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ぼくのかんがえたさいきょうのけんぽう。  作者: 村岸健太
ぼくたちの生きた時代
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13/18

安心も安全もなかった時代

 雨上がりの日曜の午後。

 昨日と同じカフェに、律有人と生央は先に着いていた。相馬はまた呼び出してしまったことを詫びた律有人に首を振り、

「それで、用件は?」

 と真っ直ぐに言った。

「うん。まあ、昨日とあんまり変わらないんだけど、改めて……、緊急事態の時の権利制限は、撤回して欲しいんだ」

 律有人の言葉にも、相馬は表情を変えなかった。それは、明確な拒絶の態度である。律有人は訊く。

「コロナのときを基準に考えるけどいいかな」

 何か、言おうとしていたことがあったのだろうか。相馬は口を開きかけて、閉じ、頷く。

「これは、俺の想像が足りてなかった部分なんだけど、……まず、委員長の言った行動制限のメリットを、改めて考えてみたんだ。人流を抑えることで、ウイルスの拡大を防ぐことができた。そのためのテレワークの普及だったり、ごはん屋さんの営業時間の短縮だったりがあって、それはどれも有効だった。感染の拡大が抑えられれば、病院とかのキャパを超えるようなことにもならないし、コロナ以外の医療にもリソースを回すことが出来るよな。これは現時点での、つまり委員長の言う『緊急事態対策』がない時点でのもので、これを更に突き詰めて、強力にしたのが委員長の条文っていう解釈でいいんだよね」

 相馬が首肯し、付け加える。「いま嵯峨くんが言ったような対策では実効力がなかった。事実として医療現場が陥った苦境なんて知らん顔で、遊びに行く人たちだっていっぱいいたわ。政府はそんな中で『GoToトラベル』なんて政策を推進したり、人々はパニックに陥って、トイレットペーパーの買い占めをしたり」

「うがい薬でなんとかなる、みたいなのもあったね」

「うがい自体の効能は否定しないけど、それでまた買い占めが起きた。軽率な発言だったと指摘せざるを得ないわ」

 同感、と律有人は頷く。共通の言語がある、というのはとてもスムーズだ。一方で、そういうものを双方が持っていなかったとしても、橋を架けてわかり合うことが出来るのが人間であるということも律有人は学んだ。

 その橋の名前を、想像力という。

「委員長の考えた条文、……緊急事態下において、国民の自由を一時的に制限することで、救われる命があるということは、確かに言えそうだと思った。前回の、コロナ禍のときよりももっと強力で実効的な管理の元で国民が動けば、救われなかった人命が救われることもありうるとは思うからね。でも、……逆にさ、デメリットも考えてみるのが公平だと思うから、こっちについても触れていきたいんだけど」

 律有人は具体例を挙げて行くことを選んだ。昨夜お湯に浸かりながら、でも長湯し過ぎないように気を付けながら、湯気で曇ったタイルに指で書いたアイディアが消えぬうちに生央へと語り、まとめたものだ。

 まず、経済への影響と、国民が本来持つ自由権を制限すること、これらが明確にデメリットであることは、相馬も認める。

 更に律有人が挙げたのは、補償の必要性である。

「補償? でも、人命を最優先に考えたならそれは国民が払うべきコストじゃないかしら」

「そうだね、自分たちが助かるためでもあるから。でも、主権者である国民がそれを一旦返上するんだから、補償はやっぱり必要になるんじゃないかなって。お店だって閉じちゃえばそれだけ苦しいわけだし、一時凌ぎの補助金じゃなくて、あと、なんだっけあのときはお金配ったんだっけ? ああいう一過性のものじゃなくて、期間に応じてどれだけの補償をする、具体的には、えーと、まあこれははっきりとはわからないけど、一ヶ月で一人五万円とかそういうね」

「……財源は?」

「それは、政治の側が頑張らなきゃいけないよな。そういうことがあってもいいように、国がコツコツ貯めていけばいいんだと思うよ。大人の集まりなわけだからさ」

 相馬が、言葉に詰まった。

 続けるけどいい? と律有人は目遣いに訊く。彼女は唇を結んで頷いた。

「あとは、メンタルの問題。もちろん人命、これは、フィジカルの問題だけど、人間は身体だけじゃなくて、心も大事にしなきゃいけない生きものだと思うんだ。俺たちはあのころ、まだ小学生だった。全然わけわかんない状態で、学校行くなって言われたり、来いって言われたり、行ったけど喋るな、マスク外すな、給食の時も黙って食え、……俺たちの学年はまだよかったけどさ、最悪なのは、もうちょっと上の学年で、夏季学園とか移動教室とか、最悪なのは修学旅行がなくなっちゃったとかそういうケースもあったと思うんだ」

「でもそれは……」

「もちろん、そういうタイミングじゃなかった、運悪く、そういうことが出来る状況じゃなかった。でも、一生に一度の思い出なわけだ。普段からあれこれ縛られて、しかもそれはその子供たちが何か悪いことしたわけじゃない、でも、どうしようもない(・・・・・・・・)状況だから、我慢しなきゃいけなかった。……委員長のやり方だと、そういうケースはもっと増えちゃうよな」

 律有人も生央も一人っ子だが、もしかしたら相馬には兄か姉がいて、まさに修学旅行がおじゃんになった世代かも知れない。高校野球などのスポーツの大会も規模を縮小したり、イレギュラーな形での開催を強いられることになったし、オリンピックはよく知られているように一年延期になった。

 身近なところに立川というアスリートの存在が生じたいまとなっては、彼が大事な大会に向けて仕上げていたのがああした形で流れてしまって、選手としてのピークを逸してしまうというケースだって、自分に近い想像として思い浮かべることができる。

 そうしたときに、誰が彼をケアしてあげるのか。

 それとも、「お国のために我慢せい」と言うのか。

「コロナのときみたいな『お願い』ベースであれ、もっときっちり締めちゃうやり方であれ、大事なのは補償だと思う。でもってそれは、心の方のケアだって必要だと思うんだ。俺たちだってあの時代を通過して、あのときにあの出来事、ああいう時間があった結果として、……きっとそれぞれ失ったものはあると思う」

 ここではっきりと、相馬の表情が強張った。

 律有人はそれに気付ける自分になったことを知る。

「それを、国はきちんと拾ってカバーして、全く同じもんでなくってもさ、やっぱり、補ってあげられるようにしなきゃいけないと思うんだ。そういう機会、そういう時間、そのための費用。それはコロナだけじゃなくて、地震とか台風とかの被害のあったときも、……福島の原発で自分の故郷をなくしちゃった人たちにも、同じようにね。それなしに『こういうときだから協力しなさい』だと、あんまり共感得られないっていうか、かえって言うこと聞かない人が増えちゃうんじゃないか? それって、いま存在しない揉め事を作ることにも繋がっちゃって、そっちのほうがさ、『そんなことしてる場合じゃないのに』ってトラブルをいっぱい作り出すことになりそうだと思うんだ」

 目元を少し曇らせつつ、

「……そうね」

 と相馬は同意してくれた。

「確かに、補償という考え方が欠如していたかもしれない。いま嵯峨くんが言ったような視点は、私にはなかった」

 小さく、安堵の溜め息を生央が漏らした。

 律有人は、もっとはっきり、嬉しい……、と感じた。

 考え方の違いを超えて、理解し合うことができる。噛み合った議論をすることが、出来る。

 きっと、誰とでも。

「もう一つ」

 肌寒さのあった昨日はホットコーヒーだったが、今日はアイスコーヒーにした。彼女に合わせて、ブラックのまま飲んでいる。鋭い苦味が爽やかだった。

「自由権の制限の範囲についても、明記することが必要だと思う。委員長は、その、心の自由までは奪うつもりはないってことでいいよね?」

 彼女は、はっきり頷いた。

「無秩序な外出とか移動とかによって生じる人流が感染を拡大させることは明白だから、行動の制限。それさえ守られていれば……、ってことだ」

「ええ、そうよ」

「そうだとしたら……、やっぱり現状の憲法の枠内で対応して、その都度制定する、……えっと、めくそ……、じゃなくて……、はくそでもなくて、はなくそじゃなくって……」

 ここで初めて、律有人が言葉に詰まった。生央が肩を縮め俯き赤くなりながら「特措法」と小さな声で言った。

「あ、そ、そう。そうだ、んんっ」

 落ち着くために咳払い一つ。相馬が嫌そうな顔になった。

「特措法。特措法か、特措法の基本的な指針を決めるための法律を考えた方が建設的なように思う」

 相馬が顎を引いた。

 反論の構えを取った彼女に臆することなく、律有人はまっすぐに言葉を向けた。

「下手に憲法に加えちゃおうとすると、憲法のほかの条項、例えば自由権とかのあたりとぶつかったとき、じゃーこういうのは、こういうケースはどうすんだっていう議論が起こって、時間がかかっちゃう。それは、ほら、この国の政治で、たぶん俺なんかより委員長の方が詳しいぐらいだと思うけど、お馴染みのやつ。でもそんなところで時間使っちゃうのは本末転倒なわけでさ、だったら、憲法じゃなくて、法律で『こういうときはだいたいこうしましょう。で、国民の人権についてはこういう風に取り扱いましょう』っていうのを、あらかじめ話し合って決めておく。その話し合いの中で、人権についてはやっぱり賛否両論出るはずでさ、憲法との関係なんかも議論になると思う。さっき話題になった補償のこととか、期間のこととか、あとは、そのときの内閣が緊急事態を好き勝手に使わないようにとか、そういうのもきっちり決めておくのがいいんじゃないかって思うんだけど、……どう?」

 なかなか立板に水という言葉のようにはいかない。……どうも、俺っていうのは言いたいことをまとめるのが下手だなあ、と律有人は学ぶ。しかし同時に、女子を相手に、こんな風にきちんと会話を組み立てられるよう努める自分のいることには、少なからず驚きを覚えてもいるのだった。

 相馬の反論は、なかなか言葉として現れなかった。律有人は緊張を解かず彼女の言葉を待ち、隣では生央が身を縮ませている。

 長い沈黙を、律有人が破った。

「……もし、よければなんだけど、聞かせてくれるかな。その、委員長はどうして、緊急事態の話を憲法に盛り込むことを考えたの。委員長だって、『自由』っていうのは大事なものだって思ってるわけだよな。だから、民友党の考えたやつじゃなくて、いまある憲法をベースにって言ってたんだと思うんだ」

 またしばらく、ひりつくような沈黙があって。

 相馬は、ふっと息を漏らして、表情を和らげた。それは優しささえ感じられるもので、彼女がそんな風に笑うところを、律有人も生央も、初めて目にした。

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