第8話 おじさま、ようやく現状把握①
「さすが力持ちだねえ……」
宗一郎を抱えたルードは二階のテラスから飛び降り、見事着地するとそこから全力疾走をはじめた。
目まぐるしく景色が変わっていく。
そして屈強な護衛騎士がようやく足を止めたのは、広大な庭園の奥まで行ってからだった。ボート遊びのできる池とガゼボのある静かな場所だ。
どのくらい走っていたのだろう。
ルードもさすがに息を切らせていて、宗一郎をガゼボのベンチへとそっと降ろした。
「ご無礼を」
「いや……助けてくれてありがとう?」
(ここはお礼を言うべきだろうね……助けてくれたんだろうし)
しかし宗一郎には、ラフィセル側であるはずのルードがなぜこんな行動をしたのかが読めなかった。
庭園のベンチに座ったまま、地面に跪くルードの巨体を見下ろす。
「いえ、私は……」
ルードは言葉を濁し視線を彷徨わせた。
職務を全うしただけ、ということだろうか?
確かに、ルードの所属する近衛騎士団というのは、王家のためだけに存在する。王族の護衛に命を賭けるのが仕事だった。
(腐ってもゼファルは王族だから、無視できない、ってことかな)
この国には騎士団が四つ存在し、それぞれ女神に仕える聖獣を紋章にしている。
近衛騎士の紋章は銀狼だ。それがルードの着込んでいる黒と銀の制服にもあしらわれていた。
――王家の忠犬。
それが近衛騎士の異名で、彼らの盲目的な忠誠心は、貴族たちからは融通の利かないものの代名詞のように言われている。
しかし宗一郎は騎士の忠誠など期待してはいなかった。悪役王子のゼファルに転生した瞬間から、最終的に近衛騎士さえ彼の元には残らないのを知っている。
そもそも現代人には『命をかけた忠誠』なんて馴染みのないものだ。
ブラック企業じゃあるまいし、という感覚である。
しかし、ルードは何か心を決めたかのように顔を上げて真っ直ぐに宗一郎を見上げてきた。
(あっ、これはちょっと厄介そうな雰囲気だな)
宗一郎が笑顔を強張らせたのにも気づかず、ルードは話し始めてしまった。
「恐れながら申し上げます。私は過去に一度、ゼファル殿下の母君である王妃殿下をお救いできませんでした」
「母上を?」
「はい。先代のフォルヴァイン公爵も頻繁に王妃殿下の緑泉宮を訪問され、侍従も入れず妃殿下と話されていました。――ラフィセル様がお生まれになった日も、緑泉宮の警備に立つ我々の前へ前触れもなく公爵の馬車が現れ……」
イヤな予感がした宗一郎は、ベンチに座ったままルードの短髪を眺めていた。
この国ではアッシュブロンドの髪はよくある色だ。そして宗一郎は、彫りの深い外人顔を見ると「ハリウッドスターかな」と思う典型的な日本人の感覚を持っていた。
精悍な顔立ちをしているルードは女性人気も高そうだな、と浮ついたことを考えて思考を浮遊させる。
重い話を、重々しい表情で聞いていると空気が悪くなるのを知っていた。
「馬車から駆け下りてきたフォルヴァイン公爵は、握った杖で突然、妃殿下を打ち据えました」
「――!」
「勿論、輿入れされた時点で妃殿下は王族。血の繋がった父親であろうとそんな暴挙は許されません。我々は公爵を捕縛し、すぐさま処罰しなければなりませんでした。けれど、妃殿下に止められてしまい」
(ああ、先代も今もフォルヴァイン公爵は性格破綻者だっていう話かな?)
宗一郎は原典によって未来を知っている。しかし、裏を返せばそこに書かれていることしか知らなかった。
聖女メリアとラフィセルが主人公の原典には、敵であるゼファル側の事情などほとんど書かれていない。
しかし今、宗一郎の目の前で紡がれているこの物語は、改変可能なものだ。
このレッドラインを越えてはならない、とは、誰も宗一郎に警告しなかった。
(女神様にあとで文句を言われるかな? それも、任せた時点でどうなるか想定していなかった側が悪いかな。うん、そうだよね)
「おそらくあれが初めてではなかったのでしょう。我々は王家の盾、王族のための剣。妃殿下のご意向に反するとしてもあのとき、公爵を断罪しておくべきでした。ですから私は――」
「それは今からでも遅くないんじゃないかな」
「……は」
ん?
顔を見合わせたルードと宗一郎は、揃って動きを止めた。
おもむろに黒い手袋を外した宗一郎は、傷跡の残る手と二の腕のあたりを露わにする。ルードはアンバーの目を驚いたように見開いた。
――これはまだ宗一郎がゼファルの中で目覚める前、叔父によってつけられた傷だ。
ひと目みただけで鞭の跡だとわかる。
ルードは瞳に強い憤怒を浮かべ、ギリッと奥歯を噛みしめていた。
その義憤に満ちた目は原典でも描写されていた。そのときはゼファルに向けられた憎悪に思えたが、実はその傍らのフォルヴァイン公爵に向けたものだったのかと、宗一郎はようやく勘違いに気がついた。
「――母上を救えなかったのを悔いているのかな、ルード」
は、と短く返事をしてルードを頭を下げた。
「君以外にもそれを目撃した近衛騎士は?」
「片手では足りないほどおります」
(なるほど。騎士たちの罪悪感を利用するのは少し気が引けるけれど、使えるものは使わないと)
宗一郎はなだめるように、ルードへ声をかけた。
責める気持ちはないと示すためだ。
「すぎたことを言うつもりはないよ。そのとき自分の思う判断をした。大事にすれば母上の立場が悪くなっただろう。君は間違っていない」
「……殿下」
「でも、これからはなにがあろうと私の味方だね? ルード」
目を細め、にっこりと微笑む宗一郎を前にして、ルードは片手を胸に当て深々と頭を下げた。
「必ずや、お守りします」
「では、君だけは私を裏切らないと――信じるよ」
ルードは傷だらけの手を恭しくとり、そこへ口付けを落とした。
なるほど、騎士らしい仕草だ……と他人事のように思っていたら、ふと宗一郎はこの原典のシーンを思い出した。
(あ、このシーンはもしや……ラフィセルとその忠実なる騎士の契約の場面では?)
やってしまった、と宗一郎が気づいたときには『銀狼の誓い』と呼ばれる近衛との誓約が成立していたのである。
‡
「ぜーふぁさま、痛いのとんでけする?」
日課のようにゼファルのベッドに入ってきたメリアは、すでに寝入りそうなウトウト声で問いかけてきた。
『ふわぁ、ねむー』
白猫のルルもまた、のしのしと白い足で布団の中に入ってくる。
いつもの夜である。
昼間は、ガゼボに着いてからそれほど間を置かず聖鳥のセラが飛んできて、「侵入者が帰った」と伝えてきた。
ラフィセルは立派に側仕えの仕事をやりぬいたらしい。
とにかく「ゼファルは出かけている」の一点張りで、リヒャルトを追い返したと言っていた。
その度胸に宗一郎はひたすら感心してしまった。ラフィセルにとっても強敵との対峙だったはずだ。
たくさん褒めて撫でて礼を言う宗一郎に、ラフィセルは頬が緩んでふにゃふにゃになっていた。
『次もお任せください!』
そして使命感に燃えていた。
まだ十五歳の少年だが、頼もしい限りである。
メリアは、宗一郎の敵かと殺気立つ聖獣を宥めて抑え込んでくれていた。
ゼファルの元に聖獣が集まっているなどと外に知れたら面倒なので助かった。
「いたいの、とんで――」
「ありがとう、でも今日はいいよ」
メリアはゼファルの部屋で眠るとき、その身体に残る古傷に治癒の力を注いでくれる。
しかしこれは今後『証拠』として必要になってしまった。
宗一郎は微笑みながらメリアの小さな手を握った。
「これは私じゃない人にやってほしいんだけど、メリアはできるかな?」
「いいよー。だあれー?」
ほとんど寝落ちそうになっているメリアを抱き留め、背をトントンしながら宗一郎は囁くような声で言った。
「うん、病に伏せっているという私とラフィの父親にね。……どうやら普通の病気ではないようなんだ」
反撃を開始すると決めた瞬間から、宗一郎の『大団円計画』の中に、死ぬ人間は一人も想定していなかった。
(次は陛下のところへ乗り込むのか。やることがいっぱいだなぁ……)
ふあ、と小さくあくびをすると、宗一郎は幼女と白猫を抱き締めて目を瞑った。




