幕間 エルバン
エルバンの両側から、騎士たちが音もなく近づいてきた。
「御身、拘束させていただきます」
見れば、ラミー伯爵はすでに両手を縛られ、バルコニーの片隅に項垂れて膝をついている。
――騎士たちの腕を振り払い、この場から逃げ去ってしまおうか。
浮かびかけた考えを、エルバンは自ら退けた。
逃亡者では意味がないのだ。仮に生きながらえたとしても。
彼、エルバンは常に勝者であるべきだ。
だからエルバンは傲然と顔を上げ、バルコニーを睥睨した。
篝火に浮かぶ四人の死者と、中央に立つ四人の生者。
彼らは、いずれもこちらに背を向けている。
「私の力も、そろそろ限界だわ」
現聖女が――彼の駒だったはずの少女が言った。
「アグネス――いいえ、ヴェラ。手を。私に力を貸して頂戴」
聖女庁の白衣を着た女、不遜にもエルバンを法廷に引き出した女が、おずおずと片手を聖女に差し出す。
聖女は彼女の手を取ると、その手を高く差し上げた。
「今宵、ひと時地上を訪れし方々よ。交歓の時は過ぎ、我ら、束の間の別れを告げん」
その言葉が終わると共に、地上からいくつもの光の筋が、夜空をさして昇っていった。
「父ちゃん、またねぇー」
「待っててね――」
「忘れないよ――」
人々の数多の惜別の声が、その光を追うように立ち上っていく。
バルコニーの四隅でも、篝火に浮かぶ死者たちの姿が少しずつ朧になり始めていた。
「ダーウェント」
国王の声に、かつて司法長官を務めた男が胸に手を当てて礼をする。
「御代の永久に栄えんことを、陛下」
白髪の老人は、いつの間にか黒髪に炯々と鋭い眼を光らせ、司法局の黒の制服に身を包んだ男盛りの姿に変わっていた。
その隣に寄り添うのは、おっとりとした面差しはそのままに、匂やかな妙齢の女性となった先代の聖女だ。
「パーカー!」
そう叫んだのは、意外にも現聖女だった。
財務庁の濃紺の制服に身を包み、車椅子から立ち上がった男がふと目許を和ませる。
「今後はあまり死者をこき使ってくれるなよ」
そういえば、とエルバンはぼんやり思い出した。
現聖女の身許調査をした時に、報告書に書かれてあったこと。
彼女の生家が、パーカー伯爵家の寄子だったこと。二人は幼馴染であり、聖女が王宮に上がる前は婚約の話も出ていたことを。
「デュポン医師。この度のご協力、心から感謝いたします」
淡青色の制服を着た平民の若者に、クイルが深々と頭を下げていた。
若者が嬉しげに目を細める。
「僕の名前、憶えていてくださったんですね」
「もちろん。先生の湿布薬はよく効くと、聖女庁でも評判でしたから」
(――あれか!)
エルバンははっと目を見開いた。
着任当初、聖女庁に入るたびに漂っていた、独特のツンとする匂い。
クイルが毎日のように典医局からもらってきては、老人たちに貼っていた湿布薬。
考えてみれば、あの頃から、クイルは典医局の職員と付き合いがあったのだ。
次第に透き通っていきながら、四人の死者があの女に向き直った。
「ヴェラ嬢」
ダーウェントが呼びかける。
「灯火法とは、見事な着眼点でしたな」
「今後の財務庁に、ぜひとも欲しい人材です」
とパーカー。
「私としては、あなたには、この子のそばにいてやってほしいけど……」
前聖女様が、透き通った手で現聖女様の肩を抱いて微笑んだ。
「でも、あなたにはきっと、もっと大切な場所があるのでしょう」
いつの間にか女の背後に立っていたクイルが、その腕で女を囲い込む。
淡青色の制服の若者が黙って会釈したのを最後に、死者たちは白い光に形を変え、すうっと夜空に消えていった。
後にはぱちぱちと篝火の燃えるバルコニーに、生者が残されているばかり。
「歴史に残る精霊祭でしたな」
「いや、まったく」
背後の部屋でがたがたと人々が立ち上がる気配がした。
バルコニーの国王が踵を返し、エルバンの傍らをすたすたと通り過ぎる。
入れ違いに使用人たちがやってきて、四隅の篝火を片づけ始めた。
広場の民衆も家路につき始めたのだろう。ざわざわという人声がここまで聞こえてくる。
祭りの後の、あの切なくもどこか暖かな喧噪の中で、エルバンの周囲だけがぽっかりと静寂に包まれていた。
――エルバン殿下を次期国王に。
――殿下こそが王太子にふさわしい。
そう言っていた人々が、今や彼には一顧だにせず、談笑しながら歩み去っていく。
まるで、最初から彼などいなかったように――この見事な舞台を作り上げ、夜の始めに輝かしくバルコニーに立っていた彼の姿など、誰一人憶えてもいないかのように。
エルバンは、忙しなくあたりを見回した。
王はすでに退出し、重臣たちもあらかた姿を消している。
王太子だけがまだ部屋に残り、侍従長と何やら打ち合わせをしているようだったが、やがてそれも済んだのか、廊下に面した扉のほうに歩き出した。
「……ぁ」
自分でも、何を言おうとしたのかわからない。
ただ、このまま誰の注意も惹かず、いない者として扱われるのは耐え難かった。
その思いが通じたのかどうか、あるいは声が届いたか。
王太子がこちらを振り向いた。
「その者を国事犯監獄へ。追って陛下の沙汰があるまで、誰とも会わせぬように」
エルバンではなく、彼を拘束する騎士たちに向けた言葉。
――兄上。
そう呼びかけて縋ろうか。
兄は凡庸だが情に厚い男だ。
だがエルバンのプライドは、自分より下に見てきた相手に膝を屈することを許さなかった。
――私は……私は。
王太子より優れ、国王より非凡な才を持って生まれた。
エルバンは顔を上げ、肩をそびやかした。
顔から全ての表情を消し去り、胸に渦巻く不安と動揺を押し隠し。
――ここで終わるはずがない。
王宮の裏口から、黒塗りの護送馬車に乗せられた時も。
王都の外れに立つ、荒涼とした灰色の城塞に連行され、窓のない部屋に入れられた時も。
背後で鉄の扉が閉ざされ、がしゃりと鍵をかけられてもなお、エルバンは決して認めようとしなかった。
自分がもはやかつての地位に返り咲くことはなく、人々の支持も尊敬も得ることはないということを。
お待たせしました。ようやくエルバンざまぁ回です。
この後、エピローグで完結です。




