19.
ジリアス神官長は案外あっさりと鳥の姿のユキナを受け入れているらしかった。
サクラと話している間は不信と疑念を貼り付けた物言いをしていたのに、眼の前で鳥がしゃべるという行為を疑問に思わないとは不思議だが、魔術を使って奇妙な生物を創り出している人間たちの、彼は筆頭にいるかもしれないのだ。
サクラはこれまで見た“かけ合わせ”の生き物を思い出し渋面になった。
(そうよ。この神官長は魔術を容認どころか指導しているかもしれないんだわ)
姿の美しさに見惚れている場合じゃないと、今さら気合いを入れたサクラだった。
その神官長は落ち着いた様子でユキナを見つめ、やがて微笑を浮かべて言った。
「はばかりながらユキナという御名は聞き覚えがございます」
「ほう。どんなふうに?」
「この国一番の法術士であったと」
ユキナが小首を傾げる。
「過去形なのかい?」
その声音は少し不服そうだった。
神官長は苦笑を溢しながら小さく首を振った。
「現在行方不明と伺っております。しかし噂では、実は何らかの理由で身を潜めておらねばならず、それでも困窮に瀕した者たちの苦行を取り除くためにお働きになっているとか。ただ彼の方には容易に会うことは叶わず、しかし密かに連絡を取れる手段があるとかで、それを知り得た者だけが救われるという逸話を耳にしたことがございます」
「そりゃまた美化されたもんだ。そんな慈悲深い人間になった覚えはないけどねえ」
ユキナはしらばっくれた言い方をしたが、その噂が密かに流れていることはサクラも知っていた。
実際にユキナは独自の情報網を持っており、度々依頼を受けることがあったのだ。
内容はさまざまだが、“困窮に瀕した者たち”を助ける救世主になっているわけではなく、大体が村や町の行政や資産家を相手に不可思議な現象を解明しては成功報酬をいただくという仕事であった。慈善事業では決してない。
しかし噂が妙な方向に肥大する理由として、ユキナの神官としての実績と法術士としての技能の高さを目の当たりにした人々が、その存在を神聖化し畏敬の念を示したためといえた。
それにユキナはこの噂に蓋をしようとはしなかった。
秘密裏に仕事を請け負うことは可能だし、口伝えに広がらぬよう封じる術もあるのだが、それをしてこなかったのはユキナが鳥の姿に変貌してしまった原因でもある、サクラの中に存在する《宝剣》についての情報を得るためだった。
かといって所構わず話題に上っても面倒な話なので、ある程度の情報操作をしてきてはいたが。
ユキナはこの美貌の神官長が“大神官ユキナ”の存在をどこまで知っているのか聞き出してみようと思った。
「それにしても、この町にまであたしの名が通ってるとは思わなかったね。大神官の称号を与えられた神官はトスタイト国に五人いるが、それぞれ管轄を持っている。他の大神官の治める土地には踏み込まないよう暗黙の了解が成されているからね。中には自分以外の大神官の名を広めまいと皆の耳をふさぐ者もいるらしい。この辺りを仕切ってるのはレンカどのではなかったかな?」
神官長はゆっくりと頷きを返した。
「クナを筆頭に近隣の町と村、合わせて十七ほどを取りまとめていただいております。レンカさまは御年八十を越えられまして、御高齢のため現在はテイ=カルナ神殿よりお出になることが叶わなくなっておりますので、恒例の二十日教典式は各町の神官長が交代で執り行っております。ですが最近では我々も含め、町の人々はレンカさまのお言葉を拝聴できず寂しい思いをしております。ユキナさまが守られている人々も同じ思いなのではないでしょうか。ハク=レーニャ神殿にはもうお一方、カガミ大神官さまがいらっしゃいますが、彼の方は首都クリエをお守りなさっていますから、実質レーニャ周辺はユキナさまがまとめておられたのではないですか?」
さすがに見識深く国中の神殿や神官の現状を把握しているようで、近隣の神官長とは密な交流を行っているらしかった。
ところがユキナはジリアスの事情通がいかほどのものか探りを入れているはずが、ひょんな名前に出くわし、ずっと潜めていたものが腹の奥底でふつふつとくすぶりはじめるのを感じていた。
「いやーな名前を聞いたなあ。あたしがこんな姿になった原因を辿っていくと、あのおっさんに突き当たる気がするぞ。いつもいつもあたしに面倒事ばっか押しつけて自分はどっかりと椅子に収まってやがんだから、あのくそおやじ! 今度会ったらただじゃ済まさないよっ」
「ユキナさんってば!」
驚いたサクラが慌ててユキナを羽交い絞めにした。
「なに言い出してんのよ!」
「うっさいね! もとはといや、あのくそおやじがあの野郎に妙な話を吹き込まなけりゃ、あたしたちはこんな目に遭ってないんだよ! だーーっ、忘れていた恨み辛みが蘇ってくるううう~」
「やだもう! しっかりしてユキナさん!」
ユキナを持ち上げガクガクと揺さぶるサクラ、そして揺さぶられながら翼をばたつかせぶつぶつ呪いの言葉を吐き出しているユキナとを見比べ、ハヤトは深い深い溜息をついた。
「なに漫才やってんだよ。ったく、全然話が進まないじゃんか。おまえら何しにここにいんだよ」
「まったく、その通りだ」
すぽんっとサクラの手から逃れたユキナはひとしきり身体を振って息を整えると、改めてジリアスに向き直った。
相手はいきなり脱線したサクラとユキナを、悠然とした態度を崩さず眺めている。その表情には何の感情も窺えなかった。至って穏やかな声音のまま訊ねてくる。
「何か気に触ることでも申しましたでしょうか?」
「いやいや、すまないね。カガミ大神官は悪友みたいなもんで、その素質、実力、人望、すべてにおいて完璧に見える御仁だが、性格の悪さは一級品なんだよ。あんたもあれと話す機会があったら、あの人の良さそうな笑顔を間に受けずによくよく観察してみることだ。腹黒さが見えてくるからね」
「ユキナさんってば、もう!」
言いたい放題のユキナにサクラは頭を抱えて嘆いた。
サクラにとってカガミは恐れ多いが「おじいちゃん」と呼んで親しんだ人なのだ。高名な人物であるのにいつもサクラの目線に合わせて話をしてくれた人で、ユキナが仕事で留守をしていた時は、そんな時間がどこにあるのかと首を傾げるくらい度々会いに来てくれたという、まるで父親みたいな存在だった。
尊敬している人だけに、ユキナが本気とも冗談ともつかない調子で悪口を叩くのを聞くと、歯痒い思いをしたし情けなくも感じていた。
だが二人の間には強い信頼関係があるのもわかっていた。
それだから昔はよく、年齢に差異のある二人なのに、どういう繋がりでどういう過去を経てきたのか知りたいと思ったものだった。
今でもその好奇心は残っているが追求できるほどの勇気は持てなかった。
サクラはユキナの羽毛に包まれたやわらかくて丸い背中を見つめた。
次第に脳裏には人間の姿であるユキナが浮かんでくる。
晴れた青い空の色を写し取ったように、鮮やかに澄んだ碧色の長いまっすぐな髪。
凛とした佇まいと、皮肉めいた笑みをたたえる口元に、風になびいた髪が幾筋か掛かるさまはとても美しかった。口の悪さとは裏腹に、その姿には憧れを抱いたものだった。
「さあさあ、いい加減本題に入ろうじゃないか。あんたはあたしが何者なのか、ちゃんと理解したろう? その上でこの先あたしたちをどうするつもりなのか、あんたの目的を聞こうじゃないか」
気風のいい声に懐かしい幻影が消え去り、サクラは現実に立ち返った。
ユキナのような覇気に溢れた美とは対照的な、浮世離れした風貌の神官長の真意がいよいよ判明する時がきた。
サクラは姿勢を正して挑んだ。
それとは反対に、隣で肘掛けに頬杖をついた状態で、これまでの会話を聞くだけだったハヤトは一生懸命欠伸を噛み殺していた。
胸中では、「おれ何でここにいるんだろ」と、本来の目的を放棄したくなる気分にまでなりそうだったが、何とか持ち堪えていた。
そんな二人の心境を背景に、討論の責任者たちは互いに薄く微笑みすら浮かべている。
すると神官長が小さく声を出して笑った。
「おかしなものですね。何か大きなことを成そうとする時、神は必ずそれをするに値するかどうか審査をなさる。それを試練と受け止めるか単なる邪魔者扱いとするか。知識や能力よりもその者の素養を試される。今の私のように」
少しずつ濃い色が重ねられていく、そんな変化だった。
ジリアスの声音も雰囲気も、今までとは違う何かに変貌していく予兆を思わせた。
サクラは自分の中で高揚したざわめきを感じ、それが自分自身がジリアスに対して覚えた違和感や恐れなのか、それとももう一つの存在が反応しているのか、どちらとも判別できずにいた。
ユキナの落ち着き払った声だけが頼りとばかりに小さな背中を見つめた。
「なるほど。あたしらは間の悪いときにクナの町を訪れちまったようだね。その大事とやらが行われる時でなければ、巻き込まれることなく修業でも観光でも好き勝手できたんだろうが、そうもいかない理由があるわけだ。特に法術士には関わって欲しくない訳ってのが」
「はい。その通りです」




