第4話 人たらしおじさまの処世術③
(ああ、メリアの聖眼にはこの魂の姿が見えているのか……?)
宗一郎は正しく『おじちゃん』なので、少女のそんな呼びかけに驚くこともなかった。
聖女に目覚める前から、原作のメリアには特殊能力がいくつか開花していた。
真実を見抜く聖なる瞳は魔眼ではなく『聖眼』と呼ばれる。これで他人の嘘を見分ける力は、幼い彼女が過酷な運命の中生き残るために役立っていた。
宗一郎はそれを思い出しながら、肩のマントを外して華奢な少女を包み込み、両腕でそっと抱き上げる。
「で、殿下! その少女をどうなさるおつもりで……!?」
ルードが慌ててこちらに走ってくる。
馬車のそばにいた護衛騎士たちは揃いも揃って皆、顔色が悪い。
(そんなに怯えなくても。……たかが『おじちゃん』呼びで)
宗一郎にとっては馴染みの呼ばれ方だったが、二十代のゼファルには確かに似合わない。
メリアはジト目のままマントの中で大人しくしていたが、その耳元に宗一郎はそっと顔を近づけた。
「その『おじちゃん』はしばらく内緒でお願いできる?」
「ないしょ?」
「そう。私とメリアの秘密だ」
「おかし、くれるなら、いいよ」
「ありがとう。たくさんお菓子をあげようねぇ」
慌てふためく護衛騎士たちを宥めるのに苦労しながら、宗一郎は馬車へと戻った。
‡
「メリア! だからここはお前の部屋じゃないって言ってるだろう!」
「うるさい。ラフィセルきらい。あっちいけ」
「行儀が悪い! ベッドでお菓子食べない!! ――ゼファル様の膝に乗るなあぁぁぁぁ!!!」
(にぎやかだなあ……)
次の日。
教会から引き取ってきたメリアと一匹の白猫はゼファルの部屋で夜を明かし、朝一番からラフィセルに怒鳴られていた。
――引き取る、と言っても簡単に事が済んだわけではない。
神官は女性であっても神に身を捧げているため、本来は子を身ごもることなどあり得ない。しかしメリアの母は身ごもった。
つまり父親がいるわけだが、それが誰だかわからない。
(十中八九、お偉い神官の誰かだろうけどねぇ……)
禁断の愛だとか、そういうロマンス的な話であったならまだよかった。実際はそんないい話ではないのだ。
ここで神殿内の旧態依然とした体質やドロドロとした膿をすべて出し切ってやろうとか、断罪しようなどという気は、宗一郎にはなかった。
敵対して良いことなんてひとつもないのである。
しかしメリアとその母親は引き取りたい。できることからコツコツと。手の届く範囲の知り合いから助けていくことは、いずれ大きな変化に繋がるだろう。やらないよりはマシ、というやつである。
そんなわけで、宗一郎は悪役王子である『ゼファル』の権力を存分に使わせてもらった。
(神官長さん、真っ青だったな。これで少しは大人しくなるといいんだけど……まあ少しの間だけか。懲りないからなぁ、ああいう人は)
モラハラ、セクハラの対応には一対一で話をするのが一番だ。
宗一郎は神殿についてから神官長と少し話した後、別室に籠もって交渉をして、メリアとその母親を勝ち取ってきた。
感情的にならず、淡々と事実を述べ、相手からの反省を引き出す。寄り添って「貴方の気持ちもわかりますよ」という態度を崩さないのも必要だった。
元より神官の女性が身ごもった子などいてはならない存在で、産んだ事実も隠したいはずだ。
その存在が神殿から消えるのですよ、と言われれば神官長は逆らえなかった。
現世での宗一郎は総務部に異動になる前、人事部にいた。
総務部長がそろそろ退職という時期になって、総務部の女性たちが役職付きを嫌がったため、宗一郎に白羽の矢が立ったのだ。
役職付きには手当が出るが、事務の女性たちは通常業務にプラスして部長職の仕事が降ってくることにいい顔をしなかった。
その気持ちも充分に理解できたので、宗一郎は粛々と異動命令に従った。
総務部長の仕事は多岐に渡る。
社内の問題の後始末屋ともいえた。先輩からのパワハラでメンタルを壊した社員と面談したり、産業医の元へ行くのに付き添ったり。
原因となった社員の意見を聞く以外にも、周囲への聞き込みも行う。
誰が悪いのか、ではない。
どうすれば皆が心穏やかに業務を進められるかを考える必要があった。
「殿下、神殿はあのままで……大丈夫でしょうか」
部屋には護衛騎士のルードも控えていた。
昨日の事情をすべて知っているのは彼と数人の護衛騎士だけだ。
メリアとラフィセルのことも気にかけていたようなので、宗一郎は朝からルードを護衛に指名してここへ呼んでいた。
「神官長が何かしてくると?」
「はい。あの男は腹黒で有名ですので……」
宗一郎の膝には、メリアの『お友達』である白猫がへそ天で転がっている。
まだ若い雄の白猫で、メリアは森で出会ってからずっと一緒だったと言っていた。
ゴロゴロと心地よさそうに喉を鳴らす猫の頭を撫でながら、宗一郎は穏やかに笑った。
「いくら腹が黒くとも、王族からの献金を断ることは彼の一存では難しい。神聖区内に騎士団の詰め所を作るのも、防犯のためと言われれば無視などできはしない……」
「そ、それは、そうですが」
宗一郎の膝の白猫は寝返りをうち、ぴるぴると長い三角の耳を震わせた。
そして細くなっていた金色の目がぱちりと開く。
「現に、神聖区内に住んでいる少女が怪我をしていた、などと言われてはね。大事になれば誰が怪我した、この子はどこの子だ、などという話になる。防犯面の甘さも指摘されて真っ青になっていたし……」
怪我というのは嘘で、宗一郎は木イチゴの汁で真っ赤に染まったメリアの貫頭衣をチラッと見せただけだ。
そして、表向きは治療と怪我の原因について調べるためと言って、メリアの保護を申し出た。
「しばらくは騎士団で監視、どんな小さなことでも報告を上げるように」
「はっ、仰せのままに!」
ルードは困惑したような表情のまま、床に膝をついて頭を下げた。
(ゼファルがなんでこんなことをするのか、不思議なんだろうなぁ……でも、乗りかかった船だしね)
昨日、ゼファルの名義で多額の寄付をした。
古くなった神殿の内部を大規模改修するための資金だ。
しかし神殿の自由に使える金ではなく、その建物は王家が用意した技術者が作る。
もちろん必要な施設の聞き取りは行なった上で、しっかり男女の施設が区切られた、防犯のちゃんとした施設をつくる予定だった。
そして神聖区の内部には駐在の騎士団を置く。
これだけでも犯罪の抑止力にはなるだろうと宗一郎は思った。
当然神官の抵抗に遭うと思っていたが、そうはならなかった。本当に神殿内部は困窮していたのだ。
かなり老朽化の進んだ建物が多く、運営資金が誰かの私腹を肥やすためにしか使われていないのは明白だった。
(嫌でも断れなかったんだろうな……)
それにつけ込んだ気はするが、そもそも勝ち負けを決めに行ったわけではない。
宗一郎はただ、メリアの保護をしたかっただけだ。
(そうだ、神殿には女神が奉られていたんだっけ)
昨日は大聖堂に入らなかったが、転生前に無茶振りしてきたのがあの女神がいるなら、一度くらいは挨拶に行った方がいいだろうか。
宗一郎がそう考え込んでいたところに――
「ぬがー!」
ずい、と目の前にナッツとドライフルーツたっぷりのヌガーが差し出された。
宗一郎はぱちぱちと朱色の目を瞬かせる。
「こら、メリア!」
「うるさいの、おじちゃんとぬがー食べるの」
「またおじちゃんって言った!!」
ラフィセルが額に青筋を立てて怒っている。
宗一郎は苦笑しながら差し出されたヌガーに手を伸ばしかけて……猫を触っていたことを思い出した。
一瞬迷ってから、宗一郎は口を開き……
ぱく。
「――!」
メリアの小さな手からそのままヌガーを食べた。
ひっ、と小さな悲鳴を上げたのはルードだ。その横でラフィセルは顔を真っ赤にして震えていた。
もぐ、もぐ、と硬い菓子をかみ砕いているとメリアが膝に飛び乗ってきた。
白猫が迷惑そうに『うなぁ~』と鳴く。
「も、いっこ、あげる」
いつものジト目がキラキラと輝き、メリアは食い入るようにこちらを見上げていた。
「みんなで食べようか。おいしいお茶でもいれて、ね」
宗一郎は目を細めて笑いながらそう言った。
――その日の夕方、近衛騎士団の詰め所に戻ったルードは魂が抜けたように放心していたという。
様子を窺った騎士によると、
「うう゛……ちがう……そんなはずない。ちがうんだ、……演技にちがいない、……なんでずっと頭から離れないんだ!!」
あ゛あ゛っ!
と頭をかきむしりながら呻くルードを見て遠巻きにしていた騎士たちは、数週間のうちに自分たちも同じ葛藤を抱くようになるとは、まだ知らない。




