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黒死病

ここから改革部分をばーっと終わらせます。第二部までに経営部分を終わらせるので多少ややこしい話になるかもしれません。しばらくお付き合いください

 アルガルド家とマルデリア家の話し合いの結果、両家の縁談は二人が十五となった時に婚約の運びとなった。

 

 それは本来見合いは十から始め十五に婚約し、三年間の婚約生活を経て十八で結婚すべきという風潮に倣ったものである。

 

 十五の前に婚約すれば早熟となり成長が完全なものにならないと言われていたり、三年間の婚約生活が夫婦としての生活を盛り上がらせるとも言われている。貴族の結婚など政略的なものなのでそんなことは建前にしかならないのだが、そういったこともあってアルガルド家は婚約に乗り気だったマルデリア家に対し、卒業まで待ってくれと言えたのである。

 

 十五になる前に婚約すれば社交会で何と言われるかわからない。特にアルガルド家は注目にさらされやすいのだ。そこらへんをマルデリア家は軽んじていた。自分たちは公爵家だし、周囲が文句を言うことは少ないのである。ゴリ押しで何とかしようとしたのだ。

 

 しかし、それはエノールの野望を一端も理解していないからに起因する。アルガルドはエノールが星見の儀式によって家が危うくなることを予知したと知っており、そのエノールが十五になって社交界で舐められないようにと方々を駆け回っているのである。父親としてエノールの邪魔は何としても食い止めたかった。

 

 話し合いの場でユレグニスは愚痴る。両家の当主夫妻が揃っていたが、意見は対照的だった。

 

「すぐにでも婚約して良いではないか。何をそんな……」

 

「公爵、これはエノールの風評に関わります。公爵といえど次期伯爵の名に傷を入れるのはやめていただきたい」

 

「単なる噂であろう。何の根拠もなしに名に傷を入れるなどと……」

 

「問題は周囲がどう見るかです。公爵はエノールを早く義縁に入れたいのでしょうが、ここは万全を期していただきたい。エノールが社交界に降り立った時に誰に対しても胸を張って歩けるように、ご協力よろしくお願いする」

 

 アイジスが頼み込んで、それでもマルデリア公爵は苦い顔をした。公爵夫人は我関せずとエノールの話をする。

 

「私も娘さんにお会いしたけど、気立が良くて可愛らしかったわ〜。どうしたらあんな子に育つのかしら」

 

「エノールは私たちの自慢です。家のことで今まで苦労させてしまったのに、アルガルドの家を継ぐからと……私も母として誇らしいです」

 

「あらそうなの? てっきり屋敷に置いてくるぐらいだから嫌いなのかと」

 

 その言葉にミラルダは露骨に俯き、アイジスは不快そうな顔をする。

 

 公爵もまた婦人に加勢した。

 

「聞けば養子を探して嫡子を変えようとしていたそうではありませんか、アルガルド伯爵。一体何をお考えか。貴方の娘以外にアルガルド領をどうにかできる人間などいないというのに……」

 

「あれは……エノールからその重責を振り払うためです。本来であればエノールは女子、家督の重荷を背負う必要はありません」

 

「しかし、能力がある。ノブレスオブリージュ、我々のモットーではないですか。力あるものが力なきものを助ける。違いますかな?」

 

「それは……」

 

「エノールちゃんは領地のこと思って、売春が横行する領地を見て望まれぬ子供のため避妊具まで作ったと言うのに……あなた方夫妻は何をしているんですの? 五歳など、まだ誰かに甘えたがりの時期ではありませんか。いくら使用人がいたとはいえ、完全に放置するなどありえません」

 

 その言葉に二人は言い返せなかった。きっとここにエノールがいれば反論したのだろうが、その少女は今はいない。

 

「まあ、こちらとしても公爵家にエノール次期伯爵を迎えられればそれで構わない。慣習通りにと言うなら、そうしましょう」

 

「ご配慮、痛み入ります」

 

「しかし、公爵。あくまでも迎え入れるのはこちら、エノールがそちらの三男であらせられるレガルド・マルデリア殿を婿として取るのです。そこらへんをお忘れなきよう」

 

「分かっている。全く、細かいことにうるさいやつだ」

 

「……」

 

 伯爵は本来、地位としては公爵の二階級下だが、領地の規模によって公爵と対等に渡り合える。

 

 しかし、ユレグニスの態度はアルガルド伯爵家を目下に見たものだ。興味があるのはエノールだけで、それ以外には興味がない。彼女が変えた領地には興味が出るだろうが、まだ家督を彼女がついでいない以上、興味はなかった。

 

 早く婚約させて家督を継がせてしまって、いち早く伯爵としての手腕を振るってほしい。それが公爵のエノールに対する望みだった。あの才覚溢れ滲むようなエノールが伯爵としての権威を完全に振るいきれれば何をしてくれるのか、それが見たくてたまらないマルデリア公爵の心境は男児のようである。

 

 公爵夫妻が出ていって、アイジスは深くため息をついた。色々と問題はあったが、何とかエノールの損にはならなかった。エノールならもっと上手くやるのだろうが、二人にはこれが精一杯だった。

 

「あとはエノールに任せましょう」

 

「そうだな」

 

 もう二人にはエノールに頼ることしかできない。

 

 

 

 

 エノールが忙しくなったのは三年生の秋だ。商会から速達の手紙が来た。

 

「っ……嘘」

 

 そこには商人の一人が病気になり肌が黒ずんでいると書かれてあった。商会は商人を助けてほしいがためにエノールに手紙を出したのだ。

 

 病気の感染拡大は以前から予期していたことはあった。否、想定して対策していたと言ってもいい。そのために公衆衛生を徹底させて正しい衛生観念を街のトップに刷り込んだ。

 

 商人一人が病気になった程度なら驚くこともない。可哀想ではあるが、そういうこともあるだろう。エノールに協力している商会は多いのだ。そこに属する商人の中に病気になる人間がいてもおかしくない。

 

 しかし、肌の黒ずみは見逃せなかった。佐藤健の記憶を持るエノールには心当たりがある。

 

 それは佐藤健の生きていた世界で歴史上最も猛威を振るった疫病の一つだ。歴史に疎い佐藤健でもまともに授業を受けていたらその疫病が何をもたらし、どんな結果を引き起こしたのか知っている。あまりにも有名なのでほとんどの人が聞いたことがあっただろう。

 

 エノールの勘違いかもしれない。佐藤健の世界にあったものが必ずしもこちらにあるとは限らない。いや、その可能性は高いと言わざるを得ないだろう。『ベティクート』なんて獣は佐藤健は見たこともないし、逆にエノールは『羊』を知らない。それに似た動物なら見たことはあるが。

 

 しかし、エノールは商人の発症を見逃せなかった。病人の皮膚が黒ずむ。それを佐藤健の記憶ではある病気に関連づけた。

 

 ──ペストの可能性がある、と。






 黒死病、それは医学や感染症学に詳しくない佐藤健でも知っている。

 

 古くヨーロッパで猛威を振るった死病の一つだ。

 

 歴史の上では何度も大流行して当時の世界人口の大部分を削っていたと記憶している。専門外のことについては記憶が曖昧だが、数億人規模で死者が出たはずだ。

 

 佐藤健が黒死病について知っていることは三つ、病原菌の名前が『ペスト菌』であること、高い致死率を誇ること、皮膚が黒ずむこと。それだけだ。

 

 高熱や頭痛もあったかもしれない。下痢や嘔吐、その他出血もあったやもれしれない。圧倒的に専門知識が足りていないのだ。佐藤健は医者や疫病学者ではない。

 

 しかし、それでも危険性はわかる。万が一、それがペストだとすれば恐ろしいことが起こるかもしれない。王国が崩壊し、それだけにとどまらず大陸で猛威を振るう可能性がある。そうなったらお手上げだ。

 

 エノールは二十二歳に処刑されることとなっていたが、それは裏を返せば二十二歳まで生きられるということである。

 

 しかし、星見の儀式で見た未来は往々にして変わる。二十二歳を待たずして、エノールがペストで死ぬかもしれない。それほどまでに凶悪な病気だと理解している。

 

 勿論、自分だけ逃げれば問題ない。エノールは仮にも貴族なのだ。それぐらいはできるだろう。家族と一緒に逃げてもいいかもしれない。

 

 しかし、それは全ての問題と人間達を見捨てることになる。自分だけが生きていればいいという精神で今まで協力してくれた人たちを裏切ることになる。エノールには到底そんな真似はできない。

 

 それでも、もしペストがやってきたのだとしたら、王国は滅亡するしかないかもしれない。王の覚えをよくするとか、貴族のコネクションを作るとか、そんなこと言ってられない。

 

 全ての前提が覆るのだ。そのポテンシャルを秘めたのがペストだ。舐めてはいけない。

 

 しかし、そこでエノールは思い至る。病気はどこかからやってきたのかという問題だ。

 

 アルガルド領は海に接してない。であれば、陸からやってきたことになる。しかし、この国で疫病が流行して多大な死者が出ているとは聞いていない。

 

 それはエノールの知っている(正確には佐藤健の記憶にある)ペストとは多少事情が乖離している。アルガルド領まで陸路で伝播してきたのなら、王国の各所に散らばっているはずだ。

 

 しかし、そうなったときエノールの知る黒死病は容赦しない。あれだけヨーロッパで暴れ回ったのだ。少なくとも百万単位で死者が出なければおかしい。

 

 もしやすれば、この時代の人々はその病気に免疫があるのではないか。なんだかよくわからないが、とにかくエノールの知っている黒死病とは多少事情が異なっているように思う。とにかく現状が確認が最優先だった。

 

 エノールはすぐに返事を書いた。医者の見地に基づいた商人の詳細な症状について情報を求め、肌の黒ずみはエノールの知るとても危険性の高い病気と共通点があるとした。

 

 その可能性を踏まえて緊急的な対策が求められるとし、その商人を隔離するよう指示した。一切誰とも会わせてはならず、同居人がいるなら住居を別にすること、看病をするのであればマスクと白衣と手袋を着用し、病人に麦と野菜を塩を入れた湯で煮詰めたものを食べさせるように命じた。

 

 その者の命を諦めない態度を示しつつ、感染拡大防止を徹底させ、同居人がいないのであれば無理に接触しないこと、飛沫感染と接触感染の容易さを説明し、エノールの知る『黒死病』はそうなった場合、とても高い確率で死に至ることを手紙の中で説明した。

 

 商会に暗に『助けても無駄になる可能性が高い』ことを示唆しつつ、エノールの予想した病気ならば王国全土に広がる可能性もあるとして、この領内で食い止めなければならないと商人達の退路をたった。逃げたとしても王国内であれば意味がないと言ったのだ。

 

 バルターと共に商会が手紙を出した日付を逆算し、更に発症までの期間を五日以上と仮定して、その商人が病気にかかったのは十日以上前だという前提の元、十日以上の日数をかけて商人が移動できたであろう行動範囲を割り出した。

 

 そして、その範囲にある診療所に手紙を出し、皮膚が黒ずむ病気が蔓延しているため同じような症状を持つ病人に注意せよ、感染した人間は隔離を徹底して、その病気に感染した人間と接触するときは白衣・手袋をして口を厚い布で覆い隠すようにと念を押した。

 

 更に診療所の医者と町長に住民に対して口元を布で覆うようにと促した。伯爵の名を使い、危険な病気が広がっているため口元を見せてはならないこと、でないと病気にかかってしまうと言ったのだ。

 

 住民は医者の言葉を信じているし、伯爵の名前で病気が広がっていて町長が血相を変えて指示を出すのだ。前者には積極的に、後者にも渋々と従うものである。この時のためにエノールは診療所に反感が向かないように細心の注意を払っていた。

 

 更に町に対してある戒律を課した。決してマスクをしていない(口元を布で覆っていない)人間を町に入れてはいけないとしたのだ。破った場合は伯爵から厳しい罰が待っていると書いて、命令書まで出した。想定される病気の恐ろしさを何度も強調した上で、町の人間が徹底するように仕向けた。

 

 それは町や村を行き来する巡回型商人による病気の蔓延を恐れてのものだった。まず間違いなく彼らが病気の蔓延に一役買うだろう。早とちりならそれでいいのだ。自分が一時笑われるだけだし、それで伯爵の権威が失墜するわけじゃない。むしろ迅速な対応に見直す領民も出るだろう。

 

 しかし、もしエノールの予感が外れなければ、そう考えるとエノールは動かざるを得なかった。すぐにギルベルト達農学者と事業経営を始めたと報告を入れてきたネルコに自宅待機を命令した。

 

 決して人にあってはいけないこと、会うのなら厚い布で口元を覆うこと、外に帰ってきたら肌が荒れるだろうが石灰を十分に混ぜた水で手を洗うことを指示した。彼らを失うわけにはいかないのである。事態をすぐに飲み込めないだろうと思って、事態の重さを手紙で何とか伝えた。

 

 ギルベルトに関しては町長が手紙を代読してくれるので説得してくれるだろう。彼がいる町にも手紙を出すし、ネルコに関しても危機意識は高いはずだ。大人しくしていろと文面できつく言い含めてある。

 

 しかし、ここまでしても現実とは残酷なものだ。すぐに商人の行動範囲と見られた場所から手紙が届いた。肌が黒ずみ咳や高熱、頭痛を訴え精神的に錯乱している病人がいくつも現れたと。

 

 咳ということは飛沫感染だ。診療所の医者に恐ろしい病気が広まっているから口元を厚い布で覆えと住民達を説得させることにした。何度も何度も手紙で同じことを書くのは、事態を必ずしも他の人間が理解しているとは限らないからである。変に軽んじられて感染が拡大すれば……目も当てられない。

 

 次々に届く悲痛な手紙にエノールは対応に追われた。昼夜も問わずに速達で届けば全て自分に通せとバルターに命令し、執事長もそのように行動した。

 

 蝋燭の灯りの元、頭を悩ませながら手紙を書き送る。医者達にはどんなことでも細かく報告すること、手紙を出しすぎても構わないし毎日送ってもよいとして、とにかく事態の大変さと報告の重要性を手紙越しで説いた。

 

 体の表面に横痃──ぶつぶつが現れ、それから数日後に体表が黒く壊死し、報告では八割もの人間が死亡した。


 エノールは死体がベッドの上であれば遺品と一緒にベッドごと死体を燃やし、地面の上であれば可能であればその場で死体を燃やすこと、できなければ白衣・手袋・マスクを着用した後に死体を動かして遺品ごと焼却し、遺体のあった場所は燃やすか石灰をばら撒いて子供を近づかせるなと指示した。

 

 地域によって伝統的な葬儀方法が受け継がれているところもあるだろうが、今はそんなこと言っている場合ではないので伯爵名によって何としてもこれを履行せよと、恣意的に違反した場合、処刑に準ずる処分を下すと脅した。

 

 処刑と書くときのエノールの手は震えていた。こんな悍ましい文字を自分が書くとは思わなかったからだ。病気で人々が大変な時に、自分は度量の深さも見せられないのかと嘆いたが、一歩間違えて感染者がまた一人増えれば更にもっと多くの人が感染する。やむを得ないことだった。

 

 エノールの厳格な指示はすぐに波紋を呼んだ。伯爵が強権的に事態の収拾に動いているのである。只事じゃないと商人の一部は逃げていた。

 

 しかし、エノールに協力していた商会はこれが稼ぎ時なのである。前々からこの時を想定して、感染が拡大することを前提に動いていたのだ。エノールは診療所の治療を全て無償として、かかる医療物資や食料の購入費用を騎士達に払ってもらうよう促した。

 

 そんなこと全く聞いていない騎士達は最初はごねたが、すぐにエノールの手紙を受け取り血相を変えた。いつも私腹を肥やしている騎士達のここが正念場だ、ために貯めているであろう財を使って民達を救えとエノールから指示が来たのだ。どういうわけか、アルガルド伯爵家の家印まである。

 

 それは父が報告を聞いて、きっとエノールが必要だろうとアイジスが学園に送ったものだ。これのおかげですぐにエノールは対処が可能となって、騎士達を黙らせることができた。

 

 金銭が尽きれば同封している破産申請書を書いて屋敷に送るか、商人達に渡せば伯爵家が肩代わりするとエノールの手紙には書かれてあった。一見、エノールは事態収集のために手を尽くしているように見えるが、勘の良い騎士はこれがエノールによる策略だと見抜いた。

 

 外出中は徹底して飛沫感染防止のための口布の着用を義務化し、行き来する商人は特に徹底させ、死体の処理は万全を期した。そこには故人の死を悔いる間もなかったが、そのおかげで感染拡大は食い止められていた。

 

 このまま事態終息に向かうのかと商人が安堵と落胆のため息を漏らしたところで、アクシデントが起こる。今度は行動範囲外の地域で同じ黒ずみの病気が確認されたのだ。

 

 当然と言えば当然だ。領外から病気がやってきたのだから、別の場所からまた入ることも予想するべきだった。しかし、エノールは行動範囲の更に外を行動予備範囲と定め、行動範囲域に準ずる警戒を敷いていたが、その外は警戒範囲として診療所の医者に注意を呼びかける程度だった。

 

 またも手紙の逆算によって今度は病気の感染経路も大まかに定め、第二行動範囲を定め、同じく病人の隔離、口布の義務化の徹底、死体の処理などを敢行した。

 

 ここでもまたトラブルが起こる。死体の処理や口布の義務化がうまくいかなかったのだ。住民の何割かが反発して命令に逆らったことで、更に感染は拡大した。

 

 第二の病原確認地とその周辺は地獄のような有様になった。徹底した管理にも拘わらず、住民の大半が罹患し、半数以上が死亡した。

 

 死体の処理が完全とは言い切れなくなり、更に早馬のように事態は悪化していった。第一の病原確認地を基軸とした感染よりも、第二の病原確認地を基軸とした感染の方がはるかに広大だったのだ。

 

 ペストが強力なのは知っていたが、ここまで感染が早いのだろうか? 宿主がすぐに死ねばそれだけ感染は遅れるものだが、自分の知っているペストとは何かが違う気がしてならなかった。

 

 第一の感染拡大を食い止められたのは幸運とも言える。何せ、エノールの方が対処に機敏だが、アルガルド領の伯爵は父のアイジスなのである。それが対応の一元化を阻み対処に遅れが出た。すぐにそれに気づいてエノールが父に対して対処の方法と注意点を書き記した随分と長い手紙を速達で出したが、それは第二の感染拡大が勢いをつけた後だった。

 

 第一の感染拡大は範囲にして領地の一割にとどまったが、第二は領地の三割に届いた。第一感染拡大地では徐々にだが事態が収束しているのに、別の場所から出てきた第二の感染拡大は食い止めきれなかったのだ。

 

 いくつかの村や町は機能不能となりパンデミックが起こった。住民達が流れ出したことで更に近隣の町に人が流れて……とよくない流れができたところでエノールは交通を規制させ、アイジスにも逐一自分の対処を報告した。

 

 流れ込んだ住民をその街で押し留め、徹底的に隔離し病人を炙り出した。その上で診療所の医者に全力を持ってあたらせたが、最終的にそうやって他の街に流れ込み、抑留させられ、生き残ったのは全体の四割にとどまった。

 

 しかし、抑留させたにも拘わらず町では感染が広がった。何か対処に漏れがあったのかと思ったが、そこでエノールは思い至る。彼は医者ではないが、病原菌を世界中にばら撒いて全人口を死に至らしめるという何とも悪どいシミュレーションゲームならやったことがあるのだ。

 

 確か都市に感染を蔓延させる時にはネズミを媒介にすれば良かったのだと思う。その可能性に今更になって気づいたのだ。

 

 破産した騎士は第一次感染では四人に収まったが、第二次感染ではゆうに十二人を超えた。更に波紋は広がるだろう。すでに半数が破産しているのだ。

 

 町ではネズミを見つけた場合、徹底的に殺すよう命じた。それらが病気を蔓延させている可能性があると手紙に書くと、町の住民達は鬼の形相でネズミを追いかけ回した。やりどころのない恐怖と怒りを鼠にぶつけたのである。

 

 商会には交通規制を敷いた町や村に食料を届けさせた。協力している商人達には徹底した感染防止の術を教えて、やり過ぎなまでにこだわらせたので、商人達もいくらか安心したようだった。届ける際も町の住民達にはなるべく接触しないよう指示した。

 

 自分が言わなくても商人達はそうしたろうが、エノールが後押しするというのが良いのだ。エノールは商人達の気持ちになって、それでも自分たちを頼っているのだと。

 

 エノールの借金もまた増えていった。マルデリア家やピレライン家に頼り、食糧援助を求めつつ、アルガルド領からやってきた商人を自領にいれないよう助言した。

 

 本来ならあり得ないことだが、それほどまでにエノールが事態収拾に躍起になっているというスタンスを示すためでもあるし、そもそもこのタイミングで領外に出ている商人に優しくする気はない。あの二家に力を失ってもらっても困るので、アルガルド領の商人には厳しくしていいと言った。

 

 さて、病気の蔓延と収束はセットである。この事態をエノールがどう収束させたかといえば……答えは一つだ。

 

「……そう、私に行けっていうのね」

 

 いつも助けてくれた杖、毎日対応に追われる日々の中朦朧とした心境で現実逃避のように杖を握って病気を何とかしてくれないだろうかと念じてみた。

 

 それは紛れもなく現実逃避だった。疲れたから少し考えを紛らわせたくて……本気で杖に頼ろうとしたのではない。この状況でそれに頼る気はなかったし、そもそもエノールはこの杖に触れること自体消極的なのだ。

 

 それでもエノールがその杖に触れたのは、ある種の信用とも期待とも言える。もしかしたら、今のアルガルド領を何とかしてくれるかも……なんて漠然とした期待を抱いて、その杖は期待に応えた。

 

 声援が、白い炎となって部屋を彩った。この杖は、そういえばいつも自分の願いを叶えてくれていた。念じる願いにふさわしい力が備わっていたのだ。

 

 鳥にはしてくれなかった、マントにもならなかった、けれど、エノールは杖による現象を見て理解した。『病気を何とかしたい』というエノールの願いに杖が出した答えがこれなのだ。

 

 つまり、この炎は病気を何とかする力を秘めている。とくれば、効果は一つだけだ。やることも一つだけだ。

 

 これで、病気になった人たちを焼き殺せ。死体を燃やし尽くせ。そういうことだった。

 

 黒き死を、白き炎で浄化する。それは杖からの『声援』であり、『聖炎』であった。

 

 エノールは、万が一自分が動く事態となる時のために用意していた足の早い馬車を使って、病気が蔓延した都市を巡る旨を、すぐにバルターのいる部屋に向かって深夜に告げた。

 

 執事はいきなり起こされてみれば何事だと困惑し、エノールを止めたが、エノールは諦めたような顔をしていた。その顔はクマがひどい。連日届く村町からの悲痛な叫びを無視し続け、淡々と対応の手紙を送り続けた結果である。一ヶ月もすればこの少女は消尽していた。

 

 執事長はその顔に全てを悟って、主人の覚悟に頷きで答えた。エノールの指示を聞くまでもなく支度をして、エノールはレガルドとアリスに手紙を残し、学園を去った。

 

 それが見つかったのは、エノールが教室に現れないことに気づいたアルベレットが彼女の部屋を訪れた後である。


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― 新着の感想 ―
[一言]  友人に勧められ、ここまで一気読みしました。大変おもしろかったです。  僕は普段ハーメルンというサイトに生息しているのですが、この作風的に、あちらの住民からの需要が高いのではないかと思いまし…
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