二年生の始まり
三人達が叱られた件は光のような速さで学園に広まった。彼女らを馬鹿だと蔑むものや、明日は我が身だと反省するものなど、反応は様々だ。
彼女らはアリスベリアの取り巻きだった。しかし、彼女らのしでかしたことにアリスは一切関わっていない。馬鹿なことをしたものだという感想しか抱かなかった。
エノールが平然とする中で、教室は微妙になっていた。事情を知らない教師は戸惑い、全てを知るアルベレットは何事もなかったかのようにその空気感をスルーした。授業で触れることもない。
周囲の幾らかにはエノールに対する遠慮が垣間見える一方で、まだ恨みを抱く生徒もいた。そんな蠱毒の流壺のような教室でエノールは……平然としていた。これにはアルベレットもため息をついてしまう。
あの厳格なアルベレットがため息をついたぞと教室は騒然となった。その理由がわからないものは困惑し、エノールだと当たりをつけたものは彼女を睨みつける。当の原因はまったく気にしていない。そもそも気づいているかさえ怪しく、彼女は周囲の変化に対し依然として無頓着だった。
エノールへの嫌がらせは次第に匿名化し、アルベレットに一応報告するのだが、相談された方は頭を抱えてしまうようになった。どうしてこうもエノールに執着するのか、教師歴十年の経験を持って理解し難かった。
机に花など置かれた時はエノールが一切気づかなかった。
これは誰がくれたのだろうと悪意に一切気付かずに、アルベレットがそれを見つけて大いに怒り狂った。誰の仕業だと教室に怒鳴り散らして、ついに犯人は現れなかった。
それは典型的かつ代表的な陰湿極まりないいじめ、葬儀の花を模したものだとアルベレットは教師としての経験からすぐに気づいた。よもやこんな……エノールの魂の葬儀という極めてデリケートかつセンシティブな聖域とも言える儀礼事を穢してまで、エノールを辱めたがったのだ。
アルベレットはこの事件に大いに憤慨し、職員室で学園として犯人探しをするよう求めたが、事態があまりに大きすぎると学園長を含め教頭達は渋った。
確率としては犯人は法衣貴族の娘である可能性が高い。その場合、伯爵家の娘に法衣貴族の娘が『葬儀の花束』を机に置いたということになる。
しかし、エノールは次期当主だ。それは伯爵という地位を汚したことにも等しい。この件が犯人の家の取り潰しだけで済めばいいが、エノールの父は大いに怒るだろうし、学園どころか宮廷も巻き込んでの騒ぎになるだろう。
それはエノールのためにもならないという詭弁のもと、正義感から訴えたアルベレットの訴えは退けられた。要するに学園側も大事にできない理由があったのだ。
それどころかこの件に関して箝口令も敷かれて、徹底的に事件は隠蔽された。学園長からは全校集会でありがたいお言葉がかけられたが、アルベレットは満足しなかった。もはやこの問題はエノールだけのものではなく、アルベレットの学園長を除く教師陣との長年の確執問題へと発展していた。
アルベレットは内心罵詈雑言を持って教頭達を糾弾したかったが、エノールに報告するときは努めて平然としていた。自分の生徒に残念な結果を伝えねばならないことにアルベレットは歯噛みした。
「申し訳ありません、エノール」
「……」
流石のエノールも今回の件は堪えたようで、今までアルベレットが見たこともないような困った笑顔でエノールが言うのだ。
「仕方ないです。ありがとうございました、アルベレット先生」
「っ……!」
予想外だった。あの飄々としていたエノールは、もしかしたらこの件も何てことないというふうに流してしまえるんじゃないかと勝手に期待していた。
そんな訳ないのに、あんな真似を受けていくらエノールでも応えないわけがないのに、自分の楽観的な考えにアルベレットは反吐が出た。この子にこんな顔をさせるために自分は教師になったのではないのに……自分の未熟さに胃に立ち込めるような不快感を覚えた。
アルベレットはエノールがまだ十一歳であることを忘れていたのだ。先月、誕生日を迎えたばかりである。家族に祝われたと聞いたが、エノールが誕生日会に友人を招いたという話は一切聞かない。
自分は認識として甘えていたのだ。いつの間にかこの子なら大丈夫だろうと……あまりにも気持ちが悪く醜悪と思える考えを抱いていた。その夜にアルベレットは自分の髪を切り、全てをやり直すことを決意した。
アルベレットは髪の着飾り方も得意だったので、そこまで外見が変わるようなことはなかったが、それでも明らかに髪を切っている。淑女の髪は常に一定に保つのだと言っていたのがアルベレットだ。一体何があったのかと生徒は噂話にしけこんだ。
それから一年が経ち、エノール達は二年生となる。『葬儀の花束』事件はまだエノールの心にくびきを残していた。
エノールは友人と言っていい友人ができずに二年生を迎えていた。自分の茶髪の髪に春の麗らかな風がそそがれる。王国では珍しい土色の髪もまた、エノールに衆目を集め奇異の視線で見られる原因の一つだ。
エノールは学園での生活を淑女としての嗜みと領地の経営、それから学習のために費やしていた。途中でそういえば学園に入ったら専門知識を漁るのだと意気込んでいたのを思い出したのだ。
生徒は滅多に使わない、どちらかというと教師のために用意された専門書の多い図書室の中で静かにエノールはページをめくる。彼女の特等席は人のいない閑静な部屋の窓際の席である。
不意に窓から風がふく。春の風が勢いよく流れ込んできて、エノールの土色の髪が舞った。不意に春の匂いが鼻腔をくすぐる。花粉と湿り気とわずかな花の香りを讃えた、柔らかな息吹だった。
窓から顔を背けて視線を図書室の入り口に放ると、そこに男子生徒がいた。身長の高さはエノールと同年代ほどだと物語っている。
「……」
明るい髪は短く切られていて、背は少しだけエノールより高い。メガネをかけた顔はそれなりに美少年にも思えるが、パッとしない雰囲気はそこまで女生徒の目を惹くわけではないだろう。それでもエノールにはその顔がいやに目に焼き付いた。
男子生徒は真顔で突っ立っていた。表情も変えず、何をいうでもなく。抱えた本を握りしめて、少し開いた唇をそのままにして立ち尽くしていた。再び風が入るまで彼は動かない。
「あの……何か?」
「……あっ、いえ」
すぐに男子生徒は行ってしまう。エノールはどうしたのだろうかと小首を傾げた。その仕草もまた可愛らしいのである。
それがマルデリア公爵家の三男、レガルド・マルデリアとの出会いであった。
エノール達が二年生になった春、男子生徒達の中にはある噂があった。赤銅色の髪をした美しい女子生徒が頻繁に図書室を出入りしているというのである。
女子生徒の教室と男子生徒の教室は離されている。立場がある人ばかりなので王国内でのトラブルを避けるために、男子は何の理由もなく女子生徒のいる教室に近づくことさえ許されなかった。一度それで大目玉を喰らった奴がいるのだ。
まだ思春期差し掛かりの貴族の子息達は同年代の女の子に興味津々だった。男女の垣根があまりにも高すぎるようになると、それはそれで問題なので女子達が男と関わるのを忌避しなくなる程度に合同授業が組まれていたが、淫らに手を繋いだり接触するのは禁止されていた。
彼らにとって学園の女子生徒は教師達に守られた『花』なのである。一度でいいからその甘い香りに誘われて、お近づきになりたい。しかし、生徒は基本教室にいるのでガーディアン達の鉄条網を抜けることはできない。
しかし、女子生徒が別の場所にいるなら話も変わってくる。特に、その女子生徒は聞くところによると美人なのだという。図書室に人だかりができると思えば、逆にシャイな彼らはそこに近づくことを忌避した。下心があると思われたくなかったのだ。
そんな中、噂を知らないレガルド・マルデリア公爵三男は本を返しに図書室に行って、そしてエノールと出会ってしまった。窓から吹いた風に髪をたなびかせるエノールはレガルドからすれば女神のように見えたという。
エノールは可愛らしい方だし、アイシャの忠告通りに淑女の嗜みを覚える一環でうっすらと化粧をしているのだから、同年代との差は歴然である。レガルドは心を奪われてしまった。
しかし、そんなことを知る由もないエノールはついに突飛な行動に出てしまう。その煽りを喰らったのは彼女に大層目をかけているというアルベレット教師だった。
「アルベレット先生、少し相談があります」
「なんですか、改まって」
「私に……少しでもいいので男子生徒達が受けているという授業を、受けさせてくれませんか?」
「……どういうことですか?」
アルベレットはもう一年の付き合いにもなるこの少女の突飛な発言にまずは理解しようとした。人は成長するのである。
「男子の教室では剣術・馬術・政治・内政・軍事についての授業をしているとおっしゃっていました」
「そうですね」
「私は女です。しかし、次期当主でもあります。おそらく男子生徒と女子生徒の授業が分かれているのは、求められている資質が違っているからではないですか? 女性は政治上の道具、男性は家を守る柱」
「……」
「私は女です。しかし、次期当主でもあります。此処にいる多くの男子生徒達と同様にアルガルド家を守らねばなりません。私はそのために女を磨いています。先生達の言葉に従って私が淑女の嗜みを身につけるのは、領主の立場で自らを政治の道具として使うためです。であれば、私に求められているのは男と女、両方の資質ではないのですか?」
「……」
アルベレットは沈黙した。少女の言っていることが正論だからである。
これは面倒なことになったぞ、なにせエノールは言い出すと少し強情なところがあるのだ。図書室に赴いているのも知っている。そのぐらいは許して、教師の一人に司書として何かあったらと監視させていたが(エノールを守る意味が強い)、そうきたかとあるベレットは小さく息をついた。
たしかに少女の言っていることには一理ある。そのまま職員会議で発言させて賛成を取り付けてしまいそうだ。彼女は女であるが、伯爵家の跡取りでもある。男と女の中間の立ち位置にいるのだ。であれば、求められる資質は両方だ。エノールの父もまた随分と茨の道を娘に進ませるのだなとアルベレットは思った。
しかし、ことはそう簡単にはいかない。アルベレットはさきにエノールを切り崩しにかかった。
「なりません」
「なぜですか」
「貴女がいると風紀が乱れます」
「卑しい格好はしておりません。それに、本来人は男と女がいるものです。両者が同じ空間にいることに何の異質もないのでは?」
エノールはアルベレットの心情を理解していた。だからこそ、アルベレットは否定する。
「この学園では男女分けて授業が行われます」
「それは男が家督を、女が嫁入りを、という前提にあります。私はイレギュラーです」
「なりません」
「お願いします」
「なりません」
「──私はアルガルド家の次期領主として、ひと時たりとも無駄にはできないのです」
「……」
「アルベレット先生はご存知でしょう。我が領地の状況を」
「……噂程度は」
風聞では犯罪者が跋扈し獣が暴れ回り病が流行していると聞いたことがある。アルベレットもあまりの揃いように耳を疑ったほどだが。
「犯罪者が跋扈し獣が暴れ回り病が流行している、あそこまで酷い領地は見たことがありません。私はその領地を後四年で変えなければならないのです」
「四年……? どうしてそう急ぐのですか?」
「社交界デビューがあるからです。それまでにアルガルド家を伯爵の血筋だと言っても笑われない程度には建て直さなくてはなりません。婿をもらいますが、年を重ねれば重ねるほど結婚では不利になります」
「婿をもらう場合、あちらは家格を気にします。普通の貴族子女の結婚とは様相が違います」
「ならなおのこと、私は男子生徒達が受けている授業を受けねばなりません。普通の貴族子女の結婚とは様相が違うんですよね?」
「……」
これだ。エノールと話すことになると、いつもこの小さい令嬢に言い負かされてしまう。それはエノールが事前にこちらを言いくるめる準備をしてきたからだ。
それに気づくのに一年かかった。いつも準備をしているのだと気づくのは来年である。
「……」
「お願いします。全てとは言いません。少しでも……せめて、政治・内政・軍事についてだけでも」
「政治や軍事に関してはともかく……内政もですか? 領分ではありませんが、聞く限りだと貴女は現時点でも十分だと思いますが……」
「私は経営のことしか知りません。その上で、学園ではどのように内政を教えているのか。それを知らねばならないのです」
「……」
この少女が読んでいる本についても司書から報告を受けている。
高名な経営学者や実地で成功を収めた経営者・商人の著書や、治水についての記録書。
それ以外にも空いた時間を使って花や刺繍など授業でやっていることの予習復習も欠かしていないと知っている。見るからに一年は先を学んでいるだろう。
自室では仕事に励み、執事とコミュニケーションをとって領地の問題を論じている。アルベレットには到底できないことだ。男の領分をこなしながら、この少女は女の領分もきちんと修めている。頑張っているのも知っているし、それが領地のためだということも理解している。
何より、アルベレットにはエノールに負い目があった。
「……はぁ、分かりました。職員会議で提案します」
「ありがとうございます」
「貴女が会議で発言なさい。私が発言するより、貴女の方が教頭の度肝を抜けそうですからね」
「アルベレット先生はたまに腹黒かったりしますよね」
生意気な口を利く自分の愛生徒に──
「腹黒くない女はいませんよ」
アルベレットは得意気に言った。




