浄化の杖
世界とは残酷なものだ。無辜の民に甘き死を否応なく突きつけてくる。
貴族である私は安全な場所にいて、庶民である彼らは逃げることも許されず町に押し込められている。
逃げれば逆賊、処刑になると流布しているので、今の所感染は抑えられている。
しかし、それは私の判断だ。なれば、私が責任を取らなければならない。
恨まれるだろう。蔑まれるだろう。それでも、やるしかない。そんなのはもう決まっていたことだからだ。
私はすぐにアルガルド領の屋敷に向かい、そして父にあった。父に現場を巡るといえばすぐに止められそうになって、何かに気付いたのかおしだまった。
「生きて帰りなさい」
それだけを言われて、私たちは執務室を追い出された。
母にも会ったけれど、泣かれた。うずくまるあの人を、私はただ見下ろすしかなかった。
屋敷からありったけの白衣がわりの服や布をかき集め、路銀を持って屋敷を出た。最後に二人は夜明けだというのに私を見送ってくれた。
次にゴードン達にあった。彼らに頼んだのは護衛だ。白衣と手袋を着させて、衛生観念を急ごしらえだけど叩き込んだ。
私が『病気の蔓延している都市に向かう』と言うと、ゴードンさんの仲間は『正気じゃねえ』と言ってきたけど、ゴードンさんは私の目をまっすぐ見つめて『本気なんだな?』と一言聞いてきた。
「無論よ」
私が返すとゴードンさんはしばらく考えた後、頷いた。報酬はたんまり出すと言ったが、前と一緒でいいと断られた。あれも結構奮発している方なんだけど。
そうして私たちは一つ目の街に到着した。第一次感染地に指定した町だった。
「おぉ……エノール様」
周囲のものを寄せ付けないように護衛が剣を見せて、私は死体が積まれている場所に向かった。
町長や町の人たちは言いずらそうに私を遠回しに止めてきたけど、私はその場所を聞き出した。薪の不足で死体が処理しきれていない。
私はその場所に立って、息を呑んだ。ゴードンさん達も吐きそうになっていた。
ハエがたかっている。皮膚が黒ずみ、赤黒く肉がみえ、黄色い体液やぐじょぐじょになった体表面は見るに耐えなかった。私も涙と胃酸を吐き出しそうになって、グッと堪えた。
診療所にいる人たちも私は殺さないといけないのかもしれない。けれど、今は安らかになれない霊を鎮魂させるべく、私は膝をついて手を組んだ。
その後に私は杖に力を込めて、それらを燃やした。なぜだか煤は出なかった。ちゃんと全てが燃えて、私はその様を最後まで見届けた。町の人たちは『おぉ……』と唸って、『神のお導きだ』とか『エノール様は聖女様だ!』とか喚いていたが、そんなんじゃない。ただの死体処理業者です。
自分の言葉に鼻で笑って、私は診療所に向かった。なんでもあまりにも人数が多いと言うことで、寝床ある人はそこで寝てもらっているという。
案内してという私の言葉に医者は頷いた。
訪れる家家はほとんどが強烈な臭いを閉じ込めていた。腐臭ともいうべきか、血と体液のおりまざった匂いで満たされいて、護衛の人たちが鼻を曲げたので、私は外で待っているように指示をした。
多くの人が生きることを諦めていた。時折、助けてと懇願する人もいたが、医者を見て彼は首を振った。
「峠を乗り越えても、その後も苦しんでいる人が多いです。しばらくは働けないでしょうし、衰弱した体を治すには数年かかるでしょう。後遺症もひどく、失明や腸から糞便が垂れ流しになったり──」
医者の言葉は私の想像を超えていた。ペストの後遺症は聞いたことがない。きっと、致死率が高すぎて死者の方にばかり目がいってしまったのだろう。もしかしたら、私の知っているペストとは少し違うのかもしれない。
「この人は、助かる?」
「……献身的に介抱して数年後、後遺症は残るでしょうね。働くこともままなりませんし、正直に言って」
医者は本人の前でそれ以上を言うのはやめた。その人は黒ずんだ手で私の白衣を掴んだ。その力も弱々しいもので、まるで懇願するようだった。
「た、あすけて……」
「……ごめんなさい」
私は医者に離れるように言って、杖を構えた。聖炎がその人を包み込む。
不思議とその人は声を上げなかった。医者は信じられないようにその場の光景に食いつく。
炎は燃え広がらなかった。床の上の、その人だけを燃やし尽くして、その姿を消し去った。
「次、行くわよ」
「はっ、はい!」
私は病に苦しんでいる人の前にたち、話を聞いて、私が次期領主でこの病の対処をしていたというと、罵声を浴びせるどころか皆が口を揃えていった。
「殺してください」
私はその度に心臓が鷲掴みにされたような気がした。どうしたら、どんな思いをしたら死を懇願するのだろうか。あまりに壮絶すぎて、私の手に余る想像だった。
彼らの懇願通り、経験則的に死亡の確率が高く、生き残ってもまともに生きていけない人たちを生きたまま焼いた。何度も何度も焼いて、なのに、その度に炎に包まれた彼らに「ありがとう」と言われる。
私は涙を押し殺していた。流す価値も資格もない。護衛の人たちは私の様子に怪訝そうにしていた。最後の一軒を訪れる。
「──死なせてください」
「っ……」
もう何度目かわからなかった。罵倒されるために来たのに、みんながみんなこう言うのだ。私は舌を噛んだ。
「でも、貴方は生き残れる可能性があるのでしょう? 医者の人も言ってるし──」
「手の、感覚がありません。これでは仕事ができません。生きて、いけません」
「っ……貴方には、娘さんがいたんでしょ? その子の分まで生きてあげて……」
私はその人の姿を見て、それ以上言葉を続けられなかった。
死者によればその人は三児の娘を持つお母さんだったという。母子ともども病気にかかってしまい、娘はすぐに死んだという。
その子を焼いたのも私だ。
「あの子がいない世界で、私が生きる意味はありません。どうか、領主様……私を死なせてください……」
「……次期領主よ、ばか」
私はまた杖を構える。
「恨んでいいわよ、最低の領主だから」
「貴方は、私たちにとって、最高の、領主様です……」
あの人は最後に、横痃が浮かび上がる顔で私に笑いかけた。脱腸して血と糞便を垂れ流しながら、ずっとここにいたという。
助かるわけもなかった。それでも、私は『少しは……』という医者の言葉を信じて、どうにかしようとしたのだ。それが私を気遣った誇張だと知っていたのに。
それでもそのお母さんは見抜いていた。自分の命が長くないことも、生きる道も意味もないことも。
その人は静かに炎の中で消えた。もう何度見たかわからない炎を見て、私はうんざりした。
炎が消えて、パラパラと光の粒が空に上がる。天井を透き通って、まるで魂が帰っているかのようだった。
「……これで全部ね」
「あっ、あの、ありがとうございます! これで私たちは……我々ではどうしようもなくて──」
「いいわ、領主の仕事をしただけだもの。これからは私がここを治めるわ。町や村の建て直しと、それから勝手に騎士達が増やしていた税も減らしてあげる……安心なさい」
「ありがとうございます!」
褒められたもんじゃなかった。何が減らしてあげるだ。それでも四割はとっている。これ以上減らすと統制が取れなくなるからって、私はそれ以上下げられない。
私は私の目的のためにマッチポンプをしている。今から八つの町に向かって同じことをするのだ。クソみたいな味がする。
「私たちはもう行く。また病人が出たら同じ対処をなさい。しばらくは厳戒態勢で見張ること、私の許しが出たらまた以前のように暮らしていいわ」
「はい! 分かりました!」
「……それじゃあ、行くから」
私は最後の家屋を出て、護衛を連れて出る。
周囲からは有り難がられて、そんな様子に護衛の人たちは辟易していた。
全くね、まるで宗教やってるみたい。人を殺して崇められるなんて、とんだ身分ね。
──私は次の町に馬車を向かわせて、泥のように眠った。
道中の村々でも同じことをして、なぜだか一様に崇められた。
怖くないのか? 人を燃やしてるんだぞ? 訳が分からないと気味悪がるところじゃないのか?
……きっと、病気に犯された人の方が怖かったのだ。白い炎はまるで救いのように見えたに違いない。国教の価値観もきっと作用している。白い炎で神が人々を浄化する。終末論の一つだ。
私を神の代行者だとか、呪いの終末宣言人とか、逆に神に代わる呪いの御使とか、色んなふうに呼ばれた。
共通するのは彼らが私を『聖女』と認識したことだろう。国教に伝わる、神が一度人類を滅ぼそうとした時、神の教えを聞き、教えを説き、教えを理解し、そうして神の温情を受けて人類の救済を願った女。
彼女のおかげでもう百年は人類が生きられることになったのだという。百年って短くない?
ともあれ私は気色の悪い仕事をこなして回った。日に日に眠りが浅くなって、バルターには心配されたけど、そうも言ってられなかった。
途中で強盗団に出会して、囲まれた時はもう面倒で爆発で吹き飛ばした。
私の格好はパフォーマンス用に衛生とデザインを両立している格好だ。聖女として認識されるのはこの白衣が巫女服に似ているからだろう。
杖を持って、馬車から降りて、バルターの制止も聞かずに私は賊達に言い放った。
「退きなさい。でなければ、貴方達には神の罰が降ります」
背後の森をもう一度吹き飛ばして、以前よりも爆発が大きいように感じた。
男達は訳がわからず、私の格好を見て混乱したようですぐに逃げていった。馬車に戻った後にゴードン達には化け物を見るような目で見られ、おかしな質問をされた。
「あんた一体何もんだ……? まさか、本当に聖女ってんじゃ……」
私はそんなゴードンに笑って返す。なぜか無性に面白かった。
「私が? バカ言わないで、私は単なる次期領主よ」
馬が爆発でびっくりしたようで、なんとか宥めて、その後に進み始めた。
そうしてまた町に行って、また燃やして、家に行って、話を聞いて、燃やして、燃やして、燃やして、燃やして。
今度はゴードン達にさえ心配された。顔色が悪いと言われた。
「おい、大丈夫か? あんまり無理すんじゃ……」
「構わないで」
「……そうかよ」
私はそうして五つの町と十四の村を回った。時に杖に導かれて……なんとなくどっちに感染者がいるかわかって、そっちに馬車を進ませたら村があって、病で困ってたりしていた。
ゴードンからは『本当に聖女様じゃねえよな……?』なんて言われた。そんな訳ないでしょ? 私が聖女なんて……神の教えなんて一つも理解しちゃいないわ。
道中の商会に食料をもらって、お供するとか少しでも協力を、とか言われたけど私は断った。
そんな余裕はないからというと渋々と引き下がった。
私のパフォーマンスは……順調だった。元々聖職者として町々を巡礼し、病の人達を『慰める』ことが目的だったのだ。人としてではなく、魂として。
領主として現地に回ったのだという事実が重要だと自分に言い聞かせて、聖女の真似事をして、住民達を安心させて、有り難がられて……炎で焼いた。炎で焼いた。炎で焼いた。
死体を、生きた人を、まだ助かるかもしれない命を。
母親に頼まれて子供を焼いた。兄弟もろとも焼いた。老人みんなを焼き殺した。
生き残ったのに、働けない人達を焼いた。死を願う人を焼いた。死を拒む人を焼いた。
私の炎は救いなんかじゃない。ただ沈黙させるだけだ。魂を鎮ませるだけ。鎮魂の炎でしかない。黙らせるだけ、沈黙させるだけ、鎮ませるだけ。
ひどい有様を見た、死体に群がる獣を。病気の死体の山を。そこから垂れ流れる血と体液の腐臭を。腐った匂いが充満する家屋を。
私が見て回ったのは寂れた村町とそこに住むうかない人々の表情、酷すぎる病の惨状と炎で焼いた時の……人々が私に向ける憧憬の眼差し。
大抵崇められて、膝をついたり手を合わせたり、『聖女様』なんて呼ばれて大金まで握らされそうになった。
私はそれを回避して、護衛の人たちも最初は辟易していたが、だんだんと慣れていったようだ。
そうして、最後の町がやってきた。私が回るべき最後の町が。




