不要不急のぼくたち
「びっくりした、えーと、……オタクくんとメガネくん……」
「嵯峨と佐々原」
「そうだそうだ、ごめんね」
練習の合間に、立川は二人のところまでやって来てくれた。休憩を挟んで、この後はたっぷりトレーニングの時間が待っているのだそうだ。これがほぼ毎日のようにある。
しんどくないの、と問うた生央に、
「しんどいよ。でもさ、母さんがずっと支えてくれてるから」
と立川は屈託なく笑った。
そういえば、彼を車に乗せてここまで来たはずの母親は練習を見ていないようだ。
「夕方から、スーパーのパートがあるんだ。朝から昼まではドラッグストアで、そのあと俺を送ってくれて、夕方はスーパーで」
「それを……、毎日?」
「そう、小学生のときからずっと。うちさ、俺が六つのときに父親が死んじゃってんだよね」
彼は明るい顔で言った。
立川泰雅の父親は、六歳のときに自動車の事故で亡くなったのだと言う。
幼稚園の年長さんのとき、父親に初めて連れて行った多摩スタジアムで観た、アルプスFCの試合をきっかけに、泰雅の夢は「サッカー選手」になった。父はすぐに泰雅のためにサッカーボールを買ってきてくれたが、それから間も無く事故に遭ったのである。
母親と泰雅が病院に駆け付けたときには、もう父は息を引き取ったあとだった。しかし、救急隊員は彼が最愛の妻と息子に遺した言葉を携えていた。
「『どんなことがあっても夢を諦めるな』ってさ。で、母さんには『泰雅の夢を支えてやって』って。だもんだから、俺はもう絶対サッカーやめらんないし、母さんも俺を支えることをやめらんない」
ちょっとの毒と、棘のある言葉ではある。
けれど、そこには切なくなるほどの優しさが滲んでいた。画面の、フェンスの向こうのサッカー選手ではなく、たまたま同じ班になっただけの怠惰な同級生でもなく、同い年の男子高校生がいるような感覚を律有人に抱かしめる。
「だから、とっととしっかりした選手になって、もっと稼げるようになんなきゃなーって思ってるんだ。……そんで、なに、わざわざ俺の練習見に来てくれたの?」
は、と我に返って、律有人は大急ぎに、
「そっ、あの、そうじゃなくて、あの、公共の、グループワークの、憲法の、あのやつのことで、ちょっと、伝えとかなきゃいけないと思って」
どうしても声を上擦ったり極端な早口になったりしてしまいながら、必死になって言う。
「あー、うん、外国人のはなぁ……、俺も、どうかと思った。っつーのはさ、普通に俺、『向こう』行ったら俺が外国人になっちゃうんだなっての思ったし」
「向こう?」
これは生央の問い。
「去年の夏に、U-15の代表で初めて外国行ったんだ、ヨーロッパの方ね。休みの日にさ、ちょびっとだけ街に出てみたんだけど……」
「え。え、あの、英語……?」
「あー、まあ、日常会話とか、買い物ぐらいだったらなんとか」
「すご……」
「うん、でも、あんま楽しくなかった。スーパーでさ、お菓子とか買おうと思ってレジで並んでたんだけど、横入りされたり、店員も明らかに俺にだけ愛想悪いんだ」
それは、日本にいて、日本人として暮らしているだけでは気付けないことだったと立川は言う。
「差別……」
「そう。フツーにね、当たり前のこととしてあんだよね。もちろん全員が全員じゃないし、そういうことすんのって本当に一部のやつだけだとは思うけど」
立川が行ったのは三カ国あり、そのうちの国の一つにおいて、「目尻を指でぐいってやるポーズを食らった」と彼は言った。
その国の名前を告げられたときには、「え」「意外」なんて声を律有人も生央も上げてしまった。なんとなく、そういう陰険なことをしなさそうな、明るく陽気なお国柄だろうと勝手に思い込んでいたのである。もっとも、そうしたステレオタイプな見立てもある種の差別的意識の発露であろう。
「そんで、チームには外国から来てる選手もいる、……帰化してる選手もいるし、他の国の選手でいまもメールするぐらい仲いいやつもいる。そういう連中がさ、日本に来て、なんか嫌な思いすんのはなって思ってたんだ。参政権って、まあ俺自身もあんま政治に興味あるわけじゃないけどさ、そういうとこで差を付けちゃっていいんだっていうのを大っぴらに言っちゃえる国になったら、なんだろ、……空気? みたいなのも、『外国人はそういう扱いしていいんだ』って感じになっちゃうんじゃねーのかなって思ってさ」
律有人としては、肩を落として反省する以外に出来ない。
「俺としては、そういう意図があったわけじゃなくって、でも、自分の勉強不足のせいで、立川の友達とかに、嫌な思いをさせちゃうのを、こう、認めるような感じになっちゃって、だから……」
ぼそぼそ、小さい声ではある、情けないぐらいに上手く言えない、けれど、
「ごめん。だからあの、昨日言ったあれは、撤回させて欲しいんだ」
と言うことは出来た。
「まー、俺はぜんぜんいいけど、……鈴江キレてたじゃん」
「謝ろうと思ってる……」
「んならいいんじゃん? っていうか、え、なに、わざわざそれ言いに来たの?」
それだけではない。律有人はここからまたひとしきり、みっともなさを自覚しながら、相馬案への対案的附則を提案した。
「あー……、どうなんだろ。相馬、自分のに文句言われたみたいに思うんじゃないかなぁ」
「そう、あの、そう、かもしれない、だから、立川にも、棄権じゃなくて、できれば意見を言ってもらい、もらえたらって思って、サッカーとか、これからも、自由にやって欲しいなって」
「うーん……? 緊急事態とサッカーとどう関係あんの?」
想像の話、と前置きをした上で、表現の自由の制限、漫画とアニメの話から、不要不急のコンテンツとして取り扱われるものは、スポーツにも及ぶであろうということ、……これについては主に語ってくれたのは生央である。生央と家族以外の相手と話すときにも冷静さを保っていられるようにすることは、律有人にとって喫緊の課題であるようだ。
「んー……」
律有人に比べてずっと冷静さを保ち続ける立川は、やっぱり大人で、格好いいのだった。
「まあ、ちょっとこの場で結論は出せないわ。俺も全然、今回のことなかったら、憲法のことなんてずっとどうでもいいって思ってたし。とりあえず、嵯峨が外国人の件を撤回したのは了解、でもって、いまの話は、ちょっとすぐにはわかんないよ、俺だって考えたいし、あと、……そろそろ休憩終わるから」
「あっはい、あの、忙しいところに時間を取ってくれてありがとう……」
「いーよー、っつーか、高校入って同級生が練習見に来てくれたの初めてだから嬉しかったし。じゃーな」
手をひらひら振って、爽やかに走り去っていく立川の背中を、二人でぼうっと突っ立ったまま見送る。
「かっこいいなぁ……」
とまた生央が言った。もう、ほとんど何の悔しさも感じることなく、律有人はこっくりと頷いた。




