい)
千田は答えながら、袖を捲って腕の状態を確認する。
打ちつけられた腕は痛みもなく、破片による傷も見当たらない。
この世界に来てからの身体の変化をいまだ受け止めきれていなかった。
戦闘と呼ぶには短いやり取りだった。
それでも、誰にも気づかれず制圧するという目論見は、早くも崩れている。
見張りの男が上げかけた声も、酒飲みが仲間を呼んだ声も、決して小さくはなかった。
河内は周囲の家々を見回した。
窓の奥で人影が動く。だが、村人が外へ出てくる様子はない。
賊のいる二軒の大きな家屋からも、まだ誰も現れていなかった。
(起き出してきた奴はいるか?)
(大きい方の家の中で、何人か動いた。でもまだ移動までできていない)
東の返答を聞き、河内は拘束した見張り男の胸倉を掴んだ。
「おい、また騒いだら——」
そこで言葉に詰まる。
殺す、と口にするのは簡単だった。
しかし、本当にそうなったとき、自分に人を殺せるのかは分からない。
河内の迷いを見透かしたのか、男が口元を歪めた。
「はっ、ガキが。脅せば俺たちが怯えるとでも——」
鏑木が聖剣の切っ先を男の頬へ押し当てた。
「試してみるか?」
河内とは違い、鏑木の声には迷いがなかった。
ほんの僅かに刃が食い込み、男の頬から血が流れる。
男の顔から笑みが消えた。
「他に、ここに仲間は何人いる」
「……十三」
「お前らを除いて、だな?」
「チッ……ああそうだよ」
賊女から聞いていた人数と一致する。
河内は男を突き倒し、武石に拘束を任せた。
(納屋の方は?)
(まだ中を確認してる)
相馬から返ってきた声は、どこか硬かった。
(女性が何人も閉じ込められてる。かなり弱ってるみたい)
皆の顔つきが変わる。
(治療は向こうでやってる。そっちは先に、まだ寝てるやつらを押さえて)
相馬の指示を受け、河内たちは手前の大きな家屋へ向かった。
先ほどの声で目を覚ましたのか、扉の向こうから物音が聞こえる。
今度は寝込みを襲うだけでは済まない。
河内が扉の横へ立ち、鏑木が反対側へ回る。千田と海上は、それぞれ武器を構えた。
内側から閂を外す音がした。
扉が開き、寝惚け眼の男が顔を出す。
「なんの騒ぎ——」
河内の拳が、その顔面へ叩き込まれた。
◇◆
納屋の中では、新田と椎名が捕らわれていた女性たちの状態を確かめていた。
確認できたのは七人。
いずれも酷く衰弱し、怪我の状態も深刻だった。その中で意識があったのは、一人だけだった。
その一人も、有原たちを賊の仲間だと思い込んでいる。逃げようとも、助けを求めようともしない。ただ身を小さく縮め、「何をされても逆らわない」と繰り返していた。
「大丈夫。私たちは、あいつらの仲間じゃないよ」
新田が宥めるように声をかける。
けれど、女性は怯えた目を向けるばかりで、言葉が届いている様子はなかった。
「怪我があるなら、少し見せてくれる?痛いことはしないから」
触れようとすると、女性の肩が大きく跳ねる。
新田はすぐに手を止めた。
治療するには、まず患部を確認しなければならない。だが、無理に体へ触れれば、賊たちがしてきたことと変わらない。
「知聖、他の人から先に診てあげて」
有原が言った。
「この人は、まだ意識があるからしばらく大丈夫だと思う。落ち着くのに時間が必要かも」
「……分かった」
新田は頷き、意識のない女性のもとへ向かう。
椎名も震える手で治療を施していた。あまりにも見るも無惨な光景に、目を覆いたくなる気持ちをぐっと堪える。顔色は悪かったが、それでも逃げ出そうとはしなかった。
国分は、格子戸の前へしゃがみ込んでいた。
壁際には、家畜を入れるために作られたらしい区画が二つ並んでいる。
女性が閉じ込められていたのは、そのうちの一つだった。
隣の区画にも格子戸があったが、格子の隙間には板や布が打ちつけられ、中が見えないよう塞がれている。
「こっちにも、何かいる」
国分は声を潜めて告げた。
有原が振り返る。
「人?」
「分からない。精霊たちが怖がって近づかないの」
隙間へ入り込もうとした風の精霊が、何度も国分のもとへ戻ってくる。
嫌悪ではなかった。
ひどく怯えている。
有原は拘束した三人の賊へ目を向けた。
眠ったまま、三人揃って縄で胴をぐるぐる巻きに縛られている。縄は女性たちに使われていたものだ。国分が精霊を使って、簡単には目覚められないようにしていた。
格子の奥からは、何の物音もしない。
「開けるよ」
「待って。なんか嫌な予感が——」
「人がいるなら、このままにしておけないでしょ」
有原が扉の取っ手に手を掛けた。
格子戸が僅かに開く。
淀んだ臭気が流れ出す。
有原は思わず顔を背けたが、すぐに中へ目を凝らした。
暗闇の奥に、小さな人影が蹲っている。
「……子供?」
国分の声が震えた。
人影は反応しなかった。
膝を抱え込み、俯いたまま微動だにしない。
ぼろ布のようになった衣服から伸びる手足は、骨の形が分かるほど細い。首には鉄輪が嵌められ、壁から伸びた鎖へ繋がれている。
汚れて絡まった髪の隙間から、長く尖った耳が覗いていた。
「人……だよね……?」
有原が格子の中へ足を踏み入れる。
「助けに来たよ」
子供は動かない。
「もう大丈夫。ここの奴らは、私たちが捕まえたから」
慎重に近づき、その前へしゃがみ込む。
顔を覗き込んだ有原は、息を呑んだ。
目は開いている。
だが、その瞳には何も映っていなかった。
怯えているのでも、警戒しているのでもない。光を失った目が、ただ虚空へ向けられている。
「……ねえ」
返事はない。
呼吸はしている。それでも、生きている人間を前にしているようには感じられなかった。
有原が伸ばしかけた手を止める。
「結已。この子も診て」
「……うん」
椎名が格子の中へ入ってくる。
子供の姿を見るなり、その顔から血の気が引いた。
細い腕には、古いものから新しいものまで無数の傷が残されている。足首は鎖と擦れ、肉が抉れていた。
「こんなの……」
椎名は拳を握り締め、子供の前へ膝をついた。
「触るね。ごめんね」
返事がないことを確認し、傷ついた足首へそっと手を当てる。
淡い光が広がった。
抉れていた皮膚が塞がり、腫れが少しずつ引いていく。
その瞬間、子供の体が僅かに痙攣した。
「え……?」
椎名が手を離す。
子供の口が動いていた。
何かを呟いている。
有原は耳を近づけた。
「……い……」
「何?」
「ころ、して……」
掠れた声だった。
有原の表情が強張る。
「誰を?」
「わたし、を……」
それきり、子供は再び動かなくなった。
助けを求める意思も、生きたいという望みも、既に残っていない。
椎名が唇を噛む。
「すぐによくなるから、きっと——」
何を言えばいいのか分からなかった。
大丈夫だと口にしたところで、無責任な慰めにしかならない。
元どおりになるとも、生きていればいつか忘れられるとも、約束できない。
格子の外で、拘束されていた賊の一人が身じろぎした。
「う……」
効きが悪かったのか、目覚めかけた男が薄く目を開く。
有原たちはまだ気づいていない。
男は自分の置かれた状況を確かめるように目を動かし、開かれた格子戸を見つけた。
その奥にいる子供を目にすると、途端に顔を引きつらせる。
「おい……そいつに触るな」
掠れた声が納屋へ響いた。
有原が振り返る。
「何?」
「お前らは誰だ!……いや今はいい。とにかくその扉を閉めろ。そいつは、もう駄目だ」
有原の目が細められる。
「何をしたの」
「何もしてねえよ!買い手が来るまで生かしておけって言われてたんだ。けど、そいつは何も食わねえし、言うことも聞かねえ。だから——」
「だから?」
男は答えなかった。
代わりに、子供へ向かって怒鳴る。
「おい!勝手にそこから出るんじゃねえぞ!」
子供の指先が、ぴくりと動いた。
「聞いてんのか!また痛い目に遭いてえのか!」
「黙れ!」
有原が立ち上がる。
その声とほぼ同時に、納屋の空気が変わった。
子供の周囲から、黒い靄のようなものが立ち上っている。
淀んでいた空気が渦を巻き、格子へ打ちつけられた布が激しくはためいた。
「風じゃない……」
国分の周囲にいた精霊たちが、一斉に逃げ出した。
子供は俯いたままだ。
傷の塞がった足元から黒い蔦のような影が這い上がり、青白かった皮膚を少しずつ暗い色へ染めていく。
絡まった髪から色が抜け落ち、銀灰色へ変わる。
「なに、これ……」
椎名が後ずさる。
男は喉を引き攣らせた。
「だから言っただろ!そいつはもう、普通のエルフじゃねえ!」
「エルフ……?」
黒い靄が一気に膨れ上がった。
積み上げられていた荷物が吹き飛び、納屋の壁が軋む。
子供がゆっくりと顔を上げる。
光のなかった瞳は、濁った赤黒い色へ変わっていた。
その視線は、有原たちへ向けられていない。
格子の外で喚いている賊だけを、真っ直ぐに捉えていた。
「ひっ……」
男が拘束されたまま後ずさろうとする。
「待て、俺は何もしてねえだろ。お前を捕まえたのは俺たちじゃ——」
子供が立ち上がった。
細い体に似合わないほど濃密な魔力が、納屋の中へ満ちていく。
壁へ繋がれた鎖が、張り詰める。
――次の瞬間、鎖が引き千切られ、納屋の屋根が吹き飛んだ。




