12.
「こちらは典医局の報告書綴りです」
クイルは抱えた書類綴りの山を、篝火の傍らの床にそっと下ろした。そのうち一冊だけを取り上げ、とあるページを開いてみせる。
「典医局の報告書には、報告者ごとに通し番号が振られます。『ヘンリー』の署名のあるもののうち、七十四番と七十六番はここにございます。七十五番だけがございません」
「だから何だ」
殿下の返答が、一拍遅れて出てきた。
「番号が一つ飛んでいた。それはただ、綴りに欠けがあったという事実でしかない」
「はい。ですので、前後の番号の日付から欠落した報告書が書かれた時期を絞り、その前後数ヶ月の記録を突き合わせました」
クイルは開いた頁を、篝火のほうへ向けた。ヴェラの位置からは、細かな数字がびっしりと並んでいるのが見えるだけだ。
「陛下のお薬の原料となる薬草は、すべて『ヘンリー』の管理する薬草棚に納められます。買い入れた量は購入記録に、使った量は処方記録に。そして月末に棚へ何がどれだけ残っていたかは、『ヘンリー』自身が数えて書き留めております」
クイルが頁を繰った。乾いた紙の音が、篝火の爆ぜる音に混じる。
「購入分から使用量を差し引けば、棚にあるはずの数が出る。それは『ヘンリー』が数えた現物の数と一致するはずです。ところが」
ヴェラは息を詰めた。
クイルはそこで顔を上げ、眼下の灯を見渡した。数字の見えぬ人々に向かって声を張る。
「消えた報告書が書かれるより前の数ヶ月、ある薬草だけが、計算上あるはずの数より多く棚に残っておりました。買った量より、使われた量が少なかったのです」
「え、何。それってどういうこと?」
「しっ。いいから黙って聞け」
広場の人々が再び静まるのを待って、クイルはゆっくりと言葉を継いだ。
「陛下のお薬は、毎日欠かさず調合されておりました。処方は変わっておりません。にもかかわらず、その薬草だけが減らなかった。――まるで、その草の代わりに、何か別のものが使われていたかのように」
「それとて、帳簿と現物に齟齬があったという事実でしかない。そもそも、食い違いがあったのは、報告書が書かれる以前のことだったのだろう」
殿下の反論は、やや早口だ。
それに対し、クイルは「おっしゃるとおりです」と穏やかに頷いた。
「欠けた報告書が提出されたと推定される日以降、帳簿と在庫の齟齬は解消しました」
「まるで、誰かさんが慌てて帳尻を合わせたみたいにな」
パーカーが皮肉っぽく口を挟む。
「そのとおり。合うようになった。私が帳簿の管理を徹底させたからだ」
殿下は素知らぬ顔で広場を見渡し、よく通る声で続けた。
「諸君に問おう。薬草棚を任されていたのは、臨時雇いの平民一人。数え違いも、書き損じもあった。報告書の番号が飛んでいるのも、その者が綴じ損ねたからにすぎぬ。私はそれを正した。部下の誤りを正すことが罪だろうか」
「いや、そりゃ罪じゃねえだろうけど……」
「ていうか、今、何の話をしてるんだ?」
「さあ……」
戸惑ったような民衆のざわめき。
ヴェラは唇を噛みしめた。
無理もない。平民たちのほとんどは、こうした論理のやり取りに慣れていないのだ。
「では、伺います」
クイルの声に、民衆は再び静かになった。
「殿下は、数え違いと仰せになりました。数え違いであれば、帳簿の数を正しく書き改めれば済みます。棚の薬草は動きません」
ぱらり、と頁がめくられる。
「ですが、実際には動いております。こちらは同じ時期の、王宮の下げ渡し記録です」
殿下の目が、初めてその綴りに据えられた。
「余剰と判断された薬草は、王宮から払い下げられておりました。棚に多く残っていたのが数え違いであったなら、払い下げる現物などなかったはずです」
「余った薬草を下げ渡すのは常のことだ」
「はい。ですが、この薬草に関してだけは常ならざる点がございました。量は、例年の下げ渡し量のおよそ五倍。時期は、報告書が書かれたと推定される日の直後でございます」
背後の暗がりで、重臣たちがさかんに囁き交わす声が聞こえてきた。
「王宮の払い下げ記録となると、典医局だけでは収まりませんな」
「さよう、さよう。その上、決裁した者と受け取り先の名が、双方の帳簿に残るはず」
クイルは顔を上げ、まっすぐに殿下を見た。
「受け取り先の署名は、宮廷侍従武官ラミー伯爵。――殿下の側近でいらっしゃいますね」
「……っ! し、知らない! 私はそのようなことは何ひとつ……っ!」
暗がりから、裏返った男の声がした。
「おや、ラミー伯爵。そちらにおいででしたか」
パーカーがゆっくりと車椅子の向きを変える。
「その節は、ずいぶんとお見事な逃げっぷりで。――ご存知ない方のために申し上げますと、僕は数年前、ラミー伯爵の公金横領を捜査中に、何者かに襲われましてね」
「違う! 私は、私はただ殿下のご指示に従って」
「知らぬ」
殿下は言下に切り捨てた。
「その者が何を行ったにせよ、その者の判断でしたことだ」
――出た。蜥蜴の尻尾切り。
ヴェラは前世で何度となく目にしたニュースを思い出す。
(まさか、現場を自分で見ることになるとは思わなかったけど……)
その時、陛下の深々とした声が響いた。
「では、その判断が誰のものであったのか――証言できる者を呼ぼうではないか」
陛下はそこで初めてエルバン殿下に目をやった。
「まだ生きておる者をな」
声と同時に、両腕を騎士に取られ、後ろ手に縛められた男が、灯りの中へ引き出されてくる。
ヴェラは、息を呑んだ。
――先日、アパルトマンへの帰り道で、自分の後をつけてきた男だった。
殿下、しぶとい!
すみません、まだ続きます……。
殿下さっさと負けを認めろやと思われる方、ブクマや★★★★★で応援していただけますと、ラストスパートを頑張れます……。




