4.
第二王子、エルバン殿下が告訴された。
そのニュースは野火のように王都を駆け抜けた。
ヴェラが動き始めて二ヶ月あまり。殿下が聖女庁長官に就任してから八ヶ月後のことである。
相手は王太子派の誰それだとか、いやいや、第二王子に袖にされた、さる高貴な女性だとか、噂はどんどん広がっていく。
おかげで公判初日、王立裁判所の傍聴席は押すな押すなの大混雑となった。
その中にはダーウェント卿や前聖女様に混じって、何と王太子殿下や当代の聖女様まで座っている。
陪審員席にずらりと並んでいるのは、王宮内から無作為に選出された文官たち。
「それにしても、殿下はよく公開裁判を了承されましたわね」
開廷を待つ間、ヴェラはひそひそと囁いた。
「あの殿下のことだ。この裁判もご自身の宣伝に使うおつもりでしょう」
そう答えたのは隣に座る車椅子のパーカーだ。
原告側の席に着いたヴェラは、地味な灰色の文官服に、やはり灰色のベールで髪と顔を隠していた。
「開廷時間となりました。皆さま、ご起立ください」
廷吏の声に従い、場内の全員が立ち上がる。
法廷の奥にある専用の扉から、今回裁判長を務めるヘルリッツ侯爵が、書記官を従えて現れた。
同時に、ヴェラたちの対面の扉から、エルバン殿下とクイルが入廷する。
殿下以外の全員が裁判長に一礼するのを待って、ヘルリッツ侯爵が口を開いた。
「皆さん、ご着席ください。財務庁臨時雇用職員マリアの訴えに基づき、これよりエルバン第二王子殿下の灯火法違反を問う裁判を始めます」
「……灯火法?」
「何だ、それは」
傍聴席から戸惑ったようなざわめきが漏れる。
だが、それらを圧してエルバン殿下の声が響き渡った。
「裁判長。本題に入る前にひとついいだろうか」
被告席のエルバン殿下は、聖女庁の職員が着る純白のローブに金の飾緒、襟元には長官職のブローチという正装だった。
ひきしまった長身に整った顔立ち。王家の血筋に加え、これまでに成し遂げた数々の業績も相まって、ただそこにいるだけで途方もない圧を感じる。
「何でしょうか、殿下」
「原告席の女性について申し上げたい。財務庁臨時雇用職員マリアを名乗るその女性は、偽りの名でここにいる」
殿下はヴェラをまっすぐ指さした。
「ヴェラ・クロス伯爵令嬢! そのベールを取っていただこう」
ヴェラはゆっくりと立ち上がり、灰色のベールを取って素顔を晒した。
途端、陪審員席にいたヴェラの父が目を剥き、エルバン殿下の隣に座っていたクイルが椅子を鳴らして立ち上がる。
「「ヴェラ!?」」
エルバン殿下は、二人に向かって優雅に一礼してみせた。
「二人とも、私の発言を即座に裏付けてくれてありがとう。原告はヴェラ・クロス伯爵令嬢であり、偽名を使って訴訟を起こした。よって、私はここに彼女の原告不適格を主張する!」
「――原告。これに対し申し開きはあるか」
裁判長のヘルリッツ侯爵は、厳格なことで有名だ。
ヴェラを見下ろす侯爵の視線は、この時点で氷のようだった。
けれど、ヴェラは怯まない。
「ございます」
そう言ってにこりと笑ってみせれば、法廷中が彼女に注目した。
「第一に、私はもはや伯爵令嬢ではございません。提訴当日、貴族籍を返上し、平民となって……」
「何だって!」
「何てことを!!」
またしても父とクイルが同時に叫び、人々が大きくざわめいた。
ヘルリッツ侯爵が「静粛に!」と法槌を鳴らす。
「続けてください」
「……平民となって、財務庁に臨時雇用されました。王宮職員の方ならご存知の通り、平民の臨時雇用者は、職種ごとに決まった名前で呼ばれます。また、在職中は書類の署名もすべてその名で行います」
殿下の眉がぴくりと動いた。
「財務庁の名簿は確認させた。ヴェラ・クロスという職員は在籍していない」
「はい。名簿に本名は載りませんから。そうお決めになったのは、殿下ご自身でございます」
この仕組みは、入れ替わりの激しい平民職員の本名をいちいち覚えなくて済むから、という理由で、他ならぬ殿下が導入したものだ。聖女庁に回される前、いくつもの官庁を歴任していた頃に。
「原告の申し開きを認めます」
ヘルリッツ侯爵が言った。
「原告の身分に対する異議を却下し、改めて本題の――」
「裁判長」
再び殿下が手を挙げた。
「何でしょう、殿下」
「陪審員の交替を請求する」
そう言うと、殿下は陪審員席にいるヴェラの父に目を向けた。
「たとえ貴族籍を抜け、平民になったとしても、原告と陪審員のクロス伯爵が親子関係にあることは事実。陪審員としての判断に私情を挟まれては公平性を欠くだろう」
「被告側の請求を認めます。クロス伯爵は今後、傍聴席にて本公判を聴くように。……ところで」
ヴェラの父が傍聴席に移り、代わって補充された別の陪審員が席につくと、ヘルリッツ侯爵は、今度は殿下の隣に座るクイルにじろりと目をやった。
「同様の懸念は被告側にも存在する。そちらの陪席者、クイル・シェーファー男爵は原告の婚約者であるはずだが」
「元婚約者だ」
殿下は眉ひとつ動かさずに答えた。
ヴェラは膝の上で、きつく拳を握りしめる。
(ごめんなさい、クイル。それにお父様)
父が多忙なのをいいことに、何も言わずに貴族籍を抜けた。
提訴までの間、ヴェラの動きを誰にも知られるわけにはいかなかったからだ。
成人した子が籍を抜けても、親に連絡がいくことはない。
そしてクイル。
この国の法律では、貴賤結婚は許されない。
ヴェラが平民になるということは、彼とは結婚できなくなるということだ。
(それでも、あなたを守りたかった)
夜は必ず家にいて、休日には二人で庭を歩いて、退屈きわまりない老後まで一直線。そういう人生にしたかったけど。
愛しているから。
あなたに生きていてほしいから――。
殿下は話し続けている。
「原告が貴族籍を抜けた以上、婚約は自動的に解消される。そして彼は聖女庁でただ一人の正規職員だ。被告の業務を最もよく知る者を外されては、事実関係の確認に支障をきたす」
クイルがじっとこちらを見ている。
その瞳に浮かんでいるものを見るのが怖くて、ヴェラはそっと目を伏せた。
ヘルリッツ侯爵の声が聞こえてくる。
「陪席者は評決に加わらぬ以上、公平性を損なうものではありません。シェーファー男爵の陪席を認めます」




