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女の目覚め

 通らないと思われていたエノールの要求は何とあろうことか職員会議で通ってしまった。理由は学園側もまたエノールに対して負い目があったからである。

 

 エノールは自分で教師達を説得したのだ。職員会議にて自分が次期当主の立場であって、男子に求められている資質の幾らかを自分も求められていること、淑女の嗜みをおろかにする気がないこと、領地をどうにかするべく時間を無駄にはできないこと、それらを得意の交渉術で言葉巧みに説明した。

 

 エノールの話術のおかげか、はたまた学園側の配慮かエノールの要求は受け入れられた。本人に嘆願されては大きな借りのある学園は断れないだろうと踏んだのはアルベレットだった。彼女がエノールに直接交渉するよう持ちかけたのだ。

 

 エノールであれば交渉で間違うことはないだろうという判断だった。信頼と言ってもいい。少なくとも自分が出るよりは良い結果に転ぶであろう。


 さすがに一生徒を信頼しているなど教師として腐ってしまいそうだが、それもエノールに関してならご愛嬌であった。この少女はいつも『規格外《イレギュラー》』なのである。

 

 女子生徒達の間ではエノールが頻繁に男子生徒の教室を出入りしていること、男達が群がるようにエノールの周囲に集まっていること、こちら側の授業を度々抜けていることが噂された。どれも事実だったが、アリスベリアやその取り巻き達が表立って悪評を広めることはなかった。

 

 アリスベリアもまたエノールに負い目があった。一度謝罪をしたが、あの時は無我夢中でもう一度冷静になってから話がしたかった。その上ですまなかったと言いたかった。

 

 しかし、取り巻きや教室の雰囲気がそれを許してはくれない。別にアリスは何も恨んでいないのに、アリスの取り巻き達はエノール許すまじとなっていたのだ。これにはアリスの方が狼狽した。

 

 部屋に赴くことを考えて、自分がエノールの部屋を訪れたらあらぬ誤解を招きそうだと断念した。エノールに迷惑をかけたいんじゃない。もう一度謝りたいのだ。それだけではなく、だんだんと友人になれないものかと考えていた。取り巻き達と次第に感覚が合わなくなっていたのだ。

 

 エノールは段々と授業で成果を出し始めた。最初は苦手だった刺繍を克服し、今ではアルベレットから褒められるようになっている。周囲はアルベレットのお気に入りだからと言っていたが、アリスは先生がそんなタイプではないことを知っていた。

 

 エノールにいじめられたのではないかと勘違いした時にかけられた優しさも、真実がバレて怒られた時の厳しさも、その後に励まして頑張るように伝えられたことも全て嘘ではないようにアリスには感じられた。たとえお気に入りであってもよくないものであればよくないとアルベレットは断じるだろう。

 

 アリスの目から見てもエノールの作品は美しく見えた。美しい子が美しいものを作っている。その姿に見惚れたこともあるが、周囲にはエノールを睨んでいたと誤解された。その件でアルベレットに呼び出され、事情を説明して同情された。やっぱり、あの人は周囲の言うような人ではないと思う。どちら《エノールとアルベレット》にしても。

 

「……」

 

「……」

 

「……え──」


「アリスさん! 食堂に行きましょう!」

 

「あっ、うん。そうね」

 

「あっ、もしかしてアイツと──」


「いやいや、なんでもないから!」

 

「……そうですか?」

 

 取り巻きの一人に変な顔をされてしまった。思わず声を大きくしてしまって、教室の注目も買ってしまう。

 

 エノールが食堂に行ってしまって、アリスは残念がるのだった。

 

 

 

 食堂に向かうと多くの生徒が昼食をとっていた。雑然と席に座る光景は貴族の子弟であってもやはり学生だと感じさせるものがある。

 

 エノールが食事を始めると、そそくさと周囲に人が座る。見ると男子生徒達だった。最近になって授業を一緒にするようになった生徒の一人だ。

 

「こ、こんにちは、アルガルドさん」

 

「ご機嫌よう」

 

「ご、ご一緒してもいいですか?」

 

 授業で習った敬語を実践して、片言になってしまった男子生徒にエノールはひまわりのような笑顔を向ける。それに男子生徒は至福を感じるのだ。

 

「勿論」

 

「ありがとう……」

 

 所詮は十一歳である。エノールを口説くことなどできなかった。

 

「エノールさんは何で俺たちと一緒に授業を受けてるの?」

 

「……私は伯爵家の娘ですが、男兄弟がいないために嫡子です。次期当主としての立場がありますから、学園に頼みました」

 

「へ〜、すごいな。それでよく学園も許したね」

 

「貴方方が政治や内政、軍事のことを学ばれているのはこの国の将来を切り拓くため、家を守るためでしょう。そして、私も次の当主として家を守らなくてはいけません。そのために男子生徒の方達と混じって授業を受けさせてほしいと言ったら、意外にすんなりと」

 

「へ、へ〜、すごいな〜」

 

 それは煽てる意味もあったが、つい口から溢れた言葉でもある。

 

 それで学園に許可を出させることもそうだし、自分たちとは考えが違うのだ。彼らはなぜ自分たちが軍事やら政治やら内政などの勉強をしているか、考えたこともなかった。

 

 エノールとは感覚が違う。彼女は既に家を守るために将来を見ているのだ。大人相手に通じる方便を考えられたのもすごいし、何より大人みたいなことを言うと感心していた。

 

 この国の食事中の礼儀作法は大別して二種類ある。

 

 家族だけで行われる食事会は基本的に静寂に包まれたものだ。食事中に喋るのは行儀が悪いとされている。夕食などでは蝋燭の灯りだけで真っ暗な中食事を済ませる。宗教的な儀式的側面が強い。

 

 それに対して、外交や商談の場ではそうも言っていられない。食事会もまた立派な交渉の場の一つなのだ。基本的に相手が食べている時は話しかけず、口に食べ物がなくなってから話をする。場合によっては食事しないのがマナーとされるタイミングもあるのだ。

 

 此処での食事はそれほどマナーを気にされてはいない。エノールが食べている中で男子生徒達は次から次に質問する。

 

「大人達が言ってたんだけどさ、なんで『名ばかりの伯爵家』って呼ばれてるの?」

 

「……財政的な面が一つ。うちは農作物の税率が四割で、その半分を騎士に中抜きされています。他産業の収入も低く、比べると他の伯爵家の十分の一しか可処分所得がありません。もう一つは貴族の義務を果たしていないでしょうからね。外敵から領地を守るという義務に対して私の家の領地はそれはそれはひどいものですから……私も旅の道中で盗賊団に出会したことがあります」

 

「えぇっ、それ、大丈夫だったの⁉︎」

 

「大丈夫でしたよ。けど、大変でした。都市にも犯罪者は蔓延っているし……やっていられません」

 

「俺なら犯罪者どもを斬り殺しちゃうな」

 

 その言葉に、エノールは盗賊団を討伐した時のことを思い出して顔を顰める。

 

「犯罪者であっても殺していいとは限りません」

 

「そう?」

 

「世の中、ままならないものです。無くしても次が現れるだけであったり、街にとってなくてはならない存在であったり……領主のように振る舞う犯罪者もいて、彼らは功罪一体なのですから」

 

 エノールの話が教師の授業と同様に難しくて、令息達は顔を顰めてしまう。

 

「…………ごめんなさい、あまり面白くない話でしたね」

 

「いやいや、全然!」

 

「私は交渉ごとしか向いていませんから……馬鹿話でもすれば、打ち解けられるのでしょうけど。アルベレット先生に怒られてしまいますから」

 

「アルベレットってあの怖い教師?」

 

「うへ〜、俺、あのおばさん嫌いなんだ」

 

「怖い人ですよね、私もたまに耳を疑います」

 

「だよな〜」

 

「けど、私にとっては唯一無二の恩人です。学園とのとりなしをしてくれたのも先生でしたから」

 

「……」「……」

 

「それでは、私はこれで」

 

「あっ」

 

「また食事に誘ってください」

 

 エノールが男子生徒にウインクをして、された方は釘付けになってしまうのだった。

 

 

 

 

 私は……異質な記憶を引き継いでいる。

 

 その記憶は人格を内包し、いろんな時代の人格はあれど、基本的には二十代の男として佐藤健の人格が私の中にあった。

 

 しかし、段々とそれらがエノール(わたし)の体に馴染んでいるのが実感できる。たとえば、女性の体に興奮しなかったり、逆に男性の胸板に少し憧れを向けるようになったり。


 男性の肉体美が逞しいと思うのだ。これは明らかに佐藤健のものではない。むしろ佐藤健の精神が顕著であれば自分のこの感覚に『気持ち悪い』と思うだろう。それが意味することはオリジナルである私の人格が強まっているということだった。

 

 特に最近は精神が女性のものに近くなっている。原因はおそらく十一歳の誕生日の後に来た生理だろう。初経を経験した時、私はひどく狼狽した。

 

 眠っていたら突然目が覚めて、何となく下着を弄ってみたら温かいものが手についた。その日は満月で、カーテンを開けて見てみるとそれらが赤黒く見えた。そこでようやく私は自分の身に起こっていることを理解した。

 

 目の前の光景が自分にようやく生理が来たのだと実感させた。初めての感覚に戸惑った。佐藤健の記憶に初経の体験なんてないのだ。どうすればいいかわからなかった。


 こんなことなら女の体についてもっと勉強しておくべきだった、という教訓は絶対に生かされない。知りようがないのだから。

 

 手遅れな後悔を抱きながら私は、無我夢中でアルベレット先生の元を訪れた。深夜だったというのに先生は怒ることなく、私にシャワーで洗い流すように言って、私の下着を洗ってくれた。

 

 この時期にはよくあることだったそうで、最近になって何度も生徒に相談されたそうだ。そういえば教師が生理について教えて、何かあれば教師に相談するように言っていた。しかし、アルベレット先生の元を訪れたのは無意識だったと思う。

 

 薄暗い蝋燭の灯りの元、話を聞いてくれて、これから自分の体がどうなるのか、女らしくなるとはどういうことなのか、妊娠できる体になるとはどういうことか、毎月の生理がどんなものなのかを実体験や人伝の話を交えて教えてくれた。

 

 私は完全に目が覚めて、むしろ青ざめていたと思う。先生はそんな私を気遣ってクッキーをくれた。なんでも王国では初経を迎えた女子がクッキーを食べるのが伝統なんだそう。深夜だったけどそれを口にして、私はひどく心が安らいだ。

 

 急激に眠くなって、私は自室で眠るように促された。何ならアルベレット先生が添い寝してくれるということだったが、私は先生に悪いだろうと断った。先生はちょっと残念そうな顔をしていたが、少しお茶目なんだろう。同性としてかわいいと思った。怒られるから言わないけど。

 

 思えば私の精神は生理を迎えるまで無鉄砲というか考えなしというか、慎みがなかったと思う。女の自意識がありながら佐藤健の人格が紛れ込んで……どこかで男のように振る舞っていた。恥ずかしさとか慎みと無縁だったのはそのせいだろう。

 

 私は月経を迎えるようになって、急激に体に釣られて女になった実感が湧いた。そして、佐藤健の記憶では理解できなかった女性の気持ちがわかるようになった。

 

 まず、生理は辛い。私はそこまで重い方ではない思うが、軽い方でもない。普通に吐き気とか頭痛もするし、耐えられないほどでもないが、股から血が出るのは不快感がする。じきになれると言われたから、最初だけなのかもしれない。でも辛い。特に毎月拘束される日があるのが時間的に辛かった。

 

 それから女性の生理の匂いに敏感になった。それから男性の……何と言えばいいだろうか。男性的な匂いというか、フェロモンにも敏感になった。


 こっちは男子生徒の教室に混じるようになって感じたことだ。アルベレット先生に見栄を張ってしまったが、私はけっこう意識してしまっていた。それを悟られるのも具合が悪いし、何より一緒に授業を受けてくれている男子生徒の人たちに悪いので言わないようにしていたが、内心割と気にしていた。

 

 教師の方の、大人の男性らしさに目が映ってしまう。私はそんな自分を恥じた。月経を迎えてから、日本にいた頃スマホで見た知識を思い出して……初めての自慰も経験した。


 女としての性欲も初めてのもので、困惑して……きっと何の知識もなかったら戸惑うだけだったんだろうが、情報社会であった日本で生まれた佐藤健は『女性の自慰行為はおかしいことではない』とする当時の価値観を持っていたために、私は自分に許しを与えることができた。

 

 こう考えると佐藤健としての記憶は私にいろんなものをもたらしている。本来あるはずのない記憶や知識、それから男としての価値観や考え方、男の性欲の感覚はもう朧げだが、生理前はよく思い出していた。再現することは叶わなかったが、女としての自覚が急速に根付いた今も私の人格形成において多くに役立っている……はずである。

 

 そして、女性としての欲情を経験してから男性を怖く思う感覚に同意した。自分が無理やり犯される想像が現実味を帯び始めたのである。


 もし同世代の男の子に手を掴まれて、そのまま服を脱がされてしまったら……佐藤健であった時はあんなに興奮したはずのシチュエーションが、私にとっては恐怖の想像でしかなかった。

 

 恐怖や悲しみなど一つの感情で頭を塗り潰される経験など男であったらあるはずもない。ホルモンバランスが云々という話な気がするが、男の場合そう言った煩わしさがほぼゼロなのだ。同時に誰にでもさせる娼婦の人の考え方を理解しかねて……でも、ある部分では共感もできた。

 

 きっと私は愛してもない人に抱かれる。実際にそうなればただただ虚しいだけだろうが、それに備える身の今は……その倒錯的な状況に思いを馳せて、自らの体を慰めた。今のうちに心の準備をつけているのである。これはその予行練習、もしくは精神的な防衛行動とも言えた。


 記憶の蘇った当初は記憶の覚醒率が高かったのだろう。段々とそれらが新鮮味を失って過去に思い出した記憶となるにつれて、男と女が曖昧な幼少期を経て明確に体が分化すると、体に釣られて私の世界は変わった。

 

 十一歳の秋、一年生の後半に私は女となった。 

 

 



 

「っ、っ」

 

 自分の愚息を慰める。レガルド・マルデリアはあてがわれた自室で一人遊びに耽っていた。

 

「っ、っ、っ……」

 

 それは男が自らの体を男とせんための儀式。栄えるようになった自らの男としての性欲に向き合うための本能。生殖機能を保つために必要な行為。

 

 言い方はいくらあれど、子供は幼い頃から自慰をする。それがどんな形であれ、性的感覚の目覚めとは幼児期の親とのキスから始まるのだ。

 

「…………………っ」

 

 たとえ子供でも人間だ。人間なら欲望を持つ。そして、子供は欲望に素直だ。親からもらった腸内の常在菌を成長とともに多様化させ丈夫なはらわたを形作るように、子宮から出て外界での時間サイクルになれず、眠れないままに夜泣きさせてしまう赤子のように、芽生えたものを、受け継いだものを、何とか花開かせようとしているのだ。

 

 レガルドの朦朧とする頭を塗りつぶしていたのは、妄想の中のエノールの裸だ。それを見たこともないのに思い浮かべて自慰に耽る。此処最近の日課だ。

 

 そして、令息は果てる。呆然として、自分の手に白いものがついていることに気づいた。

 

「…………」

 

 レガルドはその意味を理解しない。しかし、子供ながらによくないことをしたのだという意識はある。

 

 レガルド・マルデリア公爵三男は男となった。彼を男にしたのは妄想の中のエノールだった。

 学園編を執筆するにあたって、エノールたち少年少女の成長を描くのに初経と精通は必ず入れたいと思っていました。


 幼年期の男と女の曖昧な時期にエノールは佐藤健の記憶を得たことによって人格が男に近くなりました。恥を知らないために馬車の中でスカートをバタつかせても気にならなかったわけです。


 しかし、初経を経験したことによりエノールの体は変わっていきます。佐藤健の記憶は過去のものですから、当然今を生きるエノールは体に引っ張られて人格が男性から女性へと近くなっていくでしょう。


 思春期の揺れ動く様を描く上で、異性への興味や性の高まりは描写すべきことだと思いました。


 エノールの性事情に関して、彼女の性自認がいずれに分類されるかはともかく、生物的に女性である十二歳のキャラクターの自慰に関して言及するのはいかがなものかと思われるかもしれません。しかし、表現は文学的な範囲にとどめていて、尚且つ彼らの成長を描くには必要なことだと考えています。


 キャラクターを生々しく描く上でこそ子供の性はあるタイミングで描くべきものだと感じております。無論それらは最小限かつ慎重に行わなければなりません。


 子供達の成長の過程で、性の芽生えは感性に大きな影響を与えます。そこを描かなければ、一足飛びでエノールの精神が成長したことになってしまいます。私は、できればそのようなことはしたくありません。


 よって、これからもメインキャラクター達のデリケートな部分にも触れていきたいと考えておりますが、十分に医学的・教育的観点を確保することを念頭に入れ引き続き執筆するので、今後とも読者の皆様のご理解のほどよろしくお願いいたします。


 ニュー蛇 より

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