18.
「……人間、ですか?」
「そうです」
「この鳥が、ですか?」
「そうです」
「しかも法術士であると?」
「そうです」
一つ一つ聞き返される問いに、サクラは根気よく頷いた。
美貌の神官長どのは顎に手をあて、サクラの膝の上にでんっと居座っている鳥もどきをじっくりと眺め回した。
サクラはその様子を窺いながら、この時ばかりは、はじめて見る不可思議な生き物に対し、純粋に興味の色を映し出している紅い瞳が、一般の学生たちと変わりないように思えた。
今まで感じていた威圧感が薄れたのだ。
やがて神官長は心持ち首を傾けながら呟いた。
「……呪術の痕跡はないように思われますが」
その言葉にサクラは思わず身を乗り出した。
「わかりますか? あの、もし呪術なら見分けることができるんでしょうか?」
すると相手は頷きを返して答えた。
「法術と違い呪術は痕跡を残します。相手を憎んだり恨むあまり傷つけようとする術ですから、相手の体毛、体液、皮膚など対象者の一部と、無論自分自身の一部も必要です。さらに術の種類によって必要な他動物の血肉や燻製や植物などを調合し、術式を刻んだ円陣に捧げて邪念を送り込み、暗黒の世界から望みの結果をもたらすだろう使者を喚び起こすのです」
この常人離れした美を持つ御仁に、こういった手合いの話をされると何とも怪しげな雰囲気を感じてしまう。
サクラは思わず身震いした。
神官長は涼しげな表情で続ける。
「大雑把に言えばこういった手順によるものですが、術をかけられた相手と術者である自分に、どんな形であれ必ず跡が残ります。何故なら“呪う”とは相手に禍をくだされるよう神に祈願することを言います。しかし只人がそのような願いをするなど神への冒涜とみなされ、喚び出したものは悪神であり邪神であると言われています。それらは標的に取り憑いて禍を与えるとそのまま棲みついてしまうのです。そのため呪術を受けた者は召喚された悪神を取り憑かせたままの状態なのですから、気を読む法術士なら簡単に見極められます。この鳥にはそのような怪しき気配は感じられません。姿は普通の鳥とかけ離れていますが、まあ正常な生き物に見えますね」
最後の言葉にサクラはほっとして膝の上のユキナを覗き込んだ。
途端、ぎょっとした。
ユキナの眼が据わっている。
鳥であるからして据わっているといっても、眼を細めている程度にしか普段と変化ないのだが、この姿になったユキナとも長い付き合いになりつつあるサクラだ。
あまり表情のわからない容貌であっても機嫌がいいか悪いかの判断はつく。
この顔は機嫌を損ねている。
実はその理由をサクラは薄々感づいていた。
先程から神官長は言葉の端々で「一般とは言い難い」とか「普通とはかけ離れている」とか、何気にユキナの姿かたちを非常識的な言い方で表現しているように見受けられる。
これを無視することは到底できないだろうと思われた。
サクラは恐る恐るユキナに声をかける。
「あの、ユキナ、さん?」
すると黒目がぎょろっとこちらを向いた。いや睨んできた。
一瞬にして竦み上がったサクラは硬直してしまう。
これまで邪魔をすることなく大人しく会話を見守っていたハヤトが、訝しく思ってサクラに視線をやり固まっている姿に眼を眇め、そしてユキナを見ると溜息をついた。
しかし、諦めたような溜息とは裏腹に内心では高揚感を覚えていたのだ。
(こりゃあ、面白くなるかも)
大神官の位を持つらしいユキナと異様な風体の神官長との対峙は、果たしてどれほどの舌戦を繰り広げてくれるのか、はたまたこんな場所であろうとも法術合戦をやらかしてくれるのか、どちらであってもハヤトは一見物人として楽しむ気でいる。
悠然とソファにもたれ見物の態勢を取ったのだった。
一方サクラは硬直していながらも、頭の中では混乱の極みに達していた。
(怒ってる、怒ってるわ、ユキナさん。どうしようどうしよう。このままじゃ何やらかすかわかんないわ。まさか神官長相手に仕掛けるなんてことはっ。いくらなんでもこの人は国から任命された神官長さまなんだし、今まで不当に追われてたとしても、いえ、ユキナさんの場合そんな理由じゃなくても自分の機嫌次第でいくらでも理由づけができたりするわっ。ああどうやって宥めよう、どうやって落ち着かせよう、どうやって)
「あんまりこの子で遊ばないでくれないかねえ」
大袈裟な溜息とともに吐き出された言葉は、サクラの膝元から聞こえてきた。
サクラがぎこちなく視線を下げると、ユキナが翼を器用に曲げて頬の辺りの羽毛をかしかしと掻いているではないか。
「おまえさん、あたしが見た目どおりじゃないってことぐらいはじめっから気づいていただろう?」
「え?」
それを聞いて今度は視線を上げると、前方で端然と座している人はつややかな純白の髪をさらりと指で梳き、唇に笑みを刷いていた。
「なるほど。さすがにあれだけの能力を発揮なさっただけはある。さぞ名高い術者どのなのでしょうね。そのお姿はわざと仮り物としているのか、それとも本当に呪術の類いか。しかしこれは先ほども言ったようにその痕跡がない。それに呪術など位ある法術士なら解けぬわけもないでしょうし。ならば自らの身体に魔術を施したか、あるいは法術発動の際、何らかの不特定要素から起源素が捻じ曲げられてその身に降りかかってしまったか。とまあ、これくらいの想像しかできませんけれどね」
「いやいや上等だね。普通考えられることはその程度だ。でなきゃそう簡単に姿を変えられる術などありはしないもんさ」
ユキナはふわりと両の翼を広げて一度羽ばたくと、ぴょんっとテーブルの上に乗った。
そうして正面から神官長を見つめると、胸を張り背筋を伸ばした。
「自己紹介しようか。あたしの名はユキナという。ある神殿で大神官の位にあったんだが、あんたの言うとおり仕事の最中にしくじりがあってね。神官長の前でこんな姿を曝すのは申し訳ないが甘受していただきたい」
「これはなんと」
神官長はすっと立ち上がり、ユキナに向かって恭しく礼をとった。
「失礼いたしました。大神官どのであったとは。数々のご無礼誠に申し訳ございません。責めはいかようにもお受けいたしますが、大神官どのの深きお心を以って改めてお話をさせていただくこと、お許し願えませんでしょうか?」
そうして顔を上げた神官長の真紅の瞳が、さらに濃く深く色味を増していくのを感じ、ユキナはこの人物からただならぬ波動が流れてくるのを全身で受けとめていた。




