致命的誤解
エノールの自室、そこにはエノールとアルベレットがいた。
「……つまり、何ですか? 虐められていたのは貴女で、アリスベリアさんは悪口を言っている間に返事をしてもらえなくて泣き出してしまったと、そういうことですか?」
「はい……」
「全く……」
アルベレットはこめかみを抑えた。アリスベリア達の様子が少し変だとは思っていたが、まさか加害者と被害者が入れ替わっていたとは……自分もそんなミスをしてしまうのは初めてだった。
「あの……私は、虐めてしまったのではないですか?」
「??? 何を言ってるんですか? 悪口を言われたのは貴女でしょう?」
「いえ、あの、そうなのですが……『お話をしない』のもいじめの範疇になると……」
「はぁ……」
アルベレットは困ってしまった。確かにそうなのだ。そういういじめの仕方もある。しかし、この場においては明らかにエノールの家を馬鹿にしたアリスベリアが悪いのだ。まさか、伯爵家相手に法衣貴族の子女が楯突くとは……家の力関係に囚われてアルベレットは真実を見誤っていた。
「そんなわけないでしょう。そもそもアリスベリアさんは話をするつもりなどなかったのですから」
「いえ、ですが、現にアリスベリアさんは返事をしてもらえなくて泣き出してしまったわけで……」
「……はぁ」
「私も、彼女が泣き出してしまって悪いことをしたなと……『なんとか返事しなさいよ』とは言われましたが、まさかあれが皮肉でなくて本心だったなんて、気づきませんでした」
まるで大きなミスをしたように語るエノールに、アルベレットは呆れた。この少女はあれだ、有能なのにどこか抜けている。余裕があり過ぎて致命的に危機感が欠けているのだ。
「……エノールさん。貴女は虐められています。友人の気配がないと思っていましたが、そういうことですか……何かあれば、包み隠さず必ず私に話しなさい」
「あの、どこまででしょうか……? 真実を言われても、アルベレット先生に報告した方がいい場合もあるのでしょうか」
「……貴女は自分の家を馬鹿にされて傷つかないんですか?」
「いえ、事実ですし」
「……」
この少女は達観し過ぎているのだ。ある意味で問題児のエノールに、あるベレットは大層頭を悩ませた。
「……とにかく、何かあったら私に相談なさい。アリスベリアにも話をしなくてはなりません。まったく、私が叱る相手を間違えるとは……」
「あの、私はアリスベリアさんに謝りに行った方がいいのでしょうか」
ピクリとアルベレットは固まる。今までに見たことのないような笑みを浮かべて、エノールに言った。
「絶対にやめてください」
翌日の昼休み、アリスベリアは衆目のある教室でアルベレットに怒られていた。誰しもに聞こえるように、アリスベリアに恥辱を与えて反省を促すため、彼女の悪事を詳に訴えたのだ。
「アリスベリアさん、貴女は何を考えているのですか? 伯爵家の、それも嫡子であるエノールさんをいじめるなど、正気とは思えません! 貴女の家は法衣貴族の家系なのでしょう⁉︎」
「ひあ……」
「そもそも! 立場以前に淑女として大多数で寄ってたかって一人の生徒をいじめるというのが問題なのです! 恥を知りなさい!」
「うっ……あ゛い」
アリスベリアは泣いていた。取り巻きはその光景を気の毒そうに眺めている。
「貴女達も! 一体何を考えているのですか!」
「ひっ」
「伯爵家に歯向かうなど、貴女のお家が取り潰されても仕方ないんですよ!」
アルベレットの恐ろしい説教に、しかし取り巻きは納得いかないというふうに抗議した。
「ですが! お父様達がアルガルド家はどうしようもない奴らだと──」
「親のせいだと言いますか! そもそも、たとえ力を削がれていようとも一代限りの法衣貴族と伯爵の地位の差は歴然! エノールさんのお父上であられるアイジス・アルガルド伯爵が、この件で少しでも難色を示されたら貴女達の家のどれかは見せしめに爵位を奪われるのですよ!」
その言葉に生徒達はやってしまったと青ざめて『奪われる』という言葉にエノールのせいだとまた恨みを募らせた。
そもそも、エノールがこの場にいない。本来こうした喧嘩の仲裁や説教は被害者の立ち合いのもと行われるが、そのエノールがいないのである。
先程まで教室にいたのだが、我関せずといったふうにアリスベリアの横を通り過ぎて食堂に向かったのだ。アリスベリアが怒られている間に自分はご飯を食べる……アルベレットの言う『奪われる』というのは王国から、ということだが、取り巻き達の憎悪はさらに膨らんだ。
しかし、アリスベリアはただただ恥ずかしかった。少し馬鹿にしてやろうと思ったら頭に血が登って、馬鹿みたいに返事を求めてあまつさえエノールには謝られた。アルベレットの言葉を受けて、アリスベリアが泣いたのは自分のせいだと素直に謝ったのである。怒りや憎しみよりも、先に自分に対する情けなさが湧き上がっていた。
今もアルベレットに怒られながらただただ自分の行動を恥じていた。顔を涙で濡らして、鼻水まで垂れている。優美な令嬢の姿はそこにはなかった。
その一方で、エノールはご飯を食べに行っている。教室の周囲が大変なことになっていると言うのに、当事者である自分は呑気に食事をしてくつろいでいることに周囲の反感はさらに高まっていた。
「聞いていますか!」
「はいぃ……!」
アリスベリアはコッテリと絞られた。
アルベレットの怒りにより、エノールは表面上はいじめの被害から脱した。水面下でその恨みはこれまでの比ではなくなっていたが、それを冷静に理解しておきながらどうともしていなかった。
特にアリスベリアの変容は大きい。食堂から帰ってきたエノールに『ごめんなさい』と泣きながら謝罪したのだ。その時に『こちらこそごめんなさい』と謝ったエノールにさらに反感が集まった。
放課後ではエノールの悪口を言い合う会が同級生達によって催されていた。陰で悪口を言う生徒がいる中、教師のいないところで面と向かって言うものもいる。
「あんた、よく授業に出られるね!」
エノールは静かに振り向く。その姿がまた堂に入っていて、不覚にも綺麗だと思わされたことにさらに怒りを募らせた。
「あんなことして、恥ずかしくないの⁉︎」
「……? 恥ずかしいのはアリスベリアさんで、私何かしまたか?」
「〜〜!」
エノールは『恥ずかしそうにしているのはアリスさんの方では? なんで自分?』と言いたかったのだが、その言いぐさに周囲の女子生徒は声を荒げた。
「さいってぇ!」
「人の心とかないの?」
「貴女みたいなやつ、絶対嫁の貰い手がないわ!」
その言葉にエノールさんは困った顔をする。
「それは困りましたね……私は嫡子なので家督を継ぎますから、おそらく嫁入りではなく婿を取るでしょうが、いい人に会えないと困ります」
「はん! あんたなんて絶対貰い手なんか現れないわ! だってブスだもの!」
エノールはその言葉に驚いた。自分ではそう思っていなかったのだ。
「ぶ、ブスですか……?」
「ええ、ブサイクよ! 全くもってブス!」
「醜くて見ていられない顔面ね! ハサミでぐちゃぐちゃにした方がまだマシよ!」
「二度とそのツラ見せないでくれる⁉︎」
「そ、そうなのですか……」
エノールはショックを受けていた。自分の美意識は王国にあっていないのでは……? 佐藤健の記憶を引き継いだ弊害とも言える不安を自分でも抱いていたのだ。
彼女らは立派な王国民なのでエノールはショックを受けた。『本場』の人が言うのだから間違いはないのだろう。自分の出自の特異性から、彼女らが強がって嘘を言っていると言う発想に至らなかった。
「自分では可愛いと思っていたのですが……」
「よく言えるわね! その顔で? 恥ずかしくないの?」
「気持ちわる〜、その顔見せないでくれない?」
「ヒキガエルみたい。自分で可愛いとか、自意識過剰すぎ〜」
エノールを馬鹿にしてきた三人は言いたいことを言って去っていく。
騒ぎを聞いてた生徒がのちにアルベレットに密告し、それはそれは怒髪天をつく勢いで絞られたのだが、それはまた別の話。
エノールは自分の美的感覚がずれていたことに愕然とする。
「そんな……」
佐藤健の人格により自分は影響を受けてしまっているのではないか、まるで自分の世界が崩れ落ちるような感覚に随分と落ち込んだのだった。
「エノールさん」
「はい」
「私は、何かあれば私に言いなさいと、そう言いましたよね?」
「はい」
「これはどういうことですか?」
比較的早く悪事がバレて、三人がすごい顔をしている。鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだった。かわいそう……
「何でしょうか?」
「……先程、生徒から聞きました。この三人が貴女に対して罵詈雑言を吐いていたと」
「ああ……」
「言いましたよね? ちゃんと相談しなさい」
アルベレットにしてみれば、エノールのこう言った部分は危なっかしてくて、でも相談してほしいとも思うのだ。
この娘は大人顔負けの知力を持っている。しかし、精神まではそうはいかない。子供らしさもまだ残っているし、歪なのだ。能力の分布があまりにもチグハグ。だからこそ、この少女がどこかで倒れてしまわないかとアルベレットは結構目に欠けていた。
それなのに、この少女は酷い罵詈雑言を投げかけられても自分に相談してこなかったのだ。私はそんなに頼りがいがないのかと狼狽してしまうほどだった。
だというのに、この少女は意味不明なことを聞いてくる。その質問は三人にエノールの神経を疑わせた。
「あの、アルベレット先生、少しお聞きしたいことがあるのですが……」
「……何ですか?」
「私って、ブサイクでしょうか? 可愛くないでしょうか」
「……外見の美醜は問題ではありません。大事なのは心持ちです」
アルベレットは毅然と言った。この少女に植え付けられたであろう不安を取り除くため。
すぐにそれは杞憂とわかる。
「いえ、あの、私は自分で自分の容姿を『可愛い方だ』と自認してたのですが……」
「……」
「私の美的感覚はおかしいですか? よもや私、価値観から直した方がいいのでしょうか?」
「……」
この令嬢は本気でそんなことを聞いてくるのだ。アルベレットは子供の嘘を見抜くのが得意だ。エノールの嘘も見破れるはずである。
この瞳は本気で悩んでいる。アルベレットは自分の直感に戸惑った。『本気で言ってるのか……?』と頭を悩ませ、『ああ、エノールだから』と自分を納得させた。半ば無理矢理である。
アルベレットはそれでもこの令嬢が本気で悩んでいることを汲んで、真面目に答えるのだった。
「……私の美的感覚も世間一般のそれと必ず一致しているとは思いませんが、貴女はそれなりに容姿に優れた方ですよ」
「そうですか、よかった!」
「ですが、それを鼻にかけて人の容姿を小馬鹿にしたり、優越を感じてはいけません。外見とはただの個性なのですから」
「良かったです! 自分がどう見られているのかよく理解していないと交渉ごとで不利ですから!」
「……」
この少女の物言いがどこまでも商人めいていることにアルベレットは嘆息した。彼女があからさまに疲れを表すのは珍しいことである。
「さて、それでは……」
びくりと三人の方が震えた。
「復唱してもらいましょうか、私の前で。貴女達がエノールさんに対してどんな言葉を発したのか」
「あ……あ……」
「……復唱なさいッ!」
アルベレットの怒声に、三人は悲鳴をあげた。エノールも少しびっくりしていた。三人は少し前から叱りつけているからいいが、来たばかりのエノールまで驚くとは、自分はそんなに怒ったら怖いのかとアルベレットは少し悲しく思った。
その気持ちを押し殺して三人を叱る。将来、彼女らの魂が腐らないようにここでくびきを打ちつける必要があるのだ。
「『ブス』『ブサイク』」
アルベレットの声に、その言葉を発した生徒が震える。
「『あんなことして、恥ずかしくないの?』『絶対嫁の貰い手がないわ』」
更にもう一人が涙をポロポロとこぼす。
「『ヒキガエル』『醜くて見ていられない顔面ね!』『ハサミでぐちゃぐちゃにした方がまだマシよ!』」
アルベレットは淡々と三人の罪状を読み上げる。その声色が不自然なまでに落ち着いていて、三人は肩を震わせ諤々と膝を鳴らし、涙をこれでもかと流した。鼻水が服に垂れている。
どうやったらここまで調教できるのだろうかとエノールは知的好奇心に駆られた。このノウハウを交渉ごとで活かせたら……一方的な主従関係を構築できる。
よからぬことを考えているエノールの横で、アルベレットは三人を断罪した。その言葉は粛然毅然としたものだった。
「嫁の貰い手がないのは貴女達です。誰が同じ女である生徒に向かって『ブス』だの『ブサイク』だのと容姿を罵るような、性格の、魂の醜い人を嫁に欲しがるでしょうか」
「うぅ……」
「すっ、すっ……」
「あがぁっ……」
「貴女達の魂はまさしくヒキガエルのよう、醜くて見ていられません」
冷徹に言い放つ。その言葉を三人は一切疑わず、どうしようもない現実を突きつけられたことに嗚咽を漏らした。
「エノールさんに謝罪なさい。そして、二度とこのようなことをしないこと。次やれば今日のようには済ませません」
これでまだ手加減されたのだと三人は震え上がった。それぞれが立ち上がり、エノールに向かって謝罪する。
「……ご、ごめんなさい」
「すっ……すっ……悪かったわ」
「あうぅぅ……ごめんなさいぃ……!」
「それが人に謝る態度ですか! もっときちんと謝りなさい!」
「「「ごめんなさい!」」」
三人が一斉に声を揃えて謝罪した。エノールはアルベレットの調教スキルに目を見開く。
「アルベレット先生! 私の師匠になってください!」
四人は唖然とした。どうしてこの流れでそうなるのか、全くもって理解できないからだ。
「……三人はこう言っています。エノールさん、貴女は三人の謝罪を受け入れますか?」
その言葉にエノールは三人に向き合う。
「あの……」
「っ……」
声をかけられたうちの一人は、俯きながら肩を揺らした。何か言われると思ったのだ。
その予想は間違っていない。おかしな質問を投げかけられた。
「あの……お三人方は私の顔が醜いと言いましたよね?」
「あっ……あっ……それはその──」
「答えなさい!」
「「「はっ、はいぃぃ!」」」
「…………あの──なんですけど、結局、私は醜いのですか?」
その言葉に部屋が凍りつく。
「えっ、あっ、あの……」
「あ、えと……」
「うぅっ……」
「……」
アルベレットはドン引きした。
(ここまでやるか……)
「いえ、あの、そうではなくて、結局、三人方は私の容姿についてどう思っていらっしゃるのですか?」
「……はい?」
泣きそうな声が疑問を示す。
「貴女方は私に醜女だと言ったことについて謝りましたが、それは事実だから謝ったのか、嘘をついていたから謝ったのか……アルベレット先生はこう言ってくださいましたが、できれば私は貴女方の意見も聞きたく……」
その言葉に三人は顔を見合わせた。アルベレットは唖然としている。
「あ、あの……私は、可愛いと、思います」
「わ、私も……」
「……ごめんなさい、嫉妬でした」
「ああ、そうなのですか。それは……よかったです。教えてくれてありがとうございました」
逆に感謝されて三人は戸惑うのだった。
唖然としていたアルベレットは我を取り戻す。
「……こほん、それでは三人とも。今後こう言うことはないように。同じようなことをしている人を見つけたら、その場でとめ、私に報告すること。いいですね?」
「「「はい……」」」
「それじゃあ、自室に戻りなさい。もう夜も遅いですしね」
窓の外はもう暗かった。三人が帰っていき、アルベレットが二人きりになった部屋のカーテンを閉める。
「……アルベレット先生、私もこれで」
「エノール」
最後にアルベレットが呼びかける。
「はい」
「……何かあれば、また。ちゃんと相談してください。私は……頼りがいがないかもしれませんが、それでも貴女を受け持つ教師です」
その言葉にエノールは呆然と言った。
「えと……何のことですか?」




