アルベレット教師
マイヤ・E・アルベレットは王立学園の教師である。
貴族の子女を担当し、貴族としてのマナーや礼儀作法、フォーマルな場所での立ち居振る舞いやダンス、乗馬、演奏、花などさまざまな芸に精通している。この学園切手のスペシャリストだ。
この学園は入学した生徒を最後まで育て上げてから次の入学生を迎える。何年間も手塩にかけて生徒を育てるため、教師の質は大事だった。一番の素質は生徒に好かれる素養である。
アルベレットの部屋には定期的に元教え子からの手紙が届く。感謝だったり好意だったり、そういった文がアルベレットの教えた通りに書かれているのだ。これにはアルベレットも密かな楽しみとしている。
そんな中、今年に入学した生徒の中におかしなのがいた。毎年そう言った生徒がいるのはいつものことだ。名をエノール・アルガルドという。
彼女はあの悪名高きアルガルド家の息女だ。一人っ子であるから嫡子でもある。
王族殺しの末裔、王を裏切った一族、国家転覆を目論む悪逆人、そんなふうに社交界では噂されている。アルベレットはまだアルガルドの人間にあったことはないが、火のないところに煙は立たないだろう。どんな子供が送られてくるのかと思っていた。
やってきたのは普通の少女だ。器量は悪く、不器用で、とりわけ手先がおぼつかない。粗野でその行動の端々からは嫁入りの女というより家督を受け継ぐ男といった印象がある。なるほど、自分が嫡子だからと女としての研鑽をおろそかにしてきた口だ。よもや自分は男と同列などと思っているかも知れない。
女の地位は王国ではそれほど高くない。子供を産む道具、娼婦の性別、そんなふうに思われている。割とこういった差別と取られかねない価値観が横行しているのだ。当然、アルベレットもそんな国に生まれてその事態に違和感を持つことはない。
この国では女の地位が低い。だからこそアルベレットは女としての能力を十全に伸ばし、周囲に口出しさせなかったのだ。お前達に求められているものは全て備えていると、そしてその上で女の身で教職をしている。女教師は王国でも珍しくないが、教職は男の領分だと言う価値観は決して少数派ではないのだ。この学園で働けることになったのも、アルベレットが学園長の教え子だったことが大きい。
勘違いは早めに正さねばならない。あまつさえ家の地位の差を利用し同級生を泣かせるなど、あってはならないことだ。周囲と違って家督を継ぐのだと増長しているのかも知れないが、ここは一つ鼻っ柱を折らねばならない。
コンコンとドアがノックされる。きっとエノールだ。その程度の礼儀作法は身についているらしい。やはり、この子女に身についているのは領主としての能力だけだ。それ以外は興味ないのだろう。
「入りなさい」
アルベレットは立ち上がってエノールを出迎える。エノールは礼儀よくドアを閉めてアルベレットに向かい合う。
「アルベレット先生、まいりました」
「よろしい、座りなさい」
「はい」
エノールは指示に従って素直に椅子に座る。アルベレットは自分の机に座り、エノールに向かい合った。
「エノール、貴方がなぜ呼ばれたかはわかっていますね?」
「……アリスベリアさんを無視したから?」
「……無視していたのですか? なぜ?」
「……なんて答えればいいか、分からなかったからです」
「……」
アルベレットは背もたれに腰がける。
もう一度姿勢を正してからエノールに話しかけた。
「なぜ……いえ、なんでもいいから答えればよかったのではないですか?」
「……そうですね」
「なぜ答えなかったのです」
「……」
エノールは困ったような顔をした。なんなのだ、この娘は。
「貴方はアリスベリアさんを虐めようと思って泣かせたんじゃありませんか?」
「……虐めたのかもしれません」
「御託はいいです。貴方の意思を今聞いているのです」
「……そんなつもりはありませんでした」
「…………では、何ですか? 虐める気はなかったのに貴方は無視をしたのですか?」
「はい」
「……」
アルベレットは困惑した。
意味がわからない。なんなんだこいつは……
アルベレットはよくある地位を利用した子女のいじめだと思っていた。なのに、加害者と思われるエノールの返事は要領を得ない。よもや、本気で自分は悪いと思っていないような……そもそも、悪いことをする気がなかったようではないか。
では、悪気がなかったのに人を傷つけたのか? それはそれで問題だ。
「エノールさん、故意ではなかった場合、貴方は無視をしたのではなくアリスベリアさんの問いかけに答えられなかったことになります。そうだと言いたいんですか?」
「あっ、そうです!」
「……」
「あっ……失礼しました」
アルベレットは本気でわからなくなってきた。
アリスベリアが泣いているのをアルベレットはその目で見た。間違いなくその犯人はエノールで、だけれどまるでそんな気はなかったと言わんばかりではないか。
アルベレットは十年の教師生活でも出会ってこなかったような生徒を前に、自分の予想が崩れて大きく頭を抱えた。表面ではお首にも出さないが、内心では『なんなんだこいつ……』と頭を抱えている。
「……分かりました。それなら今回のことは不問といたします。学園での勉強も気合を入れなさい。貴方はタダでさえ落ちこぼれなのですから」
「分かりました」
「行きなさい」
「失礼します」
アルベレットの許可を得て、ようやくエノールは立ち去る。一連の礼儀作法については文句のつけどころがなかった。
「……」
ただ擬態が上手いだけなのか、自分の目を欺ける生徒はこれまでいなかったが、自分が気づいていないだけなおかもしれない。
もしや本当にエノールは無実なのか……アルベレットは『なんなんだ』と言う言葉を噛み殺した。
「これは……放置でいいわね。こっちは……ああ、返さなくちゃ。紙紙……」
アルベレットから説教を受けた三日後、放課後の自室でエノールは屋敷から送られてきた商人の手紙を開封していた。返信が必要なものに目を通してすぐに手紙を書く。
領地経営はスピードが大事だ。経営において時間を遅らせると言うのはそれだけ商業チャンスを逃すだけでなく、下手すれば事業が失敗してしまうことがある。父親に頼んで速達に運ばせる徹底振りだった。
そこにノックが鳴り響く。エノールは誰だろうと思ってドアを開けた。バルターだろうか。
「失礼します、エノールさん」
「アルベレット先生」
「今お邪魔しても?」
「はい、どうぞ」
訪問してきたのはアルベレット先生だった。教師が一生徒に訊ねてくるのはあまりないことだが、何かしてしまっていただろうか。
「……整理整頓も淑女の嗜みですよ」
「すいません、いつもはバルター……執事がやってくれていたので、いまいち忘れてしまうと言いますか──」
「エノールさん、貴方は時期領主である前に淑女なのです。そこに言い訳は許されません」
「……はい」
エノールは俯いて返事した。
「こんな紙の束……貴方は一体何をしているのですか?」
「えっと……どういうことでしょうか」
「毎日のようにやってくる封書。単なる手紙ならまだいいですが、流石に数が多すぎます」
本来であれば生徒が自室で何をしていようと生徒の勝手だ。彼らは一応貴族の人間なのだから。
それでも、やましいことをしていては学園としても見過ごせない。普段のプライベートでの過ごし方も学園の教育対象だった。
「ある程度は見逃すつもりでしたが、貴方は一体何をやっているのですか?」
「えっと……」
調べてみれば、一生徒宛にたくさんの手紙がやってきているではないか。エノールの部屋だけに毎月いくつもの封書が届けられる。エノールからも手紙を出しているようで、速達を使っているほどだった。
封書は単なる手紙とは違う。それは領主宛や領主からの手紙など、絶対に見られてはならないもので印も特別な意匠が施されている。いくら貴族とはいえ子供の部屋にいくつも封書が届くのは異常事態なのだ。
アルベレットはエノールがおかしなことをしていないかと確認しにきたのである。
「何ですか? 言えないことをやっているんですか? その場合、教師としても見過ごせません」
エノールは何かを迷っているようで、アルベレットに言わせれば烏滸がましかった。
教師に質問されているのに、生徒の立場でその問いに答えようか答えまいかと天秤にかけるなど言語道断。アルベレットの生徒像にしてみれば、分不相応なものだった。
しかし、ここで怒っても仕方ないのでアルベレットはエノールの言葉をまった。エノールはようやく決心したようで、アルベレットに話す。
「あの……商人に手紙を書いています」
「なぜですか?」
商人に手紙……何かを注文しているのだろうか。それにしたってあまりに数が多すぎる。
「えっと……」
「貴方は貴族家の人間ですが、その前に学園の生徒なのです。一生徒の立場を超えた購買は学園として許可できません」
「いえ、その……注文なのではなくて、指示なのです」
「指示?」
「はい、えっと、お父様の代わりに領地経営をしておりまして、商人達に忠誠を誓わせて現在はアルガルド領の診療所建設と避妊器具の流通、それから医療知識の拡充に──」
「ちょ、ちょっと待ってください! 貴方は……お父上であるアルガルド家の当主は許可しているんですか⁉︎」
「えっと、はい。父からは『好きなようにやりなさい』と……」
「……」
アルベレットは信じられなかった。一番信じられないのはまだ齢十歳のエノールに領地のことを任せるアルガルド家の伯爵だ。何を考えているのか……それに、エノールの話も意味がわからない。
「もう一度、何をしているのかを言いなさい」
「はい、診療所の建設、避妊器具の流通、医療知識の拡充の三つに今は尽力しております」
「診療所の建設……? 資金はどうしているのですか。アルガルド家にそんなお金はなかったはずですが」
「建設費は騎士達に出させ、その後の資金援助は商会に頼んでおります」
「そんなことをすれば離反する騎士が出るではないですか!」
「それをさせないために七歳の頃に根回しを進めて、騎士達それぞれと顔を合わせております。そもそも、あちらは伯爵家の税の半分を横取りしているので、下手に文句は言えません」
「っ……避妊器具? そんなものを貴族の子女である貴方が!」
「避妊器具は売春のために必要です。売春は無くなりません。このままでは孤児が増え、彼らの多くは犯罪者となり領地が荒れます。望まぬ子供は、産まない方が母子にとってのためになります」
「そんなの、貴方が決めることではありません! 貴方は自分を何だと思っているのですか!」
アルベレットはハッとした。何を自分はそんなにムキになっているのか。
この少女の言ってることは間違っていない。倫理や信念として受け入れられない部分もあるが、確かに売春は無くならないだろうし、治安悪化という負の面があることも知っている。だが、避妊器具の流通など……
「医療知識の拡充はどうしているのですか! 教育など、一朝一夕はままなりません!」
「診療所に勤めている医者が有益な情報を伯爵家にもたらした場合、これらを全ての診療所に伝達し彼には報酬を出すようにしております。こうすれば診療所での医者という立場は高まり、医療研究が盛んになるかと……」
「それだけではどうにもならない問題があります! そもそも、貴方が言ったようなことは机上の空論で、現実的ではないと──」
その言葉にエノールはとても困ったような顔をした。なまじ顔がいいだけに苛立ちが募る。
「今の所、診療所のモデルケースは成功を収めております……」
「も、モデルケース?」
「領地中に建設しますから、手広く展開する上で問題が生じないかどうか実験するための一例です。あの頃は少々手間取りましたが、現在は問題なく事業拡大に努めております」
「……」
「避妊器具の流通も事前に効果があることは実証されていて、報告によれば避妊率は今の所100%です」
「100%……」
信じられない値だ。
「──医療知識の拡充に関しては制度自体の効果はまだ見込めませんが、教育は先生のおっしゃる通り十年単位で進めていくものですし、私が各地の医者に聞き取り買い取った医療知識を編纂して各町と商会に配っておりますから、現在は手引書の複製も始まって、領内の町は病気に対してある程度強くなったかと」
「……」
アルベレットは呆然とした。この娘にいうことがなくなって、ようやくなぜ腹が立つのかを理解した。
この少女の言ってることとやってることは間違っていないのだ。十歳という年齢とその容姿から『子供のくせに生意気を言って……』と思わされるが、それをエノールは有無を言わさぬ功績で叩き潰している。それが大人として無性に気に食わないのだ。
アルベレットはエノールを過小評価していたのだ。侮って、たかが小娘だと。だから、自分が小娘だと思っていた生徒が小娘の域を超えることが許せない。それは幼い子供の癇癪みたいだと、アルベレットは自覚した。
医療の拡充も犯罪者となる貧困層の拡大も領主にとっては頭の痛い問題だ。それをエノールは的確に対処している。言うことを聞かない騎士達をうまく使い、商会に協力させてことをなしている。それはきっと領主として正しい姿だ。アルベレットの苛立ちはこの娘が、自分の年齢という肩書きに不似合いな実力を持っていることに対してだ。それは長年アルベレットが嫌ってきた頭の硬い大人のやることだ。
アルベレットは肩を落とす。よもや自分があいつらと同じことをするとは。それと同時に、大人気なく当たり散らしてしまったエノールに申し訳なく思った。この少女はなんら悪いことはしていない。ただ自分の将来と向き合い、少し前倒しで自分のすべきことをしているだけなのだ。
少し気が急いている気もするが、この少女に叱ることはない。
「エノール、申し訳ありませんでした。大人気なく大声を出して……生徒の模範として恥ずべき姿です」
「いえっ、あの、私も悪かったですから」
「事情はわかりました。しかし、貴方はまだ子供なのです。今はこの学園の学生で、一生徒です。それはわかりますよね?」
「はい……」
「将来のための執務もいいですが、今は淑女としての技量を磨くべきです。それらの指示は貴方のお父上に頼めばいいのでないですか?」
「いえ、その……商会達は長らくアルガルド家に非協力的で、『私個人』に今は忠誠を誓わせているので、お父様では……」
「……伯爵であるお父上ならば商会もいうことを聞くのでは?」
「……彼らはあまりアルガルド家を信用していないのです。長らく領地の問題を解決できなかったからと、お父様の言葉でも言うことを聞くかどうかは……」
「それなら、どうやって貴方は忠誠を誓わせたのですか?」
「それは、あの、商会に出向いて直接交渉をして……」
「……」
この少女は一体何をしたのだろうか。
アルベレットはあまり商人と馴染みがないが、それでも彼らがそう簡単に跪くとは思えない。彼らは時として国さえも金儲けに利用しようとするのだ。プライドの高い彼らが簡単に少女であるエノールに忠誠を誓うか……
何か事情がありそうなのは明白だった。
「……分かりました。領地のことに関しては、私はもう何も言いません。私は学園の教師であって、管轄は『淑女としての嗜み』です。領地経営のことではありませんから」
「ありがとうございます」
「ですが、お友達とはもう少しうまくやりなさい。同級生を泣かせるのは感心しませんよ」
「……あの、お聞きしたいのですが、アリスベリアさんは寂しがりやなのですか?」
「はい?」
「いえ、あの……すごく熱心に皮肉を言ってらして、どうしたものかと頭を悩ませておりましたら、突然泣き出してしまったもので……そういう時には一体どうしたらいいのでしょうか?」
エノールは本当に困ったように、純粋な質問を投げかけてくる。それにアルベレットは思わず頭を抱えた。
「……何ですって?」




