9.
「国王陛下および王太子殿下、お入りになります」
侍従の声に、ヴェラは我知らず背筋を伸ばした。
王宮広場を見晴らすバルコニー。
その背後に設けられた部屋の明かりはぎりぎりまで絞られ、日が落ちた今、室内は宵闇に青く沈んでいる。
宰相閣下を筆頭に、王宮の主だった貴族たちが居並ぶ中、廊下側の扉が開かれ、国王陛下を載せた輿が、続いて王太子殿下がしずしずと入ってきた。
バルコニーの両脇で待ち受けていた聖女様とエルバン殿下が、深々と頭を下げてこれを出迎える。
陛下が大儀そうに手を挙げると、輿はバルコニーの手前で下ろされた。
その傍らに、ひっそりと王太子殿下が控える。
それを合図に、エルバン殿下が聖女様に腕を差し出し、二人は揃ってバルコニーに進み出た。
(いよいよだわ)
ヴェラはごくりと唾を飲み込んだ。
彼女の役目は、表向きは聖女様の裾持ちだ。花嫁衣裳にも似た純白の聖衣の裾を持ち、聖女様に続いてバルコニーに出る。
「これより、精霊祭を執り行う!」
長官職のブローチを煌めかせ、エルバン殿下が声を張り上げた途端、ぼっ! と音を立てて、バルコニーの四隅の篝籠に火が灯された。
広場から「おお」という人々のどよめきが聞こえてくる。
(わあ……)
広場中を埋め尽くすランタンの灯は、さながら地上の星空だった。
そこから見上げたバルコニーは篝火に照らされ、揃いの白い聖衣に身を包んだエルバン殿下と聖女様は、さぞ美しく輝いて見えることだろう。
と、聖女様が夜空を見上げ、天に向かって両手を大きく広げて呼ばわった。
「かつて地上に在りし方々よ。今は天上に安らう方々よ。今宵、此処と彼処に道を繋ぎ、束の間の清遊を試みん!」
次の瞬間――。
ヴェラは驚愕した。
幾筋もの光が、天から一斉に降り注いだのだ。
それらは次々に広場のランタンに吸い込まれていき、その瞬間だけランタンがひときわ明るく燃え上がる。
(え、嘘。見たことない、こんなの)
精霊祭の夜は、灯火の夜。
人々は一晩中窓辺にランタンを灯し、亡き人のことを想って過ごす。
ただそれだけの――いわば「風習」だったはず。
(なのに、こんな――)
実際に、天から人々の魂が降りてくるかのようなこの光は何なのか。
ヴェラが呆然としている間にも、光は次々と降り続け、その中のいくつかはバルコニーの四隅に据えられた篝籠の炎に降り注いだ。
途端に、篝籠から白い火柱が立ち上る。
「うわっ」
「何だ!?」
「殿下の演出か!?」
背後の部屋から、重臣たちのとまどったような声が聞こえてきた。
その時。
「ちょいと! ごらんよ。あれ、前の聖女様じゃないかい?」
場違いに素っ頓狂な女の声が、広場のどこかで叫ぶのが聞こえた。
「え、嘘。どこどこ?」
「ほら、あそこ。バルコニーの上!」
「何言ってやがる。ただ火が燃えてるだけ……って、うおっ! 本当だ!」
ヴェラもまた、息を呑んで四隅の篝火を見つめていた。
白い火柱と見えたものは、次第に人の輪郭に収束し、バルコニーには今や四つの人影が顕現していたのだ。
白髪を上品に結い上げた前聖女様。
くたびれた文官服に身を包んだダーウェント卿。
車椅子に乗ったパーカーが、ヴェラを見て軽く会釈してみせる。
そして今一人、ヴェラの知らない若い男。
淡い青色の文官服は、典医局の制服だ。
「これって……」
呆然とヴェラが呟くのと。
「これは一体どういうことだ」
歯軋りするようなエルバン殿下の声が重なった。
「あらまあ」
前聖女様が、聖衣の袖を口に当ててころころと笑う。
――その声は決して大きくなかったにも関わらず、その夜広場に集まった人々は皆、はっきり聞こえたと後に証言したという――。
「エルバン殿下はご存知なかったのね。精霊祭とは、本来、こうした目的で行われるものなのですよ」
「その通り」
ダーウェント卿が重々しく頷く。
「だが、前任の聖女庁長官として、式次第を殿下に引き継ぐ前に、私は死んでしまったものでな」
「正確には『使い潰された』でしょう」
車椅子のパーカーが皮肉げに口を挟んだ。
「職員の数も許容量も無視した大量の仕事を割り振ることによって。実によく練られた殺害計画だ」
「言いがかりだ!」
死者たちが話し始めてからというもの、エルバン殿下は蒼白な顔で黙り込んでいたが、ここで初めて口を開いた。
「言うに事欠いて殺害計画だなどと。私は己に課された職務を果たしたまでだ。そこに殺意など存在しない!」
――働き過ぎって言われてもね。こっちは一度も強制した覚えはないし。
不意に蘇ったあの日の声に、ヴェラは拳をきつく握りしめる。
夫が痩せていくのを見ていた。日に日に顔色が悪くなっていくのを、笑顔が少なくなっていくのを。
あの人が死んだ時、誰ひとり罪に問われなかった。会社は何ひとつ違法なことをしていなかったから。
「本当にそうでしょうか」
気づいた時には、ヴェラは聖女様の衣の裾を放し、ふらりと立ち上がっていた。
「ちょ、ヴェ……アグネス?」
慌てたように聖女様が言いかける。
けれど、ヴェラは止まらなかった。
「殿下は、本当にお気づきではなかったのでしょうか。殿下の下で働く者たちが、日に日に憔悴していく姿を見ても、身体を壊し、しまいには死者が出てしまっても、何もお思いにならなかったのですか」
「ヴェラ。やめなさい!」
背後の暗がりから父の抑えた囁き声がする。
「いや、構わない」
殿下は父を手で制し、ゆっくりとヴェラに向き直った。
「これなるご婦人は、先日も私に言いがかりをつけてきた。……法廷では決着がつかなかった。あの場には公正な裁きを下せる者がいなかったからだ」
言いながら、今度は広場に集まる人々を見渡す。
「だが今宵、ここには諸君がいる。栄えある王国の民たる諸君らに、どちらの主張が正しいか、判定を委ねようではないか」
第二ラウンド、ファイッ!
……すみません。殿下が想定以上に手ごわくて、予定の話数におさまりませんでした……。
ざまぁ物って、敵役の王子がおバカすぎるものが多いので、ちょっとレベルを上げようと思ったらこのざまです。
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