第2話 人たらしおじさまの処世術①
自分の身体が冗談みたいに天高く、弾き飛ばされたのを感じた。
その瞬間、青い空だけが見えた。
――そして気がついたら宗一郎は、全方面真っ白な空間にいたのだ。
『ごめんね、ごめんね、ナイスミドルなおじさま』
か細く小さな、女性の泣く声が聞こえてきた。
天から降ってくるような声で、相手がどこにいるのかもわからない。
「あの……」
『きっとおじさまならなんとかしてくれるわ。有能だもの。わたくしの加護はつけたから、うちの子たちをよろしくお願いしますね』
申し訳なさそうに泣いていたはずの声が、突然張りを帯びた。
「え――話が見えないのですが……?」
急に『よろしくお願いします』と言われても、宗一郎には何がなにやらわからない。
総務部へ突然異動になった新人のOJT(新人研修)を押しつけられたときでも、これほど理不尽ではなかっただろう。
――そもそも総務ははきだめではない。
他部署で持て余したのだか知らないが「そういえば時短が多くて人手が足りてないって言ってたよね」などと畑の違う人間を押しつけられても困る。
そして総務部の女性たちはそれぞれ、定時で帰るためのきっちり決まった毎日のルーティンがあり、そこにOJTを挟み込む隙などないのだ。
……というわけで、宗一郎は新人がやってくるとだいたいその教育を任されていた。
押しつけられたのはわかっていたが、誠実に対応しきちんと指導して新人が会社に馴染めるよう心を砕いた。新人は、穏やかで怒らず失敗を肩代わりしてくれる宗一郎によく懐いた。
しかしその新人がようやく使い物になってくると……
「あ、そういえばあの新人、最近落ち着いてるみたいだよね。元の部署に返してくれる?」
「――は?」
何度もそんな目に遭ってきた宗一郎だったが、心底思ったのだ。
今度の無茶振りは度を超しているな……と。
‡
「さて、あの女性が言っていた『うちの子』は……やはり小説の登場人物のことかな?」
まだ真っ昼間だったが、宗一郎は自室らしき豪奢な部屋に戻ってきた。
思い出そうとすればきちんとゼファルの記憶を掘り起こせたので、日常生活に支障はなさそうだ。
そして人払いをしてから、おもむろに前世読んでいたライトノベルのセオリー通り「ステータスオープン」だの「アイテムボックス」などと呟いてみたが、何の反応もなかった。
(年甲斐もなくはしゃいでしまった……はずかしい)
前世では眼鏡をかけていたので、何もないのに眉間の辺りを落ち着きなく触ってしまう。
しかし、収穫が皆無だったわけではない。
「一応これだけは役に立ちそうだ」
宗一郎が空中へ向けて両手を開くと、その上に半透明な光る本が現れる。
パラパラとページをめくってみるとそこには原作の『捨てられ聖女の復讐譚』が綴られていた。
そして『今ココだよ』、と言わんばかりにカーソルがチカチカしている。
本の体裁を保っているくせに中身は文章作成ソフトのようだった。改行マークもあるし段落の頭も一文字落ちている。
「まあ、原作が参照できるのはありがたいけどねぇ」
ここには宗一郎が介入する前のできごとが原作通りに描かれ、そして未来のページも記憶していた通りの展開が載っている。
しかし、ついさきほど謁見室であったやりとりもまた、本文とは違った朱色の文字で綴られているのだ。
これから宗一郎の行動によって、朱色の物語が増えていくのかもしれない。
「ん? また赤い文字が増えた……?」
明滅していたカーソルがスーッと横に移動しはじめた。
そこには……
【ゼファルとの謁見が終わると、ラフィセルは夜伽の支度をさせられ侍女と共にその部屋を訪れた――】
(なんだって?)
読み間違いかと思い、現在は老眼でもないのに本文に目をこらしていると、部屋の扉がノックされた。
「ゼファル殿下、ラフィセル様をお連れしました」
「……入れ」
よく確認できないまま本を閉じ、手を離すとそれはスウッと煙のように消えてしまった。
原理はわからないが、端から見たら奇妙なパントマイムをしているように見えるだろう。
(人前で本を確認するときは気をつけないとな……)
コホン、と咳払いをして扉の方を振り返ると、所在なさげに立ち尽くすラフィセルと目が合った。
侍女はもういない。
「――ずいぶん、寒そうな格好だな」
「……」
ラフィセルは、先ほどの煤けたような格好に比べたら確かに清潔になっていた。金色の髪は艶を取り戻し、白い肌も輝くようだ。
しかし着せられているフワッとした白いシャツは薄手で透けていて、黒いパンツも異様に身体に沿ったピッタリサイズだった。そして膝丈の半ズボンである。
まるで小姓のような可愛いスタイルだ。十五歳に着せるにはちょっと可哀想ではないのか。
(綺麗にして部屋につれて来い、という指示はそう聞こえるのか……)
小姓、つまり遊び相手?
権力者の側に美少年は付きものなのだろうか。森蘭丸のような?
ラフィセルは耳を赤くして、もじもじと下を向いている。
若干内股になっているようにも見えた。
(まったく、未成年になんてことを)
ふう、とため息をついて宗一郎はベルを鳴らした。
侍女が慌ててやってきて「なにかご無礼がありましたでしょうか!」と悲鳴のような声で問いかけてくる。
「――軽食を二人分用意してくれ」
「は」
「すぐ用意できる簡単な物で構わないが、量は多めで」
「は、はい! すぐお持ちします!」
侍女が去ってから、宗一郎はラフィセルに向き直った。
「座りなさい」
「え、……あの、ベッドでは」
「それはいいから、まずは食事をしよう」
「……食事?」
「? 空腹だろう?」
先ほど、改めて原作のページを確認していて気づいた。
ラフィセルはおそらく、疲れている。昨日の深夜から謀反だなんだという騒ぎで、大人たちにあちこち引きずり回されたからだ。
もちろんその謀反の証拠はでっち上げだと宗一郎が一番よく知っている。
この事件の被害者であるラフィセルに、せめて落ち着いた食事をさせてあげたいと思った。
「さあ、召し上がれ」
ワゴンで運ばれてきたのは丸いパンにチーズやハムが挟まれたものと、根菜のスープだった。
涎を垂らしそうな様子で料理を見ているラフィセルに、食べるよう促す。
「は、はい!」
素早く食前の祈りをすると、ラフィセルはガツガツと食事を始めた。決して下品な所作ではなく、マナーに則った食事の仕方ではあったが、その速度は普通ではない。
原作のラフィセルは、十五歳で鉱山労働に送られてからめきめきと筋肉がつき、王都へ戻ってくる頃には逞しい剣士に成長している。聖女を担ぎ上げて走りながら剣を振るえるくらいの筋肉だった。
(今はこんなに薄幸の美少年なのになぁ)
目を輝かせながらパンを口に運ぶラフィセルを見て、宗一郎はつい唇を綻ばせてしまった。
「――!」
ぽろっ、とラフィセルの手からパンが落ちる。
「どうした?」
「は、いえ、……」
「食事は逃げていかない。ゆっくり食べなさい」
椅子を二つ向かい合わせた小さなテーブルは、食事用というより晩酌にワインなどを置く用途なのだろう。椅子の距離はかなり近い。
手を伸ばせば届く距離だったので、ラフィセルの口元のパンくずに気づいた宗一郎は、ハンカチを取り出しその口を軽く拭った。
「は、ひ、……あ、あにうぇ……ぜ、ゼファル様!」
途端、耳まで真っ赤になったラフィセルは、『兄上』と呼ぼうとして両手で口を押さえた。
そして恐る恐るゼファルの名を呼ぶ。
(原作では確か、そう呼ぶのを拒否されたんだっけ……)
ゼファルは妾腹のラフィセルを王族とも弟とも思っていなかったし、蛇蝎のごとく嫌っていた。特に血縁を感じさせる『兄上』という呼び方には怒りを露わにする、というエピソードも覚えがある。
(さて、ここで突然対外的にも兄と呼んで良いと言ったら……ラフィセルは納得できるだろうか? 無理だよなぁ)
「……食べなさい。スープが冷めてしまう」
「あ、はい。申し訳ありません」
「足りなければ、私の分も食べるといい」
「いえそんな」
「私はお腹が空いていないんだ」
宗一郎は自分の分の皿と、ラフィセルの前にある空の皿を取り替えた。
ぱちぱちと大きく瞬く碧眼を見つめ、促すように頷いて見せる。空腹には逆らえなかったのか、ラフィセルはパンに手を伸ばした。
「食べながら聞きなさい。――これから私の側仕えが仕事になるが」
「はい」
「人の目のある場所では、私のことは『ゼファル様』と呼ぶこと」
「はい!」
仕事を言いつけられた犬のように、キリッとした顔でラフィセルが返事をした。
「――でも、こうして部屋で二人のときは『兄上』と」
「えっ」
「私も公務中でないときは、『ラフィ』と呼んで構わないか?」
ポロッとまたラフィセルの手からパンが落ちた。
大きく見開いた碧眼はキラキラとしていてどんな宝石よりも美しい。宗一郎は目を細め、その輝きを愛でる。
「は、はいっ、では、そのように……」
「うん。では今日はしっかり休むように。ラフィ、明日は遠出をするから」
まだ呼ばれ方に慣れないのか、ラフィセルは頬を真っ赤に染めていた。その口元も照れくさそうにふにゃふにゃしていたが、両手で必死に押さえているのが可愛らしい。
「と、遠出とは、どちらに?」
「――女神の神殿へ、聖女を迎えに」
にこ、と微笑んだ宗一郎の言葉にラフィセルはまた驚いたように瞬きを繰り返した。




