8.
王国の夏を締めくくる精霊祭は、聖女庁が司る年間行事の中でも最も重要なイベントだ。
――別名、灯火祭。
この国では、天に昇った死者の魂が、年に一度、一晩だけ生者に会いに戻ってくると信じられており、彼らが道に迷わないよう、人々は一晩中、家々の窓にランタンを灯す。
死者の魂を呼び寄せるのは聖女の霊力。
そして祭祀を取り仕切るのは、聖女庁長官の役目である。
パーカーの予想通り、エルバン殿下は返納金を国庫に納めただけで長官職に復帰した。
新たに組み直された灯火予算は、聖女庁だけでなく王宮全体でも大幅に引き上げられ、違反した場合の「辺境での無償奉仕」を定めた条文は正式に削除された。
――という話を、ヴェラは王宮内の典礼局で耳にした。
「アグネス、ちょっといいかしら。そこの飾り帯を取ってくれる?」
「……っ。は、はい! ただいま!」
聖女様に呼びかけられて、ヴェラは慌てて立ち上がる。
(いけない、いけない。ここでは私、「アグネス」でしたわ)
そう。ヴェラは今、臨時雇いの平民職員「アグネス」として、儀礼局で働いているのだ。
今日は聖女様が精霊祭でお召しになる衣装の最終合わせである。
「まったく。神聖な行事を、自分の名誉挽回の晴れ舞台にしようだなんて、いかにも野心家のあの王子が考えそうなことだわ」
衣装の襞をヴェラに整えさせながら、聖女様は文句を言い通しだった。
「本来の祭祀は、王宮の神殿で、国王陛下と聖女と聖女庁の長官だけでひっそりやるもんだったのよ。それをあのクソ王子の奴……」
「聖女様、言い方……」
困ったように眉を下げるのは、部屋の隅に控えるクイルである。
「何よ。あなただってそう思うでしょ? ……ああ、それとも準備を口実に、ベッタベタに惚れまくってる身分違いの恋人と四六時中一緒にいられて、却って良かったなんて思ってる?」
「「聖女様、言い方!」」
ヴェラとクイルの声が見事にハモった。
(うん。でもまぁ……)
聖女様のおっしゃるとおり、ここ一週間ばかり、死ぬほど忙しい思いをしながらも、ヴェラが笑っていられるのは、毎日のようにクイルに会っているからだ。
ヴェラが自分に黙って貴族籍を抜けたのがよほどショックだったらしく、クイルは寄ると触ると聖女庁を脱け出してはヴェラのところにやってくる。
『精霊祭が終わったら、僕も貴族籍を抜けるから! 聖女庁も退職する! ヴェラと結婚できなくなるくらいなら、地位も仕事もどうでもいい!』
なんて会うたびに言われて、そのたびにぎゅうぎゅう抱きしめられて、嬉しくないはずがない。
一方、ヴェラの父も何やら思うところがあったらしく、戸籍上は平民となった娘のために王都のアパルトマンを手配したり、聖女様の依頼でヴェラを財務庁から儀礼局に転属させる手続きをしたりする傍ら、前よりちょくちょく話しかけてくるようになった。
「お二人とも、そんなにしょっちゅう私のところに来ていて大丈夫なんですの?」
灯火予算が増額されたせいで、クイルはもちろん、王宮中の職員たちが合法的に深夜まで働ける環境が整ってしまった。
当初はそのことで「自分さえ余計な真似をしなければ」とヴェラはずいぶん気に病んだものだが、父もクイルも「気にするな」の一点張りだった。
「むしろ、あの訴訟があったからこそ、宰相府はこれまで不可侵とされてきた領域に踏み込むきっかけができたのだ」
「そうだよ。それにヴェラのおかげで、一か八かの賭けだった計画に、かなり勝算が立ってきたんだから」
そう言う二人は、相変わらず疲れてはいるものの、表情は明るい。
だが肝心の「計画」そのものについては、ヴェラは何ひとつ聞かされていなかった。
「あなたの身を守るためよ」
と聖女様は言う。
戸籍上は平民のヴェラが、王宮の機密事項を知ったとあっては、エルバン殿下の恰好の餌食になってしまう。
「そうでなくても、あなたはもう殿下にばっちり目をつけられてるんだから」
実際、王宮からアパルトマンに帰る途中、見知らぬ男に後をつけられたり、仕事中に出されたお茶が急に引っくり返されたりと、最近は妙なことが立て続けに起きている。
幸い、尾行してきた男は、通りかかった騎士団の男にヴェラが助けを求め、手配書の似顔絵に似ていたことから詰め所に連行されていった。お茶がかかったヴェラの服は即座に変色したことから、大量の防腐剤が混入されていたことが判明し、お茶を出した侍女は司法局に引き渡された。
「王宮の行き帰りには、王太子殿下にお願いして護衛をつけていただくことにしたわ。飲食物については毒見もつけましょう。……まぁ、そんなことをしなくても、どうせあの方が何とかしてしまうのでしょうけど」
「えっ。あの方とは?」
まさか、王太子殿下のことだろうか。
おそるおそる聞き返すヴェラに、聖女様は「何でもないわ」と首を横に振った。
「それより、精霊祭の当日、あなたは必ず私のそばにいてちょうだい。そのために、わざわざ儀礼局に転属してもらったのだもの」
「それは……はい。聖女様の仰せとあれば」
とまどいながらもヴェラは頷く。
そして。
遂に、精霊祭の夜がやってくる――。




