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ぼくのかんがえたさいきょうのけんぽう。  作者: 村岸健太
ぼくたちの生きた時代
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12/18

傘の下の静寂

日本国憲法


第九十六条


この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。


2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。





 しとしととした雨が降り、気温も下がった土曜の午後。

 浅川駅北口の、カフェのテーブルを挟んで、律有人と生央は、想像力のまだ届かないところにいる人物と向き合っていた。

 提案を拒絶されて、

「えと、つまり、あの……、委員長的には、受け入れられない、……ってこと……?」

 律有人はすっかり、本来の彼らしい喋り方を取り戻すに至っているところであった。こんなみっともないのが「らしさ」であって欲しくないと自分でも思うのであるが。

 相馬とも個別に話した方がいいのではないかという提案は、二日ぶりにそれぞれの家できちんと寝たあと、今朝の通学路で再会した律有人と生央の両方から同時に現れた。立川には撤回の同意を得て、鈴江には謝罪を受け入れてもらい、和解するに至った。であるならば、次の「公共」の授業を待たずに相馬ともコミュニケーションをはかった方がいいのではないかという考えは、自然なものだったはずだ。

 そして二人とも「ちょっとだけ加筆させてもらうだけなわけだし」と、すんなり同意してもらえるはずだと楽観的でいたのである。

 しかし、指定されたカフェを訪れた二人は、相馬からあっけなく提案を一蹴されることとなったのである。

「矛盾があると思うから」

 相馬は静かな声で言った。

「緊急時に優先すべきことが何かと言えば、人命。それを優先するために追加される条項を定めるというのが第一義なのに、敢えてそれを緩めることに意味はない」

「ででも、でも」

 隣に座る生央も、つりこまれて、しどろもどろ。

「自由、あの、自由権っていうのが大事なのは、相馬さんにもわかってもらえてると思うんだけどですけど」

 相馬は静かに微笑んだ。

 今日の空模様と同じ、あたたかみの全くない笑顔だった。

「平時においては、そうね。でも、自由の許されない状況というもの、判断を間違えれば命に関わるかもしれないシチュエーションにまで、その理屈を持ち込もうとは思わない。この国にコロナウイルスが蔓延していたころ、どれだけの人が理屈に従って動いていたかしら。外でお酒を飲んでクラスターを発生させた例はたくさんある、ワクチンの接種が始まっても、好き勝手な理由で接種を拒否する人が続出した」

 びく、と生央が身を縮ませた。生央はインフルエンザの予防接種を受けると、インフルエンザに罹ったのと同じほどの副反応が現れて、何日も寝込まなければならなくなってしまう体質なのだ。

 同様あるいはそれ以上に強い副反応がコロナワクチンで現れることは避け難いという判断から、生央はワクチンを接種していないのだ。

 相馬は言った。

「現行の憲法は、自由権を濫用させている」

 濫用……、と耳で聞くと、どうしても「薬物濫用」が思い浮かぶ。律有人たちも入学直後に市販薬のオーバードーズの恐ろしさについての講習を受けた。風邪薬や咳止めなどに入っている一部の成分に依存性があり、誤った使い方をすると健康を害するという話であったが、相馬が言いたいのはそういうことではないだろう。

 自由権の濫用とはどういうことか。

「確かに、平時は色々な自由が尊重されるべきだと思う。言論の自由があるからこそ、私たちはいまこうして議論をすることが出来ている」

 こく、と彼女と向かい合う律有人と生央は同時に頷いた。

「でも、それが無秩序に認められてはいけない事態というのは、どうしてもあるわ。それが緊急事態。普段はバラバラな方を向いて、自由に、……言葉は悪いかもしれないけど好き勝手にしていることを認めるとしても、それが許されないときというのは必ずある。そこに甘さを持ち込むべきではないと、私は考えているの。それにね」

 相馬はここで、カップを持ち上げてコーヒーを一口飲んだ。一粒の砂糖も入っていないに違いない、漆黒の液体が揺れている。

「自由には、権利には、責任が伴う、言い換えれば、義務が伴う。緊急時においては、私たちは日本国民として、日本国民の安全を確保するために働かなければいけない、そういう義務を負っているという考え方は、不自然かしら? 私の、あなたたちの、いまこの瞬間の自由を憲法が保障しているならば、緊急事態においてはその自由を返上して全体のために一致した行動を取るべきだと、私は考える」

 律有人は、反論できなかった。生央も、俯いて唇を結んでいる。彼女の態度は氷のようにかたくなで、しかし、鉄より堅牢な理論構造で組まれていて、律有人も生央も、おいそれと触ったら凍傷になってしまうように思われた。

「それじゃあ、……もういい? まとめると、嵯峨くんの言っていた、外国人参政権については撤回。佐々原くんの言っていた同性パートナーの結婚については、憲法では明言しない」

 小さく、生央は頷いた。

「……それだと、私の緊急事態対応の条文の明文化だけになってしまうけど、それでいいのかしら」

 二人から意見が出ないことを確かめて、

「でも、私、ベースは今の憲法でって考えてるの」

 彼女は言った。

「いまの……?」

「そう、日本国憲法。他の二人にも訊いてみるつもりだけど……」

 鈴江と立川は、相馬がグループトークに貼った日本国憲法と民友党改憲案に目を通していないだろう、という相馬の想像は、おそらく当たっている。立川はサッカーの練習、相馬は両親の店を手伝っている、……忙しいのだ。

 それじゃ。冷ややかに言い残して、相馬はカフェを出て行った。

「なんか、……意外な気がする」

 生央が呟き、律有人も「うん」と同意した。

「なんか、な、……自由を、憎んでるじゃないけど……」

 彼女の思想は「好き勝手」という言葉に、端的に現れていたように思うのだ。

 表現の自由に関しての条文を比較した律有人と生央である。民友党の改憲案においては現行憲法に明記されている自由権を制限することが可能なものである。運用次第では漫画やアニメ、ラノベ、……ほんのりエロいぐらいのものでもお国に目を付けられちゃ困るから自粛しましょうと、産業全体を萎縮させるおそれがあることは、すでに確認した通りだ。

 日本国憲法は基本的に「これをすることは『自由』」と、非常に強く定めている。

 それに対して待ったを掛けたい、言い換えれば国民の自由権を制限したいと思うのであれば、民友党改憲案をベースにした方が、矛盾がない。

 じゃあ、あいつは本当はやっぱりいろんな自由を大事にしたいのだろうか?

 律有人はすっかりぬるくなったカフェオレを啜って、考え込む。

 相馬の考えていることがわからない。言論の自由があるから議論ができる、……律有人と生央が呼び出して、すんなりと応じてくれたし、二人の男子がみっともなく不器用に言葉を継いで行った自己主張を、冷たくあしらうようなこともしなかった。

 彼女は多分、この男子二人との時間を、それなりに楽しんでいた。

 しかし、緊急事態についての話となると、途端にわかりあえない人になってしまう。

 彼女は徹頭徹尾、その条文を加えることに拘り続けていた。そのことが、どこかしら、律有人には妙に浮いているように思われる。

「浮いて……?」

「うーん……、上手く言えないんだけど……」

 まだ止まない雨の中を、生央と別れて家に帰り、緊急事態、緊急事態……、律有人は考えを巡らせる。巡らせたところで、律有人が知っている緊急事態なんてのは、六年前のコロナウイルス蔓延ぐらいしか思いつかない。

 当時のことを思い出そうとすると、律有人はなんだか、深い霧の中に顔を突っ込んだような気持ちになる。人生でその時期の記憶だけ、透明な箱を被せられたみたいな感じで、その中にはもやもやとしたものが白く漂い満ちているのだ。

 嵯峨家は、コロナウイルスという嵐に翻弄された平均的日本人の一家であったと言ってよかろう。

 父が罹患した。幸いにして無症状であったが、ホテルに隔離されることとなった。父はそれまで煙草を吸う人であったが、隔離される際に煙草を持って行き忘れてしまい、四日間の強制雪隠詰めで禁煙に成功した。

 母は、病災下の大衆というものを見事なまでに演じ切った。つまり、山のようなトイレットペーパーで押入れを埋めてみたり、イソジンを何本も買ってきたり、カロナールを買って来て、熱もないのに服用してみたり。その挙げ句、精神的に参ってしまい何度か塞ぎ込むという、今思えば器用な日々を過ごしていた。

 律有人はといえば、……あのころ俺、どうしてたっけなあ。

 思い出すのは自分の部屋で、ベランダからずっと外を眺めていたことだ。

 朝昼晩、何時に出ても、外は静かだった。元々浅川地域というのは郊外で、駅前の一地域を除けば喧騒とは無縁な土地柄なのであるが、それにしてもあのころはとても静かだった。

 なにせ西浅川駅を発車した甲武線が線路の継ぎ目を車輪で踏む音、「たたん、たたんたたん」がまるで世界の唯一の音であるかのように、丘と丘に挟まれた住宅街に大きく響きわたった。街の道々に本来行き渡っているはずの、人々の生活音、息遣いといったものが全て掃かれて家の中にしまわれて、ただ街、道といった構造体だけがそこに横たわっているのを、幼心に見たような気がする。

 それ以外には、印象に残っていることなどほとんどない。大人たちに比べたらパニックの度合いは低かったように思う。

 というのは、何せ初めて生きる身である。でもって、生まれてから十年ぐらいしか経っていなかった身である。人生にこういうことが「起こらない」とは考えない、まだ「何が起こるかわからない」ということだけわかっている状態であったから、流れに身を任せるほかなかったのだ。

 それにしたって、砂漠で砂粒を数えるような退屈には閉口したことを、律有人は思い出した。

 そんな律有人を気遣ってくれたのだろう、父は古本屋で漫画をたくさん買ってきてくれたのだ。律有人の本棚にはそのときに買ってもらった漫画の背表紙がまだ並んでいる。この件についても「そんなどこの誰が触ったのかわからないバイキンの塊を買ってきて」なんて母がヒステリーを起こし一悶着あったのだが、そんなことも律有人は忘れていたし、考えてみれば自分がオタクになったのは、コロナ禍に父が買って来てくれた漫画を、何度も何度も、セリフまで覚えてしまうぐらい繰り返し読んだからであった。

 人生の転機であったと前向きに捉え得るものであるが、しかし、もう一度あの体験をしたいかと言われれば、首を振る。一回目よりも二回目の方が、辛さをリアルに想像し、あれよりひどかったらしんどいな、なんてことまで考えてしまうから、きつい。蜂に刺されるのと同じである。

 外はすっかり暮れ落ちていた。サンダルでベランダに出て、降り続く雨の中で鈍く光る街を、自身も細かな雨の粒にシャツが少し湿っぽくなるのを覚えながら、しばらく街を眺める。

 雨の幕の向こうに、信号機の光がルビーになったりサファイアになったりする。静かであるが、あのころよりもずっとうるさく、大雑把だ。住宅街の中の細い道を、自動車が慎重な足取りで走っていく。傘をさした人も、黄色いレインコートを着た子供も。街道にはバスが、トラックが、乗用車が、……雨のせいだろう、都心方面を目指すものも山超えに挑むものも、いつもより多いように思われる。

 いつもと同じ日常、昨日とよく似た明日を望むという、当たり前の、普通の日々。

「あ」

 と律有人は呟き、……昨日、「ワルン・スマイル」で生央が語った言葉を思い出した。

 街を見下ろしている。見下ろしているけれど、全てが見えているわけではない。家々の屋根の下、どんな個人的な苦しみが、それぞれの痛みがあるのかを覗くことはもちろん出来ない。

 平和に見える雨の土曜の夕方であっても、不可視の苦しみがそこにあることは想像出来る、……ようになった律有人である。緊急事態下にあっては、より他者の痛みが想像しやすいということは明らかである。

 律有人は、相馬のことを想像したのである。

 コロナウイルスの脅威は「去った」と、大雑把に言ってしまうことが許されるのならば(もちろん、律有人はいまでも毎日外から帰ったら手洗いうがいを欠かさずしている)、なぜこのタイミングで相馬は緊急事態というものを殊更強く意識するのだろう、……自由を犠牲にしてでも彼女が守らなければならないものとはなんだろう?

 世界の隅々、当然同じ世界に存在する相馬の周囲にも、律有人の泡は存在する。彼女の中にあるものは何だろう? 邪推と呼ばれるものであったとしても、想像することが出来る。誰に認められるまでもなく、それが律有人にはもう可能になっていた。

 そこにはあらゆる可能性がある。

 あらゆる誤読と、あらゆる勝手読みがある。

 その中の一つに直面して、律有人は顔をしかめた。

 俺はまた、人に強い不快を味わわせてしまうかもしれないところだった。自分の想像力のなさによって……。





 夕食後、生央がやって来た。

「委員長のこと」

「うん」

「律有人も、考えてたんだ」

「まあね。上がれよ」

 雨は少し強くなっていて、生央のジーンズの裾が少し濡れていた。ちょうど父が風呂から上がったところで、それはもう、当たり前のように、

「ああ、生央くん、入っていきなよ」

 なんて声をかけた。

 ほこほこになって上がってきた生央に向けて、律有人は言った。

「相馬はさ、多分、コロナのときに何かあったんだ」

 想像の話である。

「自分か、家族かわからないけど」

 正解であるなどとは、もちろん思わない。けれど、そうである可能性があると考えたときにはもう、おいそれと否定することは出来ない。

 自分たちは窮屈な考え方をしているのだろうか? がんじがらめになって、動けなくなってしまう可能性にも、律有人は思い至った。

 律有人は、生央は、「想像する」ということを始めてしまった。人間としての内側、行動の指針、自らの思考回路をコーティング、眠る前に始めてしまった答えの出ない考え事のように、容易くやめられるものではないだろう、……もちろん、やめたくもない。

 ただ、今後あらゆることが自由には行かなくなるのではないかという気が、ちょっとする。こうだったらどうしよう、こういう懸念もあるな、考え始めたら、何も言えなくなって、何も出来なくなってしまうのではないか。

 そうであったとしても、誰かに嫌な思いをさせるよりはまだ多少はマシな気もする。

「もちろん、自分で勝手に考えて、想像しやすい、……俺レベルでもわかるような『物語』に収めてわかった気になっちゃうのもおかしいんだけど……」

 生央は頷く。彼が自分と同じことを考えて、雨の中ここまでやって来たことは、手に取るようにわかった。

「そう考えると、あいつが『緊急事態』に拘るのも、想像出来るよな」

 現状の憲法が保障するさまざまな自由によってこそ、生命・身体の自由が侵害された人がいるという考え方に、律有人は辿り着いていた。

 当時の緊急事態宣言について調べてみたところによれば、端的に言えば「お願いベース」である。強制力があるものではなく、しかし、それに従わない個人や店舗に対しては、私刑的とも取れる制裁があったことを知った。

 そういえば、クラスで遊園地に行ったって自慢したやつが、学級会で叩かれてたっけなぁと思い出して、いやな気持ちになった。担任はすぐさまその学級会を止めたのだが、議論の中で自分が冷静にいられたかどうかは判然としない。羨ましいという気持ちを、その児童への攻撃に変換して晴らそうとしたかもしれない。

 日本人は足並みを揃えるのが好きだ。

 この男子高校生による乱暴な定義は、しかし大きく間違ってはいないだろう。大衆として周囲に合わせて行動する能力が、日本人はとても長けている。だから「空気を読む/読めない(KY)」なんて言葉が定着するのだし、「出る杭は打たれる」のだし、「隣に習い物を言う」のだ。

 左右相互参照システム、大衆という集団を保持することを目的とした道徳観念が、子供にまで行き渡っている。目に見えないルールを象徴的な権力者の形にして、「いけないんだぁ、先生に言ってやろ」なんて言葉を、律有人だって口にしたことがある。

 しかしコロナ禍において政府から発された「お願い」は、緊急時にその秩序で市民の行動を統一するためには役立たなかったということだ。そうであったがゆえに、不幸な出来事も招かれたということである。

「……憲法ってのはさ、国民の権利を、えーと、決めてる……、そうだ、定義(・・)してる、わけだよな」

 律有人のあやふやな言葉を勇気付けるように、生央が頷いた上で、補足する。

「権力のことだけじゃないけどね。国会のことなんかについても書いてあるし、あと、戦争放棄」

「そうだな、それはそう。でもとりあえずここでは、国民の権利、国民の自由……」

 日本国憲法には三つの基本原理がある。まあ、これぐらいのことは、憲法の前文すらついこのあいだまで読んだことのなかった律有人であっても、高校受験に必要な知識として所有しているのだ。

 具体的には、「基本的人権の尊重/国民主権/平和主義」の三つであり、今回相馬が付け加えようとしている条文はこのうち、基本的人権とのバランスをどう取るべきかというところに課題がある。

 相馬という個人がコロナで何か、つらい思いをした。その個人的な体験に基づいて憲法を創るというのは、批判されるべきことではない。何せ高校生、律有人だって考えなしに排外的な言説を口にして鈴江に不快な思いをさせたし、考えが個人的なものであっておかしいわけではない。そして、もっと言うならば、相馬という個人が体験したことを、他の多くの人間もまた同じく体験していたとして不思議はないのである。

 コロナ禍というのは、そういう時代だった。

「その、俺なんかはさ、『権利の制限』とか言われちゃうとどうしても、好きな漫画の新刊をおいそれと買いに行けないとか、そういうのを考えちゃって、嫌だなぁって思っちゃうんだけど」

「……ごめんこれ素朴な疑問なんだけど、スマホでなんでも読めるのに、本が欲しいって思うの?」

「それはその……、なんていうか、保存、保管、モノがそこにあると、やっぱ嬉しいんだよな」

「まあ、別にいいんだけど……。でも僕も、移動が制限されちゃったら、こうやってさ、律有人に会いたい時に会いに来られなくなっちゃうのはしんといなって思う……」

 改めて、パートナーになったんだなぁ、と思う。まだ誰にも、親にだって言えていないけれど、これはシンプルに照れくさいからで、同性がパートナーとなったことを後ろめたく感じているわけでは決してない。

 あともう三年もすれば、結婚できる年齢になる。まあ、パートナーがいて、その年齢になったから「しなきゃ」と結婚するものでもなかろうけれど、そのとき生央が気にしたようなことを、法律、憲法というものに対して律有人も気にするようになる、……否、もう既にしている。なるほど確かに憲法で、あるいは法律で明確に「同性同士でも結婚していいんだよ」と規定されたなら、それが今よりもっと当たり前になる。今なお残る偏見も減ることだろう。

 逆に言えば、憲法で相馬の思うような緊急事態下の制限が規定されれば、いま生央が言ったように、表に出ることだって憚られるようになるだろう。……食事はどうなるんだろうか? なにかこう、宅食みたいなのが届けられるのか、それともコロナのときに、感染者が出た世帯に向けて行われたような自治体からの配給制になるのか。

 そんな状況下になれば、娯楽が不要不急になる可能性については、既に見た。

 それ以上に律有人が耐え難く感じるのは、自分と生央の中にある気持ちさえも、「不要不急」と取り扱われてしまうことだ。

 憲法の中には精神的自由を規定した条文もある。緊急事態においてはそれすらも制限し、時の内閣の手に明け渡してしまうということだということも、既に確認した通りである。

 そこまで考えて、

「あ、やっぱダメだ、ダメだよ」

 律有人は言っていた。

「緊急事態であっても、そこは、ダメだよ。だって、悲しいもん。なぁ?」

 生央はちょっとびっくりした顔になって律有人を見た。律有人の中でどんな考えが転がって、いまはっきりとした結論を掴むに至ったのか、想像が及ばないらしい。

 勢いのままに言葉にしてしまうことも出来る。けれど、

「とりあえず、風呂入ってくる」

 温めることでほぐして、語るにちょうどいい形を仕上げてからでも遅くはない。

 もし、上手く行くようであれば……、明日改めて、相馬に会って話をしてみるのがいいと、律有人は考え始めていた。

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