入学式 〜学園編プロローグ〜
それから入学式の日までエノールは両親と共に過ごした。たった一週間ほどだったが、エノールにとってはかけがえのない思い出となった。
「エノール、もういい?」
「はい、お母様」
両親が部屋に入ってくる。そこには制服に身を包んだエノールの姿があった。
アイジスは娘の晴れ姿を見るとうんうんと頷いている。
「やっぱり、うちの子は可愛いわ〜」
「お母様、親バカが過ぎます」
「まあ、親に向かってバカだなんて。否定はしないけど、流石に酷すぎるわよ?」
「そういう意味じゃないんですけど……」
両親たちは笑う。それに釣られて娘も笑ってしまった。
ここ一週間でエノールは子供らしさを随分と取り戻していた。その姿にバルターは感激してしまう。
「おお、エノール様……」
「バルター、貴方は一体何回泣けば気が済むの……」
「仕方ないわよ。バルターにも色々と苦労をかけたしね」
「いえ、私の苦労などお二人に比べれば……!」
泣いてしまう執事長を見て、ミラルダもまたもらい泣きしそうになる。涙ぐむ二人に場がしんみりとして、気を紛らわせるようにアイジスが言うのだ。
「エノール、お前はすでに十分立派になった」
「お父様……」
「何も言うことはない。というより、言えることがない。お前は随分と優秀になってしまったからな。父親として面目ない限りだ……」
「……貴方、それじゃああまりに不甲斐ないわよ」
「いえ、そんなことは……!」
「……そうだな、お前に顔向けできるよう私たちも頑張る。エノールは学園生活を楽しんできなさい」
「……はい、お父様」
入学式は今日である。式典があってすぐに移動だ。そうすればしばらくエノールは両親と会えなくなる。
ミラルダは立派になった自分の娘を抱きしめる。母の胸の中ではどこか懐かしい花の香りがした。
「エノール、辛くなったらいつでも戻っていらっしゃいね。私たちはまだしばらく王都にいるから」
「それはならん。エノール、成果を出してきなさい。お前ならやれるはずだ」
「貴方……」
「ミラルダ、お前のは心配でもあるが不信でもある。私は領主として、父としてエノールを信頼している。大変なこともあるだろう。辛いこともあるだろう。だが、頑張りなさい。挫けそうになったら私たちがここにいる」
「……そうね、エノール。悪いことを言ったわ、立派になって帰ってきなさい。長期休暇になったら戻ってこれるでしょうし、領地に戻る機会もあるだろうから」
「はい、お父様。お母様」
「エノール、現当主としてお前に言い渡す。次期当主に相応しい人間になって帰ってきなさい。今ももう十分だが、お前ならもっとやれるはずだ」
「はい、お父様」
「……それから、これは父としてだが、お前はちょっと出来すぎる。もう少しは失敗してくれてもいいのだぞ?」
冗談めかしい言葉に母と娘は笑うのだった。
「旦那様、奥様、エノール様。そろそろお時間です……」
「……そうか、それならエノール。行っておいで」
「アイジスお父様、ミラルダお母様」
エノールは二人をしかと見る。二人もまた佇まいを直した。
「──私は、お二人の子供で良かったと、心からそう思います」
「…………うっ、あっ、あっ」
その言葉にミラルダは泣き出してしまった。
「…………」
「ごめんなさいっ、私、もう泣かないって、決めてた、のに……!」
「……仕方ない。恥じることじゃないぞ、ミラルダ」
「そうです、お母様。それにまたお会いできますから」
「──無事に帰っておいでね! 嫌なことがあったらすぐに手紙に書くのよ! お友達とも……仲良くね!」
最後だけ、ミラルダは絞り出すように言った。
その様子にアイジスは俯き、バルターもまた涙ぐんでしまう。
泣き出してしまう三人に、エノールは気丈に振舞って言うのだ。
「それではお二人とも、行って参ります」
「ああ、気をつけて」
「またね、エノール……!」
「ええ、またすぐです」
そうして、エノールは部屋を去ってしまった。
「ああ、ああっ!」
エノールが去ったところで、娘の目がなくなって、ミラルダは気丈に振る舞う必要がなくなってしまった。
思いの丈を床にぶつける。恥じるように、懺悔するように。
「私っ、私は!」
「ミラルダ、これは私たちの問題だ。君だけのせいじゃない」
「でも!」
二人は知っている。社交界に出ていたいほど知っている。アルガルド家がどんなふうに見られているかを。学園での生活がどんなものになるかを。
だからこそ、エノールには抱えきれない負い目があった。領地の問題を娘に解決させ、親である自分たちは何もできずあまつさえ五歳という幼い彼女を残して、親の役目さえ放棄してしまった。
そして、エノールはまたもアルガルド家の名前に蝕まれようとしている。
「私も、伝えきれなかった。病の地に赴いたと聞いて眠れなかったことも、盗賊団を退治したと聞いて歓喜したことも──」
「貴方……」
「………………いかんな、泣くのはもう、ないと、そうおもっ……」
アイジスが片手で顔を覆う。けれどもその頬からは涙が流れていた。
それ以上言葉が続かなくなり、そんなアイジスをミラルダは抱き止める。
「当主として、何も残してやれなんだ……! 結局、当主たちが受け継いできた厄介をあの子に押し付けることになってしまった……!」
「アイジス、貴方が悪いんじゃないわ。悪いのはマルベク──」
「いいや、我らが悪い。先祖代々に至るまで、我らが領地をどうにもできなんだ我らが……全ての罪はアルガルド家にこそある」
「……また家のことで迷惑をかけるのね、私たちは」
「ああ、娘に頼るしかない能無しだ、俺はッ……」
アイジスはしばらく落ち込んでいたが、すぐに立ち直り二人して動き始める。
娘が働いているのに、その親がどうして怠けていられようか。エノールほどの働きはできないにしても、二人は自分たちでできることを精一杯やると決めたのだ。
「エノール、恨むなら恨んでくれ……」
全ての咎と罪が、エノールを死地に追いやろうとする。
この国の貴族は二種類存在する。地方を治める領主貴族と、宮廷に使える法衣貴族達だ。
領主貴族の階位は五つある。上から順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵だ。そして、その全てが自分の子供達を王国が運営する学園に通わせなければならない。
それは王国の大諸侯疲弊政策の一環だった。王国は大諸侯がよりあつまって成した国である。故に王家の力はあまり強くない。大諸侯の直系である伯爵家と、子爵以下の諸侯の直系の力を削ぐべくあの手この手を尽くした。公爵に王族を押し込み、侯爵に王国建国以前から王家に仕えていた重臣を据え置いたのは王家が何とか王国の体裁を保とうとしていたからである。
王城に入学生達は集められた。年齢はバラバラだ。七歳から十一歳ぐらいの子供達がそれぞれ制服を着て整列している。これが庶民ならもっと雑然とするんだろうが、そこら辺はさすが貴族の子息だ。礼儀作法に関して同年代よりも関心が高い。
式典は荘厳かつ粛然と行われた。装飾は華美に、しかし参列の人々は黙々と指揮をこなしている。騎士に囲まれ、王までもがこの式典で入学生達に言葉をかけた。随分と格式高い長々としたセリフだった。
王立学園の運営は寄付金によって支えられている。この寄付金は貴族達から集められ、地位が高いほどにそれ相応の寄付金が求められた。それらをはねつけると貴族の家として格が劣るとされている。
誤算があるとすれば公爵や侯爵の皆様方の方が伯爵以下よりも、とりわけ見栄の張り合いにご執心だったことだ。公爵・侯爵家の面々は王宮とズブズブだ。何せ国土の三割を四つの伯爵が所有してしまっている。しかも、力のある都市をことごとく支配下に置いているのだ。
元諸侯貴族に対抗するため王宮を中心として侯爵以上は一丸となって派閥を組んでいる。周辺の子爵・男爵も吸収することにより彼らは五割近い国土を治めているが、派閥の人間が多すぎるために政治争いが絶えないらしい。そのせいで有名無実を嫌う伯爵家が分相応の寄付金を支払っているのに対し、派閥の皆さんは身の丈以上の寄付金を出して自分たちの力を周囲に誇示しているようだ。
執事長から聞くには、今年は何やら豊作らしい。数年に一度行われる入学式に公爵・侯爵・伯爵が全て出揃っているらしい。公爵・侯爵は伯爵よりも数が多いので珍しいことではないんだそうだが、伯爵家と揃うことはあまりないらしい。
本来はトップダウンでなければいけないこの国の組織構造が国内のパワーバランスの危うさを如実に物語っていた。伯爵家の方が公爵家より数が少ないというのは前代未聞である。しかも、一家あたりの保有領地も伯爵家の方が広い。
お父様とお母様が見守る中、私は黙って式典に参加し、入学式が終わると私たちはすぐに馬車に乗せられた。王都に旅立つ子供達を保護者である貴族の面々が見送るのである。参列から飛び出して両親のもとで泣きじゃくってしまう子供もいた。
領主貴族の子供は三十人程度と聞いている。入学生はざっと百人以上、大半が法衣貴族の子息様だ。学園に通わせられるほどだから、きっと宮廷内でもある程度の役職を持っている人たちだろうが、それでも七十人以上となれば宮廷内の貴族の過半数である。相対的に伯爵家出身である私の立場は高いだろう。
移動中に早くも周囲と打ち解けようとする生徒が多く、馬車の中はそれなりに賑やかであった。そんな中、私は最後列で去り行く王都を見ながら、外の景色を眺めて馬車の揺れを感じていた。バルター含め使用人達は別の馬車に乗せられたが、こんなことなら暇つぶしになるものをもらっておけば良かったかも知れない。周囲と打ち解けようにもなんて話しかければいいかわからなかったのだ。
佐藤健は別にコミュニケーションが苦手ではなかった。普通の男子学生として普通に友人はいたし、馬鹿話で盛り上がったことぐらいいくらでもある。むしろ、そういうのに縁がある方だった。
しかし、周囲は女子ばかりである。それも年下……いくらか年が近そうな面々がいるが、微妙に席が遠い。話すには少し距離があった。
男子生徒と打ち解ける方法は分かる。女性であっても大人なら対応できる。しかし、まだ幼い女の子となると話が違った。領地の屋敷で育って、同年代の女児と関わったことなど一度もないのである。
それはエノール自身の経験不足と言えた。コミュニケーション不足、それも女児限定の。商談の場で商人が娘を紹介してくることもあったが、あれはまだ『そういった場』で尚且つ一対一だから良かったのだ。こんな多対一を最初から強いるなんて鬼畜も甚だしい。おのれ王立学園……早くも試練を課してきたか。
そういえば、伯爵以上の子供なんて兄弟がいなかったらみんなそんなもんだろうと考えて……兄弟がいない貴族家はウチぐらいしかいないと気づいた。
そうか、みんな兄弟と話している感覚で他の生徒とも打ち解けているんだ。私は兄弟いないし、領地貴族だから王都にいないし、その上『あの』アルガルド家で当主候補で……周囲が擦り寄ってくる理由もなかった。
それで気づいた、私がぼっちな理由。他にも私みたいな人はいることにはいるだろう。なまじ地位が高い家に生まれて、兄弟がいない……のは我が家だけだろうが、他の子と話すのが苦手な子。そういった子供はその地位の高さである程度興味を持ってくれたり擦り寄ってくる人がいるんだ。
人気者の苦労はあるんでしょうけどね、近づいてくる子が自分の家を目当てにやってくる人ばかりって悩みもあるのかも知れない。それでも……ぼっちの私にとっては羨ましかった。おのれ貴族め、友達まで生まれで決まるのか……!
ただ話しかければいいだけなのに、それができない私は一人も友達を作ることができずに初日を終えた。




