10.
「まず、私が気づいていたか、という質問に答えよう」
殿下は言った。
「気づいていた。その上で私は職務を全うした。死者が出たことも承知している」
背後の部屋が、ざわりと揺れた。
広場からも、どよめきが上がる。
殿下は身じろぎひとつしなかった。
「だが、貴女は何を責めている。私が気づいていたことか。気づいていて、なお働かせたことか」
一瞬、息を呑むような間があった。
「あ……当たり前でしょう!」
ヴェラが叫ぶのと、広場の群衆から怒号が起きるのは同時だった。
「ふざけんな!」
「人を一体何だと思ってやがる!」
エルバン殿下は、一瞬、とまどったように眉を顰めた。
まるで、人々がなぜこれほどまでに怒っているのかわからないとでもいうように。
「待て。話はまだ終わっていない」
殿下は話を続けようとするが、民衆の声はおさまらない。
聖女様が、ヴェラの袖をつんつんと引っ張って囁いた。
「……ちょっと。この状況、どう収集をつけるつもり?」
「…………」
ヴェラは、無言でバルコニーの手すりに近づいた。
着ているのは聖女庁の白の制服だが、当然ながら、デザインは聖女様のものよりはるかにシンプルだ。
それでも、ヴェラが両手を挙げると、広場を揺るがすようだった怒号は、次第に波が引くようにおさまっていった。
「今宵、この広場においでの皆さま」
眼下に瞬くランタンの灯に向かって、ヴェラは呼びかけた。
あの灯りの一つ一つに、今夜、亡き人を想う人がいる。
「こちらにおいでのダーウェント卿とパーカー様は、働きすぎてお亡くなりになりました。仕事が多すぎて、人が足りなくて、休めなかったせいで」
「おい。何を――」
殿下の声がしたが、ヴェラは振り向かなかった。
「この国の法に、それを裁く条文はございません。ですから誰も罪には問われませんでした。――けれど」
群衆は何も言わなかった。ただ聞き耳を立てていた。
「思い出してくださいませ。あなたが灯りを点したその方は、どうしてお亡くなりになったのですか。――お父様が。お母様が。お子様が。ごしゅ……」
ご主人が。
そう言おうとして声が震えた。
「……ご主人様が。奥様が。……働きすぎで、大切な方を亡くした方は、いらっしゃいませんか」
広場に集まった人々が、互いに顔を見合わせる。
「――いるよ」
最初の声は、ずいぶん遠くから返ってきた。老いた女の声だった。
「うちの人がそうだった。石切場で、何ヶ月も休まず働いて」
「俺の兄貴も。疲れて足を滑らせて」
「あたしの娘も。針子で、目が見えなくなって」
声は、はじめは数えられるほどだった。
それが十を超え、百を超え、やがて数えられなくなった。
――と、同時に。
広場を埋め尽くすランタンの灯から、ふわり、ふわりと白いものが浮かび上がる。
それらは次第に朧気な人の形になっていった。
ごま塩頭の石工。大工の青年。お針子の娘。
「うちの次男は外務庁に勤めておりました」
ふいに、背後から声がした。
「エルバン殿下のご指示で異国に渡り、貿易交渉にあたっていましたが、交替人員がおりませんでね。結局、あちらの国で亡くなったきり、遺体も戻ってきませんでした」
「孫の婚約者が、商務庁付きの秘書をしておりましてな。いい娘さんだったのに、何年か前に身体を壊して亡くなったそうです。ちょうど殿下が長官を務めていた頃でしたな」
エルバン殿下が、声の方を振り返る。
だが篝火の背後の部屋は闇に閉ざされ、人の顔も判然としなかった。
「それでもだ」
バルコニーの中央で、殿下は堂々と声を張った。
「私は国益に適うと信じた仕事をしたまでだ。そこに殺意など微塵もない。なるほど、私の下で仕事をし、働き過ぎて死んだ者はいる。だが、その娘がさきほど申したとおり、我が国の法に、それを罪と定めた条文はない!」
その時だった。
「殺意などない。殿下はそうおっしゃいますか」
ぽつりと、若い男の声がした。
ヴェラを始め、皆が声の出所を捜してきょろきょろする。
それは、バルコニーの四隅に立つ死者の最後の一人。
淡い青色の――典医局の制服を着た若者だった。
(誰?)
ヴェラが首を傾げるのと。
「そなた、名は?」
バルコニーの背後の暗がりから、国王陛下の声がしたのが同時だった。




