11.
「今さら本名を言ったところで、王宮の皆さんはどなたもご存知ないでしょう」
自嘲するように若者は言った。
「僕は典医局の臨時雇用職員でした。平民なので本名ではなく『ヘンリー』と呼ばれておりました。本業は医師で、典医局では、国王陛下のお薬の元になる薬草の管理をしていました」
陛下と主だった貴族達が詰める背後の部屋から、息を呑むような気配がした。
同時にエルバン殿下が鋭い視線をそちらに――暗がりに沈む陛下に向ける。
「ある時、僕は薬草棚にあるはずのない草が――非常に珍しい、異国でしか手に入らない草が混入しているのを見つけました。かの国では無味無臭の毒薬の原料になるとして、厳しく規制されている草です」
異国、と重臣たちの誰かが呟いた。
殿下が国交を開き、貿易交渉を行った国。
「典医局の薬草図鑑で、たまたまそのことを知った僕は、急いでエルバン殿下に報告しました。当時、殿下は典医局の局長だったからです。そして、その日の帰り道――」
若者はやおら文官服のボタンを外し、詰襟の襟元を開いてみせた。
ヴェラは思わず両手で口を覆う。
若者の喉は、横一文字にぱっくりと切り裂かれていたからだ。
背後の部屋がどよめいた。
広場からも悲鳴が上がる。
「嘘だろ……」
「口封じってやつか」
「まさか、殿下が? 陛下を毒殺……?」
「――静まれ!」
殿下の声が、広場の喧騒を一瞬で薙ぎ払った。
「見世物に酔うのもたいがいにせよ。よいか、ここは法廷ではない! そもそも死者は宣誓もできねば、偽証の罪にも問えぬ。そのような者の言葉は証言たりえぬ!」
「ほっほ」
ふいに場違いな笑い声がした。
ダーウェント卿である。
「相変わらず、逃げ足だけは一流ですな、殿下」
「まったくだ」
パーカーがふんと鼻を鳴らす。
「先日は法廷にいる者が全員原告だから裁けぬと言い、今度は法廷でないから裁けぬと言う。……殿下。あなたが裁かれてもよい場所は、この世のどこにあるのですか」
背後の部屋から、重臣たちの忍び笑いが聞こえてきた。
殿下の頬が、ぴくりと引き攣る。
「戯言を。私は――」
「ならば、この場を法廷といたそう」
厳かな声が、闇の奥から聞こえてきた。
人々が、はっと黙り込む。
振り向いたヴェラの目に、闇に沈んだ部屋の中で、輿の上の人影がゆっくりと身を起こすのが見えた。
王冠を戴いた堂々たる姿が、バルコニーに現れる。
「王の前は、すなわち王国の法廷である。――そうであったな、宰相」
「仰せの通りにございます、陛下」
エルバン殿下の顔から、すうっと表情が抜け落ちていった。
病床にあるはずの陛下が――余命いくばくもないと伝えられていた陛下が、自らの足で立っている。
人一倍怜悧な殿下のことだ。それが何を意味するか、即座に察したに違いない。
「エルバンよ。証拠が要ると申したな」
「……陛下」
「持ってこさせてある」
闇の中から、白い制服の人影が進み出た。
埃だらけの書類綴りを、何冊も腕に抱えている。
「クイル……!」
ヴェラの声に、クイルは疲れ切った顔でふっと笑ってみせた。




