第6話 できれば平和にお茶が飲みたい②
「こっ、これは……聖霊樹の実!?」
麗らかな午後、茶器の用意されたテラスに男の裏返った声が響いた。
(一瞬でわかるのは、さすがだなぁ)
宗一郎の前で、男は興奮冷めやらぬ様子で聖霊樹の実を確かめていた。ルーペのようなものを取り出して表面をじっくり眺めている。
彼が、アデルバーグ商会の現当主、ギルバートである。
今の時点ではまだ三十路のはずだ。ストレートの銀髪を後ろでくくり、常に笑みを浮かべたような糸目の男だった。
その『笑顔』以外の表情をあまり表に出さないギルバートだが、この席に着いたときには明らかに不信感を漂わせていた。
ラフィセルに呼び出されたと思ったら待っていたのはゼファルで、そんな態度になるのも仕方のないことだ。
――しかし、宗一郎が聖霊樹の実を出したことで彼の態度は一変した。
(原典を見ても、この時期はまだ稀少な材料だからねぇ。うんうん、よく見て。本物だからね)
親指の爪くらいの大きさの黒い実は、今現在は一粒だけ、布張りのケースに入れて渡している。まるで宝飾品のような扱いだ。
価値のあるものは、価値に見合う扱いをしてみせるべきである。
宗一郎の信条だった。
「これは、いったいどこから」
「もちろん聖獣によってもたらされた女神の恵みという以外ない」
「……」
「……」
トレードマークの糸目が開いてしまっているギルバート。
それを穏やかな笑顔で見つめる宗一郎。
……一瞬の間が永遠にも思えた。
しかし、先にため息をついて肩を落としたのはギルバートだった。
「わかりました、これ以上は聞きませんよ。――それで、これから定期的にお取り引き頂けるということですか?」
(やっぱり喉から手が出るほど欲しい……ってことなんだろうな)
信条を曲げてでもギルバートがこの実を欲しがる理由はただひとつ。
妹のライラが『黒瘴症』という病にかかっているからだった。
瘴気が身体に入ったことで皮膚が黒く変色し、それが全身に回って死に至る、今のところ医者では治療のしようがないと言われる病だ。
唯一の治療法として、神殿で神聖力を注いでもらうと瘴気をわずかに散らすことができた。
しかしそれでも黒化の進行を遅らせることしかできない。
(神殿への献金はかさむし、妹さんは想像を絶する痛みに晒されているはず……)
宗一郎はそれを考えると胸が痛んだ。
そこでルルに頼み集めさせたのが、女神の恵みと名高いチートアイテム、聖霊樹の実である。
濃縮された強い神聖力が籠められているため、これで薬を作ると患者の体内から瘴気を追い出すことができる。
数百年前に作られていた薬の製法を、ギルバートは執念で見つけ出していた。しかしそれがわかっても肝心の実を見つけられるのは聖獣の嗅覚のみ。
しかも採取場所は神聖区の森だ、許可なしに荒らすこともできない。
十年ほど先になるが、メリアと聖獣がこの実を大量に王都へもたらし、大勢の病人が助かる未来を宗一郎は知っている。
(でも、今助けられるならその方がいい)
宗一郎は手のひらサイズの布袋を取り出し、テーブルに置いた。
紐を解くと、その中には十数個の黒い実が詰まっている。
ギルバートが目を見開いた。
「まず、現在確認できている患者に薬の投与を」
「――は」
「商談はそれからで構わないよ。……今も痛みで苦しんでいるだろうから、持っていってあげて」
ひゅ、と緊張したようにギルバートが息を呑んだ。
ゼファルの言葉が罠なのか、疑っているようだ。
餌を撒いて食いつかせようとしているのか、それとも善意なのか、判断がつかなかったのだろう。
ギルバートは握った拳を振るわせながら、額に冷や汗を浮かべていた。
その雫が、顎を伝って膝へ落ちる。
「ありがたく――頂いて、いきます」
「うん」
「これが手に入るなら私は悪魔に魂を売ったって、構わないのです」
「うん。そうだね、君はそう言うと思ったよ」
宗一郎は席を立ち、奥に控えていたラフィセルに声を掛けた。
ギルバートは急いで帰るだろう。馬車を近くへ呼ぶようにと指示を出す。
テラスに二人きりになってから、宗一郎は震える手で布袋を抱き締めるギルバートを見つめた。
「君が妹さんの件で、先代の当主と対立していたのは知っているよ」
「……!」
宗一郎の言葉に、彼はハッと顔を上げた。
ギルバートは妹の安楽死を勧める父を追い落とし、隠居させ、当主となってからは莫大な金額を妹の治療にあてていた。
商会にはその想いを『意味の無い浪費』だと不満を持つ者もいる。
そしてギルバートもまた、痛みに苦しむ妹を見てこれが正しいことなのか悩み……原典では、今から一年後に妹と死別する。
ラフィセルとメリアが王都に再び現れるときまで、ギルバートは救いのない暗黒の時代を過ごすことになるのだ。
そして、患者が次々と救われる様子を見て安堵するのと同時に「どうして」と呟く。
どうして妹は救われなかったのか
どうして今なのか、十年前ではないのか
どうして自分は妹のために聖霊樹の実を見つけてやれなかったのか。
「妹さんを可愛がる貴方の気持ちはよくわかる」
「……」
「誰も正解などわからないのだから、自分を責めるのはやめなさい」
パタパタと走ってきたラフィセルがテラスの戸を開けた。
「馬車の用意ができました!」
「うん、ありがとう。ラフィセル、こっちへ」
「はい?」
不思議そうに首を傾げながら寄ってきたラフィセルを、宗一郎は抱き寄せた。
ひっ、とラフィセルの身体が緊張してピンッ!と直立不動になる。
「弟がいるので、兄の気持ちがわかる。……貴方にその実を渡す理由、それだけでは足りないかな」
微笑む宗一郎の顔を見つめ、ギルバートは首を横に振った。
そして慌てて席を立つ。
「貴方はなにも間違ってはいない」
宗一郎はポンと背を叩いて、ギルバートを送り出した。彼は恭しく一礼をしてから、振り返りもせず出ていった。
その背に聞こえる程度の声で宗一郎は囁く。
「……では、吉報を待っています。ギルバート」
‡
一週間後、ゼファルの部屋で開催されるお茶会には新しいメンバーが追加されていた。
「そんなに高値をつけてもらっていいのかな」
「それほど値打ちのあるものですから! 安売りしないでくださいよ殿下!」
「ありがたいな。神殿にだいぶ寄付してしまってね」
「神殿の建て替えっていうアレですね? ……ちなみに技術者の手配はこれからですか?」
「ああ、これからだけど……」
「それでは我がアデルバーグ商会におまかせを!」
パン、と大きく手を打ったギルバートは、糸目をにんまりと半月にした。
「神殿にはそりゃあもう、大きな、大きな借りがありますからねぇ! たっぷり恩返ししてよろしいですか、ゼファル殿下!」
茶会の端のほうで、巨体を丸めたルードが居心地悪そうにしている。
何も聞いていないと態度で示しているようだ。
「――うん、君の好きなようにするといいよ。ギルバート」
楽しそうなギルバートを見ていると、宗一郎も少し胸のすくような、心地好い気分になるのだった。
……白猫のルルがあくびをしながらゼファルの膝の上で前足を伸ばし、その手に懐いてゴロゴロと喉を震わせている。
実はこの聖獣が呼び水となって、ゼファルの宮が『清らかで横柄な』アニマル天国になるのはほんの少し先のことだった。




