名ばかりの伯爵家
夢を見た。大きいふわふわに包まれる夢だ。
空には真っ白なわたが浮かんでいて、白い鳥が飛んでいる。空は青くて、地面はもこもこだった。
あったかい。暑くもなく、冷たくもなく、じんわりと肌触りの良い感触に包まれている。
ああ、なんだか久しぶりに自堕落としている気がする。いつぶりだろうか。確か、領地巡りをする前だから三年前……
そこで私は目を覚ました。
(……あれ?)
知らない天井、ここはどこだと混乱する。
辺りを見回すと知らない部屋だった。集合住宅か……? こんな部屋知らないけど、奥にもう一部屋あったのか?
白いシーツ、白い布団、天蓋付きのベッド。だけれど隅には埃が積もっていて、あまり掃除されていないことがわかる。
全く、王国の手配だが管理はもう少し丁寧にしてほしい。いくら一週間ほどの宿だからって、貴族が泊まるんだからもう少し──
そこで、私は隣にモゾモゾと動く何かを見つけた。否、それは人だった。
「……あら、もう起きたの? エノールは早起きね」
「お、お、お、お母様⁉︎」
「調子はどう? よく眠れた?」
「あ、え、どうして、何故私がここに……というか、ここは……」
「うちのベッドよ。王都の屋敷の、覚えてない? 昨日、貴方が私と一緒に寝たいって言い出して……」
記憶が朧げだ。確か、そんなことを言ったような言ってないような……順番に思い出す。
確か、昨日は両親と会って、気まずい馬車に揺られて、衝撃的な話をティーハウスでされて、その後に色々と王都を徒歩で巡って……
ああ、そうだ。なんか、私、眠かったんだ。それで馬車で眠って……あれ? ここらへんが思い出せない。確か、なんだかあったかくて、安心する感じがあったのは覚えてるんだけど……
「ぎゅー」
「あ、あのっ、お母様?」
「どうしたの、我が愛しの愛しのエノール?」
「……」
恐る恐る手を母の背中に回す。すると、より一層強く抱きしめられた。
「二度寝しよっか?」
「い、いけません! ていうか、なんで私が屋敷に……? バルターはどうしたのですか?」
「バルターも屋敷にいるわよ。貴方たちが元々使う予定だった部屋から荷物を運んで、こっちに持ってきてね。これから入学式まではここで寝泊まりするから」
「ええっ、あの、いいんですか⁉︎」
「いや?」
「いえ、あの、嫌と言うわけでは……」
「それじゃ、お風呂に入りましょ〜。朝のお風呂は格別よ?」
「あっ、あの、お母様。使用人はどうされているのですか? 朝にお風呂の準備はその……大変だと思いますけど」
基本的に朝は洗濯・掃除・料理など家事が盛り沢山だ。夜に風呂に入るのはそう言った理由もあってのことだ。
屋敷にどれだけ使用人がいるかはわからないが、領地の屋敷でさえ男使用人は賃金が高いからとあまり雇ってはいない。この屋敷でもそこまで使用人を雇う余裕はないと思うが……
「いないわよ? 普段は私たちだけで生活してるの」
「えっ⁉︎」
「あっ、パートの人がやってきて、まとめて家事をやってくれるけど、基本洗濯と料理だけね。作り置きしてくれるから、それを食べてるわ」
「そ、そんな……」
まさか、伯爵夫妻が、自分の両親が自分よりも貧相な生活をしているとは思わなかった。
エノールは思わず悲鳴のような声をあげてしまう。
「──王都は凄いのよ! 勝手にお湯が沸いてきちゃうんだから」
「えっ、えっ、お母様、それはどういう──」
「ほらほら、何はともかく入りましょう! きっと驚くわよ!」
私は母に背中を押されて脱衣所へと向かうのだった。
脱衣所でドレスを落とす。見ると、お母様も脱衣に慣れていて──貴族の中には自分で服も着れない人が多い──使用人を伴わない生活をしてることといい、貴族らしくない人だなと思った。
「……」
「どうしたの?」
「いえ、その、お母様は凄く……グラマラスだなって」
「あはは、エノールもこれぐらいになるわよ」
ブロンドのウェーブがかかった髪から垣間見える肌は陶磁器のように白くて、シミやくすみなど一つもなかった。
背中からウエストのラインが絶妙で、とても一児の母とは思えない体つきだ。無駄な贅肉もなく、引き締まっているところは締まっていて、出ているところは出ている。特に胸の方は惚れ惚れしてしまうほどの曲線美だった。
「あらあら、エノールはまだおっぱいに興味がある時期なの?」
「いっ、いえ、その──」
「えーい!」
「や、やめてください、お母様!」
思いっきり抱きつかれて、顔に柔らかい感触がある。そのまま浴室に連れ込まれて、あれよあれよと世話をされてしまった。
「気持ちいい?」
「あ、あの……お母様に使用人にさせるようなことをしていただくわけにはいかないのですけど……」
「細かいことはいいの、ほら、腕あげて?」
「……」
手拭いに石鹸をつけて体中を洗われてしまう。妙に心地いいというか、暖かいというか、もどかしいというか、居心地が悪いというか……とにかく全部をひっくるめたような居た堪れなさがあった。
けれど、ミラルダは止まらない。
「……」
ミラルダは娘の成長していく現場に立ち会えずにいた。五歳から十歳と言うのは子供の成長が一番著しい時期。母親として決して見逃せないにも拘わらず、自分は屋敷を留守にして王都にいたため見届けることができなかった。
せめて、記憶の中にある五歳のエノールと、今のエノールの違いを確かめるように、我が子の体を洗って五年の月日による認識の違いをなんとか埋めようとしていた。
エノールが体を洗ってもらっている間、横ではザバザバとお湯が浴槽に溜まっている。
王都は温泉が湧き出すようで、元々三代目の王様が療養にこの地に訪れた時に、新たな都をここだと決定してしまったのだ。その名残でこの王都には至る所に源泉があり、こうして貯水と混ぜた温水を流すことによってすぐさまお風呂が出来上がると言う仕組みだ。
エノールが洗い終わると、今度はエノールの方が母の体を洗うと申し出、ミラルダは快くそれを受け入れた。もう一度水を被せて、ミラルダの体についた泡を洗い流すと、自動で浴槽に注がれていたお湯が止まる。一定量になるとお湯が止まる仕組みになっていた。
「凄いですね……」
「ねえ、三代目の王はえらいものを開発したのね」
エノールが遠慮して、ミラルダは仕方なく一番風呂に浸かる。そして、娘を浴槽に受け入れた。
「いいお湯ね〜」
「はい……」
朝日が天井付近から差し込んでいる。朝の浴場はそれほど広くないけれど、石の壁で囲まれたそこは佐藤健の記憶にあるテルマエのようで、なんだかワクワクするものを感じた。
少しばかり熱いお湯に体を沈めて、日頃の疲れを流す。すると、母は娘に質問した。
「エノール、生理はもう来てる?」
「いいえ、まだ来ておりません」
「そう……大変だと思うけど、頑張ってね」
「う……やっぱり大変なんですか」
「ええ、毎月血は出るし、殿方には気味悪がられるし……アイジスも顔には出さないようにしてくれてるけど、やっぱり怖いものなのだそうよ」
「そう、なのですね……」
なんだか物寂しくなる。自分は忌避されるべき人間なのだと感じて。
「体の方にも振り回されやすくなるし、食欲だって変に増えたりして……人にもよると思うけど、これから学園生活でしょ? 個室だとは思うけど、人が集まった中で生活しなきゃいけないから、困ったら先生を頼るのよ」
「はい、お母様」
ミラルダはようやく母らしいことができたと嬉しくなる。この娘は導く上で出来が良すぎるのだ。
「……エノール、朝から聞く話でもないと思うけど」
「なんでしょうか」
「貴方、好きな人はいる?」
「……いません」
「そう、将来についてどう考えてる?」
「伯爵家の当主として恥ずかしくない人間になろうかと思います」
ミラルダは娘の言葉に『やっぱり……』と漏らした。母親としての勘は間違っていなかったらしい。
「……後五年、五年で貴方は引き返しがつかなくなる。でも、私たちが商人との交渉をうまくやって、領内に引き入れて、養子を取って……そうしたら、貴方は家督を相続しなくても良くなるわ。それでも、当主の座に着くのね?」
「はい、もとよりそのつもりでした。星見の儀でもそのように告げられています」
「……分かったわ。私たちは貴方を応援する。お父さんにも伝えておくわ。私たちの子供は立派だってね」
「ありがとうございます……」
「そんな他人行儀な……えい」
「わっ」
ミラルダは堅いエノールを解きほぐすため、突然彼女の胸を鷲掴みにした。
「なっ、何をするんですか!」
「こちょこちょ〜」
「あはは、やめ──」
浴場に母娘の喧騒が響く。
「ひどい目に遭いました……」
「あら、アイジス」
「ミラルダか。今あがったのか?」
「ええ、貴方も?」
「ああ」
浴場から上がって、二人はゆったりとした格好をしている。そこにアイジスが現れた。
「お父様……」
「貴方、エノールは家督を継ぐって」
「……分かった。私も応援しよう。養子の件は白紙にするが、商人に関してはまだ交渉を続けよう」
「あの、お父様。その件に関しては相談させてはいただけませんか? 今いる商会と利害対立した場合、協力の約束が……」
「分かっている。後で私の関係している商人と、業種、進めている話を聞かせよう。エノールからも何かあれば迷わず言うといい」
「分かりました」
「それじゃあ、私も朝風呂に行ってくる」
「ええ、行ってらっしゃい」
「……お二人はあまり貴族らしくはありませんね」
「あら、どうして?」
「……やりとりもそうですが、普通は夫より先に妻が風呂には入ってはならなぬと……」
「あはは、バルターね。まあ、間違いではないわよ」
「それなら、何故?」
ミラルダは少し遠い表情をして──
「『名ばかりの伯爵家』だからかな」
「……」




