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学園入学までの執務

 平和というのは素晴らしいものだ。

 

 たとえ人が平和になれきってその価値に気づけなくなって、また戦乱の世が訪れるとしても自堕落主義者の私は両手を振って太平の世の中で平和の重要性を説く。戦争なんて面倒なことはやめようと!

 

 そう、働きたくないのだ。私は屋敷に戻ってもしばらく働かないつもりだった。引きこもって、ちょっと美味しいお菓子を食べて、ベッドでゴロゴロしたいのだ。

 

 なのに──


「商人達めぇ……」

 

 私が焚き付けたのが悪いのだが、そのせいで早くも診療所の開設について手紙が送られてきていた。そのせいで私はバルターが書き起こした書類を見て、情報を精査して、これからの計画を立てなくてはならなくなったのだ。

 

「『ベティクート』は後回しにして……先頭が群れの長ってことだったけど、結局戦わないといけないし、農地の大規模拡張には警備兵が必要だから……農民にいざとなったら戦えるよう教育してもいいけど……むしろ辺境伯みたいに外に接してる畑の農民は訓練させるか……? それなら、『ベティクート』の対処が完成すれば実践できるし……ああ、でもそもそも畑の拡張に土壌の研究が……くそっ。石灰はアルカリ性で、確かpHが関係してるんだよな……? でもリンとか他の栄養は……分からん。そっちも研究しないと……」

 

 大量の書類が執務室の机に広げられている。バルターはまだ資料を書き起こしていて、今は側付き女中ウェイティング・メイドのアイシャがそばに仕えている。バルターと違ってうるさくないから集中しやすい。

 

 各地に関する記録は持ってきた紙にかける量ではなかったため、バルターに全て覚えさせていたのだ。人間記録帳である。屋敷に帰ってからは自室にこもって書類を片付けているようだ。私が命令した。寝る時間を削って昼間は私のそばにいようとするのだ。効率が悪すぎる。

 

「エノール様、紅茶です」

 

「ええ、そこに置いといて」

 

 土壌の研究と……後は医療関係か。医者の情報はバルターがまとめてくれてるとして、有用な知識はある程度頭の中にあるし、改めて資料を見て有用な情報だけをピックアップしてまとめるか。それから、モデルケースは……できるだけ屋敷から近いほうがいいな。最初は私も自分の目で確かめたいし。でもそうなると極端に候補地が減って……

 

「……」

 

 アイシャはエノールの仕事姿を見ていた。七歳の息女が大人顔負けの書類仕事をしている。それも何やら自分では理解不能なことをやっているらしい。

 

「困っている症状の割合と街を関連付けして、その治療に必要な費用と必要物の算出……これもバルターにやってもらうか。メモメモ……それをしないことには選定ができないな。医者はどこかから引っ張ってくるとして……診療所の使用者の条件か。地元に十年以上住んでいて、定職についている人間かな……? 金利は……どうしよう。その町での平均所得から算出して、どのくらいの利潤を得るか……治療のコストに利益分を加算して、さらに借金として金利で儲かった場合……金利を高くして治療費は実費に近くする? 金利を理解できるとは思えないし、下手にハードル上げるよりはいいか……地元民の返済が診療所を支えるとして、商人達のための専用スペースも確保しないとだなぁ……そうなると既存の建物を流用するのじゃ無理があるところも多いし、新たに建設するか……? 騎士に負担させれば容易ね。よし、そうしよう」

 

「……」

 

 何やら不穏な単語がたびたび飛び出しているが、女中は意見しない。執事長ならまだしも一介のメイドが意見するなど烏滸がましいからだ。

 

 それでもエノールは領民のことを考えている。

 

「病が広がった時のシミュレーションもしないと……医療物資の在庫を商会に抱えさせるよう義務付けるか? それか、騎士達……いえ、無理ね。あいつらは信用するだけ無駄だわ。よし、商人達を頼りましょう。そもそもインフラの供給源を独占させてる時点で、彼らが領地経営の歯車に入っているのだし、もうじゃんじゃん頼ろうかしら」

 

「……」

 

 考えている。考えているが……騎士のことはあまりよく思っていないようだった。

 

 エノールの考えることは他にもある。街に蔓延る犯罪組織に売春問題、特に貧困層の拡大が領内の治安低下に寄与しているが、売春自体は辞めさせられない。

 

「……やっぱり、避妊方法の研究は必須ね。私が作って……だめだわ。手先が壊滅的すぎる。ものづくりが得意な人を雇いたいわね。アイシャ」

 

「はい」

 

「この屋敷にものづくりが得意な人間はいる? 特に金属を扱えたりする」

 

「金属ですか?」

 

「ええ、別に金属を伸ばすとか叩くとかじゃなくて、普通に曲げたり捻ったり、手でできる程度なんだけど、大人の力が必要でね」

 

「それなら、私でもできそうですが……」

 

「そう、それなら頼りにするわ」

 

「え、えっと……」

 

 アイシャはいつの間にか重大な役目を任せられた気がした。

 

「それとアイシャ」

 

「はい」

 

 エノールはアイシャの方に振り向く。

 

「こっちにいらっしゃい」

 

「はい」

 

 アイシャがエノールに近づく。すると、エノールはアイシャの少し日に焼けた頬に手をやった。

 

「貴方は辞めないでね」

 

「はい? どうしたのですか?」

 

「これから、私結構大変になるのよ。それで、貴方には辞めて欲しくないなって」

 

「言われずとも、私はエノール様のおそばにいます」

 

「いや、ほら、私のそばにずっといると結婚とか、いい出会いがないでしょ? それで、嫌になって出ていくかな、とか……」

 

「……」

 

 この令嬢は不思議なところで弱気になるのだ。

 

 それはたった五歳で両親と別れることになった少女の宿命とも言えた。いくら子供離れしていても、まだ彼女は立派な少女なのである。柔らかい部分は当然あった。

 

「……お慕い申し上げております、エノール様」

 

 少女の小さな手にアイシャは自分の手を重ねる。もとよりアイシャも結婚を諦め、この少女のそばにいることを決めていた。

 

「……おかしなことを言うけれどね、貴方のこと、姉みたいに思っているのよ」

 

「……………私をですか?」

 

「そんなに驚いた顔しないでよ。自分でもちょっと変だなって思ってるし……」

 

「いえ、光栄ですよ。お嬢様」

 

 アイシャは久しぶりに息女のことをお嬢様と呼んだ。エノールが当主代理になってから使用人達に決して用いさせなかった呼び方だ。

 

 エノールは再び仕事にもどる。アイシャもまたそばに控えて瞠目する。

 

 ──屋敷の振り子時計が五時の鐘を鳴らした。






 エノールの追加注文も受け、なんとか資料作りを終えたバルターはエノールと今後の方針について話し合った。エノールがたてた経営の見通し、方針、計画をバルターが精査していく。驚くことに、領内特有の注意事項についていくつか指摘することはあったものの、経営の根本に関することはほとんど口を出すところがなかった。

 

「エノール様は一体どこで経営を学ばれたのですか?」

 

「あはは……」

 

「……」

 

 エノールはその場その場で誤魔化しながら、時には誤魔化しきれなくともエノール(少女)の異質は今に始まったことでないと流していた。

 

 そうして月日は流れ、二週間もしないうちに何通かの手紙が商会に送られる。

 

「──ついにエノール様から手紙が来たぞ!」


 受け取った商会は大いに盛り上がった。そこにはエノールの診療所の目的、経営方針、事業計画、医療物資の流通ルートから商人達の分け前、求める商品と提供する治療の種類、それぞれの値段と借金の場合の金利、その金額設定の真意について細かに告げられていた。

 

 エノールが屋敷に戻って真っ先に手を出したのは、エノールの衛生知識と各地の医者の知識をまとめた『衛生・医療書』の編纂である。

 

 それらを商会に真っ先に送りつけて恩を売った後、今度は町にも送りつけた。一緒に『町長には町の改革を主導してもらう』という伯爵家名義で書かれた命令書も添えて。

 

 商会に送りつけたのは個人レベルの知識、町に送りつけたのは町規模の知識。両者は共にエノールの解釈による病の正体とその伝染り方を紹介しながら、どんな病気があるのかその症状と潜伏期──潜伏期の説明も添えて──をリスト化して、病の対策と病気が広がった時の対処を個人レベルと町レベルの二つに分けて記した。

 

 特に町に送りつけた手引書は住民に徹底されることが明記されていて、彼らがそれらを履行できるかによって商人たちの安全も変わってくるので、エノールの入れ知恵もあり商人たちは改革の遅れている町に対してこわ〜い手紙を送りつけることとなった。

 

 手引書とともに命令書は商人を通して町に送られた。伯爵家名義の命令書を、しかも商会のお偉いさんが渡してくるのだ。これは大事だと考えて逆らう人間はそういまい。彼らの生活は商会の機嫌次第で砂のように吹き飛んでしまうのだ。

 

 どのように町を改革するべきか具体的な改善点と改善方法を考えつつ、次にエノールは診療所のモデルケースの着手に急いだ。

 

 なにせ社交界に出るのはあと八年だ。診療所を領内全体に開設することを考えれば、八年という年月はあまりにも短い。手をつけるのは早ければ早い方が良かった。

 

 バルターの記録から現状エノールの衛生知識と医者のレベルからして提供可能なサービスの需要を町ごとに割り出し、診療所の候補地と照らし合わせてなるべく屋敷に近い場所をモデルケースの開設地とした。

 

 なぜ屋敷に近い方がいいかというと自分が足を運ぶからだ。モデルケースは実際に利益になるのか、経営は可能かを現場で確認するためにある。当然、ここでいろんな失敗をするから自分が足を運ぶのに容易な立地の方が望ましいのである。

 

 新しく建物を建設するわけにもいかないので、事前に診療所として改装可能な物件を割り出していたのだ。地元の人間を伯爵の名の下に『病人を助ける診療所の開設』を掲げて働かせた。念には念をと大義名分を用意していたが、地元の職人たちはそんなことならと快く引き受けてくれた。

 

 そして、これまた伯爵の名前で呼びつけた医者をそこで働かせることになったが、エノールの経営に何の説明もなしについて来れるわけがない。まずは診療所でのルールやら仕事の仕方に慣れてもらう必要があった。

 

 診療所では庶民を相手に商売をする。当然、顧客のメイン層は料金を満足に支払えない場合が多い。そのため診療所は金貸しとしても営業し、地元の人間で定職についているなら地元を離れる予定がない限り治療費分の負担を肩代わりする。

 

 エノールは地元の人間の中から器量良しをなんとなく見繕い事務の人間とした。彼が顧客の審査をして融資相手として信用できるか、診療所で提供可能なサービスがあるかを審査してもらう。審査で合格の場合は店に通され、施設内がいっぱいの時は予約という形で後から来てもらう。予約帳簿をつけるのもまた事務員の仕事だ。

 

 エノールはまず医者を教育することから始めた。幸運なことにそれなりに良識がある人だったのでエノールが教えねばならないことは少なかった。エノールが作った手引書を見せれば、当然だが医者にとっては商売道具とも言える医療の知識がバカみたいに書いてあるので、食い入るように齧り付いていた。

 

 その様子に若干引いたが、何はともあれエノールが運営する診療所の医者として働くには問題ないレベルだったので、早速働いてもらう。

 

 エノールの立ち合いのもと、彼女もいろんなことを学習しながら医者の働きを監督する。最初は無料で治療し、徐々に人を集めてすぐに審査してふるいにかけても問題ないほどの人が集まるようになった。

 

 医者が働いている間にエノールは取り立て屋を組織した。荒事にたけてそうな恰幅が良くて強面な男たちである。七歳の少女が何の躊躇いもなく彼らに声をかけるのだ。周囲はヒヤヒヤしながらその様子を見ていたが、彼らは見事にスカウトされるのだった。

 

 取り立て人は常日頃から診療所を守る存在である。医療物資は金になる。特に医療器具については高価なので、診療所内に保管されている財産を守る警備が必要だったのだ。必ず一人は取り立て人が診療所に泊まり、夜間でも何かあれば対処してもらう。

 

 地元の住人には借金を返さなければならないという感覚がない。そこが悲しいところだった。エノールの目的と、彼女が目指す先、診療所の開設と自分たちがなぜスカウトされたかを知る取り立て屋の人間達は身を粉にして働いてくれたが、エノールが気の毒に思うほどだった。

 

 そこで、エノールは町長をつかって町全体に布告を出した。エノールが伯爵の名において町の病気をどうにかするために診療所を建てたこと、後からでもきちんと料金を支払わないと家財や身ぐるみをひっぺがされること。

 

 効果は絶大だった。この喧伝を他の街でもしようと決意し、エノールは順調に運営される診療所を眺めて満足げだった。

 

 診療所が周囲の人たちにありがたられていたことも大きい。一度町から正式に料金を支払うように言われれば、もし払わなかった場合周囲の人間から白い目で見られる。同調圧力というのは馬鹿にできないし、取り立て人達にしても仕事がやりやすくなった。

 

 きっと金利のことを知れば住人は騙されたと思うのだろうな……それでもエノールはやらねばならなかった。全ては領地のために。

 

 一ヶ月に一回徴収はやってくる。町にいる人間は多いから、取り立て人達は大忙しだ。家宅から家宅へ、時には声を荒げて相手を脅しつけることもある。やはり金貸しは碌なもんじゃない。

 

 診療所が金貸しの真似事をするのは今だけだ。騎士達が破産して領地の実権がエノールに集まれば、この借金制度はなくなる。一人当たりの借金も少ないので、領地中の借金を不問としてちゃんと税を使って診療所が運営できる。その時まで彼らには耐えてもらうしかないのだ。

 

 モデルケースの運営のみならず、避妊器具の開発も行う。売春での貧困層拡大と治安悪化を防ぐためにはそうするしかないのだ。

 

「あの、これは何なんですか?」


「避妊器具よ」


「避妊器具……?」

 

 制作を手伝ってもらったのはアイシャだ。実験体でもある。

 

 紹介を通じて純度の高い銅の棒を用意して、それらを折り曲げる。子宮の奥に差し込めるようにしたそれは、挿入型の避妊器具だった。

 

「無理ですよ、エノール様! お考え直しください!」

 

「いいじゃない、ちょっと、ちょっとだけよ」

 

 大人の子宮口のサイズを測るにあたって、アイシャには一肌脱いでもらった。文字通り。

 

 手を突っ込んで大体確認して、自分の手で自分の膣に装着する避妊器具を作ってもらう。アイシャは何度か涙目になった。

 

「エノール様……嫌い」

 

「ご、ごめんって……」

 

 どうやらアイシャは拗ね症だったようで、度々膝を抱えて口を聞いてくれなくなってしまった。本来ならこんな態度を使用人が取れるはずもないので、二人のやり取りは仲の良さの表れでもあった。

 

「装着感はどう?」

 

「……最初は違和感がありますけど、慣れます」

 

「そう、良かった」

 

「……」

 

 アイシャで実験機を試して、日常的に装着しても問題ないと知ると、今度は二十個ほどそれらを量産して商会に送りつけた。作ったのはアイシャである。

 

 それらを売って得たお金は商会のものにしていいこと、売るときは商会を必ず通すことを理由に、対価として定期的に娼婦に使用感と効果を確認してもらった。顧客でもある商人達にしても娼婦達が妊娠しなくなればお気に入りがすぐにいなくなることも無くなるので、喜んで手伝ってくれた。

 

 開発に半年、実証実験に一年である。やはり違和感があるということだったが、今のところそれで怪我をした人はいないということで、問題なく本格販売に移行できる。

 

 そんな時に商会の一つから手紙があった。なんと、エノールの避妊器具の噂を聞きつけて、はるばるその地までやってきた商人が実験機を手に取って原材料を割り出して、あろうことか鍛冶屋に生産を依頼していたという。ひどい裏切りだとしてその商会は商人を処分すると申し出たが、それは却下した。

 

 代わりに原材料と生産方法、生産における注意点などありとあらゆる情報を全商会に開示した。そのため金属加工で知られるバルワルド商会にも注文が殺到し、エノールは彼らに恩を売ることに成功した。ちゃっかり自分のおかげだとアピールする手紙まで送ったのだ。


 診療所のモデルケース実験に『衛生・医療書』の編纂・配布、避妊器具の開発と流通を同時並行で進めた。それらに二年ほどの月日を要した。

 

 モデルケースが問題なく作動することを知ったエノールは、経営システムに問題がないと知ると今度は自分がいなくても人材を教育できるように研究を始めた。

 

 候補地を選定し、騎士達に前もって診療所の建設を進めさせる。モデルケースのある町の大工に頼んで書いてもらった設計図をわざわざ送りつけたのは、適当な仕事をしてもらったら困るのと騎士達の力を削ぐのが狙いだ。彼らが建てた診療所は、エノールが実権を握った後も長く使う予定だからである。

 

 そうして様々な仕事に取り掛かるエノールに王国から手紙が届いた。見ると、王立学園入学の命令書だった。


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