敵か味方か
◇◆
広い居間で、ソファに凭れながら、グラスを片手にくすくすと談笑を交わす少女二人がいた。
「……ふぅ。ちょっと飲み過ぎちゃったかな」
「これ、美味しいね」
「ね。残りは明日の朝にしよう」
お互いに喋りながらも、その声は次第に間延びし、二人は次第に船を漕ぎ始めていた。
「なんか眠くなってきちゃった……あぁ、ベッド行かないと」
「うん……」
そのまま意識が遠のいていったころ、二人を取り囲むかのように複数の人影が現れた。全員が全身を黒装束で包んでいて、いかにも怪しい集団だ。
「思ったよりもあっさりかかったな」
「ちょっと拍子抜けね」
「この人数は過剰だったかもな。まあ楽であるに越したことはないが」
影の一人が、慣れた手つきで二人を縄で縛り上げた。
「このまま連れて行くのよね?」
「そのはずだったが……ついさっき通信が入って、この場で待機になった」
「え、嘘でしょ。周囲に結界は張ってあるけど、気づかれたら、そう長くはもたないわよ」
「そう言われてもな。命令だからどうしようもない」
他の部屋からも次々と人影が現れた。
「どうだった?」
「特に、何も。着ていた衣服があったくらいだ。仕掛けなどもなかった」
「…… 何もなさすぎると、逆に妙な感じがするな」
「気にしすぎじゃない?向こうからの話では変わった能力を持っていたとは聞いているけど、それはこの子たちじゃないんでしょ?ただのヒューマンにしか見えないけど」
人影が二人を囲んだまま程なくして、扉近くから魔法陣が浮かび上がった。そこから初老の男が姿を現す。
「……待たせたな。時間が惜しい故、尋問はここで行う」
「は。では直ちに覚醒させます」
人影の一人が胸元から小瓶を取り出し、それを縛られて眠っている二人の鼻先に近づけた。
「んっ……なに……?」
「……えっ」
顔をしかめながら目覚めた二人は、身動きが取れない今の状況に困惑した声を漏らした。
「覚えているかな?私はイーゴリ=シュミェツだ。晩餐では最後に挨拶だけはさせてもらっていたが」
初老の男シュミェツは、表情をなくした顔で二人に問いかけた。
「……ええ、その時に初めて会ったと思うけど。これはどういうこと?」
「おや。意外と冷静なのだな。……では単刀直入に言おう。ヨルンはどうして目を覚まさないのだ」
「ヨルンって?」
「恍けるな。シュミェツの名を知っているだろう。我が息子のことだ」
「……息子さんだったのね。もちろん知ってる」
「約束の期間はとうに過ぎているだろう。早く元に戻せ」
「約束ねぇ。きちんと守ってもらっていないと思うけど?その日のうちにつけていることがバレて接触してきたのはそちらでしょう?」
「それは…… 貴殿らをこの国へ案内したことで、不問にするという話ではなかったのか」
「まぁ確かに、それもあって二度目はないってことでいったん矛を収めはしたけどね?でも正確には、あの場で言っていたのは、捜索をやめるなら貴方たちが調査していた遺跡を爆破しない、ってことだけだったんだけど」
「ふ、ふざけるな!ではヨルンは……息子はどうなる!ずっとあのままなのか!?」
「どうだろうね。こんなことをされたら、そうなるかもね」
シュミェツは苛立ちが抑えきれないのか、血相を変えながら辺りを行ったり来たりし、親指の爪を噛んでブツブツと何事か呟き始めた。
「どうする……こんなはずでは……もういっそのこと……」
「シュミェツ殿。手荒なことに及ぶなら、時間もかかりますし、ここでは不味いです。ひとまず場所を移しましょう」
――バン、バンッ
人影が声をかけたと同時に、扉の外から大きな破裂音が何度も響いた。
結界が破られようとしている。
「言われずともわかっている!……仕方ない……私は予定していた例の場所に先に向かう。そやつらは必ず連れてくるように」
シュミェツはその場に再び魔法陣を出現させると、二人を睨みつけたまま姿を消した。
「というわけだ。撤収するぞ」
逃走経路を確保するため、人影たちは手早く行動を開始した。
二人はそれぞれ肩に担ぎ上げられた。
「……ん?なんだこの軽さは」
担ぎ上げた人影が驚きの声を上げたその時――
「ねぇ、ちょっと!それクッションよ!?」
「……は?」
「あの二人はどこ!まさか逃げられた……!?」
人影たちが慌てて探し始めるも、すでに時間切れだった。
――バァンッ
ひと際大きな破裂音が響いて、結界は破られた。
◆◇
目の前の光景を、乃愛は部屋の片隅で息を殺しながら見つめていた。
沙奈の幻影に包まれた二人のすぐ側を、全身黒尽くめの男が横切っていく。腕を伸ばせば触れられそうな距離だった。
足音が近づくたびに心臓が大きく脈打つ。自分たちの周りに防音も兼ねた結界を張っているとはいえ、息をするだけでも気づかれてしまうような気がする。
こちらとは別にソファの方にかけられている幻影は問題なく機能しているらしい。
室内へ侵入してきた者たちは、本物である乃愛たちの存在に気づくことなく、手分けして部屋の中を調べ始めていた。
沙奈の幻影を初めてまともに見たが、会話をして触れられもするのには驚いた。あまりにも違和感がないので、どちらが本物か自分でもわからなくなりそうだった。
でも実際は、これだけの人数に取り囲まれてあんなに落ち着いていられるはずがないので、情けないがあれは所詮、幻の自分でしかない。
しばらく眺めていると、新たな人物が現れて、予想通り私怨による犯行ということはわかった。だが、素直に答えず相手の神経を逆撫でしていることが気が気でなかった。
「……どう、するつもり?」
思わずか細い声で尋ねるが、沙奈は乃愛の手を握ったまま、侵入者たちを観察し続けている。
「もうちょっと様子を見たい」
「で、でも……」
「シュミェツさんの独断でやっていることなのか、まだ見極めがつかないの」
乃愛にはそうとしか思えなくて首を傾げるが、沙奈が持つ直感力が働かないのだろうか。
沙奈は難しい顔をして続けて言った。
「少なくとも殺す気は元々なかったみたいね。ただ、外にいたはずの警備が静かすぎる。連れ去ることが目的だったのなら、魔族側も一枚岩じゃないってことだとは思うけど……」
その時、結界が破られようとしている音が聞こえてきた。乃愛は解除していたため、目の前にいる侵入者たちが張った結界だろう。それでここに誰も近寄れなかったのかもしれない。
「——あれ。気にしすぎだったかな?それなら、ちょっと時間稼ぎするか」
沙奈はソファ側に掛けてあった幻影を解除し、今まさに連れ去られようとしている自分たちの幻影の正体―二つのクッション―を晒した。
かなり間抜けな絵面だが、侵入者たちは本気で混乱している。
そうこうしているうちに結界は破られ、扉が勢いよく開かれた。
武器を手にした警備兵が、続々となだれ込んできた。
「動くな!」
先頭にいた警備兵が鋭く叫び、武器を構えた。
侵入者たちは一瞬だけ動きを止めたものの、素直に従うつもりはないらしい。数人が懐へ手を伸ばし、残る者たちは部屋の奥や窓際へ散ろうとした。
「逃がしません!」
警備兵の一人が声を上げる。
だが、その言葉よりも早く、窓へ向かっていた黒装束の男が何もない空間に正面から激突した。
「ぐっ……!」
鈍い音を立て、男が床に尻餅をつく。
別の方向へ走り出していた者も、同じように見えない壁に阻まれて足を止めた。
侵入者たちの間に動揺が広がる。
「結界だ!」
「いつの間に……!」
乃愛は部屋の片隅で小さく息を吐いた。
警備兵が入ってきたことで、侵入者たちの意識はこちらから完全に外れている。その隙に、部屋全体を包むように結界を張り直していた。
侵入を防ぐためではない。
今度は、誰も外へ逃がさないためのものだった。
「ノア、もう大丈夫そう」
沙奈が小声で言い、握っていた手を軽く揺らした。
次の瞬間、二人を覆っていた幻影が消える。
わざと音を立てて数歩前に進み出た。
「えっ」
突然部屋の隅に現れた二人を見て、警備兵だけでなく侵入者たちまで一斉に固まった。
乃愛は大勢の視線が自分へ集まったことに気づき、反射的に沙奈の背後へ半分ほど隠れる。
「ノア様、サナ様!」
警備兵の間から、首長が息を切らしながら駆け込んできた。
室内を見渡した首長は、まず侵入者たちを確認し、それから乃愛たちの寝間着姿と、床に転がった縄、ソファに残されたクッションへ目を向けた。
一瞬、理解が追いついていないような顔をしたが、すぐに向き直った。
「お怪我は……」
「ありません。私たちはずっとここに隠れていましたから」
沙奈が傍にある衝立に視線を向けて答えると、首長は見るからに安堵して肩の力を抜いた。
しかし、それもほんの一瞬だった。
「全員捕縛しろ。一人も逃がすな」
低く発せられた命令に、警備兵たちが侵入者を取り囲む。
抵抗しようとした者もいたが、逃走経路は乃愛の結界で塞がれていた。あっという間に武器を取り上げられ、次々と床へ押さえつけられていく。
「誰の指示だ」
首長の問いに、誰も答えようとはしなかった。
沙奈が小さく首を傾げる。
「ついさっきまでシュミェツさんがここにいましたよ」
首長が勢いよく振り返った。
「やはり、こちらへ……」
「やはり?」
「私の執務室にも来ていたのです。息子のヨルン殿が目を覚まさない件について、説明を求めに」
「その途中で消えたんですね」
「……はい」
首長は苦々しげに顔を歪めた。
「貴方たちのボスは、シュミェツさんで間違いない?」
沙奈は拘束されている侵入者の一人へ尋ねた。
男は口を閉ざしたままだったが、その視線がわずかに揺れる。
「さっき本人が目の前で命令してたから、まぁそうだとは思うけど、なんか引っかかるなぁ」
「…………」
ダンマリを決め込む侵入者たちを横目に、乃愛は少しだけ迷ってから、そっと首長に声をかけた。
「あ、あの……この人たちは、わたしたちを、別の場所に連れて行こうとしていた、みたいです。そこで、話をするために……」
「話をするために、薬を盛り、武装した者をこれだけの数、送り込んだと?」
首長の声には、隠しきれない怒りが滲んでいた。
それを向けられた侵入者たちが、僅かに身を縮める。
「この者たちの取り調べは、私の責任で行います。お二方には、後ほど必ず経緯をご報告いたします」
「その前に、一つお伝えしておきたいことがあります」
首長の言葉に二人は頷いたが、沙奈は続けて言った。
「ヨルンさんは目を覚ましたそうです。少なくとも、シュミェツさんがこんなことを続ける理由はもうなくなったと思います」
「本当ですか」
「私たちはここにいたので、実際この目で確認まではできていませんが、つい先ほど仲間から連絡が入っていたので、たぶん間違いありません」
首長は目を閉じて、深く息を吐いた。
安堵しているのか、それともさらに頭を抱えたくなったのか、乃愛には判別がつかなかった。
「シュミェツにも、すぐに伝えなければなりませんね」
「居場所は分かるんですか?」
「この者たちが知っているはずです」
首長が拘束された侵入者たちへ目を向ける。
先ほどまで誰も口を開こうとしなかったが、そのうちの一人が観念したように項垂れた。
「……北西区画の旧研究棟です」
「貴様!」
隣にいた男が声を荒らげるが、警備兵に押さえ込まれた。
「シュミェツ様は、そこでお待ちになっているかと……」
首長は近くにいた兵士へ目配せする。
「直ちに向かえ。ただし、ヨルン殿が目覚めたことを先に伝えろ。抵抗しないのであれば、危害は加えるな」
「はっ」
数人の警備兵が命令を受け、急いで部屋を出ていった。
騒がしかった室内に、僅かな沈黙が落ちる。
首長は改めて乃愛と沙奈の前へ立つと、深く頭を下げた。
「このような事態を招いてしまい、弁解のしようもございません」
「あの……首長さんが、やったわけじゃ、ないんですよね」
「そうであっても、ここは私が治める地です。賓客としてお迎えしたお二方を危険に晒した責任は、私にあります」
乃愛は困って沙奈を見る。
薬を盛られ、部屋へ侵入され、連れ去られかけた。
普通ならば、怒るべきなのだと思う。
けれど、実際には幻影を使って安全な場所から見ていただけで、怪我もしていない。首長が必死に駆けつけてきたことも分かっているため、どう反応すればよいのか分からなかった。
「ひとまず、顔を上げてもらえますか」
代わりに沙奈が答えた。
「この国全体が私たちを騙していたわけじゃない、ということは分かりました。ただ、何もなかったことにはできません」
「無論です」
「まず、あの飲み物に何が入っていたのか調べてください。それから、警備の人たちがどうして動けなかったのかも。結果は全部教えてほしいです」
「必ず」
「あと、今日はさすがにこの部屋では眠れないかな」
周囲を見回しながら沙奈が苦笑する。
荒らされた形跡はほとんどないものの、つい先ほどまで見知らぬ者が寝室まで歩き回っていた。乃愛もここで眠ることには抵抗があった。
「ただちに別のお部屋をご用意いたします。信頼できる者のみを警護につけ、今度こそ何びとたりとも近づけさせません」
「結界は自分たちで張るので、警備の人は少し離してもらえると助かります」
「承知いたしました」
首長は何度も頭を下げたあと、捕縛された者たちを連行するよう命じた。
次々と人が部屋から出ていき、ようやく静けさが戻ってくる。
その場に残った乃愛は、床に落ちていた縄を見つめた。〈鑑定〉でよく見ればこれは魔道具のようで、縛った相手の体を麻痺させ、魔術やスキルを使えなくするものだった。
もし沙奈の幻影がなかったら。
もし何も知らず、あの飲み物を飲んでいたら。
今頃は、本当に知らない場所へ連れ去られていたのかもしれない。
遅れて沸き上がってきた恐怖に、指先が僅かに震えた。
「ノア」
沙奈がすぐに気づき、その手を握る。
「もう大丈夫。今回はこっちの勝ち」
「……うん」
「それに、少しは分かったこともあるしね」
「分かったこと?」
「魔族は、全員が私たちを歓迎してるわけじゃない。でも、全員が敵ってわけでもない」
沙奈は、侵入者たちが連れ出されていった扉を見つめた。
「たぶん、ここから先はそれを見分けていかないと駄目なんだと思う」
乃愛には、それができる自信はなかった。
けれど、明日から案内される街には、もっと多くの魔族がいる。
晩餐会で向けられた好奇の目も、シュミェツのような憎しみも、そのどちらとも違う目もあるのだろう。
不安を感じた瞬間、背後にいる“彼”の気配が僅かに揺れた。
慰めようとしているのか。
それとも、何か別のものに反応しているのか。
今の乃愛には、まだ分からなかった。




